2008/6/27 11:35 《現在地》
県道32号の手広交差点を右折し、県道304号を腰越方面に向かう。
おおよそ600mで道は徐々に上りはじめ、本格的な坂道を前にしてこの風景を迎える。
左に見えるのが県道304号、右に分岐しているのは青蓮寺の表参道である。
車止めの奥にある立派な山門が、平安初期の開基を伝える同寺の由緒と格式を物語っている。
近隣では鎖大師という名の方が有名で、門前にあるバス停の名前も鎖大師である。
これは鎖の仕掛けで膝が屈伸するようにしつらえられた、ご本尊である仏像の名に由来するらしい。
それはそうとして…
もう私が求める“ブツ”も、見えてるっぽい……。
県道は青蓮寺の境内の外周に沿って緩やかにカーブしながら上っていく。
地形的に見れば本来この場所は、寺の裏山の山腹であったはずで、県道がそこを大胆に切り開いていることが見て取れた。
その副作用で、県道の山側の法面は都会ではあまり見られないくらいの切り立ち方も見せていた。
また、その壁に吹き付けられたコンクリートの苔むした風合いから、それが決して最近の工事ではないという事も感じられた。
私が地図に見つけた1本の小隧道はこの長く高い法面の途中に、これ以上なく“ぽっかり”という表現がぴったりな感じで、口を開けていた。
ぽっかり。→
地図で見ていて予想してはいたが、案の定、それはとても短い隧道であった。
正面に立ったこの段階でもう、この隧道の全貌を把握。
あとは向こう側の坑口を見れば、この隧道の外形については“完全解明”である。
しかし、この坑門はなかなか面白い形をしている。
最大の特徴は、トンネルの軸線が坑門平面の直角方向を向いていないことだ。
こういう坑門は稀にあるが、建築用語では「スキュー」しているなどと表現する。
スキューしたアーチ構造物を組積造にしようとすると、有名な(?)“ねじりまんぽ”が使われる事があるわけだが、今回は組積造ではない場所打ちコンクリート造なので、残念ながら外見の少し変わったトンネルというだけだ。
また、坑口上部の“デコの広さ”も特筆したい景観である。
扁額の一つもないだだっ広い胸壁ははっきり言って不格好に見えるが、特に外見への気配りをしたくなるような、そんな由緒ある構造物ではないのだろう。
失礼ながら、そんな感じの印象だ。
まるで扁額の代りのように坑口に取り付けられていたネームプレート(なぜか「銘板」と呼びたくない…笑)には、
“ヤマノイハイツ手広”
…という、ワープロで打ったような文字が記されていた。
隧道越しに向こう側を覗いてみて、「なるほど…」。
県道側から見て緩やかな下りになった隧道の先には、その視界全てを覆いつくして一棟のアパートが見て取れた。
この隧道は「ヤマノイハイツ手広」に至る私道である可能性が極めて高そうだ。
11:36 《現在地》
これが「ヤマノイハイツ手広」だよね。
路面が未舗装なのも、いかにも私有地感バリバリだ。
私が現在暮らしている日野市のアパート「コーポ●イ●●リア●」にそっくりである。
というか、これが日本中どこにでもある“アパート建築ブツ”ということだろう。
背後に小山を背負っているところまでそっくりである。
隧道でアクセスするアパートなんて、隠れ家みたいで何かステキじゃん。
イイネ!ココ!
そしてこれが東側の坑口。
こちらは西側とはうって変わって、自然味の濃い外見となっている。
アーチ巻きのところ以外にはコンクリートが施工されず、地肌である。
そこにシダが良い感じで育っていて綺麗だった。
この小隧道については、名前も竣工年も不明である。
アパートの住民に聞いても、果して分かるかどうか。
竣工年については、相当に長期間暮らしている人でないと答えられないかも知れない。
とりあえず(勝手に)名づけるならば「ヤマノイハイツ手広トンネル」というしかないであろう。
なお、これほどに短い(全長15mくらいか)隧道であるにも関わらず、一丁前に二つの谷筋(谷戸)を繋ぐ尾根越えを果している。
アパートが建っている谷は、県道が通っている谷とは別の谷なのである。
隧道の土被りはあまり大きくないので、その気になれば切り通しに出来るであろうが、通行量の多い県道の騒音をアパートのある谷戸から遠ざける隔壁として有意に働いていると思う。
隧道自体は「隧道レポ」よりは「ミニレポ」相当の物件だとは思うが(苦笑)、県道とアパートをピンポイントで結ぶプライベート・トンネル(に近い存在)というのは珍しいと思うし…、さらに
私をこの地へ誘う呼び水となった功績が、大きかったのである。
そのおかげで私は “表題とした物件” を発見することが出来たのだから!
11:39 《現在地》
撮影時期が違っているのは置いておいて、ここが鎖大師の門前に始まった上り坂の(ほぼ)終点である。
鎖大師から200mほどで、県道は高さ・幅ともに十分の写真の切り通しがあり、そのすぐ先がピークだった。手ぬるい坂道である。
本来私はこのままピークを越えて塚越経由で鎌倉市街地へと向かうつもりでいたが、その直前にある「矢印方向の脇道」から、ある種の強烈なオーラを感じた。
…いや、ヤラセ(事前情報)ではなくて…。
何かを 感 じ た 気がしたんだよ〜!
白状すれば、まるっきり何の予想もなく寄り道したわけではなく、出発前に地図を見ていて、もしかしたらこの先に旧道があったのではないかという、そういう“アタリ”をつけてはいた。
しかし、現地の雰囲気(オーラ)が“来て”いなければ、普通にスルーする予定だった。
どこへ探索へ行くときでも結構こういう事前の探索候補は持ち歩いているわけだが、今回はそのうちの一つから期待以上の強いオーラを感じたのであった。
寄り道をはじめて1分後、県道から70mほど小径(舗装はされているが本当に細い道であった…この細さが私を誘った)を進んで来たところで、オーラの発生源らしきものが前方左手の濃い緑の裏にチラりと見え始めたのである。
何か封鎖されているようで、私のような不届き者を余計に誘い込む事に成功してしまっている…。
どえらい切り通しッ!
not隧道だったけど、でもこれはなかなかどうして…。
切り通し発祥の地(?)鎌倉らしい、本格的な切り通しではないか。
私が期待していたとおり、この切り通しは県道の旧道に相当する存在と思われる。
封鎖されているのは想定外だったが、ちゃんと地図にもこの切り通しの道は描かれており、先ほどの「ヤマノイハイツ手広」の裏手を通って、県道32号の方へと下って行くことが出来るようだ。
……なんだけど…
なんか、気になる。
なんか、気にならない?
そこの影……。
こういう隙間があると、
ついつい、気になっちゃってさ…。
早く確認して、スッキリしなきゃ。
よっこいせ。
!
や、ヤメロヨー…。
どうせ、よくある防空壕だろ。
ぬか喜びさせるつもりだろうが、その手には引っ掛からんぞ。
やべぇ。
出 た。