チクショーーー!
2008/9/24 9:00 【所在地】
レポート内で「これは9点台は貰ったな」などと自信の発言をしたわりに、実際に公開してみると、『その支保工は竣工当初のものではないと思う』『もしかしたら、ずっと最近のものかも?』という意見が続出し、『アハハハハ。ちょっと調子に乗っちゃったね、ヨッキさん』などとたくさんの励ましのコメントを頂いたという…
やっちゃった… レポートから数ヶ月…。
無論、冒頭の絶叫は、レポート公開直後の私のクヤシイ心境を吐露した発言であることは言うまでもないわけだが、ともかく、私の顔の鼻の穴に詰まるまでたっぷりと泥を塗ったくってくれた「杉山田の暗渠」に、コノヤロ真相を確かめに来たのであるッ!! フゥーー!
ミリンダ細田; 「まぁまぁ店長。落ち着いてけれっスよ。」
前回(←)は12月上旬、うっすら積雪のある中でも訪問であったが、今度は正反対の季節だ。
柔らかな夏草に覆われた姿は、前回とは全く異なる印象を私に与えた。
つまり、前回は不思議と新しく見えた支保工が、今度は、いままさに崩れ落ちようとする廃坑のそれと重なって見えた。
しかし、外見的な変化は季節によるものだけだろうか。
いや…、心持ち…支保工の埋没が、さらに進んでいるように思われる。
洞内は相変わらず泥沼になっていたが、植物も奥までは進入しておらず、暗渠としては無事健在であった。
今回の再訪の目的は、実物の状況を確かめることではない。
この杉山田集落にて、暗渠の、特に支保工の竣工年を聞き取り調査することであった。
早速、細田氏とともに行動を開始する。
御歳80歳であるという“古老”との接触に成功!
まさに現場である暗渠の真上で、その貴重な証言を得られた。
まず、昭和13年の竣工時点で支保工は存在しなかったとのこと。
「現場カントク」氏他の見立ては、まさに正鵠を射ていたことになる。感服だ。
だが、支保工の作られた時期について聞くと…
開通してすぐに“問題が発生”して(←この問題とは、おそらく築堤の搗き固め不足からくる暗渠の強度不安であろうとのこと)、木製の支保工がその時に初めて施工されたという。
古老自身、子供の頃に木製の支保工のあいだに入って遊んだ思い出があるとのことであるから、70年以上前、つまり戦前から支保工が存在していたことはかなり確実と思われる。
そして、イチバン気になっていたことを質問した。
支保工は、これまで一度でも交換されたことがあったかという問だ。
その答えは、 ネ ス (訳:NO)
支保工は昭和(おそらく)10年代から、ずっと変わっていない。
それが、この暗渠の隣に住み続けてきた古老の証言であった。
もっとも、古老の記憶違いという可能性が無いとは言いきれない。
だが、証言の内容如何を問わず、現地情報に再び触れることが出来た事に、我々は大きな満足を得た。
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