ミニレポ第196回 秋田県道248号 春山田沢線 後編

所在地 秋田県仙北市
探索日 2014.09.09
公開日 2014.09.15

「この先●●で●●が大変●●なっており…」


2014/9/9 15:04 《現在地》

全長3.8kmのショート県道は、これよりぼちぼち山岳区間へ突入する。
田沢湖外輪山への挑戦である。

私が出発した終点の田沢地区の海抜が250mで、これから向かう起点の田沢湖の水面も同じ海抜250mである。
そして間にある無名の峠のてっぺんが、海抜300mちょいくらい。
したがって、上り下りはそれぞれ50mくらいと、自転車にも手頃なあんばいだ。




はい、見えてきましたね。

可愛らしい(と個人的に思っている)秋田県オリジナルの県道キロポスト。
その整備率は相当に高く、このようにマイナーな路線でもほぼ間違いなく設置されている。
さすがに自動車が通れない登山道のような区間で見たことはないけれど、車道ならまずあると思っていい。

なお、現在は終点から起点へ向かって辿っているので、「2」というのは残り2kmという意味になる。残り2km。のんびり参ります。




無名の峠の今登っている側は、勾配はあまりきつくなく、どちらかというとダラダラした上りである。
そして砂利道なのか舗装路なのか、どちらとも付かないような微妙な鋪装状況が印象的だ。
その正体は、「簡易鋪装の傷んだやつ」である。

(簡易鋪装とはその名の通り、路盤の上に厚さ数センチ程度で一層だけアスファルトを乗せたような鋪装。正式な鋪装は、表面のアスファルトの下に数層の基盤層を設けて頑丈たらしめている)

沿道には人家は無論、盛んに出入りされている脇道もなく、杉植林地の中を淡々と登っていく。
ちなみにこの日この道では1台の車とも出会わなかったが、待避所はほとんど無いので、出会ったら不運と諦めよう。


15:18 《現在地》  そして、峠。

海抜300mを少し越える峠には、いかにも峠らしい切り通しが待ち受けているが、それだけで、広場、地蔵、記念碑のいずれも見あたらない。
そして、せっかく田沢湖へ望む絶頂にあるというのに、その景観を観賞するような眺望も皆無である。
ダラダラ上りの田沢側にも、当然眺望は無し。

特に語ることの多くない峠ではあるが、私に何の印象も残さなかったかと言えばそうではなく、この短い上りで3箇所も蚊に喰われたのが地味に印象深い。
私はあまり蚊に喰われることがないことを踏まえれば、この道沿いは蚊が多いのかもしれない。  …これも、どうでも良い情報か…。



田沢湖畔へ向けての下り坂に入ってまもなく、1kmのキロポストを発見。
この県道の残りはあと1kmである。

なお、峠の表裏では勾配のきつさにだいぶ差がある。
高低差は同じ50mだが、湖畔側は勾配が全体的にきついほか、ブラインドのカーブもいくつもある。
ただ、そのような線形の不利をフォローするように、道幅は少し広い気がする。
写真の地点は鋪装も良く見えるが、それはやはり部分的で、こちらも小砂利が浮いた簡易鋪装が大半である。
2輪車は特に下り坂でのスリップに注意したい。
とまれ、自転車には気持の良いダウンヒルだ。蚊に喰われることもないしね。




そして、峠には無かった、欲しかった“あれ”が!



田沢湖キターーッ!


これこれ! この場面があるからこそ、この道は、終点から起点へ向かって紹介したかったのだ。

田沢湖を俯瞰で眺められる場所は、湖を取り囲む外輪山のそこかしこにあるだろうが、
この県道からの眺めは、視界に目立つ観光施設や車通りの多い道が見えないところが、
太古の神秘を伝える湖の情景として、とても似つかわしく感じられて好きなのだ。
(また、外輪山は北岸よりも南岸の方が高いので、北岸からの眺めは山間湖の風趣がより大きいと思う)




15:24 《現在地》

好眺望が得られるのは、終盤にある短い直線区間の1箇所だけで、その後はまた杉の鬱蒼とした植林地を急坂で下る。
そしてあっという間に、ゴールとなる。

この場所が、県道春山田沢線の起点。(ちなみに、起点も終点も同じ大字「田沢」の中にある)
変則的な複合丁字路になっていて、奥に見える丁字路が起点の県道38号田沢湖西木線との交差点だ。

国道341号からここまで、私の今回の走行タイムは32分。
写真を撮ったりせず、ただ自転車で走るだけならば20分くらいで済みそうだ。車だと10分くらいか。



この県道が全体として地味な存在である事は否定しないし、むしろそこも好きなんだが、ただ地味なのではなく、ちゃんと県道らしい部分も併せ持っているのが魅力である。

それは終点の立派な青看に始まり、道中各所にあったキロポストや、悪戯のような案内標識。
そしてこの起点にある、県道でなければわざわざ設置しなさそうな、ご覧の2枚の警告板。(いま下ってきた道を振り返って撮影)

まずは手前のそれを確認。

内容は、「大型車の通行ができません」。
「できません=禁止」ではないということが、「大型車通行止」の規制標識を用いていない理由だろうか。
別に深い意味など無い可能性もあるが。



面白いのは、奥にあるこちらの警告板だ。

この先砂利道道路幅が大変狭くなっており曲がりくねっています
通行の際は十分ご注意下さるようお願いします
 仙北建設事務所

赤文字の部分が強調されているのは理解できるが、すべての赤文字部分に、何か別の文言をシールで隠して内容を変更したような形跡が見られる。
しかもそこが黒文字の部分よりも薄れてしまっているので、前段の部分など、まるでテストの穴埋め問題のような感じになってきている。
そんな妙さもありつつ、内容自体も結構厳しげで、道路管理者の「出来れば通って欲しくない」オーラが滲み出ている感じ。
「曲がりくねって」なんて、あんまりこういう看板で見ない表現だしな。く〜ねくね。



起点の複合丁字路にも、思いのほかに立派な青看が設置されていた。
ただ、これまた終点にあった青看と同じく、この県道へ入る人ではなく、出る人のためのものである。
ここで合流する湖岸一周道路である県道38号の側に、県道248号を案内する青看は存在せず、半ば黙殺された状態だ。
県道の起点を示すキロポストもちゃんとあるが、路傍の雑草にうもれかけていた。

なお、丁字路はバス停になっており、停留場の名前は発電所前という。手前の丁字路を県道へ折れずに進むと、すぐに県営の田沢湖発電所に突き当たる。
地図を見ると分かるが、今越えてきた無名の峠の直下には水路トンネルが掘られていて、玉川の酸性度の強い河水が田沢湖に導水されている。
これは大戦中に進められた「玉川河水統制計画」による建造物で、この導水により田沢湖から特産の「クニマス」を初めとするほぼすべての魚類が絶滅したのは有名な話し。



起点丁字路のすぐ東側で、県道38号が件の導水路を短い橋で渡っている。
親柱が傾いた橋の名前は潟前橋といい、これはここの地名(仙北市田沢湖大字田沢字潟前)に由来する。
竣工年は昭和33年と結構古いが、その割に幅が広いのは、当時から既に田沢湖は観光地として有望だと見られていたのだろう。


この日はほとんど水が流されていなかった導水路と、玉川と同様の青さを見せる田沢湖。
こんな小さな水路一つで湖の魚類がほぼ全滅するとは思わなかったのか、分かっていてもやったのか(たぶん後者)。
周辺の湖畔は公園として整備されており、そこには導水によって死滅した田沢湖の魚類を供養するために昭和14年建立された姫観音像がある。

なお、県道248号の路線名では、起点の地名が春山となっているが、実際の起点は田沢字潟前にあり、田沢字春山へは、ここから更に県道38号を1kmほど東進する必要がある(この間は重複区間でもない)。春山が田沢湖畔の表玄関とも言える観光の枢要地であることと、この(実際と微妙に異なる)路線名の間には関係があるのかもしれない。


田沢湖という名前は、たぶん湖畔の一角を占めた田沢という(かつてあった)村の名から来たのだろう。

ほかに別名とも古称ともされるものが伝わっていて、「槎湖(うききこ)」という。
槎とは「浮き木」で、こんな大きな漂流木の多い湖だったからではないかと言われている。

田沢湖という名前がメジャーになった裏で、旧田沢村の中心地と田沢湖畔を結ぶ県道が、
それ以外の道より著しく整備が遅れているというのは、偶然であるとしても皮肉だ。





最後に、せっかくなので、この県道の歴史について多少の解説をしておこう。

県道春山田沢線は、現行の道路法による秋田県道の認定が最初に行われた昭和29年の時点で、早くも現在と同じ路線名&区間が認定されている。
当初の路線番号は161だったが、昭和34年に路線名はそのままで番号が現在の248に変更となり今日に至る。
地味な路線ではあるが、けっして新参の路線ではない。

いや実はそれどころか、もっと相当に由緒の長い、古参の道であったようだ。
ここから先の教科書にしたのは、『田沢湖町史』(昭和41年発行)である。



右図は、大正5年測図版の5万分の1地形図「田沢湖」である。
赤線は当時の村界で、田沢湖は仙北郡に属する4つの村に囲まれていた。
黄線は当時の主要道路である。
緑線は今回紹介した県道であるが、当時からほぼ同じ位置に「里道」の記号が描かれており、道形の大半は大正以前からのものであった事が分かる。

この下田沢と湖畔を結ぶ道については、町史に次のように書かれている。

大正二年には、石神橋畔から分かれて下田沢地内を通過して田沢湖畔藁田に及ぶ田沢村道が郡道に編入になった。これが田沢村に近代の息吹きが通ってきた始まりといい得よう。この郡道は、しかし直ちには実現したわけでなく、内部に色々な困難が生じて、一とたびは郡道から削除されるなどしたが、大正五年に至って、群補助道として、ようやく改修する事が確定し(中略)大正六年秋になって、大体道路の格好が付いて、その翌春頃から下田沢と生保内間に荷車が通い得るようになった。

右の地図と一緒に上記の文をお読みいただくと分かるが、大正2年に田沢村内で最初に村道から郡道に格上げされた道に、今回紹介した県道の区間が含まれていた。
石神橋〜下田沢間は現在の国道341号の前身であり、下田沢〜潟前(藁田)が今回の県道だ。
だが、この県道区間の整備は、その後もあまり進まなかったらしい。

下田沢から田沢湖畔に通ずる道路改修は容易に進展しなかった、途中を玉川に阻まれ、昔から渡舟場で大正十二年に及んだが、同年村費金八百五十円で吊り橋を初めて架設した。車馬はすこし無理、人が渡るだけなら安全という程度のものであったが、田沢湖畔の県道へつながる現在の県道の切っ掛けになった。

昭和10年当時、田沢村には役場所在地の下田沢を起点とする3本の村道があり、そのうちの1本が「村道桧木内線」(下田沢〜潟前湖岸 3.4km)と記録されている。
昭和10年といえば、既に郡道という区分は消滅していたのだが、それにより再び村道へ陥落してしまったようだ。
この道が再度県道に昇格したのは、昭和29年なのであろう。

なお、古来は槎湖であった田沢湖が、田沢村の田沢湖となった経緯は不明だが、同村が周辺の村に増して湖との深い関わりを持って生活していたと考えるのが自然であろうし、そのためには利便な交通路が存在したと考えて良いだろう。
文化8年(1811年)に時の藩主佐竹義和(よしまさ)が田沢湖巡行の際には、潟尻から藁田までは舟で湖を横断し、山道は駕籠に乗って下田沢を経て、生保内に向かった記録がある。
この時に藩主が越えた峠道も、おそらく今回紹介した県道…かそれに近い位置を通る峠越えの山路であったと思われる。



秋田蕗(ふき)を江戸に紹介した最初の人物とされる義和藩主も、この眺めを見たかも知れない。

なんとも地味な県道が、今日まで潰えずに県道として
地図に描かているのは、その歴史の深さ、地域の愛着ゆえか。


完結



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