http://yamaiga.com/koneta/koneta_140.html の公開中コメント一覧

(平均点 9.64点 / 投票回数 624人)

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コメント
31,4332019-03-30 09:07:23/koneta/koneta_140.html9
橋に物語あり、ですね。
30,8572019-01-13 01:43:00/koneta/koneta_140.html10
他サイトでこの橋の名前を見た後になってしまいましたが、なんとも深い歴史が刻まれた橋の名前だったのですね。
祠のところ、もっとアクセスが容易になっていれば…橋の名前が車で走行してもわかるようなプレート(静岡県の国道や県道にあるみたいな)が設置されてたらいいのにと思いました。
29,2322018-06-27 11:06:33/koneta/koneta_140.html10
良いレポートでした。廃道化で見られなくなった史跡を見ることができるのも このようなレポートのおかげですね。ありがとうございます。
24,2622016-11-20 01:12:15/koneta/koneta_140.html10
懐かしいです。昔、この町営駐車場に父親所有のキャンピングカーで何回も泊まり込んだことがあります(30年以上前の話です)。最近長距離ドライブが趣味になったんで、思い出深い五十里湖周辺へは行きたいなぁ...........と思っていたんですが、今行くと思い出の景色と違うものを見てしまうんですね...........
23,8422016-09-24 23:03:02/koneta/koneta_140.html10
栃木県在住の58歳男性です。
いつも楽しくレポートを読ませていただいています。

レポートにある駐車場跡地は展望台、土産物店などがある観光施設でした。昭和40年代は、旧日光市内の小学校の遠足の行き先であったりした観光地でした。
遠足は五十里ダム見学とセットでした。
あの観光センターいつ廃止になったのかは小生も知りませんでしたが、思い出の地が無くなるのは寂しいものです。
因みに、観光センター内にあった漬物を販売する売店でアルバイトをしたこともあります。
とても懐かしいレポートでした。

以上
23,0362016-06-25 23:37:55/koneta/koneta_140.html10
 五十里湖周辺にこんな歴史があって、しかも龍王峡がその痕跡だったとは…、栃木県民なのに知らなかったのを恥ずかしく思います。ヨッキさん「開削」して下さってありがとうございます。行政の橋のネーミングセンスも中々ですね。
21,2352015-12-29 18:12:03/koneta/koneta_140.html9
六左!解決!
20,5472015-11-01 22:11:02/koneta/koneta_140.html10
見事なレポート、ありがとうございます。イザベラ・バード関連の文献を当たった経緯の中で古五十里湖については知見がありましたが、こんな話が隠れていたとは。感銘を受けました。
19,3742015-07-08 15:08:52/koneta/koneta_140.html10
我が故郷会津へ帰省する度に通っているお気に入りの景勝の地。そんな馴染ある五十里湖の秘められた過去にひたすら感動いたしました。
17,2402014-11-15 08:03:17/koneta/koneta_140.html10
何度読んでも涙が滲みます。このレポが公開されて以来藤原町で育った私ですがこの五十里への想いが一層深くなりました。山行がに出逢えていなかったら知る事が無かった。本当にありがとうございます。そして六左衛門さんの御魂がいついつまでも安らかにありますように。
15,8772014-06-08 22:51:05/koneta/koneta_140.html10
県民で週末にはドライブ・ツーリングによく通っているが、こんなストーリーがあったなんてまったく知らなかった。
六左氏の墓があったなんて・・・
なんでここを閉鎖しているのだろう、まるで観光に生かせてないな日光市。担当者は腹を切って詫びるべきであろう。
15,4592014-04-15 19:55:11/koneta/koneta_140.html10
感動。
現代の土木事業者は見習っていただきたい。
14,7032013-12-19 18:02:08/koneta/koneta_140.html10
Googleマップで見ると駐車場跡に倉庫か何かが複数建っていますね。道路改良事業の為の機械か何かの置き場かな。
13,8922013-09-22 01:50:04/koneta/koneta_140.html10
会津中街道の廃道めぐりをしていました。
篠竹のなかに今でも1間幅の街道が眠っています。
中街道もこの天災に翻弄された歴史を持っていて興味深いです。
12,6992013-05-13 22:02:59/koneta/koneta_140.html10
涙が・・・
12,5582013-04-21 15:33:58/koneta/koneta_140.html10
高木六左衛門ら工事に携わった人たちと、彼らの事跡を伝えてくれた今回のレポに敬意を表して
12,4862013-04-13 12:50:10/koneta/koneta_140.html10
武家社会はそんなことで切腹だったのだなあ。
12,3482013-04-01 20:08:03/koneta/koneta_140.html10
まだこの駐車場が現役の時にこの史跡を見ました。
自然災害の恐ろしさを感じさせる場所です。
何も知らない人には何の変哲もない峡谷に見えますが。
確か休息所になっていて、ドライブインみたいのがあったように記憶しています。
12,2692013-03-27 14:43:03/koneta/koneta_140.html10
この話はとても感動した…。ヨッキさんがレポしなかったら永遠に知らなかったと思う。
12,2502013-03-26 14:34:49/koneta/koneta_140.html10
大変感動いたしました。感無量のレポートです。再び訪れた際の、雨の景色がヨッキさんの文章と重なり非常に印象的でした。レポートの一連の流れは、もう廃道の神様に愛されてるとしか思えないです。
12,2392013-03-26 02:31:36/koneta/koneta_140.html10
すばらしい!このレポが何故5年も放置されていたのか理解に苦しみます!!
12,2282013-03-25 14:06:24/koneta/koneta_140.html10
忘れていた頃に公開されたと思えばこんな結末だったのですね。
この公開までの長い時間を待った甲斐のある心に沁みるお話ですね。
12,2202013-03-24 17:39:56/koneta/koneta_140.html10
いいレポでした。
五十里湖にこんなドラマがあったなんて知らなかった。
12,2132013-03-24 12:18:38/koneta/koneta_140.html10
えぇはなしですなぁ。知られざる廃道の発掘と並んで、知られざる地方史の発掘もよろしくお願いします。
12,2092013-03-23 22:17:26/koneta/koneta_140.html10
長らく写真だけのシークレットページでしたけど、ようやく完結しましたね。
10点です。
12,2042013-03-23 13:23:30/koneta/koneta_140.html10
UPありがとうございます。凄く面白かったです。
いま、湯西川に気軽に行けるようになったのはこんなに古い歴史と多くの人の苦難の上に成り立ってたんですね。
これからはここを通るだけでも感慨深くなれそうです。
12,2022013-03-23 09:21:35/koneta/koneta_140.html10
昭和54年頃から平成10年頃まで、妻の実家の会津若松に帰省する時にこの道を使っていました。当時は六左の墓のある高くなった部分にベンチがいくつかあったような覚えがあります。高くなった部分の反対側にほぼ駐車場の幅いっぱいに、いわゆるドライブインがあり、軽食やおみやげを売っていました。子供連れで休みを入れながらの帰省だったので、五十里湖は必ず休憩する場所となっていました。その後、磐越自動車道が関越の新潟からつながったため、ほとんどこの道は使わなくなっていました。今はまったく面影がないとはいえ、懐かしい思いで見せていただきました。また、いつもながらの資料に基づいたきちんとした考察、見事でした。
12,1962013-03-22 22:25:00/koneta/koneta_140.html10
日本のどんな場所にも人の生活や苦闘の跡が刻まれていることを教えてくれる良いルポですなあ。
12,1952013-03-22 22:05:01/koneta/koneta_140.html10
橋に名前を付けた人も感動したんだな
12,1942013-03-22 20:15:30/koneta/koneta_140.html10
しんみりしますね。
こんな話は結構好きです。

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