2013/5/27 12:45 《現在地》
あれが橋掛岩か!!
…と言うような驚きは、残念ながら無かった。
それも無理のないことで、探索中はこの地名の由来を全く勘違いしていたのだ。
かつて丸太橋でを波間を越えたという、あの黒姫大橋の御株を奪うようなガチガチの難所とは露も思わず…
「ああ、橋掛岩ね。 よくあるやつだ。 あれだよ。 岩場の上によく注連縄とかが掛かっている。 伝説ではそこからどこか遠くまで橋が架かっていたというような話がある。 あるいは海蝕洞で、見た目が橋みたいになっている。」
…ごめんなさい。
しかし事実として、目で見て分かる難所の名残は既に失せ、どこにでもありそうな「橋掛岩」にしか見えなかったのも事実である。
強いて言えば、テトラポットがいやに目立つなーと。
(旧道化から)たった5年で、この有り様だよ !!
これを見れば、似たような環境でここより20年長く放置されていた大山隧道群の現状も、納得出来る気がした。
しかしこれはよく思うことだが、海と廃道は憎いほどお似合いだ。
めちゃくちゃに錯雑した陸の風景と、ただ一枚の平面に極限される海の風景の対比がいい。
海を背景にした廃道は、風景としても情景としても、際立ってよく見えるのだ。
その路肩には、難所を感じさせるものがあった。
こんな頑丈そうなものは珍しい、コンクリートのぶ厚い転落防止擁壁が、100m以上ずっと続いていた。
ガードレールが実用化される前のものかも知れないが、鉄は潮水で腐食することから敢えてコンクリートで防護壁を作ったような気もする。
万が一衝突したら、ガードレールと違って簡単にはひしゃげないから、車両へのダメージは大きい。
だが、そのリスクを背負ってでも、車を海に落としてはいけないという意志を感じた。
12:47 《現在地》
そしてこれが、橋掛岩だ。
残念ながら難所跡と知らなかった私は、近景としてこの写真しか撮っていない。ポツンと一つだけ乗っかっているテトラが気になっていたらしい。
だが、いま写真を見直してみると、テトラポッドの手前に現在の道路とは関係の無さそうな“孔”が写っているのに気付く。
これは丸太の橋が架かっていた時代の遺構なのか、全く関係が無いのか…。カーブミラーの跡かもナ…
でもこれが橋脚の跡なら、今は旧道の路肩擁壁になっている位置に、小さな入江を跨ぐ橋があったと想像出来る。
先ほどの遠景(望遠)も見直してみた。
橋脚跡を思わせる“孔”の周辺の岩の表面に、コンクリートの破片が無数にこびり付いているのが分かる。
やはり何か今の道(というか旧道だが)とは違う存在が、ここにあったことだけは間違いない。
それが、今の海の穏やかさからは想像も付かない激浪によって、小さな孔とこびりつきだけを残して消滅したのが、現状のあまり面白みのない橋掛岩の風景なのだろう。
ここもまた、知った上でもう一度じっくり見て回りたい場所である。
前回紹介した旧旧道との位置関係は、この通りだ。
橋掛岩の丸太橋は、あの旧旧道の続きであったと見て間違い無いだろう。
岩場を荒々しく削り取り、凹んだ所は土や築堤で埋め戻し、幅一間くらいの海岸道路があったものと思う。
橋掛岩は、その中の難所であった。
なお、私が現地で橋掛岩の写真をほとんど撮っていなかった理由は、そこを難所だと知らなかった以外にもある。
それは、こんな理由だった。 ↓↓↓
難所は昔話じゃない!!
Dangerous path is not the past.
旧道もまた、この地に封じらたはずの難所の“毒”に、呑み込まれつつあるのだった。
これは怖い!
この道路が封鎖された理由が(たぶん)分かった。
頑丈に見える護岸擁壁の下をすり抜けて、海が道路を壊し始めていた。
抑えつけられていた海の反撃が、始まっていた。
この地はもう一度、“橋掛の難場”を作ろうとしている!!
無傷のカーブミラーと、ひどく陥没した道路の対比が気持ち悪い。
それも一箇所だけじゃない。
続けざまに二箇所だ。
次は道路が完全に逝っちまってる…。2車線全部だ…。
これはひどい。
海のやつ、ここまでしなくても良いじゃないか?
廃止になるなり、すぐさまここまで手酷い逆襲を受けるとは、
数十年海と寄り添ってきた旧道も思わなかったのではないか。
辺りにはぺんぺん草一本生えていないから、この崩壊が起きたのはごく最近と思われるが、
今日の海は全くの素知らぬ顔だ。それがまた、たちの悪さを感じさせたのである。
しかし、たぶんだが、ここさえ越えれば、この旧道に難所はないだろう。
奥の方には廃屋には見えない一軒家があるし、現役さながらの青看さえ見えた。
こ こ か …。
← 行った〜!!
私の自転車が、率先して巨大陥没にその身を翻した。
つうか私に突き落とされて、ガレ場に無機物の如く転がった。
当然私もその後を追うが……。
これはもう、(自転車は)戻れないかも知れないな。 →
はっきり言って、一方通行に近い。
遠目に切れた路面を見た最初の時点では、ここまで深く抉られているとは思わなかった。
本当の大決壊だ。
前の黒姫大橋(大山隧道)にしても、この内海府トンネルにしても、この辺の道は、旧道になるなりすぐさま壊滅するのが約束なのか。
限界ギリギリまで現役で頑張る、そんな健気な佐渡の道路事情が目に浮かんだ。
そして問題は、この場所から反対側に脱出することだった。
入るのは容易いが、アリジゴクのようなガレ場の陥没地帯から自転車を伴って脱出するのは、なかなか骨の折れる作業となった。
一応、目視で突破出来ると踏んだから自転車を突き落としたのだが、現実にやってみると、予想以上に斜面の状況が悪く、踏んだそばから崩れ落ちる修羅場の様相を呈した。
救いは何度落ちても大怪我するような高さがないことだが、実際に数回は登攀に失敗して滑落&消耗させられた。
しかしともかく、突破した。
……無理やりに。
12:57 《現在地》
大陥没の突破には約10分を消耗した。 ふぅ。
この写真の右端の辺りを指で隠してしまうと、何の問題もない単なる道路風景になるのが憎い。
そして、難所の後は、
ご褒美の時間だよ。
じゅるり、大好物が近付いてきた…。
うひょー、ご褒美ごほうび!
大好物の青看が、
夏草に覆われつつある路面を、
在りし日と何も変わらぬ高さと、明るさで、彩っていた。
現代道路の格式高き道先案内人。それが私にとっての青看である。
この青看と廃道の組合せというのは、理想的でありながら、現実には結構レアな風景である。(廃止時に撤去される事が多いので)
そういえば、この旧道は“ヘキサ”も残されていた。
なぜか。
おそらく、旧道化の時点では廃止するつもりがなかったのではないか。
それが崩壊などの事情によって、急遽廃止されてしまったのではないかと想像される。
13:01 《現在地》
青看の下を潜り抜けると、すぐに巨大なバリケードによって行く手を遮られた。
それは少し前にも見覚えがある光景で、重い波消しブロックを路上に積み上げた、恒久的な閉鎖を思わせるバリケードだ。
GPSの地図を確認すると、現在地はこの2km弱の旧道区間の中間地点であった。
そしてバリケードの先には、珍しい炭焼き小屋とセットになった一軒家。
その旁らには白い庚申塔もあった。
それから先は、平和なる現役旧道であった。
私が目にした風景は、冒頭に採り上げた市誌の風景であった。
かつて殿様が休んだという殿崎には、殿様を知らない世代の小杉がポツンと海を眺めていた。
或いは存在意義がほとんど失われた「対向車注意」の標識が、夏草と戯れていた。
ここで、殿崎を少したおやかにつくり直したような兵庫崎の膨らみが見えてきた。
人の暮らしが見えてきた。
…あれ? 現道のトンネルが出て来ないぞ?
13:09 《現在地》
内海府トンネルの出口は、旧道の進路を遮って唐突に現れた。そして旧道攻略完了!!
この現道から見える範囲の旧道には、中間部が廃道と化している気配がまるでない。
なんか、トンネルに入ってしまうのは勿体ないと思えるくらい、良い道に見えるのである。
おそらく何も知らずドライブで突っ込んだ島外ドライバーもいるだろう。
そしてこの、佐渡で2番目に長い内海府トンネルを出るれば…
虫崎集落にドボン!
現代道路のスマートさは、マジ半端無いぜ。
完結。