橋梁レポート  国道254号旧々道 旧落合橋 中編

所在地 群馬県下仁田町
探索日 2014.4.2
公開日 2014.5.6

密 林 橋 梁 



2014/4/2 15:13 《現在地》

今まで数え切れないくらいの廃橋を渡ったり、渡ろうとして断念してきたけれども、そうした押し引きの判断は概ね2段階で行われている。

どういうことかと言えば、まずは私が体重を預けることで橋そのものが崩れてしまい、結果的に私も墜落する可能性の判断が、第一段階である。
そしてこれをパスした場合に、橋は崩れなくても私だけがそこから滑り落ちてしまう危険性について、判断している。

本橋の場合は、橋の規模と、冬場は数トン以上の積雪を荷重しているという状況から考えて、体重数十キロの私が乗ることは全く問題がないと判断した。
ここで問題とすべきは、腐朽した床版を踏み抜いて、トラス構造の隙間から谷底へ転落することである。

本来は木の板を隙間無く敷いていたであろう床版は、既に風化して土へと分解されており、橋上の大半が「空中庭園」とでも言うべき林床と化していた。
全く緑が見えないのは、枯れているからではなく、単に季節が良かっただけである。




既に私がいる場所は橋の上であるが、所々に見える小さな穴にさえ目をつぶれば、“地面”である。
よく見る、春先の雑木林の林床とあまり違いはない。
踏み心地についても、過剰にフカフカするわけではなく、それなりにどっしりとした地面の感触があった。

この感触というのは、すごく重要な事だった。
床版の状況を詳しく目視で見る事は出来ないので、感触からその危うさを推し量る事も重要だったし、この序盤で少しでも踏み抜きそうな気配を感じたら、すぐさま退散するつもりだった。

また、橋上の植物の存在も、意外なことに、この状況では私の味方となった。
彼らが慢性的な土の少なさへの対策として張り巡らせたツタのような根っこ(本来のツタ植物も混ざっていたが)は、生きているのでビシッとした張りと堅さがあって、まるで固いネットのようであった。

このような橋上の状況に、体重を分散する四つん這いというお馴染みのニャンコ姿勢を組み合わせれば、転落の恐怖から逃れる事が出来た。
ただし、自分がいる場所が地面ではないことを知っているだけに、気持ちの悪さまでは無視出来なかったが。



折角、渡橋をしているのだから、それをしなければ観察が難しい部分を記録しようと努めた。

例えば、この欄干である。
本橋は、橋の構造部といえるトラスだけでなく、その上に乗せられている床版についても、高欄を含めて純粋な木造であったようだ。

ただ、風化のために高欄の支柱は全て倒れるか傾いており、肝心の手摺りも脱落していて、もはや原形を留めていなかった。「あった」ということが分かるだけである。
また、渡橋の前に親柱の確認もしたが、やはり失われているようで、残骸さえ見あたらなかった。

なお、隣り合う現在の落合橋は曲線を描いており、両者の距離は場所によって変化がある。
そして、写真の辺りで最も接近しているようだが、それでも3mくらいは離れていて、互いに行き来できる可能性は無いし、微妙な高低差もあるために、車窓から橋上の私の姿は見えないだろう。
この両者の近接は、旧橋の上に古い空き缶などが多数残されている原因となったほか(ポイ捨てが原因だろう)、谷風からの風避けとなって、旧橋の保存を助ける作用をもたらした可能性が高い。




“穴”が、大きくなってきた。

大きな穴から、朽ちた床版を支えている太い並列の梁と、その下には渓谷を背景とした木造トラスの本体が見えている。

だが、安心して欲しい。
太い梁と梁の間隔は50cm程度しかなく、全身がすっぽりとここをすり抜けて、下へ墜落するということは、普通だったらまず考えられない状況だった。
このことは、私にある程度の安心感を与えた。
また、朽ちているのは梁の上に乗せられていた床版だけで、梁は非常に太さもあり、まだまだ頑丈であることが分かった。

眼下に谷底を見て進む事への精神的なハードルはあったが、それでも「踏む抜くかもしれない」という漠然とした恐怖からは解放される、実際に見えている梁2本を跨ぎながらの四つ足スタイルで、先へ進む事にした。
私の中では、穴がないと同時に足元の正体も見えない場所を選ぶよりは、はっきり見えている穴の中にある確実な足場(梁)を踏むことの方が、遙かに安全と感じられた。
(なお、頑丈な梁が床版の下にあることは、最初に落合橋を渡ったときに目視で把握していた。そうでなければ、確認が取れるまで橋の上には入らなかっただろう。)



なんとも、キツイ展開である。

渡橋をしているのだが、やっていることは匍匐前進に近い四つ足歩行であり、ほとんど景色も見えないし(立ち上がっても視界はほとんど利かない)、完全に自己満足のために自ら望んで苦行をしている気分である。

どうやら、本橋の楽しみ方として、「渡ってみよう」というのは、あまり良い手ではなかったようである。
あまり得るものが多いようには思えない。リスクにリターンが見合っていないというか。
ただ、無事に渡り終えれば次へと進めるのだから、もう真ん中くらいまでは来ているだろうし、このまま頑張ろう。




さて、いよいよゴールの対岸が近付いてきたが、本当に苦しいのは、まだこの先だった。
枝か根か分からないものが、橋の全体を繭で包むかのように覆い尽くしていて辟易する。

しかも、これだけ障害物があっても、あまり手掛かり、足掛かりとしては頼れない太さである。
廃橋を渡る上では、一歩一歩に集中すべきなのだが、これでは力押しで越える乱暴な展開も完全には排除できない。
四つ足歩行さえしていれば転落のリスクはほとんど無いとはいえ、ひたすらに邪魔で、面倒だと感じてしまった。

…これが、国道だった。
自動車が、ここを渡っていたのである。




橋上のジャングルは、終盤に入って、みるみる痩せてきた。
そしてその理由は明らかだった。
土が…、床版であった木材が風化することで誕生した土が、ここに来て相当に減ってきたのである。
これはもはや、風化が進みすぎたと見るべきだろう。

床版が底まで完全に土へ変化したとき、それは梁やトラスの隙間を容易くすり抜け、遙か谷底まで落ちてしまったのに違いない。
風や雨や雪といった自然の作用も、橋の上の土壌環境を安定的に保つ助けになど、なるはずもないのである。
ここまでは我が物顔の繁栄を誇っているかに見えた植物の楽園も、結局は一時的なものでしかなかったということが分かる。

まるで骸骨のようになった橋上に残っていたのは、かつて土が豊富にあった時代に育った植物たちの、憐れな残骸であった。
人の温もりを記憶していた床版と共に、橋の上からは一切の生命の温もりが消えようとしていた。




先に橋の上からの展望は優れないと書いたが、
ジャングルが薄くなったことで、何とか周りが見えるようになってきた。

写真は谷の上流方向で、見上げるほどに高い所に現国道(江小屋橋)が見える。

ということは、理論的には向こうからもこの橋が見えるはずなのだが、実際には樹木が邪魔をして、はっきりと分かるほどには見えないようだ。





橋を渡り始めてから5分が経過した。顔は汗でびっしょり。
…これは冷や汗などではなく、単純にオーバーワークによる汗である。

不安定な足場で藪をかい潜るあまりの苦しさから、リュックに入れてあるナタを取り出すことも考えたが、私一人が渡るためだけに現状を改変するということは最小限にすべきだろうし、ナタを振るうという事は、渡橋に専念しているとは言えず、不用意なことにも思われたので、なんとか身体の方を藪に合わせるようにねじ曲げ、また這い蹲る事で、時間はかかったが、なんとかしつこいツタの藪を突破した。

そして、やっと見えてきた、最終盤。

ここにははじめて、渡橋らしい渡橋のシチュエーションが!



あと10mほどで渡橋は完了する。
全体の中では、残り4分の1くらいであろう。

だが、最後の10mは従来と大きく状況が違っている。

床版の風化は、ここに来て完璧にそれを消滅させてしまった。
後に残されたのは、まるで建築途中にまで時間が戻ってしまったかのような、
古の棟梁たちが作り上げた、剥き出しの梁の列であった。



渡橋をする上で、私が見たかったのは、こういう風景だった。

これでこそ、リスクを冒した価値があるというものだ。

ようやく、橋の構造を渡橋ならではの視座から観察するチャンスが来た。

ただし、ここに長居をするつもりもなかった。
こうして記録写真を撮影したので、さっさと安全な場所へ移動する。
橋の構造についての検証は、もっと安全で相応しい場所があるはずなので、そこで後ほど。




上から見るトラスは、巨大なジャングルジムのようであったが、じっくり観察は出来はなかった。
ここから進路とすべき梁に突き刺さった、無数の釘の嫌らしさに、意識の大半を持っていかれてしまったからだ。

これを折ったり抜いたりせず、このままの状況で渡るためにはどうするか。
少しの試行錯誤があって、結局は釘が無い部分だけを選んで歩くということにした。
もちろん、1本の梁に両足を乗せたのではなく、隣り合う2本の梁に片足ずつ載せて、爪先を滑らせるように、少しずつ渡った。(その最中の写真が次)

それにしても、露出している釘の高さは10cmくらいあり、これが床版の厚みを示していた。
こんなにぶ厚い木材が土となって消え去るまでに腐朽したのに、梁そのものの傷みは驚くほど少ない事に注目したい。
これは、床版を交換することで木橋は長持ちさせられたという可能性を示しており、先人の知恵を思わせる。




本橋には、橋脚が無い。
幅30mほどの谷を一跨ぎにしている。
また、両岸とも非常に切り立っていて、橋の高さは20mできかない。

こんな状況だから、本橋には少しも気の休まるような場面は無い。
地面に直接立っている橋脚でも途中にあれば、その上だけは気休め程度の休息場所にはなるのだが、それが無い。
序盤の腐葉土の上でリラックス出来るという人は、相当に奇特であろう。
スカスカになっている中盤以降については、言うまでもない。

梁の頑丈さや、その緻密な配置の関係上、渡橋中に墜落する可能性はほとんど無いと思われるが(だから渡っている)、だからといって、狭い橋上での激藪格闘の苦しみを中心に、決して容易い橋ではないという評価だ。
また、そうした苦労を押して本橋を渡る事で得られる情報は、あまり多くないというのが率直な感想だ。
本橋を眺める特等席は、現役の橋の場合と同じで、橋上ではあり得ないと言う事だ。
自分がやったことを、読者諸兄にはやるなというのは違うと思うが、自主的な人柱の評価として、本橋渡橋はあまり旨味や面白みの無い選択肢であることを報告する。




15:22

10分をかけ、ようやく渡橋を完了させた。
はっきり言って、興奮するよりも疲れた。

この橋の真骨頂は、渡橋ではなかったようだ。




真骨頂は――

この先だ。





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