この6号隧道は、これまでも対岸の国道を通行した際に、その存在は知っていた。
左の写真は2004年に撮影したものだが、渇水になるとこのように露出する岸壁には、二つの穴がぽっかりと見えていたのである。
ただ、見えてはいても、岸には道が無く、今回そうしたように長距離(1km以上)湖畔を歩かねばならないことから、並の水量では危険すぎて接近できなかったのである。
それが、今回ほどの低水位となったお陰で、安全に接近することが出来たというわけだ。
なお、この隧道とその横にもう一本見える「5号隧道」までは、そういうわけで以前よりその存在を知っていたが、今回の探索の発端となった読者写真の半水没隧道については、さらに下流の未確認隧道と考えられるのだ。
早速だが、水位によっては完全に水中に没してしまう6号隧道の内部へ入ってみよう。
坑口に立てば予め出口がすぐ傍に見えており、ライトも不要なほどに短い。
意外に内部の崩壊も少なく、よく整っている。
ただ、乾いた土の洞床には、よく入ったなと思える大きな倒木が横たわっており、現在は水面から3mほどは離れている洞内が確かに水没していた証しととれる。
また、洞内から行く手を見ると、かなり急な湖面に落ち込む傾斜が見て取れ、果たして脱出して先へ進むことが出来るか、不安になった。
幸いにして、洞外は心配していたような傾斜地ではなく、一見急に見える薄草の茂る土の斜面は滑りにくく、滑落の怖さはなかった。
くぐり抜けた6号隧道を振り返って撮影。
その延長は、おおよそ15mほどか。
半世紀前までは、ガソリンカーがトロッコを引っ張ってこの隙間をくぐり抜けていたわけだが、これまで見た林鉄の隧道の中でもかなり断面が小さく見える。
土の堆積により狭くなってしまったのかもしれない。
対岸からも、ここに隧道が二つ連なっていることは予想が出来ていた。
すぐに次の隧道… というよりも、岩屋のようなものが見えてきた。
私と細田氏は、喜々として爽やかな草地を跳ね歩いた。
しかし、正直隧道への期待感よりも、大きな不安感が私にはあった。
隧道のさらに向こう、青々と水を湛える秋扇湖が大きな入り江を、向かって右の山側へと伸ばしているのが見える。
入り江の対岸にも、軌道跡が続いているはずなのだが、遠目に見たところ、とても軌道跡が存在できる崖ではない。
あそこに行くまでに水没してしまっているのか?あるいは長い隧道で突破しているのか?
期待よりも、むしろ恐怖の方が大きかった。
どうにもこの、玉川独特の化学色の湖面は、水への恐怖のトラウマとなっている。夏瀬での体験が原因で。
げー?!
もしかして、埋もれちゃっている??
ちょっと、この隧道を縁から迂回するのはとても難しそうなのだけど。
細田さん、そこから何が見えてます??
ほっ
なんとか貫通してた。
かなり土の堆積によって埋もれかけているが、極端な短さが幸いしたようだ。
それにしても、本当に短い。
何メートルあるだろう。
3mないな。
この鎧畑から玉川ダムにかけての旧軌道跡には短い隧道が沢山あるが、その中でも以前紹介した7号隧道以上に短いのがこの5号隧道で、藤里森林鉄道粕毛線に最近発見された隧道に次ぎ、おそらく県内で二番目に短いことだろう。
秋田県内には、あといくつの未知の隧道があるのだろう?
実は私、もう3年くらい前の段階で、県内の現役道路トンネルは高速道路のものをのぞいては、ほぼ全て巡っていた。
その後、地図にはない廃隧道に幾つか遭遇し、県内の隧道の総数は少しだけ増えた。
そして、森林鉄道が探索の舞台として登場してからは、さらに思いがけない数の隧道と遭遇してきた。
おそらく、林鉄に見つけた名もない隧道達を全て合わせれば、現在県内で利用されているトンネルの数には遠く及ばないまでも、それなりの数にはなると思う。
3年前、もう県内に隧道はないだろうなと、寂しく思ったのを覚えているが、実際にはそれからが長かった。
しかし、いくら林鉄に隧道が次々と発見されたとはいえ、弾切れも近そうだ。
現時点で、古地図などにより県内で存在が予想されている未探索隧道は、わずかにあと、一門。
これまでも、地図にない隧道がいくつも発見されたとはいえ、おそらく私が県内にて隧道発見の興奮を味わえるのは、もう数回しかないのではないかと、そう思っている。
キチーー!
っていうか、これ行けってか?
この斜面、崖に刻まれた軌道敷きが、何回も水面の上下を行き来しているうちに、すっかりと土砂の堆積で隠されてしまったのだろう。
その証拠に、よく見ると汀線すれすれには、まるでトウモロコシの実のような玉石の石垣が見えている。
つまり、水面下が見えないからいくらか恐怖感は薄れているけど、ここって相当に切り立った深い断崖の途中と言うことだよな。
落ちたら絶対に足なんて付く場所無いんだろうな。
…細田さん、行くかどうか、ちょっと考えよう…。
おそるおそる草地の斜面に足を入れてみると、堆積した湿った土は軟らかく、足をよく保持してくれた。
その上、小植物のか弱い根っこも、これだけ密生しているとなれば、なかなかのグリップだ。
斜面の下の方は滑落が始まったときに危ないので、出来るだけ上の方を通れば、とりあえず前進できそうだ。
ぱっと見た目では、この角度ではとても無理だろうと思ったけれど、意外に歩けるものだ。
少しでも重心を低くして万一の転倒時にもより制動できるようにと、慎重に片膝を付いて進んだ。
そして、右の写真に見えている出っ張りの場所までは、比較的容易にたどり着けた。
足下に不安を感じながらも、立ち止まっていまここでしかとれないだろう写真を撮影した。
さきほどくぐり抜けてきた二つの隧道が、仲良く並んで写っている。
水面下を見通すことが出来ないぐんじょう色の湖面は異常なほど静かである。
そこに魚や鳥の姿はなく、蝉の声すら聞こえない。
玉川の水は、いくら上流に中和設備が稼働しているとはいえ、生物が住むには過酷な酸性水なのである。
清廉な見た目とは裏腹に、本邦きっての死せる川なのだ。
出っ張りまで来て、行く手を見る。
き、きつい…
「細田さん、ちょっと一人で先見てくる。」
「ここで待ってて。」
そう言い残すと、私は単身でより険しさを増し、歩ける幅が全然小さくなった軌道跡斜面に、取り付いてみた。
落ちたら這い上がってこれる自信はないぞ…。
まあ実際問題、流れもないし、死にはしないだろうが…。
こいつは、思いのほかに怖いな。
まるで、草の生えた松の木だな。
もちろん、松の木のような滑りやすい斜面だったら、こんな角度は絶対に無理。
でも、ここはつま先が埋もれるくらい土が軟らかく、根を張った植物によって滑りにくいお陰で、何とか進もうという気になれる。
ただ、直接斜面を横断するのは余りにも怖いので、少しでも手掛かりを求め、上部の崖と土の斜面が接している部分に身を寄せて進んだ。
足下は何とか確保できたが、こんどは手掛かりの岩場が、思いのほか脆くなっていて肝を冷やした。
さわるとバリバリと剥がれてくる場所さえあった。
取れ落ちた岩塊は、須く湖面へと注いでいった。
その都度、ボチャンボチャンという、不快(無論自身の行く手を暗示するような不快さだ)な音を立てていた。
怖々とではあったが、確実に前進を繰り返し、右の写真で見えている範囲の先端まで辿り着いた。
読者の皆様、ちょっとあなたの右手を拝借。
右手の掌でですね、右の写真の上半分だけを隠してみてください。
モニタに指紋付くとやっかいなんで、手の甲をモニタ側にしてね。
はい、掌の下に残った景色、見ていただきましたか?
青いですねー。
深いですねー。
まるで、カナダかどっかの湖のようですね。
掌をどかすと、対岸にはロッキーの高峰がありそうでしょ。
でもでも、ここはなんてことはない秋田県田沢湖町の人造湖。
こんな場所を、鉄道が走っていた。
張り出した岩場を心拍数を上げながら突破すると、その先はやっと緩やかになってきていた。
しかし、こんな危険な場所でいつまでもいたら、それだけワンミステイクの可能性が増えるというもの。
小さなミスでも、ここではドボンに繋がりかねないから。
次の岩の張り出しを越えて景色に変化がなければ、潔く(もう十分足掻いたが)引き返そうと思う。
そう思いながら、なお前進した。
振り返ると、細田さんが小さな出っ張りの先端に腰掛けているのが見えた。
なんとなく、絵になるなと思った。
細田さんを余り待たせておくのも悪いし、さっさと先を見て決着してしまおう。
諦めるかを決めようと思った岩場を過ぎると、眼前には思いがけず広大な陸地が現れた。
水面ギリギリの高さに対岸の近くまで半島のように張り出している陸地は、見渡す限り倒木一本無い。
淡いグラデーションを奏でる、一夏の草原であった。
しかしまた、この冗漫な景色は、ただですら水面ギリギリに不鮮明となっていた軌道跡を、完全に逸失させていた。
おそらく、このあたりで堆積した土砂により、完全に埋め立てられてしまったものと想像された。
対岸の国道では、新道工事が急ピッチに進められていた。
探索開始時にはまだ工事は始まっていなかったが、現在時刻8時50分となり、いまはけたたましい重機の唸りが届いてくる。
よもや、我々の姿を見つけるものもおるまいが、余り見られるのは気持ちよくない。
何となく、こんな場所にいてはとがめられるのではないかという、気まずさがあった。
とっ、
撮ったー!
私は、もうこれ以上軌道敷きが陸上に出ている場所はないだろうという、限界の汀線まで接近し、行く手を伺った。
そして、はるかな湖面の先に、岩場に口を開ける一つの穴を見た。
角度こそ違うが、周囲の岩盤の様子、水面と隧道との高さ関係などが、読者より戴いた写真の隧道と一致していた。
水没後、何人も踏み入ったことの無いだろう隧道が、口を開けている。
果たして、あの隧道をもっと傍から見る方法はないだろうか?
これ以上、素直に岸に沿って進むことは出来そうもない。
しかし、あの隧道はどこへと通じているのだろう?
見たところ、他方の出口らしき穴が鮮明ではない。
いずれにしても、位置関係からも、あれが軌道用の隧道であったことは間違いがないだろう。
大変な隧道を、我々は目前にしてしまった。
この広大な湖である、いつものようにゴムボートでというのは、あんまりな気がする。
もう近づくすべは、無いのだろうか…。
とりあえず現状を報告すべく、私は引き返した。
時刻は午前8時55分。
このころ、我々が与り知らぬ場所で、ある変化が起きていたのだ。
そして、その変化がもたらしたものは、急激な速度で我々に接近してきていた。
思いがけない、困難の主が檻から放たれた瞬間だった。
この段階で、読者さん提供写真の隧道がほぼ特定できた。
どうやら、あれは沿線で最も長いと思われる半島直下の隧道ではないようだ。
古地形図にすら記載されていない隧道である可能性が高い。
とりあえず、アプローチ方法として考えられるのは次の三通り。
- 1.探索開始地点に戻り、そこからゴムボートで川下り。
- 2.右岸に点線で描かれている林道を利用し、隧道付近まで陸上接近の後、ゴムボートを使用。
- 3.左岸の国道の適当な箇所からゴムボートを進水し、湖を渡って接近。
現在の水量であれば、「1」も可能性があるが、いかんせんボートを漕ぐ距離が長すぎるので、まず却下。
「2」が最も短距離のボートで接近できそうだが、進水箇所になる平坦な地形を見つけられるかと、そもそも林道の状況が不明なのがネック。
「3」は、最も見通しの立てやすいプランだが、湖を横断する部分に不安がある。人目に付きやすいのもネックだ。
このような計画を比較検討した結果、
「2」を採用することと決定し、二人は車へと来た道を戻ることにした。
午前8時58分だった。
9時10分、
細田氏とともに、これ以上の前進を断念し車へ戻り始めた我々だったが、最初に小さな変化に気がついたのは、私だった。
「なんか、泡が流れている。」
はっとした。
いままで淀みのように流れの無かった水面に、どんどんと泡が流れ、波が浮き始めたのである。
静かだが、その変化はとても早かった。
確かに水は動き始めていた。
あっという間に、水面は緩いうねりまで見せ始めた。
3キロ上流 玉川ダム、午前9時定時放水開始。
対岸に取り残された旅客、2名。
つづく
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|