http://yamaiga.com/road/hatouti/ の公開中コメント一覧

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コメント
44,7672020-07-04 15:55:56/road/hatouti/main.html10
前コメントの方と同じく強歩大会で通った者ですが、30年前はトンネル辺りはまだ舗装じゃなかった記憶があります。いつの間に舗装されたんでしょう。
44,7642020-07-04 06:08:23/road/hatouti/main.html10
「伊那 昭和59年10月号」の写真のお姉さん、当時としてはかなりブッ飛んでたんじゃないだろか。しかも、こんな山奥のタウン誌で。。。
44,7632020-07-04 02:32:56/road/hatouti/main.html10
まさかの地元。崩落する1年前に高校の強歩大会で鳩打隧道を通ったなあ
44,7622020-07-04 01:55:11/road/hatouti/main.html8
「抜粋を転載する」ではなく、引用では?
44,7592020-07-03 22:56:00/road/hatouti/main.html9
長い峠を越えた先の大平も廃村。秘境ですね。次回に期待!
44,7582020-07-03 22:28:22/road/hatouti/main.html10
いきなりこれはあちいww>大正初代隧道享年3年
38,6462021-06-30 22:35:03/road/hatouti/main5.html10
楽しく拝見しました
38,0752021-03-31 19:07:36/road/hatouti/main5.html10
まぁいつか行ければいいや、程度に軽く考えてた鳩打峠だけど、こうも難しい所なのか··。記事を読むのが今回で2回目(画像をフルで見れたのは今回初めて)何だけど、あまりにも深過ぎて、あと最低でももう1回は読み直さないと頭に入らないわ···。>コンクリートとモルタルには、前者がセメント+砂+水+砂利(骨材)であるのに対し、後者はセメント+砂+水で構成されているという材料の違いがあるほか、一般的な施工方法にも違いがあり、前者は型枠に流し込んで成形することが多く、後者はコテで塗り込むように成型することが多い。←こういう基本情報をわざわざ書いてくれるのは本当にありがたいヨ!サンキュー!ヨッキ!長野県トヤ
36,5752020-10-13 16:31:36/road/hatouti/main5.html10
2020.10.11.、下清内路萩の平から、赤子淵、鳩打峠で坊主ヶ城(高鳥屋山)、)坊主ヶ島と、周回しましたが、赤子淵を赤子橋で黒川を渡った後、道は、支流の黒樽川右岸の急斜面にトラロープ付きで遡っていましたが、川原が現れると、道も消えていましたよ。現地調査を期待しています。
36,0772020-09-03 14:25:00/road/hatouti/main5.html8
トリさん情報による追記部分で、読んでてちょっとわかりにくい所があったんですが[露出している坑門の先端がなぜゴツゴツしているのかという疑問が残った]↓[彼女たちは、坑門の材質を確かめるべく、まずは付着している苔をむいた! むきむき!]↓[この坑門のコンクリート表面は平滑に加工されており、例えば落盤によって断ち切られた断面ではない。]ということはつまり、坑門工の端面が本来は平滑であったものが、苔(と苔が抱え込んだ土等)がコンクリート表面に付着・堆積していたために(探索当日のヨッキ氏の目には)ゴツゴツして(断ち切られた断面であるかのように)見えたということなんでしょうかね?(それを前提に見直すと、要石のように見える出っ張りの形状も、苔と堆積物の影響を受けているようにも見えます)。上記のあたりに、ちょっとすんなり読み取りにくい違和感を覚えて引っ掛かりました。すこし文体のネジを締め直して推敲していただけるとありがたいかなと思いますが、まあ些細な事ですかね・・・。
36,0552020-09-01 14:29:41/road/hatouti/main5.html10
ありがとうございます。また一つ地元の交通史を紐解くことができ感謝の気持ちです。私自身にとっては40数年来の謎が一つ解けたのです。清内路の村道を鳩打林道方面へ向かって伸びる車道があって、頑張れば届きそうなところで途中でぶっつり切れているんですが、奥に小道が続いていて…。あれが当時の里道の名残りだったのかもですね、あぁ感慨深いなぁ(悦に入る好き者…苦笑)。ところで、これからamazonで注文いたします!!!。
36,0242020-08-29 16:45:46/road/hatouti/main5.html10
これは地元の文化財となり得る大発見なのでは。すばらしい記事でした。今後の新情報にも期待。
35,7322020-07-29 16:59:24/road/hatouti/main5.html8
レポート第3回の 坑門前で撮ったTHETA全天球画像に要石疑惑の突起がド真ん中に写ってるじゃありませんか向かって右上の角が欠けていて 破断面に砂利が露出しているように見えますね少なくとも花崗岩の破断面はこうはならないですねやっぱりコンクリート製なのかな
35,7242020-07-28 13:15:17/road/hatouti/main5.html8
トリさんが一緒に写っている坑門は、ヨッキさんが撮った写真よりもずっと大きくみえてビックリしました。一人探索だと比較対象物が得辛いのは如何ともしがたいですね。だからといって標尺など持ち歩くのもなんか違う気もしますし・・・ところで、いわゆるコンパネと呼ばれる合板が普及する以前の古いコンクリート構造物の表面に模様を残していることが多い板を何と呼ぶべきかというのは難しい問題ですね。現在では、意図的に板と木目の跡を作り出す型枠を「杉板本実型枠」と呼ぶことが多いのですがコンパネの無かった当時の型枠に使われた板がすべて本実加工された「さね板」であったか?また本実加工された板であっても当時の現場で実際に「さね板」と呼ばれていたかについてはまだ調査の余地があるかも知れません。型枠を構成する部材の機能としては「堰板(せきいた)」とも呼ばれるのですがこれは現在のコンパネを用いた場合も同様に堰板と言うので古い工法を特に指すものではありませんので「杉板本実型枠」という言い方はこれらを区別するために後から作られた言葉である可能性がありますので。さね加工や類似の目的を持つ加工をされた板はコンクリート型枠以前から、板張りの床板や壁板等にも使われていたのでそちらとの混乱も懸念されます。とりあえずは、「杉板」とか「杉の堰板」とかのほうが無難なのかも。
35,7232020-07-28 12:01:51/road/hatouti/main5.html10
トリさんGJ! トリさんとの比較写真でやっと隧道の大きさが実感できました。
35,7222020-07-28 00:33:10/road/hatouti/main5.html10
トリさん流石すぎます…www
35,7202020-07-27 18:48:59/road/hatouti/main5.html9
途中の実板の表現は核板のほうが良いお思います
35,6142020-07-20 00:34:03/road/hatouti/main5.html10
本当に奇跡的な発見。それはそうと、民生用の金属探知機が数千円で買える時代になったので、導入してはいかがでしょう。鉄筋や鉄骨なら見つけられるかも。
35,5582020-07-17 12:50:08/road/hatouti/main5.html10
ゴタゴタが多く、遅れたり頓挫したり。もしこの地に某鬼県令のような人物が居れば、道路地図は違ったものになっていたかも?
35,5542020-07-16 19:26:33/road/hatouti/main5.html10
とても読み応えのあるレポートでした山に住む人々にとって、道がなくては生活できませんから色々と思惑もあって大変なんでしょうね清内路の現在と過去を示した地図がわかりやすくてよかったです。探索当日はとても寒かったので難儀されたはないかと思います。しかし見ている方は臨場感があってよかったです汗
35,5532020-07-16 15:13:37/road/hatouti/main5.html10
古くから歴史に翻弄され続けた土地ゆえに住人達の思いも複雑なのかもしれませんね
35,5522020-07-16 15:06:49/road/hatouti/main5.html10
大作ですね。お疲れさまでした。
35,5512020-07-16 13:12:28/road/hatouti/main5.html8
廃止された隧道をコンクリートで覆工して物置?避難小屋?として使用していたけど、再び崩落したので棄てられた。て案はいかがでしょうか。
35,5502020-07-16 10:54:00/road/hatouti/main5.html8
手がかりが少ないので不完全燃焼はやむおえないですね。続く・・事を期待しております。
35,5492020-07-16 02:14:51/road/hatouti/main5.html10
謎を残したままのレポート、想像を掻き立てられて楽しいです!隧道南側の道が未成であるということですが、実は通じていたのではないかと考えたりします。隧道が3年間使われていながら、単なる徒歩道というのは、これまでの山行がを読んだ限りではあまりなさそうだからです。また、当時どのような工事をしたのかわかりませんが、コンクリート巻きたてなどしているので搬入路も必要になりそうです。清内路側から工事を進めたということも考えられますね。清内路側の追加調査はもちろんですが、伊賀良側の追加調査をすると何かわかりそうにも思います。もちろん、ヨッキさんはこれまでの経験からいろいろなことを考えておられるでしょうから、的外れなことを言っていたらスルーしてください。
35,5472020-07-16 01:16:12/road/hatouti/main5.html10
現鳩打隧道は"魁龍団"と同じ歳頃に歩いて通って、その狭さ暗さ素掘りの強烈な印象から自分が古隧道というものに興味を持ち最終的にこの山行がに辿り着いたきっかけになった道だからこうして扱ってくれたことがとても嬉しい。今の隧道が2代目だとは当然思わずそれも大正初期にこんな隧道掘るような立ち位置の道だとも思わず地元のことだからよく分かるその調査力の高さに脱帽…
35,5462020-07-16 00:17:15/road/hatouti/main5.html10
見た目や風景や位置が、旧立倉隧道によく似ています。今回は隧道の謎というより、巻き立ての謎に思えます。写真をよく見ると、型枠跡はありませんが、塗り区分けらしき線が見えるような。同時代の隧道に同様の施工を見ないのも逆にヒントでは。有志なり予算なりで初代隧道が完成した後、崩落防止の意味で、地元の凄腕職人が無断無償で巻き上げた、という説を推したいと思います。
35,5452020-07-15 23:10:14/road/hatouti/main5.html10
勝手に考えたストーリー大正トンネル貫通>石で坑門を作る前から通行>坑門工事&前後の道の工事開始>大正トンネル崩壊、坑門は作りかけで放棄>昭和の峠改良決定>大正トンネル修理&コンクリート覆工>大正トンネル再崩壊>昭和トンネルを1から作るそれにしても、清水峠、数坂トンネル、失敗した道の虚しさよ。
35,5442020-07-15 22:40:04/road/hatouti/main5.html10
08年の現隧道内の写真があったが素掘りの部分がある現道が近年まで素掘りで旧道が全面コンクリートというのは考えづらい気がするhttp://zuidou.blog31.fc2.com/blog-category-15.html清内路から大平へのルート変遷がとても気になるので続編お待ちしてます
35,5432020-07-15 21:42:42/road/hatouti/main5.html7
そもそもの話になるが、この隧道の天井アーチはコンクリートの場所打ち施工なのだろうか?型枠の板を当てていた痕もないこのようなつるつるの壁面となるには、現在であれば鋼製の型枠や、型に合わせて薄い単板を曲げながら積層、接着した曲面合板を使ったアール型枠による一体式の現場打ちコンクリートを想定しがちですが、レポートで使われている画像を見た限りでは断言はできませんけれどもひょっとすると表面はモルタルをコテで塗り付けて手作業で均した左官仕上げであるという事はないでしょうか?可能性としては、現場打ちコンクリートのジャンカ(豆板)等の欠陥を隠すための化粧モルタルが施されていたということはあり得そうですし、実はモルタルの下に組積構造が隠されているという事もあり得ぬとは言い切れないのではないでしょうか。

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