玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群 最終回
画期的水上探索計画
秋田県仙北郡田沢湖町






 いよいよ最終決戦だ!

そんな高揚感が、ボートの上には充ち満ちていた。
読者提供の写真の隧道と、決着を付けられる!

ただし、
そのボートの上というのは、ちょっと「コーヨーカン」を乗せておく隙間もないほどに、手狭である。
そりゃ、二人乗りボートに二人乗っているんだから、当たり前のことなのだろうが…。

きわめてゆっくりの速度で、湖岸を離れる「泉5丁目オブスピリット号」。
漕ぎ手の細田氏は、にこやかで快調そのものだ。



 ピクニック気分が抜けたのは、ビニル一枚下にある水面が、茶色から青に変わったときだった。

遠浅に見えた湖岸から30mほども離れると、もう周辺に浜はなく、取り付くのも難しいだろう切り立った湖岸壁が現れる。
目的とする隧道は、いま写真右手に見えている左岸の小さな半島を回り込んだ後、対岸へと湖を横断したあたりにあるはずだ。
まだ見えないが、そう遠くはないはず。

湖上は、風はほとんど無く、また水流も感じられない。
もちろん、このような最良の条件下でなければ、とてもこのようなゴムボートで漕ぎ出そうという気にはならない。
人為的な転覆事故に気を付けるだけでも精一杯で、とても地に足が付いているときのように、大胆なプレーは出来ない。



 湖岸からあまり離れるのは精神衛生上良くなかったし、可能な限り、浅そうな場所を選んで進もうとする。
ただ、あまり岸に近づいても、万一岸へ接触してボートに穴が開くのは絶対に困る。
また、漕ぎ手の細田氏は、常にバックで進んでいる形になっており、小回りは利きづらい。
彼の代わりに、私が目となり、この写真のような障害物を避けていった。

 湖から、ちょこんと頭だけ出した枯れ木。
その湖底へ続く部分を凝視してみたると、3mくらいは影のように見えた。
しかし、湖底までは光が届いていない。
思ったよりも、まだまだ湖は深いらしい。

 ちょっと、ぞくっと来た。



 船出から11分。
我々は湖の中央付近にいた。
風を遮る左岸の半島が遠のくと、頬に感じられる程度だが、逆風が出てきた。
ボートの進行に大きく影響するほどではなく、やや速度を落としながらも、順調に隧道を求める航行は続いた。

 写真は、湖最大の屈曲である、右岸の半島。
昭和33年以前の古い地形図では、この半島の中程をぶち抜く軌道の隧道が描かれており、当初読者投稿写真の隧道と疑ったものであるが、残念ながら、この過去に見たことのない低水位をもってしても、場所を特定できなかった。
つまり、坑口の一部も水上に見えることはなかった。
(写真には影が映っているが、これは倒木の影であることが判明)



 あ、  穴だ。

しかも、あの穴は…??


 国道から見える位置ではないぞ…?

もしかして、

読者さんの撮った隧道ではないのでは?!

 や、やばっ、新発見か?!


 緊急事態発生
 緊急事態発生
細田氏:
 「ぐわーーーー!」
 「あしーー、 あしーーー」

私:
 「?! どうした足?!」

細田氏:

 「つりそうだー

    緊急事態発生
 緊急事態発生




 細田氏にとっては、この姿勢をみじんも崩せないほどに狭い船上で、己の足がつりそうだと言う事実が、この上なく恐怖であったようだ。
突如、私も驚くほどに半狂乱になり、己の足を、激しく叱責・罵倒、さらには連続でパンチを食らわしている。

私には、突如のことで何がなにやら。
せめて、「折れるわけじゃないんだし、放っておいても治るよ」というような、気休めを言う以外に出来ることはなかった。

たしかに、もう既に20分以上、バランスを崩すまいと殆ど足を動かすこともなく、固まっていた。
私の足も、つま先のあたりに軽い無痛感が出てきていた。
だが、細田氏は既に吊るか吊らないかの瀬戸際を行ったり来たりしているらしく、顔面も蒼白だ。
ネタではなくて、マジで細田氏、悶絶!




 隧道へとこれほどに接近したのも、細田氏の足の問題のために、急遽予定しなかった上陸を決行することとなった為だった。

これは、私と細田氏の共通認識だが、小型のゴムボートでは、乗船下船が一番危険である。
もちろん、危険というのは沈没のそれに他ならない。
もとより安定感の弱い小型ボートの場合、舟の上で重心を高くすることは御法度であり、立ち上がったりは以ての外なのだ。
特に、ここのような不安定な足場への下船は、唯一の帰路である舟を失う恐れすらある。
見ての通り、この場所での軌道跡の路盤は、水面下3mほどの深度にある。
当然、足など付くはずがない。

 それでも、細田氏の足は急を要するようであり、緊急着岸。




 平地の全くない、坑口前の岩場に着岸。
幸いに倒木が良い位置にあり、これを舟に残った私が手で支え、舟を固定していた。
その間、慎重かつ速やかに細田氏は下船を果たし、

 おそらく人間では始めてこの位置に上陸。

 すなわちこれ、人類初上陸!

 で、何をするよりまず、腱を伸ばしまくる細田氏。ミリンダ細田氏。





 おおよそ3分間の緊急接岸の間、私はほんの2mほど前方に口を開けている、今回初めてその存在を知った隧道を、まじまじと見ていた。

 素堀のままの隧道は、たった10mほどの長さでしかない。
水面の小さな波が、洞内に僅かに残った空洞を圧迫し、「ちゃぽんちゃぽん」という反響音を発生させている。
さすがに、ボートごと進入できるほど隙間はなく、さらに2mも水面が下がればあるいはそれも出来たかもしれないが…。

 なんか、ボーッと洞内の水面の揺らめきを見ていたら、
ちょっとトリップしそうになった。
なんつーか、非日常感覚がかなり励起されたのである。
いままでも、山行がの活動の中で幾度となく、この感触を味わってきた。

 たまらなく怖いし、同時に心地良いいんだな、これが。

 


 午後2時、細田氏の足は回復し、再び船上の人となった。

隧道は、この位置から国道が殆ど見えないことからも、やはり読者の写真とは異なる新発見隧道であった。
数時間前に私が陸上到達最終点から見た隧道とも、湖面からでている部分の大きさが違う。
もっとも、あれだけ上流ダムから放水されていることを考えれば、水位が変化している可能性もあるのだが。

 この写真は、水面ギリギリの隧道の上流側の坑口だ。
岸辺の土砂によって埋没し掛かっている。




 さらに上流へと、別の隧道を求めて漕ぎ出しを再開する。
隧道を迂回するように、小さな岩の出っ張りを回り込み、先を見渡す。
すると、隧道とはならないまでも、オーバーハングになっている湖岸を発見。
これもまた、軌道跡の痕跡か。



 隧道発見!

 今度こそ、読者さんの写真の隧道だろう。
このあたりからは、対岸の国道の工事現場が鮮明に見えるし、その槌音さえ届いている。
さらに、思ったよりも短い隧道の反対側には、私が数時間前に居た草地が、見えていた。
少なくともこれが、さっき撮ったこの写真の隧道の反対側の坑口なのは、位置的に間違いないだろう。
辺りは、ひときわ湖岸の岩盤もそそり立っており、接岸できる場所も見あたらない。
隧道まで続くオーバーハング気味の岸壁は、かつて軌道が抉った物なのか、あるいは水が削ったのか。



 険しすぎる湖岸の様子。

殆ど垂直の崖が、20mくらい頭上まで続いている。
この崖の高さが、ほとんどそのままダムの水位の変化分だと考えられる。
場合によっては、この辺は水面下20mの場所と言うことだ。

 ダム湖って、なんか無機質的で、景色は綺麗なところが多いけれど、怖い気がする。
元々は湖でない峡谷を強引に沈めているゆえ、ダム湖の周辺は険しい断崖に囲まれている事が多いのも、そんな印象の元になっていそうだ。
いかにも落ちたら助からなそうなダム湖のマイナスイメージは、伊達ではないのか。




 まるで、車のバックのような要領で、手際よく坑口へと船首を接近させる細田船長。いや、艦長。

いよいよ最終決着の時が来たのだが、近づいてみれば、やはりというかなんというか、

なんの変哲もない素堀隧道であった。

無論、現状の立地条件は変哲ある物なのだが、それはたまたまそう言う境遇なだけで、やはり代わり映えのない隧道である。

だが、ここで船長は、いや、艦長は、最後の攻撃に出ることを決意した!




   うぅおー!

入ろうっていうのかー!

このまま、舟でー?!

かんちょー!!正気ですかー!



 艦長は居たって大真面目だった。

そのまま、船首から洞内へと侵入。

すると、途端に舟にモーターでも取り付けられたかのように、加速が発生した。

風だ。
野外では発散し微弱だった風が、洞内では進行方向に集約され、それなりの風になっている。
舟を、どんどんと奥へと導いていく風。
しばしオールを休め、両手で天井を支持しながら、左右の尖った岩盤への接触に細心の注意を払った。

 これが、読者さんの写真の隧道で間違いがなかった。
従来の通し番号で行けば、本隧道は「4号隧道」。
先ほどの、ほぼ水没した隧道は「3号」としたいところだが、以前紹介した「玉川林鉄」のレポと整合性を取るためには、あちらは「4-2号隧道」とさせてもらう。
未だ湖上に出現しないが、地形図に記載のあった半島貫通隧道一門を、当初通り「3号」と称したい。




 洞内の青すぎる水面。

魚影はなく、ここはやはり死の湖なのか。

洞床は、見えそうで、見えなかった。

この辺りで、水深は2mほどだろうか。
となると、幻の3号隧道は、さらに何メートルの水位に沈んでいるのだろう。
いつか、目に出来る日は来るのだろうか?
100mを下らない延長が、想定されうるのだが…。




 この嬉しそうな表情かお

そ、そんなに楽しいか?!


いや、確かに楽しい。
これは、かなり楽しい隧道体験であった。
秘密基地好きの細田氏など、「ここにボートを係留して、日がな寝てみたい」などと言い出す始末。

確かに天気が良ければ気持ちいいかもしれないが、寝ている間に水位が上がってきたら嫌だなー。




 山行が、遂に禁断のイタズラ書きを!!

というわけで、鉛筆にて洞内壁にイタズラ書きをしちゃいました。

書いた文字は、「オブロードの日」の7文字。
この日は、ちょうど8月10日”ハイドーの日”でありましたゆえ。
もうとっくに洗い流されてしまっただろうが。




 一枚の写真から始まった、今回の探索。

思った以上に多くの隧道を発見することが出来た。
いずれも規模の小さな素堀隧道ばかり4本を確認。
今回探索範囲の上流にも、やはり同規模の隧道3本が玉川ダムまでの間に確認済みで、このうえ未踏の3号隧道が実在すれば、鎧畑湖畔から上流にかけての軌道敷き6kmほどに、合わせて8本もの隧道が犇めいていたことになる。






 成し遂げた感で一杯になった我々だったが、実際には来た分と同じだけの、帰りの漕ぎが待っていた。
漕ぎが辛いのは細田氏一人なのだが、我々は運命共同体であるから、細田氏の足の無事を祈るばかりである。


 午後2時20分、おおよそ8分間の洞内探索(?)を終了し、船首反転 帰途に就く。





 帰りもべつだん楽になることもなく、かといって辛いわけでもなく、足を動かすことが出来ない窮屈さに耐える旅が、おおよそ30分続いた。

もう二度と潜ることもないだろう隧道と、最後の別れである。
 






  探索完了!


 なお、帰りの船上でも細田氏は足が危険な状況になり、何とか耐え抜いたものの、 あんなに辛そうな人相は始めて見た。

 足つると、人って、死ぬんだッけっか??!




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2005.9.8

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