http://yamaiga.com/road/abura/ の公開中コメント一覧

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コメント
53,1592023-12-20 23:02:05/road/abura/main5.html10
よかった
53,0952023-12-14 23:49:38/road/abura/main5.html10
いつもお疲れ様です。次に北海道に行ったら、国道229号線は是非とも行きたいルートですが… 旧道に入り込むのは、どんくさい私には無理ですね。貴重な風景をいろいろ見せていただき、ありがたい限りです。
52,0862023-07-20 18:58:28/road/abura/main5.html10
1970年代北海道鉄道写真というHPの管理人をしているニゴチュウと申します。
いつも、ヨッキさんのレポートを楽しく拝見させていただいております。

さて、「国道229号旧道 蝦夷親不知」についてですが、
北海道立図書館の北方資料デジタルライブラリーで公開されているもので、
「檜山爾志久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所管内之図」(1896)というものを偶然見つけました。
https://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/da/detail?libno=11&data_id=100-2271-0
これを見る限りでは、現在の瀬棚から虻羅を経て須築に至る道が書かれています。
精密度はわかりませんが、この当時、海岸ルートでの往来はあったということでしょうか。

「後志国瀬棚郡明細地図」(1904)
https://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/da/detail?libno=11&data_id=040-2270-1
こちらでは、虻羅の集落を含めた、当時の付近が描かれています。

また、もっと最近にご報告いただいた、トンネルと交差する海蝕洞について
https://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/da/detail?libno=11&data_id=040-2117-0
こちらの1971年の島牧村の鳥瞰図では、気になる場所に「舟かくし」なる地名があります。
(全然、関係ないかもしれませんが・・・)

以上、蛇足ながら、参考になればと思い、お知らせいたします。

・・・ウエン・カムイは、「ゴールデンカムイ」では、人を襲った熊(カムイ)の呼び名として、紹介されてましたね。

今後ともご活躍をお祈りしております。
51,6422023-04-13 14:10:01/road/abura/main5.html10
そう、自分も堀さんの著書を先鞭として読んだ。それは90年代初頭であって、堀さんの晩年にあたる。そして、平沼さんだ‼︎ それまでは、古道を整えるといった(遍路道が多いとこだからね)新聞などで取り上げられるごく少ない情報量しか持たない道ばかり。
北海道歴史浅しと言えども、人間の道を求める欲求は強烈だ!
51,4222023-02-19 18:57:07/road/abura/main5.html10
ユーモア溢れる語り口と、非常に中身の濃い緻密な内容に引き込まれて、最後まで一気に読んでしまいました。
1995年8月上旬頃だったと思いますが、父方の実家に帰省した際に、父と妹と私の3人でこの記事と同じルートで橋までは到達しています。
「昔はバスが通ってたんだぞ〜」
「ウソだぁ(笑)」
といった感じで藪を漕ぎながら進んだのを思い出しました。
当時の覆道は、ボロボロに錆び付いていましたがここまでペシャンコにはなっておらず、無事な部分の方が多かった記憶があります。
ただ、崩れるかもしれないから絶対に触るなと念を押されました。
橋は当時既に1部欠落していて、橋上には植物が生え見るからに危険なニオイがぷんぷんしていました。
天候が悪化し始め風も出てきたので、ここで引き返したのを覚えています。
当時私達が辿りつけなかった短いスノーシェルターの謎ですが、高解像度の航空写真で周辺地形を観察したところ、シェルターが護っている場所の崖に漏斗状の急峻な地形が見受けられました。
非常に傾斜がきつい為、こういった地形には破壊力の大きな雪崩を起こす程雪は積もりませんが…北海道のような極低温の地域だとその積もらなかった雪は接地と同時に「スラフ」という小さな流れとなって斜面を滑り落ちます。
おそらくは、急斜面を砂のようにサラサラと流れ落ちた雪が漏斗状地形で集められ、真下の道をピンポイントで埋めてしまう為、その部分だけをスノーシェルターで覆い、除雪の手間を軽減したのではないでしょうか?
冬の間はどうなっていたのか是非経験者に聞いてみたいところですが、父も祖父母も既に他界して叶わないのが残念です。


50,9642022-11-06 17:30:37/road/abura/main5.html10
ねこ登場のくだりは、仕込みかと思うほど面白かったです。
こういう随所のユーモアも素晴らしい。
50,6672022-09-11 14:59:45/road/abura/main5.html10
ボロボロになってもまだ覆道が残っているのはすごいですね、行ってみたいです。
50,2312022-07-19 22:07:36/road/abura/main5.html10
いつも楽しく拝見させて頂いております。先日見たとある廃道系outubeにあったリンクに貼ってあった、虻羅のクズレの旧道の絵葉書集です→http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/thumbnailChild/postcards/pc002164 
48,4042021-09-29 15:50:29/road/abura/main5.html9
既に既出かもしれませんが、同じ場所のドローンによる空撮映像がYoutubeにあったので、一緒に見ると凄く分かり易かったです。写真によるレポだと、迫力がイマイチ伝わらないですが、空撮だと全体像が見える、でもその反面詳細が見えないと、お互いを補完する意味では良いなぁと思いました。
48,3802021-09-25 02:06:01/road/abura/main5.html10
現地および机上調査ともあわせて、とても貴重なレポートと思います。願わくば貴サイトの全てのレポートが、国会図書館等で永久保存されますように。後世に残すべき記録です。
47,9962021-07-23 17:10:51/road/abura/main5.html10
すばらしいまとまりです!実探索とともに、その背景に関する情報までもしっかりあって楽しめました。
47,9882021-07-18 09:40:00/road/abura/main5.html10
昭和47年春まで、旧「瀬棚」町民でした。それまで、瀬棚市街地の近くに住んでいました。「クズレ」は「虻羅のクズレ」と呼んでいたと思います。瀬棚町北端、「須築」の手前の「美谷」へは、夏、海水浴で何度も行きました。主にバス・自家用車でした。当時は当然ながら砂利道でした。必然、「虻羅のクズレ」は通過しています。「虻羅」から「島歌」まで、「虻羅のクズレ」を徒歩で通行したこともありました。当時は、多少の恐怖感はあった物の、これが「虻羅のクズレ」の「普通」だと言う感覚でした。このレポートを拝見し、景観は一変しているものの、懐かしく当時を思い出し、「虻羅のクズレ」の、あのオーバーハングしているのじゃないかというあの崖、もう一度下から見上げてみたくなりました。当時のトンネル(隧道)は全て素掘りで、記憶の最初の頃は、覆道は無かったかと思います。いつ頃から覆道が設置されたかの記憶はありません。先に記しましたが、夏の海水浴のために行っていたので、当然天候が良い時ばかりです。冬や天候の悪いときには行ったことはありません。トンネルは当然狭く、片側交互通行の状態でした。それが普通なので、誰も文句は言ってなかったかと思います。今でも先祖の墓参りで瀬棚へ行く事があります。たまに虻羅漁港の手前に車を停め、「虻羅のクズレ」を懐かしく眺めることがありますが、「もう行く事は無い」との一抹の寂寥感に襲われることがあります。年を取ったものです。最後に、このようなレポートを拝見させていただき、有り難うございます。心よりお礼を申し上げます。
47,9722021-07-09 23:32:10/road/abura/main5.html10
素晴らしい探検記。
47,9682021-07-07 00:38:46/road/abura/main5.html10
丁寧な調査で素晴らしいです。とても勉強になります。ありがとうございました。
47,8422021-06-11 19:16:32/road/abura/main5.html10
こんにちは。「天寧」(てんねい)という者です。蝦夷親不知の現状、よく分かって楽しかったです。私は1993年5月に虻羅側から全線を通ったことがあります。堀淳一氏の本に影響されて当時住んでいた函館から向かいました。あの頃は歩きやすい「廃道らしい廃道」でした。昔は覆道がほとんどの部分で健在だったので上の崖が見える箇所が少なく、恐怖感があまり出てこなかったのかもしれませんね。ちなみに私は三福航路の最終便乗客のレポートをかつてのヤフーブログに掲載したことがあって、こちらのサイトから紹介してもらったことがありました。その頃はすでに放置ブログでしたが、紹介されるや否や、ものすごい数の訪問者が来てビックリしました。あの時はありがとうございました。ちなみに、あの時の記事はFC2ブログに移行して今でも見ることができます。また新たな記事に期待しております。
47,3712021-03-29 19:07:57/road/abura/main5.html10
昔の電報で「チチクズレウエンシララスグカエレ」とかありそうダナ!(←ねぇよ)てか、自分は海なし県の生まれ育ちだから、海何てのは今まで見た回数は両手の指で足りるぐらいなんだけれど、何で“日本海”って、あんなに寂しい風景何だろう···。まぁそこが好きなんだけど。あと、真っ赤に朽ちた覆道(シェッド)···。あのどうしようもない“絶望的な真っ赤な朽ち”の風景。昔、昔の山行がレポで似た景色観たんだよナァ···。長野県トヤ
47,0622021-02-20 20:52:13/road/abura/main5.html10
素晴らしい
46,7732021-01-26 19:00:43/road/abura/main5.html9
蝦夷親不知を拝読しました。驚異的な探究心と行動力に感動覚えました。
46,5302020-12-31 20:51:17/road/abura/main5.html10
主人がせたな町の出身で、30年ぐらい前には国道229号に写真のような覆道があったとのことです。今でも高波で海沿いの道は通行止めになる事があるそうです。相変わらず厳しい環境にあるようですね。
46,4092020-12-08 09:37:33/road/abura/main5.html10
とても楽しく読ませて頂きました!とあるyou tubeで見たのですが木橋の後のきりとおしに虻羅1号2号トンネルがあったそうです!
46,3332020-12-01 17:43:22/road/abura/main5.html10
非常に興味深く読ませて頂きました。私は虻羅地区からトンネルを通って北方向の島歌で生まれました。虻羅トンネルが開通したのは小学校1年生だったと記憶しています。トンネルが開通するまではバスでクズレを通るのが怖くて怖くて!赤い覆道と小さな滝と橋もなんとなく覚えています。それにしても凄い調査能力ですね。私の知らないことばかりです。感服致しました。
46,1332020-11-11 17:49:27/road/abura/main5.html10
>それらに赴き、最後の一人になるかもしれない“記録者”となること。ヨッキさんの探索・レポートした処なら、きっと(私のような)後継者が絶えずに赴くようになりますね。最後の一人になることだけ杞憂かもしれませんね。(とにかくこう信じたい)
46,0132020-10-27 19:28:17/road/abura/main5.html10
以前より廃道の探索を拝見させていただいておりました。岩内からせたなまでのくだりは大変おもしろく拝見させていただきました。当方、父の実家(生家)が、現在のせたな区字島歌三区であり、母の実家も、岩内という関係で、子供のころ、父の運転でまさに、クズレを結構頻繁に(年3回から5回)通り、子供心にもすごいところだ!という思いでがあります。また雷電海岸も自分の運転で比較的最近まで覆道の連続と、刀掛トンネルを通過しておりました。
45,9952020-10-24 01:35:16/road/abura/main5.html10
現地で聞き取り調査しないなんて。。。
45,5512020-09-23 17:09:58/road/abura/main5.html10
2020/9/2にここを通りましたが、島牧側入口にあった「熊注意」の看板は海側に斃れていました。熊にやられたか潮風に限界を迎えたか
45,4962020-09-18 21:30:01/road/abura/main5.html10
ドラム缶の中の空き缶をラベルデザインで年代判定するとファンタオレンジ 1988 - 1994年頃HI-Cアップル 1990 - 1993年頃フルーピーオレンジ 1991年頃カルピスウォーター 1991 - 1993年頃アクエリアス 1992年サッポロ黒ラベル 1992 - 1993年頃ちょうど堀淳一氏が探索した頃に捨てられたんですね
45,4942020-09-18 16:08:58/road/abura/main5.html3
カッコつけ過ぎ
45,3242020-08-28 19:53:07/road/abura/main5.html10
トンネルで美谷1号から10号って資料に記載があるけど、今どのような姿になっているか興味ありますね。229号は廃道好きな人には宝の山かも。
45,3202020-08-28 15:06:12/road/abura/main5.html10
“景勝というよりは天険である”の一文にシビレましたここに挑んだ先人達に畏敬の念を抱きます
45,3042020-08-27 20:18:01/road/abura/main5.html10
堀淳一さん亡くなっていたんですね。北海道に住んでいた時に図書館で氏の著書を読み漁りました。

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