http://yamaiga.com/road/sukki/ の公開中コメント一覧

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コメント
30,3422018-11-07 06:27:50/road/sukki/main5.html10
これぞまさに廃道学!最高のレポをありがとうございます!
30,3342018-11-06 21:56:21/road/sukki/main5.html10
最後、感動・・・。
30,3192018-11-05 19:42:28/road/sukki/main5.html9
下記によると、美谷までは山越えしかなかったとのことです。
檜山管内 「小中学校 休廃統合学校の軌跡」より「須築小学校での10年間」
https://docs.google.com/document/d/17LqkeMQDBV7iZenVvWRDGvZ3Nnnos_eOSNP1sqps6-s/edit#bookmark=id.loxpi7vlcts5

海沿いの道は、日常使うには厳しい道だったのではないでしょうか。

なお、”開校百周年記念誌 茂津多”の検索では下記しかヒットしませんでした。
https://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/sites/default/files/ichiran.pdf
30,3032018-11-04 09:19:15/road/sukki/main5.html10
高すぎる…滑りそう…落ちそう…高所恐怖症の私は今回もお尻をムズムズさせながら見させて頂きました!
30,2922018-11-03 10:54:22/road/sukki/main5.html10
とても懐かしい気分。ひろみずさん、お元気だろうか。
30,2762018-10-31 21:08:38/road/sukki/main5.html9
〉海が荒れた日はこの道もヤバいでしょ…。
陸から見たら穏やかそうだけど小舟では危ない日、もありますからねえ(漁船は出漁していない日に、釣り人がプレジャーボートで乗り出して遭難することはよくある)。

〉召集令状によって入営の日時が指定されていたので郵便配達人も危険を顧みずこのような道を通った
よく「一銭五厘の……」と(当時も)言いますが、召集令状はハガキではなく、役場の兵事係が届けるものなので……。
30,2712018-10-29 21:14:17/road/sukki/main5.html10
どこかのタイミングで峠道からこのルートに切り替わっていたんでしょうが、地図には反映されないまま国道開通に至ったんでしょうね。
かなり古くからありそうですし、古老への聞き取り調査を行っても開通時期の特定は難しいでしょうねぇ。
30,2682018-10-28 23:10:48/road/sukki/main5.html10
素晴らしいレポートです。初見です。有料でも読みます。
30,2612018-10-26 10:11:06/road/sukki/main5.html9
茂津多トンネル開通前の、古い地図にも描かれている茂津多岬を登ってく道が気になりますw
生活道路というより灯台へのアクセス道なんですかね?
でも灯台守さん一家にとっては生活道路でもあったのか…。
なお、GoogleMapによると高重力でも発生してるのか、時空にゆがみが発生している模様w
https://goo.gl/maps/HWPnDQ3K8m52
30,2602018-10-25 23:38:51/road/sukki/main5.html10
この道は他の人も書いてるように、郵便、電報、召集令状の配達に必要なものだったのだろう。
当時の召集令状は、役所や役場の兵事係が受領後、2時間以内に配達していたという。どんなに海が荒れてても夜中でも配達していたのだろう。
30,2552018-10-24 13:20:45/road/sukki/main5.html10
今回の廃道は興奮しました。
30,2522018-10-23 23:28:30/road/sukki/main5.html10
この道が生活道路とは怖すぎです。ワイヤーにすがって歩くなんて水平歩道まんまじゃないですか。
まあ普段の行き来は船でしょうが、船が出せない時に行き来出来るように新潟の中山隧道みたいに集落の人が手作業で建設したのでしょうか。
30,2502018-10-23 17:27:43/road/sukki/main5.html10
ヨッキさん
探索も調査もレポートもどれもすばらしいです。凡人が全く気づかないようなわずかな痕跡をみつけ、ここまで掘り下げて結論を導き出すなんて、すごいとしか言えません。ここまできたら廃道学という新しい学問ですね。ありがとうございます。
30,2492018-10-23 10:38:49/road/sukki/main5.html10
卓上調査、良く記述のある本を見つけてきたなぁ
30,2452018-10-23 00:02:37/road/sukki/main5.html10
この度は素晴らしいレポートを、最終回までありがとうございました。
 ご指摘のように、北海道の歴史については資料の不十分なものが多数あり、苦労します。

工事用道路の可能性は最初からあり得ないと考えて良かったと思います。資材を運搬するなど、この細道ではどだい無理で、船による海上輸送一択でしょう。
 場所は須築とは違いますが、知り合いで神恵内村出身の古老がいましたが、やはり道路開通までは岩内町からの海路のみだったと言っていました

郵便配達がこの細道を使う理由ですが、目的地が須築だけならば船舶利用可能ですが、途中の番屋など一軒一軒に立ち寄る必要があるので仕方ありません。ただ、往路または復路の何れか片道は船舶を利用した可能性はあります。
また、時化で船が欠航した場合、基本休めない郵便配達は往復とも細道利用でしたでしょう

> 海が荒れた日はこの道もヤバいでしょ…

確かにその通りですが、死人が出た時など、船の出せないような時にどうしても伝達する手段が欲しいですから、やはり。

細道の開設時期が気になりますが、1948年米軍撮影の空中写真には道形が写っているので、少なくとも第二次大戦以前のようです。正確なところは現時点で当方もわかりません。       F生
30,2432018-10-22 16:56:06/road/sukki/main5.html9
藻岩トンネルの上を越えた道の続きは…
え?わからない?引き返す?
ええぇぇェェーーー?
珍しい
それはそうと昭和32年の地形図には描かれていて良さそうに思うが
まさか国土地理院が道と認めずひっかき傷と見做したというわけではなかろうな
江戸時代の浦田兵次が切り開いたという道のコースも引っ掛かる
1000mに届きそうな登山コースなら相当ハードな
30,2422018-10-22 13:53:57/road/sukki/main5.html10
ロープを張ったうえで、蟹歩きで進んでいくような道を、荒廃した後に、徒手で写真を撮りながら歩いていくような人がいたんですけどね。
30,2412018-10-22 13:17:39/road/sukki/main5.html10
作られた時期はさすがにわからずじまいでしたか。現役のときは手入れもされていたわけで、昭和期にコンクリ補強されたりしたのでしょうね。

...ブナオ峠といい利賀村お好きですなあ......あそこは誰だって惚れるよ。
30,2402018-10-22 09:02:20/road/sukki/main5.html10
更なる調査報告を期待します。おねがい。
30,2382018-10-21 23:52:35/road/sukki/main5.html10
終戦までは召集令状によって入営の日時が指定されていたので郵便配達人も危険を顧みずこのような道を通ったのでしょうし 入営に遅れると処罰されるので住民も必死の思いで通ったのではないでしょうか
そういう必要もあって開かれた道だと思います
30,2372018-10-21 22:56:57/road/sukki/main5.html10
あの橋は死亡遊戯再びって感じ。
どうやって作ったんだろう?
30,2362018-10-21 21:13:21/road/sukki/main5.html10
生活道路でしたか。凄い!
そして難所を実踏したのも、回想を見つけだしたのも凄いです!お疲れさまでした。

ひっかき傷のような頼りない道も、海からは距離をとりたいけどあんまり高巻きはしたくない、藻岩岬は急斜面すぎるし長大な隧道も掘れないから岩場に下りざるを得ない…といったように、とても合理的に考えられているようですね。
この道を(たぶん)普請した須築の人たちは、日頃船上から現地を眺めてルート取りを決めたのでしょうか?
シケの時のいわば生命線の道なので、こんなことを言うと不謹慎ですが…ルーティングの仕事すごく楽しそう!(おい)

>30,224さん
もしかすると須築トンネルの工事で、古道が何らかの形で活用されたのかもしれませんよね。
30,2352018-10-21 20:29:36/road/sukki/main5.html10
怖〜〜〜〜〜っ
30,2342018-10-21 18:59:30/road/sukki/main5.html10
この道と非常に似た当時の映像がニコニコ動画の【ニュースで見る鉄道の歴史2】に有ります、ただ
釧路町跡永賀〜十町瀬間ですが...
映像を見る限り昭和三十年代当時の北海道には同様な道が多数存在していた模様です。
30,2332018-10-21 16:56:54/road/sukki/main5.html10
すげえなあ。。昭和30年代の北海道の僻地の交通がこんなんだったとは。。

それにしても
>現在のせたな町と島牧村の海岸線に沿う新道、太田山道と狩場山道だった。長大である。距離にして実に36里余(約144km)もの新道
とか
>安政4(1857)年から、昭和44(1969)年の国道229号が須築へ通じた日まで。この二つの時を隔てる100余年の空白
とか北海道スケール矢鱈でかすぎw
30,2312018-10-21 16:33:16/road/sukki/main5.html10
エスケープルートで無事降りられたから良かったが、奈川渡ダムを思い出してしまった。気をつけてください。ところで須築トンネルの須築側坑口の右上に写っている黒々とした穴はなに?
30,2302018-10-21 15:49:12/road/sukki/main5.html8
紫色の花はカタクリ(片栗)ですね。
雪解け後の初春に開花しますが、ていていは日当たりのよい林床で群生をなします。海岸線に分布するのは珍しいかもしれません。
ちなみに、カタクリはエゾエンゴサクなどとともに、アイヌの伝統的な食用植物でした。
30,2292018-10-21 14:21:06/road/sukki/main5.html10
「昭和33年 あの道、この道」という動画を紹介して下ってありがとうございます!
旧標識が写っていたりと道路趣味者眉唾ものですね。
ナレーションも言いたい放題言ってて傑作ですw
30,2282018-10-21 13:39:32/road/sukki/main5.html10
平沼さま
メール失礼します。
既に他の方からもご指摘があったかようですが、
掲載されているピンクの花はカタクリです。
この辺りの急斜面には広く分布しています。
30,2272018-10-21 10:38:40/road/sukki/main5.html9
ヤギのような急坂に対応した足持っていたら楽に通過できるけど人間様でここを通るのは危険すぎ。当時絶対にシニンやけが人いたはずだ

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