ミニレポ第210回 三厩港 国道交点

所在地 青森県外ヶ浜町
探索日 2014.11.11
公開日 2015.08.25

最も由緒深き渡道地点の現状


【周辺図(マピオン)】

我が国の国道の中には、海上区間を有する路線(海上国道)がいくつかある。
海上区間とは、国道の路線の途中にある文字通り海上の区間で、かつ架橋されていないものをいう。
もちろん車で走行する事は出来ないので、渡船施設と一体となって交通路としての機能を発揮することが期待されている(或いは将来の架橋を目論んでいる)のであるが、本州と北海道の間には3本の国道が海上国道として存在する。

そのうちの1本は国道280号で、起点の青森県青森市からおおよそ65km走った外ヶ浜町に本州側の陸路の終点があり、そこからおおよそ35kmの海上区間を経て、北海道の福島町に上陸。道内では全線が国道228号ほかの国道と重複しつつ、おおよそ70kmで函館市の終点に到達する。バイパスを除けば約135kmの陸路と、38kmの海路からなる国道である。
(ちなみに残りの2本の海上国道は国道279号と338号で、共に青森県大間町と北海道函館市の間が海上区間(重複)である。)

そして、津軽半島の外ヶ浜町で国道280号の本州区間は終わるのだが、この後を継ぐように津軽半島の残りを半周するのが、国道339号である。
こちらは国道の中でも特に酷道好きの人には、おそらく最も有名な路線番号である。“階段国道”といえば、おそらく西日本にお住まいの方も聞いたことくらいはあるだろう。

今回のレポートは、外ヶ浜町にある国道280号と339号の交差点である。
交差点なんて何が面白いのかと思われるかも知れないが、これがなかなかに印象的な風景なので、ぜひ紹介したい。






2014/11/11 10;53

これが国道280号と339号の交差点に立つおにぎり!

普段目にするものよりも高い支柱に取り付けられた、2枚の色が違うおにぎり。
上段は国道339号、下段は国道280号。
色が違うだけでなく、文字の配置や字体も微妙に違っている。
同じ道路標識ではあるのだが、製造・設置された時期が異なるものと思われる。
ちなみに、国道339号の路線指定は昭和50年で、国道280号はそれよりも古い昭和45年である。

そしてこの2枚のおにぎりに特段の哀愁を帯びさせているのが、それぞれの下に取り付けられた、色褪せきった補助標識である。
国道339号には右向きの矢印、国道280号には左向きの矢印が見て取れる。
これらの標識の本来の意味は、右向き矢印が「始まり」、左向き矢印が「終わり」であるが、この場合は見たまんまで、左が国道280号、右が国道339号という意味合いで取り付けられているように思われる。

ふたつの国道は、本州の北の果てに近いこの地で出会い、或いは別れる。
両者にはこの交差点の一点を除いて重なり合う地点はなく、ここを発てばもう2度と出会うことは無い。
そんな孤独の中の仄かな交流と、北国の冬の厳しさを思わせる妙にひょろ長く色褪せたおにぎりが、とても似合っている“名場面”だと思った。



ちょっとカメラをひいてみる。

これがこの交差点の全景である。

変則的な形の十字路になっていて、交差点自体は結構広いのだが、見ての通り信号機は存在しない。
それどころか、横断歩道も白線がほとんど消えてしまっていて見えなくなっている。

町の中心部からも少しはずれているので、竜飛岬に多くの観光客が訪れる時期の休日を除いては、基本的に閑散とした交差点であるようだ。
ちなみに、この場所は国道339号の終点であるが、これは本州における最も北にある国道終点であったりもする。




また、この交差点を地理院地図で見ると、こんな風になっている。(→)

地図上から、この地点で国道280号と339号が切り替わっていることを知る術は無い。
ただ1本の国道が通っているようにしか見えない。

そして、今まで敢えてこの地図上に出ている“ある”地名を書かないでいたが、これを書けば、最果てという印象を強く持つ読者は多いと思う。

三厩(みんまや)
それがこの地の平成合併以前の村名である。
江戸時代の奥州街道(松前街道)における本州側の最後の宿場が三厩であり、蝦夷地へ渡る者の多くがこの三厩の湊から松前宿(北海道松前町)への海路を辿った。
これが江戸幕府の認める正式な旅路であり、ある意味、近世以前からの National Road としての“海上国道”であったといえる。
しかも、当時の湊も現在の三厩港があるのとほぼ同じ、この場所にあった。

厩石の前には、【松前街道終点之碑】(写真)が立っている。江戸からはるばる8〜900kmの道のりの果てを示す記念碑である。



《現在地》

さてさて、まだまだこの交差点を掘り下げていきたいので、一旦交差点から離れてから、もう一度近付いてみることにしよう。

ここは交差点から国道280号を100mほど青森方向に離れた地点。
そして交差点の方向を向いている。
言い換えれば、国道280号の本州上の陸路があと100mほどで終わるという場面だ。

ここに青看が立っていて、その内容は、ちゃんと前方の交差点を直進すると国道339号になる事を表示している。
ただし、国道339号の行き先である龍飛へは右折して臨港道路経由が案内されているというのが、そこはかとない酷道感の先取りになっている。




また、今いるこの道路もちょっと変わっていて、2車線の国道のすぐ隣に、別に2車線道路が平行している。

遠目には中央分離帯がある4車線道路のように見えるのだが、それぞれ2車線ずつ双方向通行をしている。

はっきりした事は分からないが、前後の道路の繋がりなどから推察するに、海側の2車線道路は臨港道路と考えられる。
臨港道路は国道と整備の根拠となる法律が異なるので、部分的な並行路線になってはいても、しっかり別の道として整備されたのであろう。

ちなみに見ての通り、臨港道路の交通量はほとんどない。
今が偶々空いているわけでないことは、路面の微妙にフニャ付いた感じからも伺えるだろう。



さて、交差点に戻って来た。
今度の私の立ち位置は左図の通りで、国道280号の旧道側から交差点を撮影している。

この変則的な形をした十字路の中心が国道280号と339号の境目なのだろうか。
左に最初に紹介した“串おにぎり”が立っているのが見える。

だが、この交差点に立つ国道関係の表示物は、実はこれだけではない。(後述)
北国の素朴さの演出としては、これだけでもいい気もするが、やはりそこは天下の国道。そんな国道同士が出会う最果てには、それなりの記念性を演出したくなるのが人情であろう。



名だたる“酷道”の起点より見る、その始まりの風景。
ここでは先の道には触れないが、起点の青看くらいはニヤニヤしながら眺めても良いだろう。

この何が怪しいって、“酷道”とは全く関係の無いことだけど、「中泊Nakadomari(小泊)(Kodomari)」という青看を見る度にニヤニヤしてしまう。

平成の大合併でこういう風に青看がややこしくなった例は枚挙に暇がないものの、合併前後の地名が微妙に似ている時ほどややこしい事はないという、悪い例である。

しかも、この地域にはこういう類の青看が沢山出現した。次の地図をご覧下さい。




平成の市町村合併により、津軽半島にはなんと3ペアの飛び地合併が出現している。

この外ヶ浜町もそのひとつで、もともとの外ヶ浜町と旧三厩村が今別町を挟んで合併。外ヶ浜町を名乗っている。
他にこの青看に出てくる旧小泊村は、旧市浦村を挟んで旧中里町と合併し、名前も合併して中泊町を名乗っている。
さらに旧市浦村は、旧中里町を挟んで位置していた旧金木町などと一緒に五所川原市と合併して五所川原市を名乗っている。

そんなわけなので、津軽半島周回ドライブをすると、この手の括弧付きの青看と頻繁に出会うのである。

…完全に話しが脱線してしまった。
交差点にある、さらなる国道の表示物の話しに戻ろう。



交差点の“串おにぎり”の真向かいの位置、すなわち海を背にした側に、右の写真の“おにぎり”がある。

微妙に縦長に造形されているのは、そもそもの設置方向が国道に対して平行に近い為であるかとも思ったが、冷静に考えれば、縦長は余計見にくいんだよな(笑)。
だから、縦長おにぎりの理由は不明である。
このくらい縦長だと、おにぎりには見えず、アイスクリームのコーンみたいだ。

ちなみに、この“コーンおにぎり”の裏に見える道路が、先ほども登場した、閑散たる臨港道路だが、白線の消えっぷりがヤバイ。



遠路はるばるやって来た国道ファンに対するサービス精神の旺盛さは、どこかの国道も見習うべきであろう。
“コーンおにぎり”の下にも、まだ伏兵が潜んでいたのである。
小さいが重厚感と高額さが感じられる黒御影の石碑があり、そこに「国道二八〇号 三三九号 分岐点」の文字が刻まれていた。

御影石の良いところでもあり悪いところでもあるのが、どれだけ経年したのかよく分からない点で、こいつも素性が知れない。
設置の経緯が分かれば、もっと有り難がる口実が出来ると思うのだが、ちょっと淋しい。

とまあ、こういった具合に、最初は閑散としているという印象ばかりだった交差点にも、中々沢山の“おもてなし”が潜んでいたことを知った次第。
特に最後の石碑は、車を停めて散策しないと気づけないので、確実に国道ファン向けなのだろう。




だ が、


どれほど国道ファンの心を掴もうとも、


“海上国道”は、もう…


ない。



海風に晒されているとはいえ、さすがに錆び付きすぎた看板は、もう次の台風で吹き飛んでしまいそうだ。

それでも、書かれた文字はまだ読み取れるが、余計に淋しさを駆り立てている。

『 三厩 ←→ 福島 38km 2時間 』

なかなか悪くない数字に見える。
下北半島の突端にある大間から函館に渡る航路も、ほぼ同じくらいの航路の長さであるが、平成26年現在約90分間の船旅で渡る事が出来る。
こちらの三厩から福島に渡る航路は、渡った先で函館まではさらに70kmくらい走らないとならないが、青森と大間の距離と、青森と三厩の距離差はそれ以上あるので、あくまでも青函間の連絡という意味では、大間航路とはそれなりに戦えそうに見える。

青函トンネルだろうなぁ。
昭和63(1988)年に開業した津軽海峡線が、津軽半島から北海道に渡る航路の命脈を、じわりじわりと絶ったのであろう…。



天高く掲げられた、看板の矢印に従って先を見ると、

そこには例の閑散とした臨港道路が続いていた。

どうやらこの道、単なる臨港道路ではなく、フェリー利用客にとって国道に替わるバイパスでもあったようだ。


2014/11/11 11:11 《現在地》

だが、この錆び付いた1枚の看板に従って進んでも、その先は全くのなしのつぶてで、もう2度とフェリーの名前を見ることはなかった。
それどころか、乗り場やフェリー埠頭さえ確認出来ない有り様で、これは帰宅後に知ったことだが、埋め立ての進行などなどから、既に当時の施設はなくなっているらしい…。
これが、時代の流れというやつか。
来年には北海道新幹線が開業しようというのだから、もう国道280号の海上区間にカーフェリーが就航する日は永遠に来ないのかな…。





こうして、この場所での探索は終わったのだが、改めて振り返ると、この東日本フェリーの看板が国道280号の本州側終点に立っていたという事実。ここに海上国道を意識したセッティングを感じられ、なおさら淋しい気持ちになったのである。

果たして、三厩〜福島の航路 ―先ほども書いたように、これは我が国では最も由緒の深い北海道航路であった― は、いつ頃まで運航されていたのだろうか。
ネットで少し調べてみたところ、この航路の通称は「三福航路」といい、平成10(1998)年までは東日本フェリーが就航していたことが分かった。

東日本フェリー時代の三福航路には、「まつまえ丸」(総トン数310t、定員218名)という中型船を中心に4隻が就航し、三厩を午前6時と午前11時の2度出航していたそうだが、昭和40年代には夏季(7,8月)のみの季節航路となり、昭和61(1986)年には休止。その後復活と休止を繰り返したようだが、平成10(1998)年の8月31日の運航を最後に休止が続いているとのことらしい。

こちらのブログ「天寧の旅行の思い出と写真」に、この航路の最終便の乗船記録があり、とても興味深い。

私は当初、青函トンネルの影響を一番に考えていたが、実際にはそれが開業するだいぶ前から低迷していたようだから、むしろ需要の筆頭にある青函(青森〜函館)航路の近代化により、三福航路の需要はすっかり吸収されてしまったとみるのが正しいのかも知れない。
大間はさすがに青森からは遠すぎるせいか、今でもフェリーが生き残っているが、津軽半島は下北半島ほどには“陸の孤島”ではなかったのであろう。



このように、私が思っていた以上に細々とした有り様だった三福航路であるから、手元にある平成10(1998)年以前の道路地図帳を全部見てみたが、5冊中ただ1冊、昭和60(1985)年発行の「ミリオンデラックス全国総合道路地図帖」に、辛うじて航路の線が描かれているのを見つけたのみであった。
しかも「運休中」と書いてある。

とはいえ、航路の先には「福島ニ至ル」の文字が陸路と同じように書かれており、そこに「海上国道」の存在感を感じ取ることが出来た。

また、皆さまの中にも、この航路の希少な体験者がおいでかもしれない。
ぜひ、思い出話を聞かせてもらいたいものである。



完結



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