鵜 泊 隧 道
車道なのか、これが!!!
新潟県岩船郡山北町

 おなじみ、『山形の廃道 全国隧道リスト(昭和42年度版)』にて、特に凄まじいスペックを誇っていた隧道群がある。
それは、現在の岩船郡山北町。
かつてそこがまだ村であり、そして、その道も県道にすぎなかった時代だ。
異常な隧道達を抱えていた道の名は、主要地方道村上温海線。
それは、ほぼ現在の国道345号線勝木〜村上間に相当する路線だった。

隧道群の多くは、リストに記載された直後から続々と新線に切り替えられ、放棄された。
なにせ、リストに記載された、同路線上の隧道は合計27本もあるが、そのうち11本までが車道幅員2m以下なのである。
おいおい、そんな隧道を車が通れるのかと突っ込みたくなるが、とりあえず絶対に通れなかっただろうものもある。
最狭の平木隧道など、幅0.9m高さ2mなのだから、自転車だって、乗ったままではちょっと無理。

そんな異常な隧道群のレポートは、すでに以前に行った。
道路レポート 笹川流れ」が、それである。

そして、以前のそのレポートにおいては、「どうやら現隧道に改築されているようだ」と断じてしまった「鵜泊隧道」なのだが、実は、
あったんです。
旧隧道が、ちゃんと!

前回レポート終了直後に、どうやらそれらしいものを見つけたとの情報を、相互リンク先『越の山路』管理人shin氏より頂戴していたのですが、このたび、行って参りましたので、ご紹介致します。
この場を借りて、shin氏ならびに、『山形の廃道』fuku氏への感謝の意を表させて頂きます。






 かつての主地道「村上温海線」も、国道345号線に昇格して久しく、並走する国道7号線が交通の動脈である所を補佐し、また観光誘導を行う、重要な路線となっている。

山北町勝木(がつぎ)で7号線と分かれた同国道は、鵜泊・寒川(かんがわ)などの日本海岸漁村風景と、巨岩そそり立つ絶壁海岸とを繰り返しつつ、村上市を目指す。
かつての道路レポと重なる区間ではあるが、新発見を交えつつ、勝木〜鵜泊をレポートしていく。
無論、メーンは新発見の旧鵜泊隧道である。




 この日は、2005年2月9日。
秋田県内では、私の住む秋田市ですら、積雪が30cmを越えており、例年にない多雪である。
しかし、この日、羽越線に揺られ南下する車窓からは、徐々に雪の減っていく様子が観察され、私がチャリと共に降りた山形県の温海町にて、積雪は10cm以下であった。
さらに南下した越後平野もまた豪雪と言うから、この県境海岸線部分のみの特異な少雪現象のようである。

また、たまたまだが、この日は気温も高く、8度以上にも上がっている。
午後からは、霙から、次第に雨に変わっており、雪用の装備しかない私は、少し困っていた。

とりあえず、この日は走行距離も時間も短い、マッタリ旅なので、余り辛いと言うこともなく、ただ、久々の山チャリが楽しくてしょうがなかったが。
写真は、勝木にて国道345号線に入った直後の景色。



 勝木と、その次の鵜泊の集落を隔てる、国道345号線最初の障害が、この鉾立岩と呼ばれる奇岩の岬である。

国道345号線、このさき村上までの30kmほどは、「笹川流れ」の景勝地で、夕陽シーサイドラインという愛称も付けられている。
その、観光道路としての同路線を、早速にして強烈にアピールするのが、この鉾立岩なのである。
大概の観光ドライバーが、ここで速度をおとし、車窓を楽しんでいるように思う。
むろん私も、こうしてカメラを向けている。
それは、前回も同様だった。

海面から突きだした、マンションほどもある巨石は見るものを威圧する。




 現道は、この鉾立岩に連なる岬の鞍部を、強引に切り通して突っ切っている(写真)が、ここには、今まで気がつかなかった短い旧道があった。

このカーブの入り口には、海岸沿いに分かれる道があって…。



 ご覧の通りに、鉾立岩の直下を、おそらくは天然の切り通しを経由して迂回している。

舗装されていた痕跡もあるものの、入り口はすっかりとバリケードされ、立ち入りは抑止されている。

短い区間なので、歩いてみても良いが、ここは例によって、チャリごと進入だ。




 切り通しから、その先を望む。

海蝕によって生み出された特異な岩肌が、幅3mほどの道に直接触れている。
脆くはないようで、落石などの被害は見られない。
ただ、この道が廃止されたのも、この直角に近い急カーブと、見通し不可の切り通しでは、やむを得ないだろう。
海岸線ぎりぎりの道である。





 切り通しの先は、鵜泊漁港となっている。
関連の小屋が建てられており、現国道と漁港とのアクセス道路として、ここから先の旧道は現役である。
切り通しの入り口は、此方側も封鎖されていた。

写真は、漁港側から勝木方向を振り返って撮影。
国道昇格後はどうか分からないが、間違いなく主要地方道として利用されていた切り通しである。


 小屋の背後に直立する鉾立岩。
まさに、天を狙う矛先のような、岩山である。
浸食という自然の所作は、時として、このような芸術品を、地上に現して、我々を魅了するのである。

その袂を、申し訳なさそうに通過する旧道。
味わいがあった。
とても、短いが、好きだ。





 鵜泊漁港。
その背後は、現国道に、鵜泊集落だ。

この一つめの旧道区間(おおよそ100m)を越えて、再び集落内では現道ひとつになる。


 私は、この時期の日本海岸漁港の姿が、大好きである。

夏場の海というのは、なんとなく、リゾートの香がする。
遊びの場所というイメージが前面に出ている。
この辺にも、素晴らしい海岸が幾つもあって、夏はそれなりに賑わう。

一方で、寒気に覆われる冬場の日本海岸は、完全に生活の場所に戻る。
漁村という、リアルな生活臭が、私にはとても新鮮で、居心地がよい。
むしろ、旅感を駆り立てられるのである。



 鵜泊漁港のある湾を過ぎると、再び次の岬が行く手を遮る。
そして、そこに鵜泊隧道は存在する。

写真は、現道の隧道。
左の方にも見える穴は、並走する羽越線のものだ。



 岬の突端方向へと分岐していく、広い町道。
漁港の車がひっきりなしにこの時は往来しており、しかも岬突端部分には切り通しが見えている。

前回は、この段階で、「旧隧道は切り通しにて消滅」と断じてしまった。
浅はかだった。
我ながら、アマちゃんだった。

その反省は、後ほど旧隧道にて行うとして、まずは、現隧道へ再訪。
こっちにも新発見が。



 銘板によれば、昭和43年3月竣工の、鵜泊隧道。
比較的古く、このこともまた、これが旧隧道を拡幅した姿だろうと、安易に想像させる要因になった。
さらに、村上方坑口には「村上温海線」という路線名の銘板も付けられたままであり、「県道時代から利用されている=旧隧道」と判断させた部分もある。


…もう、言い訳は良いって?!

 



 これが、村上方坑口の様子である。

ここでの新発見とは、この隧道内部、向かって左側(岬突端方向)の内壁に、人一人が通れる程度の、横坑が存在していることだ。
写真にも、小さく写っているだろう。
なんなんだ、この横坑は?!
かなり、不自然な位置にある。

チャリごと、侵入を図る。



 潜ってみると、僅か3mほどの長さしか無く、すぐに外へ通じていた。

ということは、隧道内分岐?! か、一応。

この隧道内分岐の行く手は、一体?!




 少し離れて、振り返る。

鵜泊隧道の坑口部は、巨大なコンクリの塊であり、地山は存在しないことが、今回分かった。
いわば、ボックスカルバート(暗渠)の様なものなのである。
その横っ腹に、横穴が空いているに過ぎない。


その唯一の行く先というのは…!




 民家でした。
たった、一軒の。



…しかし、このお宅は日本で唯一、隧道を通らないと辿り着けない家だったりして?
車では決してたどり着けない家とも言える。

お邪魔しましたー。



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2005.2.12