ミニレポ第153回 国道148号旧道 山之坊橋 

所在地 新潟県糸魚川市山之坊
探索日 2010.5.18
公開日 2010.7.29

誰か教えて! この構造の意味を。



申し訳ないが、今回の物件についてはお手上げだ。

これからご覧頂く橋。
一見ただの旧橋なんだが、どうにも理解できない部分がある。
とりあえず手元の資料にあたっても、謎は全く解けていない。
本当なら、自分なりに答えを見つけてから発表したかったが、ちょっと無理っぽい。

皆様のご高察を賜りたい。

助けてくれ。




で、問題の橋はここにある(→)。

姫川沿いを通る国道148号の旧道。
対岸は長野県小谷村だが、ここは新潟県糸魚川市である。
そして、橋の名前は「山之坊橋」という。

この探索は行きずりで、北から南へと進められた。




2010/5/18 11:05

現道と旧道の分岐地点。
背景の大きな山は、海抜1518mの一難場山か。
左には姫川の広い谷が口を空けている。
姫川温泉で知られる平岩の集落も遠くに見えてきた。




簡単なバリケードで塞がれている旧道に入る。
私にとっては呼吸するに等しい行動だが、そうでなくてもサイクリストは例外なくこの旧道を選ぶのではないか。
入口から終わりが見通せることもあり、極めてハードルの低い「廃道」である。

路面は舗装されており、両側から緑の侵入は進んでいるが、まだ1車線分以上の幅がある。
中央にはセンターラインの赤いペイントがかすかに残っていた。





入口からまっすぐ100mほどで、「山之坊橋」が現れた。

既に橋の先には、白いガードレールでバリケードされた現道との合流点が見える。
この一連の旧道は完全な直線なのである。

ということは、並行する現道のほうが微妙にカーブしているのだろう。
線形的には申し分のないはずの旧道が廃止された理由は、この橋にあるのだろうか。
ちょっとそれ以外は考えにくい。




ツタに絡まれた親柱には、衝突防止のための蛍光テープが貼られていた。
確かに橋は前後の道よりも微妙に10cmほど狭まっているが、かといって大型車の離合困難で廃止に至ったと断言できるほど狭いわけでもない。

銘板曰く、昭和38年3月の竣工。
建造から47年経過は決して新しいとは言えないが、全国の“元”二級国道で現役活躍する橋のボリュームゾーンでもある。やや早期退職であったかもしれない。




大町側の親柱も健在であった。

二級国道 大町糸魚川線」の表示が目を惹く。
国道が一級二級に分けられていたのは昭和27年から40年の期間だけで、これはそういう過去の道路制度の証人だ。

なお驚いたことに、並行する現道は橋でなく巨大な築堤と暗渠のコンボで、この山之坊川を越えていた。
単純にその方がローコストだったのだろうか。




橋を渡り終えると、旧道は現道の脇腹に飲み込まれて終わる。
入口から出口まで、一直線に僅か200m。
この上なくシンプルな旧道だった。


ここで終わって次へ進んでも良かったが、何となく新旧道の位置関係に腑に落ちないモノを感じた。
旧道が廃止された理由が、今ひとつはっきり見えないのだ。

山之坊橋には、何かしらの秘密があるのだろうか。





山之坊橋を別アングル(側面)から観察するうってつけの場が、隣を走る現道だった。


そしてそこで私は予想外の光景を目撃した。



次の写真を見て欲しい。








誰か教えてくださいッ!

真ん中の橋脚は(→)
何のためにあるの?


この橋脚、間違いなく山之坊橋を支えてはいない。

この橋脚が支えている“鉄骨”も一見して橋桁に見えるが、この上に路盤を乗せうる隙間はない。
通行人は間違いなく山之坊橋に頭が支えてしまうはず。
とりあえずこれを、“謎の橋桁”と呼ぼう。



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“謎の橋桁”は中央で一本の橋脚に支えられているほか、左右両側とも山之坊橋のコンクリート製橋台に剛結合(固定)されていた。
あくまで上下の橋桁同士は全く繋がっていない。

橋としては構造的にそれぞれ完結している。

理解に苦しむ。


この状況を模式的に示したのが次の図だ。




謎の橋脚と謎の橋桁は、山之坊橋の両橋台の間隔を一定に保つ目的で建造された、補強のための構造物なのだろうか?
それとも、山之坊橋に対するメンテナンス用の足場…?
どちらにしても、いささか大袈裟すぎる気がするのだが。

より単純なモデルとして、同じ場所に架けられていた旧橋の残骸と考えることも試みたが、どう見ても“謎の橋脚”は橋台より新しい(その割に謎の橋桁は新しくも見えないのだが)し、橋台もかさ上げをしたような痕跡が全く見られなかったので、それは否定せざるを得ない。




山之坊橋の橋桁の側部には、定型的な製造名板が取り付けられていた。
「1963年3月新潟県建造」という内容に不審な点はない。(1963年=昭和38年であり、親柱の銘板と一致)

この山之坊川は砂防ダムが連続している急流河川であり、河中に橋脚を設けるべきではないという判断で、当初から1径間の長いガーダー桁が架設されたようである。

なお本筋と関係ないと思われるが、昭和38年以前の橋は、少しだけ上流に架かっていたらしい事が当時の地形図から確かめられている。
現在そこには砂防ダムがあって橋は現存していないようであるがが、探索当時は失念しており十分に確認はしていないのが心残りである。




さらにもう一度旧道に戻って、謎の橋桁を間近に観察しようと試みた。
とはいえ地形的に下に潜り込むことは難しく、橋の上から撮ったこれらの写真で今回は勘弁して。

軸方向に眺めて始めて分かったのだが、謎の橋桁は左右に歪んでいる

河床からは10mも離れているから、この場所に架かっていて流木などに打撃されたとは考えにくいのだが、土砂災害の多い地域ゆえ土石流があればその限りではないかも知れない。
…とはいえ、やはりこの桁が別の場所で廃棄されたものを移設転用した証拠と考える方が自然だろうとは思う。




線形的には申し分のない旧道廃止の理由が、山之坊橋にあることは間違いないと思われる。
山之坊橋の末期には、私の知らない何らかの補強を施さねばならない状況となっていたのだろうか。
そしてその残骸が、私の見た“謎の橋脚”であり“謎の橋桁”であったのだろうか。

探索当時は辺りに人影もなく、これ以上の調査をすることが出来なかった。
糸魚川市史にも関係する記述はないようである。

こんな気持ちの悪い幕引きでたいへん申し訳ないが、この不思議な“二重桁”とでもいうべき状況に至った経緯をご存じ/ご推測出来る方がおられれば、ぜひご連絡いただきたい。




早速にして有力なご意見が寄せられました。

耐震補強として突っ張り棒のような役目のため設置をしていたのではないかと私は考えます。

橋台自体の根入れ深さが足りない、または橋台付近の地滑りの可能性などの理由で地震時に橋台が橋内側へ転倒または移動するのを防止するために設置したものの、まさに実際に橋台が内側に動いたため圧縮がかかりあの「謎の橋桁」がゆがんでいる現象が起きたのではないでしょうか?

また隣の新道が橋ではなく巨大な築堤と暗渠のコンボにした理由もそのへんにあるのではないでしょうか。

ちなみに一昨年の岩手内陸地震で落橋した「まつるべ大橋」は地震時に片方の橋台部周辺の地盤が橋内側にずれ動き、橋台が橋桁を圧縮しながら破壊して落橋したようです。


現場監督の中村氏(「そのみちの先」管理人)のご意見(2010/7/28追記)



前回のレポで僕に「ミニレポ君」って素敵な名前をくれた人、ありがとうございます。


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