橋梁レポート 上小阿仁村南沢の廃水路橋 第4回

所在地 秋田県北秋田郡上小阿仁村
探索日 2011.12.02
公開日 2011.12.20

小深沢の水路橋の各部を観察しながら谷底へ


2011/12/2 14:53 《現在地》

古老の証言を元に捜索した結果発見された、小深沢に架かる発電用水路橋の廃橋。

この橋は“廃の熟度”が過度に進んでおり、これを廃美と捉えるか、或いは山中に横たわる前世代の「産業廃棄物」と見なすかは、人それぞれだと思う。
少なくとも、現役であり現在も活躍中であることや、そうでなくても構造的な美点が良く残されていることを中心的な評価基準とする「近代化遺産」的な見方からは、さほど評価されないだろう遺構だと思う。
ようは、“廃モノ好き向き”である。

私にとっては、まさに“ご褒美”といえるこの橋を、出会いの瞬間から続く興奮の醒めやらぬままに、これから隅々堪能しようと思う。

そしてその第一として、水路橋の断面から滝となって落ちる水流に沿って下降し、谷底から橋の仰瞰を捉えようと思う。
とはいえ脚下の小深沢の谷は深く、一筋縄でいかないかも知れない。
慎重に…ね。


橋の欠落した部分を仰ぎ見る。
直下に墜落した函渠は、なおも原型を留めていた。

この橋の全体の構造は間違いなくアーチ橋だが、この欠落部に限って言えばアーチの外にあり、アーチと地上を結ぶ延長部である(いわゆるアーチの側径間である)。
その構造はラーメン(橋脚と橋桁が剛結合されている)だったようで、荷重は単純に直下の橋脚が受け持っていたのであろう。
そして、その橋脚が経年の劣化(風化)によって耐荷重性を失ったことで、橋桁が墜落したのだということが想像出来る。
この欠落部にあった橋脚は、1本だけだったのではないだろうか。

また、橋桁崩壊の際には、もっと広範囲にわたって連鎖的に落橋する可能性もあったと思うが、桁が中空の函渠だったことで、車道や鉄道の桁に較べ剪断(せんだん)に対する剛性が弱かったため、ラーメン橋としてはやや不自然な落ち方をしたのだと思う。

先に見た灰内沢の水路橋でも指摘したことであるが、水路ゆえの設計と思われる橋脚の過剰な細さは、水路としての耐荷重性を満たしていたとしても、経年の劣化に対する安全度のマージンは少ないはずである。
仮に何らかの欠陥工や災害の影響がないのだとしたら、築70年に満たずにコンクリート橋が落ちるというのは、設計そのものにも原因があったのではないか。
まあ、「戦時中の突貫工事」が全ての原因だったとしたら論の収まりがよいし、実際にそれが真相かも知れない。少なくとも、材料、人材、その他あらゆる点において、無影響だったとは考えにくいのである。




落橋した部分を想像・復元したものが左の図(オンマウスオゥバァ〜してね)である。
おそらく色の濃い部分は、橋脚の基部が今も残っていると思われる場所だが、水流が烈しく近付くことは出来ない。

右の写真はこの水流の中を撮影したもので、左に見える黒い柱のような部分は、破壊された橋脚の一部だと思う。

ところで、この大量の落水の出所だが、小深沢と灰内沢を結ぶ2.5kmの水路隧道の内部に湧出した地下水なのだろう。
この間の隧道は、閉塞していないのかもしれない。
そして、先に述べた落橋のメカニズムにも、この自然の水流が影響を与えた可能性は高い。





さて、一段下って辿り着いたのは、本橋のメインであるアーチ橋。

その“根元”の部分である。

ここからの眺めが、また素晴らしかったんだな!




流石にここは肉厚!
ゆえに大迫力!

目測ではあるが、一跨ぎ70mも有ろうかという大アーチである。
いくら華奢な水路橋といえども、このアーチの基部だけはたいそう重厚に仕立てられていた。

また、これはコンクリートアーチ橋全体の中でも少数の部類に入るはずだが、
アーチのサイズが上部ほど細くなっており、設計としては合理的ではあるのだが、
如何にも部材の節約を至上命題にしていたという感じを受けるのである。

そして、そういう構造であるだけに、余計この基部の肉厚さが際立って見えたのだ。




しかし如何にコンクリートを厚く巻き立てようとも、本橋に定められた壮絶な末路からは、もはや逃れられない。

コンクリートの表面が完全に脱落し、内包されていた鉄筋が浮き上がるようにして露出していた。
おそらくこの柱の内部には大量の鉄筋が束となって収められているであろうが、こうして薄皮を剥ぐように1本1本浸蝕されていった果てにあるのは、かつて見たこともない大型アーチ橋倒壊の状であろう。

そのエックスデーは、果していつなのか。
5年後か10年後か、はたまた半世紀くらいは耐えることもあり得るか。
おそらくこれは、現代の土木の第一線で活躍する人にも判断は難しいだろう。
本橋は間違いなく土木技術により生み出されたものであるが、現在は人の世界の住人ではない。
これは“風化したコンクリート”という名の砂岩質岩石よりなる、谷を跨ぐ奇妙な自然物である。


→【動画1】



アーチ基部から更に数メートル下る。

ここまで来ると下を見ている限り橋は見えず、自然と上を向いたり、振り返ったりする機会が増えた。

そして、またしても感歎すべき眺めに遭うのだった。




やっべ。おれ写真上手だな。

いや、そんなことはないだろう。
これは単純に被写体が凄すぎるんだ。
ここに来てカメラを構えたなら、誰でもフォトジェニックな写真が取り放題だ。

それにしても、肉厚だったのはアーチの基部ばかりではなかった。
上からだとその存在は全く窺い知れなかったが、アーチを支えている土台もまた、
コンクリートの大塊というに相応しい重厚な姿をしていた。

例によってその表面は著しく風化剥離しており、格子状に組まれた鉄筋が露出、
一部コンクリートは既に原料の砂利山へと還元されているような有様であったが…。



おそらく橋が架かる前から根を張っていた大樹にとって、橋の破断以来絶え間なくもたらされることとなった大量の水は、迷惑千万といったところだろう。

常に湿気を帯びた大樹の表面は、まるで枯木のように夥しい苔に覆われ、キノコまで育っている。

また、根回りの土砂の浸食も進んでいて、これに対抗するためなのか、はたまた地下の根が地上に露出したためにそう見えるだけなのか、樹木のように太く大きな根が斜面に広くのたうっていた。
(そしてこの根は私の昇降の手がかり、足がかりとして活躍した)




更に下降を続け、いよいよ谷底が近付くと、そこでまた不思議なものを見付けた。

写真の矢印の所にあるのは、地面であって地面ではなかった。
そこには、ぶ厚い板状をした巨大なコンクリートの塊が横たわっていたのである。

しかも、よく見るとその辺部には仕込まれた鉄筋が見て取れ、隣にはその片割れと思しき低いコンクリートの柱が…。

…そういえば、灰内沢の水路橋でも、同じように現橋の下に横たわる橋脚状の残骸を見たな…。

アーチを架ける際の足場に用いた土台かとも思ったが、鉄筋コンクリート製というのは手が込みすぎている感じを受ける。
まさか、途中まで作ったものを一度壊して作り替えた……?



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谷底へ辿り着いた私が、まず最初にしたこと。

それは、橋を真下から見上げることだった。




…高いなぁ。

でも、やっぱりぼろぼろだ。
ひたすらに、ぼろい。天かけるぼろ橋。

空中には今にも落ちてきそうなコンクリート片もあり、
橋下にいる間は始終、目が離せなかった。



そして続いては、上流側に少しく橋を背に歩き、そして振り返る。

谷底からの仰瞰による全体像が、いよいよ我が目の前に!




橋が無い!!

…って、ゴメンナサイ。

ちょっと離れ方が足りなかったみたいだニャ。
橋が大きいので、もっと離れないと、脚部さえフレームに入らなかったよ(てへぺろ)。


なお、この写真の中央右寄りにあるのは、直前に紹介した折れた橋脚(らしきもの)であるが、
同様なコンクリートの躯体が、川を挟んだ左側にも埋もれているのが分かる。謎の遺構というより無い。



さて、更に上流へ歩いて……。

今度こそ、マジで全体像行くぜ!!




欠 拱。

(けっきょう)

拱とはアーチの別称で、アーチ橋を拱橋ともいう。
本橋の欠けたる部位は、前記の通り厳密にはアーチ部とは関係しないが、
それでも全体として見れば、欠けたアーチ橋であることに疑は容れ難い。


いまやあらゆる地図より消し去られた存在だが、完成した当初は、
さぞ皇国の威信を感じさせるような眺めであったことだろう。

しかし、この橋の建設に関わった人々が、本当に古老の証言の通りの人々であったとしたら、
彼らはこの橋にどんな思いを重ねるのだろう。或いは、思い出したいと思わないかもしれない。

こんなものは感情論でありただの感じ方に過ぎないと分かっているが、愛情を込めて作られたことが
“伝えられている”土木構造物からは、確かに“伝わってくる”ものがあると思う。

同じく“廃”であって、どんなにおぞましい姿に変じていてもだ。

しかし、もしもこの橋の建設に携わった誰一人として、この橋を愛していなかったとしたら、
それは役目を終えた橋が自然と欠け落ちたことよりも、よほど悲しい事のように思う。






せめて今日は、私ひとりが愛してやろう。

そして明日からは、お前を知った者が愛するように、精一杯お前の事を書いてやろうと思った。





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