ミニレポ第159回 国道252号旧道 持寄地区

所在地 福島県河沼郡柳津町持寄
探索日 2009. 6.28
公開日 2010.11.19

深緑の只見川に臨む旧国道の跡



【周辺地図(マピオン)】

今回行ってみたのは、福島県の会津地方の中西部に位置する柳津(やないづ)町にある短い廃道。
新潟県柏崎市と福島県会津若松市を結ぶ国道252号の旧道であり、昭和52年までは使われていたようだ。

右の地図を見て欲しい。
中央の川べりに描かれている一本のトンネルが、昭和52年に竣功した持寄(もちより)トンネルである。

地図にカーソルを合わせると昭和33年頃の地形図に切り替わるが、当時はトンネルの無いルートだったことが分かるだろう。
また現在はトンネルの前後に、かなり長いスノーシェッドないし洞門も描かれているが、これも当時は存在しなかったようだ。

ということで、只見川の川べりにあるこの数百メートルの旧道を紹介しよう。

まずは、東側から。





2009/6/28 9:17 

地形図で“屋根付き”で描かれていた部分には、雪国特有の道路構造物「スノーシェルター」があった。
スノーシェルターでは扁額を持たないものも多いが、ここにはそれがある。(アーチに沿って湾曲している銘板は珍しい気がする)
工事銘板もあり、それによると1991年(平成3年)1月竣功で全長は165mと5cmであるらしい。

ところで、坑口前には特に分岐らしいものは見あたらないのだが、実はここが新旧道の分岐地点である。

対向車線へ行って路外を覗いてみると…。





初っ端からきつい藪!

グリーンヘル…。


すでに持寄トンネルの坑門が165m5cm先に見えているが、こちら側からあそこまで辿り着くのは相当に大変そうだ。
藪で窒息しそう。
だが、一応抜け道がある可能性がある。
スノーシェルターの途中に一箇所、でっぱりの様な場所があるが、あそこから外に出られそうな気がする。




スノーシェルターを100m弱進んだところで、期待した通り、シェルターの右に出る分岐があった。

車が来ていないタイミングを見計らって、この出口に近付く。




も、
これは開かずの扉だった。

一人では押し開けられ無さそうな重い鉄扉には、人が屈んで通れるだけの小さな通用口が存在した。
しかし何とも丁寧なことで、二つの扉はともに南京錠で閉じられていたのである。
これでは、この場所から外に出ることは不可能だ。

…思っていたよりも、この探索は手こずるかも知れない。
少なくともこれで、通り抜けを達成しようとしたら、先ほどの“グリーンヘル”を通過する必要が出た。




全長252.55mの持寄トンネルを通過。
昭和52年12月完成ということで、私と同い年である。
まあ、外見的には平凡な現代風のトンネルである。

このトンネルの東側はスノーシェルター、西側はスノーシェッドに接続されているため、おそらくあるだろう坑門付属の扁額を見ることは出来ない。
だが西側のみ、工事銘板を確認することが出来た。
そして上記の全長や竣功年を得た。

とはいえ、あくまでもこのトンネルは前座。
結局東側からはアプローチ出来なかった旧道への接近を、この西側坑口から試みる。
幸い、スノーシェルターと違ってスノーシェッドなら外へ出るのは簡単そう。




9:24 《現在地》

柵を乗り越えれば、隙間から外に出られる。

そこには、旧道らしき平場がちょうど現道から離れていく姿が見えた。


Let's OB-ROADING!

ちなみに今回は徒歩です。




外へ出て、平場らしきスペースを東に向かって歩き始めると、まもなくご覧のような藪に行く手を阻まれた。

すでに持寄トンネルの坑門よりは東に進んでおり、ここに旧道があったことはほぼ間違いないと思うが、予想以上に緑が濃くなっていた。
路面らしいものは見えないし…。
時期的に考えれば、故意の廃道化工事が施された可能性は低いと思うが、どうなんだろう。

なお、旧道に沿って電線が通されていたらしく、落下したそれは、“雑草海”を泳ぐ指針となった。




少し進むと前方が明るくなり、近付くにつれて藪はさらに深くなった。
出来れば回避したかったが、川と山に挟まれた狭い平場であり、それは不可能。

明るい場所の正体は、木の生えていないススキの原野で、なぜこのような場所があるのか分からなかったが、ともかくこれを突破しないと先へ進めない。
また実はここは平坦ではなく、足元にあった平場もこの原野に入ると、右高左低の緩やかな斜面に呑み込まれて消えてしまった。

路盤の完全消滅。

いきなり不安になる。




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頭の上にハテナマークが幾つも点灯する。

何だかよく分からない位置に、もの凄く高いコンクリート吹き付けの法面があった。

写真だけを見れば、この法面の下の平らなススキの藪が路面だったように見えるだろうが、どう考えても高さが合わない。
最初に歩き始めた平場からは、10m近くも高い位置なのだ。
この間、緩やかに登ってくるようなラインは存在しない。
私は単に藪が少しでも浅いエスケープラインを探して登ってきた結果、ここに行き着いただけである。

地図で表現すると、【こんな感じ】




「ここが道とは思えないけど、でもここを歩くより無いし」と思いながら、法面伝いに歩くことおおよそ50m。
法面が終わると案の定というべきか、路盤が消失。
半ば埋没した「雪崩避け擁壁」によって、進路が閉ざされてしまった。

今から考えると、直前のススキの原野は、人工的に盛り土されたものだと思う。
その目的は、現道の持寄トンネル西口付近の土被りを増やし、斜面の崩落に備える目的(併せて斜面をコンクリートで保護)ではなかったろうか。
トンネル保護の目的で地上を改修するケースは各地に見られるので、ここもおそらくその類と思う。
旧道が斜面に呑み込まれて消えているのも、それならば納得がいくし。




夏草と地形改変という“W(ダブル)幻惑の罠”を克服した私は、次なるステージへ進むことにする。

そのためには、本来の路盤へ戻らねばならないが、それは10mほど下方である。
矢印の位置に道が通っているようだが、見た目ではほとんど判然としない。

只見川の水面は、覆い被さるような両岸の緑を映していた。
流れが見えないが、この下流数キロに柳津ダム(昭和28年完成)があるせいだ。
(なお、このダムの完成前後で国道のルートは変更されなかったらしい。)

それはそうと、進行方向の少し先には、水面に突出したような岩盤が見える気がする。(四角い範囲、次の写真で拡大)
旧道はあそこをどのように通過していたのか気になる。




ん?

あれえ?


よ〜く見ると…、

あの岩盤のように見えていたものって…。

もしかしたら、

コンクリートの塊じゃね?


コンクリートの塊っつうと…

な ん だ?

何か急にドキドキしてきた…!





いててて…
うまままっま!

この斜面の痛いこと美味いこと、たまらん!

斜面は背丈よりも深い木イチゴのジャングルで、しかも今がちょうどメシウマ食べ頃の鈴なり状態に実っていたもんで、アムアムアムアムアムアムアムアムいててててて、いたいたい。痛いって。トゲ刺さった〜!

何だか訳の分からない状態になった。




最後は2mくらいの高さのコンクリート擁壁が待ち受けていて障害になったが、豊富にあるツタや枝を頼りに下る。
擁壁の存在自体、この下が道であることの根拠と思われ、励みになった。
また藪が深過ぎて、斜面をくだりはじめた段階では全く存在に気付かなかった擁壁だ。

9:32 《現在地》

どうにか路盤に復帰したらしい。
相変わらず周囲はジャングル一色だが、擁壁伝いにここを這い出せば先ほど見た“コンクリートの高い塊”の正体が分かるはず。






もしかしてこれは……。




予想外来た!




つづく




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