ミニレポ第119回 甲武トンネルの末端廃道 <前編>

所在地 東京都檜原村〜山梨県上野原市 
探索日 2007.5.23
公開日 2007.5.26

トンネル脇に謎の道 発見!



 県道上野原あきる野線は、山梨県上野原市と東京都あきる野市を結ぶ全長29km余りの主要地方道である。
主な経由地としては、上野原側に棡原(ゆずりはら)、あきる野側に東京都唯一の村である西多摩郡檜原村(ひのはらむら)や、秋川渓谷がある。
このうち、棡原と檜原を結ぶ峠が同路線の最高所であり、主に渓谷沿いを走るこの道でただ一カ所の峠越えである。
この峠は、平成2年に初めて車道が通った場所で、甲武トンネルと栗坂トンネルの二本で尾根を貫いている。
言うまでもなくこの「甲武」の名は、甲州(山梨県)と武州(関東地方)をつなぐという意味合いから、地域交流のシンボルとなる期待を込めて名付けられている。



 かつて、棡原と檜原の間の国境には、浅間峠や日原峠といった歩き道があって、行商人や富士詣の旅人が大勢通った。
しかし、海抜900mを越えるそれらの峠は険しく、近年まで車道が開通することはなかった。
そこに、甲武トンネルを含む県道33号が開通したのは平成2年のことで、峠の標高は約600mにまで下げられた。
主トンネルは甲武トンネル(全長954m)であるが、その檜原側坑口に連なってもう一本、この写真の栗坂トンネル(209m)がある。
実質的には、この二本のトンネルで峠を貫いている。

 檜原村上川乗で秋川の清流を離れた県道は、いくつかのヘアピンカーブと急勾配を重ね合わせた、約3kmの上り坂を乗り越え、この栗坂トンネルへと着くのである。
そして、私の興味を引くものは、この坑口脇にあった。



 坑口脇の少し奥まったところに、電源室が見えていた。
ゴミの不法投棄が絶えなかったのであろう。道路から入る部分は厳重に施錠され、高いフェンスが設置されている。
警察署の警告看板も設置されている。

 しかしここは、ただの電源室への脇道なのだろうか。
古い地形図も一通り確認してきた故、この先に旧道があったとは思っていないが、なにか気になる。




 その「なにか」の正体を確かめるため、踏み込んでみる。
そこには、電源室へと微かな轍が残っていたが、平坦な場所は、建物のさらに先へと続いているではないか!

 こっ これは道!

どうやら電源室は、かつてそこにあった道の上に建てられているようなのである。
そして、その先には、草むらとなった平坦部がまだ、続いているのである。



 電源室前から坑口を振り返って撮影。

坑口が邪魔をするように出っ張っており、本来の道幅を大きく制限している。

果たして、これは坑口が作られる以前の道なのだろうか?



 深くなった藪に手足を濡らしながら(朝露である)進むと、やっぱり、ここが道路であったという確信を得た。

法面には頑丈なコンクリートの吹きつけがなされ、路肩も固められている。
ガードレールこそ無いが、ここは紛れもなく、車道。しかも2車線を想定できる車道である。

では、これは何なのか?
旧道があったという話は聞かないし、あまりにも規格が良い。
コンクリートの吹きつけなど、そう古い物ではないはずだ。



 不思議に思いながらも、私の心の中では、既に二つの想定が出来上がっていた。
一つは、とてもワクワクする、面白い想定。
もう一つは、ちょっとがっかりな想定だ。

そして、この謎の道の終わりは、意外にあっけなく、そして唐突な形で訪れた。

坑口前からは、100mばかり進んだところだった。



 このような形で道は終わりを迎えていた。

法面と路肩と、両方がコンクリートでしっかり固められた道がもう10mほどは続いていたようだが、末端部から崩壊してしまい、こんな形になっているようだ。



 興味本位から、こんな恐いところまで来てしまった。
崩壊せずにギリギリ残っているコンクリートの路肩工の末端である。
先端部には、崩壊したような形跡はなく、元々ここまでしか施工されていなかった可能性が高い。
谷底にも残骸らしきものは見あたらない。
自然に道路を形作っていた土砂が、流れ出してしまったのだろう。
このような不安定な形で、あとどれくらい残れるのかは不明である。



 飛び抜けて出っ張っている場所だけあって、ここからの眺めは最高であった。
秋川渓谷を俯瞰し、その向かいには、浅間(せんげん)尾根と呼ばれる古道の伝わる稜線が一望された。
秩父方面の山々まで、肉眼では確認された。


 さて。
先ほど、二つの想定があると言った。
この道の正体についての、二つの想定があると。

一つは、
トンネルが現在の位置に建設される以前、一度は別の計画の元で、ここまで道が作られていたのではないか。
というもの。(ワクワクする)

もう一つは、
トンネルのズリ(残土)捨て場として作られた作業道路の名残ではないか。
というもの。(ガッカリだ)



 さて、どちらだろう。


 かなり難しい問題だ。
もっとも、しっかりとした机上調査を行えば、正解は出てきそうではある。
だが、とりあえずはこの状況証拠だけで、推測してみたい。


 私は、(楽しい)前者の可能性が、多分にあると思っている。
○理由 その1
ズリ捨てを現地山林内で行う工事は、近年減っていると思われる(無論、行われている場所はある)
○理由 その2
法面と路肩の施工が、妙にちぐはぐである。

 私は、どうもこのちぐはぐさが気になるのである。
特に、路肩は丸石練り積み(2枚上の写真の通り)なのに、法面は全てコンクリートの近代施工となっている。
この不釣り合いの状況は、短い廃道部分ではあるが、その全体に及んでいる。

私の目にはどうも、平成になる以前からここまで1車線程度の山道が存在していたものを、新道工事として(山側に)拡幅したように思えるのである。
或いはそうでないとしても、トンネル工事における作業スペースの確保として、元々あった山道を拡幅した可能性もあるだろう。
どちらにしても、現在のトンネルより少し先であるこの地点までの道が、かなり前から、存在していたのではないかと、私は思っている。
(事実、昭和後期には途中のヘアピンカーブ辺りまで車道が造られていたことが、歴代の地形図からも知れる)



 後編では、山梨県側にも同様の遺構が無いかを、点検する。
もし反対側にも、こちらと対応するような“ヒゲ”があれば、さらに夢のある想定も出来よう。

またオマケとして、この路線の別の場所にある未成放置橋梁を紹介しよう。










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