2011/3/3 6:55 《現在地》
草木トンネルを出て500m、楽しかった三遠南信道も終わりの時を迎える。
キロポストの数字は「50.1」とあり、水窪北ICの入口にあたる翁川橋で最初に見た「52.8」からは、2.7kmほど進んでいる事になる。
これは、この区間の三遠南信道の既設延長として公称される2.2kmよりも長い。おそらく2.2kmというのは本線部のみで、ランプ部の一部が入っていないのだろう。
草木ランプ橋から地上に降りると、2枚のガードレールを挟んで左側に市道水窪白倉沢線がぴったり併走するようになる。
そしてこの状態は約100m続き、最後に合流する。
注目したいのは市道側にある青看で、草木IC方向の矢印に国道152号の表示がある。
これは少し前に本線上で見た青看では隠されれていた表示であり、一般道化に伴って設置されたこれら一連の青看が、「草木トンネルは国道152号」という共通の認識の元にあった事を示唆している。
私の予想では、本来の三遠南信道が将来開通した時、この草木トンネル区間は現在の国道474号から、国道152号の支線に変更される事になると思う。
そしてもうひとつこの写真で注目したいのは、さり気なく設置されている、「幅員減少」の警戒標識だ。
ある程度予想していたことではあるが、この先の幅員減少っぷりは、ガチである。
2車線の国道に1車線の市道が合流してくる形になっている。
特徴的な鋭角交差点で、ラインの敷き方も面白い。
国道135号の真鶴道路の小田原側入口によく似ている。
かつて自専道として建設されたのはここまでで、一般道化に伴って付加された緑色舗装の歩道も、ここで終了となる。
また、ここにはちょうどキリのよい50kmのキロポストが置かれているが、これは一連の区間にある最後のキロポストである。
一般道化に合わせて本来ならばこの自専道用のキロポストは撤去されるべきだったが、敢えて残されていることになる。
しかし、将来的にはどうなるのか?
本来の三遠南信道が青崩峠に開通すれば、そこに同じ数字のキロポストが設置される事になるのか、気になるところである。
交差点を反対側から撮影。
国道474号はここまでで、これより手前側は政令指定市である浜松市が管理する、市道水窪白倉沢線となる。
町村合併前は、水窪町道水窪白倉沢線であった。
高速のインターが町道のみに接続していたのも、珍しいケースだったと思う。
外見的には幅広の国道から市道が分岐しているようにしか見えないが、
路線的には全く反対で、市道から国道が分かれているのである。
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ここから先は、もはやタイトルにある「旧三遠南信道」ではなく、兵越峠へ向かう市道ということになるが、もう少しだけ先を見たい。
まだもう少し、三遠南信道の影響を強く受けた光景が続くのである。
例えば、この右側に見えるくすんだ色の路面。
そこは旧道敷きである。
旧道の道幅は1車線少々しかなく、左側に大きく山を削って2車線の現道が出来るまでは、高速を出ると即座に1車線だったことが伺える。(!)
「現道は三遠南信道と同時に開通したのではないか」という考えは、前方に見える青看の位置から否定されて良いだろう。
現道ではなく、旧道敷きの路肩に設置されている青看。
この青看は自専道時代から引き続き使われており(下地が緑ではなかったので流用出来たのだろう)、そのうえ手入れも行き届いていないようで、だいぶ傷みが目立つ。
ツギハギ臭がハンパない。
自専道時代には、上部の行き先表示の「佐久間」に「三遠南信道」が緑枠とともに描かれていたであろうし、“おにぎり”はなかっただろう。
一般道化時に「152」を一旦貼付けたものの、実際はまだ国道474号であるという理由からなのか、わざわざ数字だけをテーピングで隠すという、丁寧かつ場当たり的な仕事だ。
しかし、幅1車線しかない旧道からいきなり高速がはじまる光景、ぜひ現役当時に見たかったものである。
一連の旧道は、空中写真にも写っている。
時速60km/h制限であったとはいえ、高速道路を降りていきなり1車線の対面通行というのでは体裁が悪いし、何より危険極まりない。
そんな判断から、道幅減少の緩衝区間として、この2車線部分を設けたのだろう。
それは納得出来る。
ただ、線形的に現道は旧道よりも大きく優れているわけではなく、単に旧道を拡幅するという手段を選ばなかった理由が、別にありそうだ。
それはおそらく、将来的に旧道敷きが草木ICの拡張用地として使われる予定だったからだと思う。
現道よりも草木川に近い所をほぼ直線的に通っていた旧道敷きは、周囲もだだっ広く均されており、古い路面だけが一筋残っている状態。
現道脇のガードレールを乗り越えればそこへ立つことも出来るが、等身大木彫り人形に書かれた「ようこそ」という文字とは裏腹に、周囲を柵に取り囲まれていて、無断で立ち入ると叱られそうな雰囲気だったので自重した。(というか、立ち入らなくても全貌が見えたしね)
木彫り人形の隣のベンチには「親子で楽しむ環境教室」と書かれていて、将来高速道路によって風景を一変させるはずだった用地において、挑戦的(確信犯かも)な取り組みがなされていたことが分かる。
だが幸か不幸か、この土地がこれ以上“交通によって”蹂躙される危機は去った。
「親子自然教室」の会場一帯は、「山の駅」なる施設の一部であったようだ。
大きな木造の看板の他には、駐車場や建物の類は見あたらないが…。(待避所はあるが)
それよりもここで注目したいのは、川の向こう側にあるだだっ広い空き地のことである。
位置的に考えて(下の画像参照)、この空き地の正体は、三遠南信道の本線用地の準備工事跡だろうと思う。
“甲板滑走路”をそのまま真っ直ぐ延長した先に、ポツンとこの空き地は存在している。
ここが地上と高架のどちらを想定していたかは分からないが、
この先へ進むには、大規模な土工が必要となったことだろう。
そしてそれはやがて、兵越峠を貫くトンネルへ結ばれる予定であった。
草木トンネル完成後の調査で、あまりの地質の悪さが判明し、
計画の変更を余儀なくされた兵越峠のトンネルこそ、
山中に哀れな未成道を生んでしまった根源である。
削平された土地は、市道よりも一段低い川の対岸にある。
現在そこへ行くための通路は、欄干の折れた板チョコのように薄っぺらなコンクリート橋のみであり、しかも柵に囲まれていて進入は出来ない。
どう見てもこの橋を工事用車両が通行出来たようには思えないので、川を蓋する大規模な仮設橋が別に存在したのだろう。
廃橋同然の小橋は、平場の片隅で崩れかけた姿を晒す小屋と同様、ここにあった遠木沢集落の名残と思われる。
市道化してから200mほど進むと、現道は旧道とひとつに戻り、それと同時に1車線化する。
左に林道堀切線が分かれていて、この林道は旧来の草木峠を目指しているのだが、途中までしか開通はしていない。
草木トンネルがある意味タナボタで整備されたおかげで、この林道が峠越えを果す可能性は限りなく低いだろう。
あそこまでは高速道路だったのに!
↓↓↓
こんな道に!!
草木川筋の最奥にある遠木沢集落。
古くは下流の草木や北島と同様、“信州街道(塩の道)や秋葉街道”の脇道(これらの本道は青崩峠であった)として命脈を保ったが、平成の三遠南信道開通もやや時遅かったか、廃村一歩手前の状態のようである。
道幅は既に3m程度しかなく、池端の三遠南信道入口の交差点で見たこんな標識が、とうとう現実の光景となった事を知る。
現在進められている青崩峠のトンネルまで失敗するようなことが無い限り、この道が今後、草木トンネルと釣り合う程度まで改良される可能性はほぼ無い。
「草木トンネルは高速でなくなっても、ちゃんと地元で活用されている」。
関係者がいくらそう言っても、わずか数十世帯のために、高速道路規格のトンネルを作る道理はない。
このアンバランスと無駄に満ちた光景こそは、我々が手にした高度に進化した土木技術をもってしても、大きく目測を誤ることがあるという例である。
ただの変な道と嘯かれて終わるにはあまりにも高価な、土木と政治の“負の遺産”である。
草木トンネルの建設とルート変更の経緯などについては、このレポートの最終回を「考察編」として、改めて考えたい。
関係者でもない私が、偉そうに断罪しているように聞こえたらお詫びする。
しかしそうではない。
こういうあからさまな失敗を含んだ土木の光景は、あまり見たことがない。
いくら“中央構造線”という我が国の土木史上最大級の難敵が相手だったとは言え、ここまで手酷い失敗はそうそうあるものではない。
草木トンネルと前後の道の建設費180億円だぞ!(新聞報道による)
草木トンネルは地元の交通ばかりではなく、兵越峠と結んで国道152号の代替路としても活躍している。それは事実だ。
だが考えてみて欲しい。兵越峠の道路との規格のあまりの不釣り合いを。どう考えても“高規格な”草木トンネルは、(本物の)青崩峠道路開通までの一時的迂回路としては、過剰投資である。
これは結果論だが、揺るぎない事実だし、絶対に回避出来なかったことでは無いと思う。
だからこそ、これを眠らせておくのは惜しい。
世界遺産の中にも“負の遺産”と呼ばれるものがあり、それが今日人類共通の教材として活用されているように、土木の世界における負の遺産も、なぜどうしてこうなったかということが、当事者によって分かり易く解説されたとしたら、我々の土木に対する興味と理解は大いに深まるのではないかと思う。
人類は成功ではなく失敗にこそ多くを学んできたとも言うではないか。
今それをやるのが辛いなら、本物の三遠南信道が開通した時でも良いから…さ。
草木トンネルに「中央構造線とトンネル技術の資料館」建設をキボンヌ!
…大いに脱線した。
7:02 【現在地(マピオン)】
草木ICから約500mで、兵越方面の道路情報板を有する地点に着いた。
このあたりから先はかつて兵越林道といったが、今は兵越峠までの全線が市道水窪白倉沢線になっている。
(峠の長野県側は長野県道369号「南信濃水窪線」といい、同じ路線名の静岡県道412号「南信濃水窪線」も認定されているが、平成23年現在は区域未決定のため実際には市道のままである。将来的には静岡側もこの道が県道に昇格するのかも知れない。)
現在地は標高780mだが、これから4kmで標高1314mの峠に上り詰めることになり、舗装こそ完備されているものの道は狭く険しい。
また、冬期閉鎖はないものの、連続雨量100mmと降雪20cmでの通行規制がある。
探索時の気温も−4℃であり、静岡と言うより信州の空気だった。
これより、避難坑探索のため、
草木トンネルへ引き返す。
この道の過去と現在の風景を知る上で有意義な関連リンクをご紹介いたします。
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