この写真は決して、優雅な昼下がりの湖上ボート遊びや、細田氏のデート風景では無い。
まあ、前回探索をお読みの方なら間違うワケなかろうが。
平成17年8月10日に行った前回の探索では、昭和31年の鎧畑ダム完成に伴って秋扇(しゅうせん)湖に沈んだ玉川森林鉄道旧線(同ダム建設の付替新線があるので旧線と表記)の廃線跡を、陸と湖面の両面から攻略した。
写真はこのうち、「水上攻略」のスタート時に撮影したものであり、この直後、船頭細田氏の身に起きた世にも恐ろしい出来事は、未だオブローディングの危難伝説として語り種になっている。
ともかく、この水上攻略は我々に新たに2本の隧道への接近を許した。
右図は秋扇湖周辺の現在の地形図であり、赤い線が湛水前の旧線(昭和14年完成)を、桃色の線が付替後の新線(昭和31年完成)を、黄色い線が平成17年の探索時のボートの航路を示している。
あの日は7号から4-2号までの5本の隧道(なお、隧道の名称は全て仮称である。特に、古いレポートとの整合性を取るため、4号隧道は「4」と「4-2」の2本となってしまっている。分かりにくいと思うが、ご容赦願いたい)を探索しているが、このうち4号と4-2号の2本はボートによる探索であった(4-2号は外から見ただけ、4号はボートで内部を通過した)。
そして今回の再訪編のターゲットは、前回すぐ近くまで接近しておきながら現状を確認する事が出来なかった、3号隧道に他ならない。
この隧道については、随分昔から存在自体は知っていた。
だが、私も私の友人も、その姿を見た事はなかった。
それはどういうことかと言うと…。
← ご覧の通りである。
3号隧道と私が呼んでいる隧道(そのワケは、起点の生保内貯木場から数えて3本目の隧道だから)は、4号や4-2号隧道とともに、昭和14年や28年版の地形図にしっかり描かれているのである。
しかも、その地形図上の「長さ」は、玉川林鉄の隧道の中ではダントツに長く、おおよそ200mの全長が期待された。
もしも現存している事が確かめられれば、玉川林鉄の全貌を把握する上での重要な前進と言えるに違いないのである。
そもそも、「そこにある」事が分かっていながら辿り着けないというのは、オブローダーにとってもっともストレスの溜まる存在なのであって、その攻略がそれほど甘美であるかは、前回の探索でわざわざボートを持ち出してきた事からも十分お分かりいただけるだろう。
この3号隧道が今まで長い間「未発見」であった理由は、立地を考えれば当然、ひとつしかない。
← これは、前回の探索で接近した4-2号隧道の南口である。
この探索時の水位は、それまでに私が見た中で最も低かったが、それでも4-2号隧道は、辛うじて坑道の上部が水面上に出ている状態であった。
そして3号隧道というのは、この4-2号隧道から3〜400mほど下流側に「描かれている」。
路盤は河川に対して順勾配になっていたと考えられるから、その勾配が林鉄としては緩やかな5‰だったと仮定しても、3号隧道の北口は4-2号隧道の南口より、1.5〜2m低い位置にあることが想定された。
つまり、この水位では足りなかったのだ。
おそらく、あのあたりに坑口は……………ある!と思う。
水没した他の隧道たちは、特に人為的に封鎖された様子は無かった。
となれば、この最も長い3号隧道についても、水位さえ下がれば出現する公算は大!
問題は、その水位が“現実”となるかの一点に尽きたわけであるが、
“実現”の時は、意外に早く訪れた。
水上探索から26ヶ月後の平成19年10月26日が、そのXデーだったのだ。