ミニレポ第158回 大館市長坂の長坂橋

所在地 秋田県大館市長坂
探索日 2010.10.31
公開日 2010.11. 8

東北最大規模の“三弦トラス橋”が現存



秋田県の北部に位置する大館市の一角に、東北第5位の大河である米代川を渡る、一本の橋が存在する。

橋の名は長坂橋といい、市内の大字長坂と同 外川原とを結んでいる。
そして市道として、現役の橋である。

右の通り地図上にもその姿は描かれているが、微妙に前後の道とズレというか…。
長い割に、とても細く描かれているのが特徴的である。


果たしてこの橋はどんな橋なのか、行ってみた。






国道からわきに入る砂利道を通り、普通車がギリギリ通れる踏切を渡って、
さらにあぜ道のような農道を川に向かって進んでいくと、

出て来た。

近くを走る国道7号からもこの橋の姿はチラッとだけ見ることが出来るが、
両者の間にはそれなりに広い水田とそこを横切る奥羽本線があるので、
近付いてみるまで全体像は分からなかった。

想像以上に巨大。

そして

特異な姿。



橋の袂に着いた。

一見したところ水路橋のようで、渡れるにしても本来は立入禁止かと思いきや、実際には誰でも自由に通行できる…「公道」だった。

支柱から外れて落ちている「河川占用許可標示板」には、平成30年3月31日という実在しない日付までの許可年限で、この河川敷が「町道橋(長坂橋)」の使用敷であることが書かれていた。
これを見て、町道であると確信した。

実はここに来るのは数年ぶりで二度目なのだが、前に来たときは確かに一人の老婆が、自転車で通行する姿を目撃している。
前後は階段になっており、自転車だと押す必要があるが、かなり慣れている様子だった。




ともかく今回は無人。

そして、2度目。

前回よりも、濃厚な接触が出来るような気がしている。

もちろん、濃厚といっても相手は橋。
やることはひとつ。 渡るだけなんだが。


この橋の造りは、これまた水路橋に見えたのも道理という感じで、逆三弦トラスという。
普通のトラス橋の断面は四角形だが、三弦トラスは三角形なのである。
そして頂点が上を向いているものを「正」と考えて、これは下向きだから「逆」。
三弦トラスが川を渡るような水路橋でよく使われているのは、トラスの内側に水管を設置しやすいし、そういう用途に使うならば内空はあまりいらないので、三角形で用が足りるということになる。
しかしこの橋は水路橋ではなく、歩道橋。
高い欄干を持つ道路部分がトラスの上に乗っかっているので、上路逆三弦トラス橋ということになる。

ちなみに橋脚は全部で4本あるが、トラスは一連のものである。
正確な長さは分からないものの、目測&地図読みで300mある。
大河である米代川を河川敷ごと一跨ぎにしている。




それでは渡ってみよう。

ミリンダ細田さんと一緒に。




うん。

2度目とはいえ、これはやはり壮観な眺め。

キモチガイイ。




歩道の幅は約70cmで、手摺りの高さは60cmくらい。
よほど横風が強くなければ墜落する危険はないと思うが、塗装なんかはかなり禿げていて、老朽化(橋自体というより管理の)を感じる。
ちなみに今日も結構風が強く、耳鳴りがするほどだ。
橋の上で話をするなら、大声で叫ぶ感じになるだろう。


長さ300m。

ただひたすら、真っ直ぐに続く。

床面は金網張りなので嫌でも下が透けて見えるのは、高いところが苦手の人には苦しいかも。
そもそもこの金網張りというのが一般の道路橋らしくない。まるで水路橋の管理通路みたいだ。

等間隔に並ぶ橋脚の2本目を過ぎたあたりから下は川面となり、ほぼ最後まで川の上を歩く。

対岸にも広い田んぼがあり、少し離れたところには北秋田市(旧鷹巣町)に概ね属する向黒沢という集落があるのだが、これらと無関係な部外者である我々は行っても結局戻ってこなければならない。
自転車だと爽快でも、歩きは少々ダレる。
…2度目だしね。

今回は途中までで引き返そうと思いつつも歩いていくと、いつまで経っても後続しているはずの細田さんが橋の上に現れないのに気付く。
車に何か忘れ物でもしたのか?




な!
何をしている!

あり得ん呆けだ。
彼は渡る場所を間違っている!
教えてあげなければ。




ちょ! 細田さん!

私が大急ぎ袂に戻ってみると、彼はもうあんなところまで行ってしまっていた。

1本目の橋脚がもう間近。
すなわち、橋脚間の距離が60mとすれば、かれはもう40〜50mも“沖”に出てしまっている。

これはもう、空の彼方といっていい距離だ(流石に大袈裟)。

こうなってはもう、後を追うより他はない。




どこをどう勘違いすれば、細田さんのルートになるんだろう…。

下は丸いパイプの一本橋じゃないか。

手摺りなんてものは当然ないし。

やつめ、どこでこんな渡橋術を身に付けたんだ。


 …よっこいせ。







う、お。

赤い通路。

…どっかの“稲荷神社”みたいだ…。


細田さん、楽しそうだし。





…これは意外に、渡れるかも…。


丸い鉄パイプの上を渡るのは一見恐ろしそうだが、今は乾いているし、何よりも幅が結構大きい。
そりゃそうだ。
こんな300mもある橋の主構なのだからな。
そしてこれが最も重要なことだが、手摺りはないと思っていたが実はある。
手摺りではないのだが、手摺りのように常に手を付けておける場所。
全く規則正しく配置された斜材が、具合のいいことにいつも手の届く場所にあるのだった。

あとは踏み出す一瞬、手を付ける斜材を変更する一瞬だけ、横風に吹き飛ばされないように気をつけていれば、意外に安定して渡ることが出来そうだった。
なおその気になれば、足を全く使わず雲梯のように踏板の裏側を掴んでぶら下がりながら進むことも可能だろうが、握力的に数メートルもつまい。





【渡橋動画】
※動画はカメラを手で固定せず、首からぶら下げた状態で撮影しているので、凄く揺れます。ご注意下さい。



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数分程度で我々は最初の橋脚の上に辿り着いた。

トラスの内側から橋脚の上に降りることが出来、一畳ほどの広さがあるここは、緊張をほぐす良い休み場となった。

なお、橋脚とトラスの接続は密閉式のヒンジによってなされているようだった。
地震動や温度による鋼材の伸張を考えれば、必要な構造と思われる。




こんなアホな渡橋をしたことによる意味ある収穫は、橋脚の支承を間近に見ることが出来たことくらいだ。
さっきから細田と俺はニヤニヤしっぱなしだが。

とはいえ、まだ残りはこんなにある。
全体の5分の1を歩いたに過ぎない。
これはちょっと長すぎる。

それに、今でも相当横風が強くて突風に警戒しているのに、この先川面の上になったらどうなることか、読めない。
この“同じ動作”にうんざりしていたこともあり、ここで矛を収めることにした。
そもそも全く必然性のない行為だったのだから、特に敗北感はない(笑)。






引き返し際に、誰もいない(そしておそらく誰一人渡ったことのない)“その先のトラス”を、

ギュッと圧縮して(=望遠で)撮影してみた。

面白い絵が撮れた。


これを試しにひっくり返してみると…?

↓↓↓



OH! 三弦橋!




田に聳える場違いな三弦橋。

いったいこれは、どんな経緯で架設されたのだろうか。

その答えは、昭和40年代の大館地域にあった。

とは言っても、県外の人には思いつかないと思う。


ヒント…、 黒砂糖…。







松峰鉱山。『鉱山と鉱山集落』より転載

秋田県の北鹿地域(主に大館市・北秋田市・北秋田郡・鹿角市・鹿角郡)は昔から鉱山の多いところで、戦後しばらく場所によっては平成に入る頃まで、鉱山業が地域の基幹産業であった。
小坂、尾去沢、花岡、阿仁などの“ヤマ”の名前を学校の授業でも習ったのではないかと思う。

そのことがなぜ「長坂橋」に関係しているのか、もう少し話を聞いて貰いたい。

日本の歴史上で最後となった大規模な鉱業ブーム(ゴールドラッシュ)は、昭和37年頃から始まり昭和60年頃まで続いた、この北鹿地域での黒鉱ブームであった。
(黒鉱(くろこう)は文字通り黒色の鉱石で、銅、鉛、亜鉛に加え金銀などを多量に含む。従来は精練が難しくあまり利用されていなかったが、技術の進歩で見直されるようになった)
黒鉱ブームの中心となった鉱山が、いずれも大館盆地内とその近隣にある釈迦内、松峰、餌釣、深沢などの緒鉱山であり、特に松峰鉱床は昭和40年代の調査で黒鉱可採埋蔵量3000万tと、日本最大の黒鉱鉱床としてもてはやされた(上写真)。

日本の多くの鉱山が山の中にあるのに対し、松峰や釈迦内などの鉱山は、盆地内の従来水田や集落などとして利用されていた土地の地下に存在し、そこに広大な坑道網が張り巡らされたために、地下水位の低下や地盤沈下などの鉱害問題を惹起したのであるが、なかでも頭を悩ませたのが鉱滓(さい)処理の問題であった。
(鉱滓(鉱津)とは鉱業に伴って発生する様々な残土で鉱毒を含むものもある。かなくそ。スラグ。)
すでに周辺では花岡など多数の鉱山が長い間稼働してきており、鉱滓を溜め込むためのダム(堆積場)の容量は限界に達していたのである。

そこで鉱業立県を目指す秋田県が威信をかけて進めたのが、「鉱滓流送パイプライン」の計画だった。


パイプラインは主要な黒鉱鉱山に隣接する大館市花岡町の第二滝ノ沢沈殿地(ダム)を起点とし、そこから米代川沿いにはるばる68km下って能代市浅内の能代海岸鉱滓堆積場を終点とするもので、太さ40cm程度の鉱滓流送パイプがこの間に敷設された。
財団法人秋田県パイプ流送鉱業公社による本格的な稼働が開始されたのは昭和44年1月で、ブームの全盛期である昭和51年度は40万tの泥をポンプで輸送したという。

まさに黒鉱ブームと人々の暮らしを影で支えていたわけだが、北鹿に黒鉱の名の付かないものはないといわれたほどの盛況ぶり(こちらのサイトが面白いです)も昭和60年代には下火となり、平成6年の松峰・深沢両鉱山の閉山によって東北の金属鉱山は全滅した。(平成8年に流送公社も廃止)

この鉱滓流送パイプラインが一度だけ米代川を渡るのが、大館市(旧田代町)長坂と外川原の間の地点(長坂橋)であった。
当初はあくまでも鉱滓専用の橋を予定していたのだが、周辺住民の強い希望によって、人も渡る事が出来る、珍しい“鉱滓歩道併用橋”として供用されることになったのだという(魁新報社『秋田橋物語』より)。
確かにこの橋が架設された昭和40年代の地形図を見ると、この橋の周囲は前後5km以上も橋が無く、南岸の住民や南岸に農地を持つ住民にとっては願ってもない“架橋”だったことが伺える。

前述したとおり、すでに鉱滓流送は終了し、パイプラインも撤去されている。
しかし橋はパイプを撤去しただけで、そのままに残された。

秋田のモテ期を影で支えた、細くとも大きな橋。
今のところ付近に新たな架橋計画もないようで、人と田畑がそこにある限り、もうしばらくは健在だろうと思う。




このレポートについて、山行がきっての秀才であるHAMAMI氏より誤りとの指摘があった。
私はてっきり鉱滓流送パイプラインが米代川を渡るのは長坂橋一箇所だけだと思っていたが、それは大きな誤りだというのだ。
氏の調べによると…(以下、氏のメールを転載)


ミニレポ第158回「大館市長坂の長坂橋」を拝見して、鉱滓流送パイプラインが米代川を渡るのは一度だけではなく、記憶ではもっとあったはずということでネットで調べてみました。詳しい内容のものは出てきませんでしたが、一部わかるもとのとして
http://sanyushigen.com/profile.html
・・・大館〜能代・・・。・・・選鉱廃滓68.1kmスラリー輸送(350t/時)の設計仕様は・・・。管路は、全溶接、96%地下に埋設、水管橋12ヵ所が露出・・・
とあり、水管橋が12ヵ所あったことがわかりました。

自分の記憶と空中写真HPを調べ、判明した水管橋が11ヵ所ありました。

1 横岩集落東側の山田川を渡る(北西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c6b/cto-75-22_c6b_21.jpg

2 横岩集落西側の岩瀬川と米代川合流地点の手前から米代川を渡る(南南西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c6b/cto-75-22_c6b_21.jpg

3 外川原集落西側から大巻集落東側へ米代川を渡る(西方向へ)
 http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c7b/cto-75-22_c7b_20.jpg

4 ミニレポ第158回の長坂橋、長坂集落南側から米代川を渡る(南南西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c7b/cto-75-22_c7b_20.jpg

5 向黒沢集落南西側から下糠沢集落南側へ米代川を渡る(西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c8b/cto-75-22_c8b_16.jpg

6 鷹巣地区西側から前山集落方面へ綴子川を渡る(西北西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c11b/cto-75-22_c11b_9.jpg

7 6を渡ったあと前山駅東側で前山川を渡る(奥羽本線のすぐ南側を南西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c12b/cto-75-22_c12b_6.jpg

8 前山駅西側から蟹沢集落へ米代川を渡る(南南東方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c12b/cto-75-22_c12b_6.jpg

9 下田平集落から麻生集落へ阿仁川を渡る(西方向へ)
※阿仁川の中州部分にパイプラインがあり影が写っています。その中州の両側については道路の橋を利用しているものと思われます
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c12a/cto-75-22_c12a_31.jpg

10 仁鮒集落西側で内川を渡る?ただし、もしかしたらパイプラインでは無いかも(西南西方向へ)
 http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c13a/cto-75-22_c13a_25.jpg

11 扇田集落南側で檜山川を渡る(西南西方向へ)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c14a/cto-75-22_c14a_12.jpg


この中で5番と8番は、4番の長坂橋と同じように人が渡れるようになっており、現役当時にこの二つの橋を実際に渡りました。ちなみに、4番は今から5年前に自転車で渡りました。
1番と7番は奥羽線を走る列車内から見ていたように思えます。
6番については水管が┌──┐のような形の両側垂直部分と真ん中水平部分からなっており、その垂直部分の途中まで上ることができるようになっており、実際に上りました。(空中写真から、1、7、9、11番も同じように水管が┌──┐の形になっているようです。)
あと、水管橋には名称やその概要が大きく表記されているものがあったと記憶しています。(表記内容については「鉱滓流送パイプライン ○○〜○○ ○○Km」というような雰囲気だったと思いますが、本当に表記されていた内容は忘れてしまい思い出せません。)

by HAMAMI




後日HAMAMIさんにお伺いしたところ、いくつかの橋は確実に撤去されているが、「長坂橋」以外にも残っているものがある可能性は高いとのこと。
詳細な調査をしていただき、ありがとうございました!!



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