秋田岩手両県の県道番号1番は、「盛岡横手線」で共通している。
しかしこの路線、秋田県民にとっては、余り馴染みがないかもしれない。
なにしろ、横手市から岩手県湯田町までは国道107号線と重複しており、ユニークな区間が県内には1mもないのだ。
ようやく湯田町で国道から分かれた先は、延々盛岡へ向けて北進するのみである。
途中、同県道が最も長く走るのが和賀郡沢内村であるが、この村には国道は一本もなく、県道もこの主要地方道1号線と、あとは12号線の計二本しかない。
現在でこそ、この二つの県道の整備が進み以前ほど不便ではないようだが、もともとは奥羽山脈の只中に取り残された陸の孤島であった。
その“孤島”時代からの、同村と盛岡方面を繋ぐ唯一の峠が山伏峠だ。
今回は県道1号線「山伏峠」を探索したい。
意外な余生を送っていた。
沢内村最北の集落貝沢から先はいよいよ山伏峠の上り坂となる。
沢内村は南北に長く、点在する集落もまたその細長い村域の中央付近、和賀川と県道1号線に沿った一帯にのみある。
貝沢集落から山伏峠のトンネルまでは拍子抜けするほどにあっという間だ。
僅か1kmほどしかなく、よく整備された二車線の県道は勾配も緩やかで、とても奥羽山脈の只中にある峠とは思えない。
しかし、紛れもなく写真に写るトンネルが山伏トンネルである。
ただ、この山伏トンネルは平成8年に竣工した新道であり、それ以前の県道こそが、私の求める隧道のありかである。
如何にもそれと分かる旧道が、トンネルの少し手前、左の山中へと伸びているのを見つけた。
迷うことなく、これに侵入する。
旧県道は、峠越えの旧道としては珍しく廃止されず、村道化し存続していた。
その名も、村道山伏線。
二車線幅を持つ村道は、当然一軒の民家もない山中を、意外と緩やかで直線的な上りをもって峠を目指す。
一箇所路肩の落ちた場所があり復旧工事の真っ最中だった。
廃道を覚悟(期待?)していただけに、現道の峠のあっけなさもそうだが、旧道も拍子抜けな展開である。
単調な登りが1.5kmほど続く。
災害復旧工事のため通行量は皆無。
ちょうど昼休みの時間に当ったのか、工事も止まっていた。
なんとも、マッタリとした峠道。
その調子のまま、いよいよ周囲の森が道路の両脇に迫り出してくるようになると、そこで観念したかのように隧道が現れた。
予想よりも呆気なく到着してしまった、旧 山伏隧道である。
まるで、現役のような雰囲気であるが、はたして?!
歴史を感じる姿である。
しかし、私がちょっとひねくれ者なのか、なんか人工的な香りを感じてしまった。
このにぎにぎしい石組は、本当に古いのか?
隧道左脇のいい感じに緑がかった石垣との対比から、そんな疑いを持った。
そうそう、隧道は通り抜け出来なかった。
いや、実はれっきとした古隧道である。
私はちょっと意地悪を言ったが、これは、この道・隧道が今もまだ現役で利用されている ― 道としてではないが… ― 故の美しさだろう。
さらにいえば、村民にこの隧道が如何に愛され、感謝されていたかの証とも言える。
観光地でもないこんな山中に、こんな立派な隧道のモニュメントなど、誰も作りはしないのだから。
右書きの扁額(これもやはり状態がすこぶるよい)を見た瞬間、そう理解した。
旧 山伏隧道は、昭和13年竣工でその延長は221m。
現在その内部をうかがい知ることは出来ない。
『雪っこトンネル』として、第二の人生を送っている。
これは、低温貯蔵庫のようなもので、冬季は積雪2mを優に越える豪雪地である当地ならではの、雪を利用した農産物の保管場所である。
誰に向けたものなのか、入り口のぶ厚い鉄の扉には説明書きが細かく記されていた。
興味のある方は現地に足を運んで頂くか、沢内村の公式サイトまで。
幅高さとも4mしかなく、二車線の県道に在ってはボトルネックとなるのは目に見えている。
新トンネルへの更新も致し方なかっただろう。
それにしても、重厚でありながらも端正さが感じられる、立派な坑門である。
不思議と古臭さはなく、モダンですらある。
それこそが、私が始め「うそ臭い」と感じた理由の一つだったろう。
余談だが、昭和13年竣工といえば、あの栗子隧道と一緒だ。
現道に戻り、不通の隧道の反対側を知るべく、現トンネルをくぐり雫石町へと向かう。
こちらは平成8年の竣工、やはり名前は山伏トンネルで延長は1287m。
意外に長いな。
旧道の余り険しいとは思えない様から考えると、この長さはかなり贅沢な印象。
ただし幅員6.5mでは、歩道はあってないようなもので、これは必要十分といったところか。
なんせ、沢内村側は峠のすぐ近くまで集落があるが、雫石町側は向こう10km無人である。
沢内側坑門の脇にあり目を引くのがこの石碑。
昭和13年の隧道および県道の開通を顕彰して昭和31年に建立されたものらしい。
かつては旧隧道の傍にあったものと思われる。
沢内村が南方からしか道のない袋小路であった当時、県都に一直線で繋がるこの峠の開通は悲願であっただろうし、それがどれほど歓迎されたかもこの石碑の巨大さから十分に伝わってこよう。
隧道のありがたさを思い出させてくれるモニュメントが、旧隧道から新隧道へと受け継がれてゆくのは良いことだと思う。
山伏トンネルは気持のよい直線で、沢内側からだと概ね下りである。
非常にスピードが乗りやすく、快適。
ただーーーーし!!
快適でない点が一つ!
この日だけたまたまそうだったのかもしれないが、
異常にウェット!!
外は晴れているにもかかわらず、隧道内は水浸しなのである。
そこらじゅうの壁という壁が潤んでおり、路面も然りだ。
実害はないが、高速走行時の水撥ねにより足が濡れてしまった。
このウェットさ…なぜなのだろう?
あっという間に雫石町へ。
これだけ下ってきたのだから、雫石側の旧道は少し骨があるかも知れない。
少しくらいなら、まあ、いいだろう。
少しくらいならな。
以下、次回。
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