ミニレポート 第95回 主要地方道酒田温海線 由良トンネル 旧道

所在地 岩手県釜石市
探索日 2006.02.28
公開日 2006.03.15

トンネルのありがたみ

 秋田から山形県の酒田を経て新潟県村上までの約150kmを日本海の海岸線に沿って走ると、途中何度か国道をバトンタッチすることになるのだが、そのなかの約8kmだけが国道が内陸を経由するために、かわりに県道を利用することになる。
それが、山形県鶴岡市の加茂から由良までの区間であり、主要地方道酒田温海線がこの任に当たっている。

 現在、この海岸線の道路は前後の国道と見紛うばかりの立派な整備がなされており、快適に通過することが出来る。
区間の南端に位置する由良トンネルには、かつてこの道がどのような道であったのかを今に伝える貴重な旧道区間が僅かに残されている。



   由良トンネルの南口は、県道の終点である由良地区のはずれにある。
旧道の入口はこの南口では坑門のすぐとなりにあり、非常に見つけやすい。

 私は、まだ日の明けぬうちに車でこの場所へ辿り着き、この日の探索の始まりをこの小さな旧道に決めると、坑口の海に面した駐車場に車を停め、しばし仮眠をとった。
何度目かに目を醒ますと、もうすでに辺りはすっかり明るくなっており、まだ眠気は抜けていなかったが、慌ててチャリを降ろすと、足慣らしとばかりに旧道へとベダルを踏んだのである。

 その日の旅のはじめの探索が好天に恵まれると、本当にすがすがしい。



 由良トンネルは、その坑門に取り付けられた銘板によれば、1988年(昭和63年)の竣功で、その延長は230.5mである。
とりたてて長いわけでもなく、特に代わり映えのしないトンネルであるが、その口から外れてヒョロヒョロと海岸線へ続く道は、なかなかに味わいの深いものであった。

 そして、この旧道へと歩みを進める前に、この日一日の旅の安全を祈願しておこう。
旧道入口の傍らには、功徳深き名僧の碑が建っている。



 おそらくは現道の開通に合わせて旧道上にあった石碑をまとめてここに安置したのであろうが、形も色合いも異なる石碑が海を背にして並んでいる。
そのうちに一つ、白い石碑には大きく「湯殿山」の文字が刻まれているが、この文字を挟むようにして「恵眼院本食 鐵門上人」の名も刻まれている。
 鐵門上人は江戸後期の人物で、己の犯した殺人を悔いて仏門に入り、人民の幸福のため道路改良などに尽くした僧である。
当時流行病だった眼病の平癒を祈祷するために自らの眼球をえぐり出して捧げた事から恵眼院とも呼ばれた。
彼の最大の功績は、加茂港と鶴岡・大山方面を繋ぐ難所であった加茂峠道を改築したしたことで、その後の三島通庸による加茂隧道改良の計画へと繋がっていく。



   石碑に一礼を捧げ、いざ旧道へと進む。

 入口にはガードレールを利用したバリケードがあるが、強風のためか倒れたままになっており、容易に通過できる。
その先に見える道にはガードレールさえなく、直接海岸線に接している様子が見て取れ、思わず「いいね。」と一人ごつ。



 なぜか海の方に向けられており肝心の旧道からは見えないが、このような警告看板が立っていた。




 道幅は1車線で、以前は敷かれていただろう路肩の白線も長年の風雪に掠れ、消えかけている。
トンネルがその付け根を貫通している小さな岬を大きく回り込む旧道は、巨岩が点在する荒々しい海岸線に沿って、遠慮がちに小さなカーブを描きながら続いている。
なぜか路肩にはガードレールが取り付けられておらず、かといって山側の路肩は落ちてきた岩石がゴロゴロしている有様で、現役当時にはバスも通っていたはずだが、ドライバーは相当に神経を使わされた道だったろう。



 当時は脇見運転など絶対に厳禁な道だっただろうが、いまではここを通るのは散歩のばあちゃんくらいで、のんびりと海を眺める事が出来る。

 目の前に島のように見える岩山は、「東北の江ノ島」とも称される白山島で、江ノ島よろしく本土とは橋で繋がっている。
遠くの海上には、まだ集魚灯を灯したままのイカ釣り漁船が数隻浮かんでいた。
条件が合えば、遙かに粟島まで見えると言う。





 所々には補修の痕跡も見られるが、大概は石垣の間をモルタルで固めただけの簡単な路肩。
波の高い日にはとても通れたものではなかったはずだが、その壮絶な道と波の狂騒を見てみたかった気もする。

 なお、現道は海岸線に高い防波堤が築かれ、またはスノーシェードやトンネルなどに覆われているが、それでも由良〜加茂間では連続雨量100mm以上で通行止めになる規制が残っている。



 岬を回り込むと、やっと道幅が広がり、ガードレールも現れ始めた。

 小さな湾を挟んだ対岸の荒倉山から落ち込む海岸線は、おそろしく荒涼としており、さながら北海の無人島のような景色の中に一筋の道だけが続いているのが見える。
 多くの読者にとって、北国の日本海の景色として最も想起されるのはおそらくこんな眺めではないかと思われるが、実際にこのような景色の場所は少なく、私の知る限りその最右翼がこの一帯である。



 海にばかり目がいくが、実は山側も大変なことになっており、高さ100mではきかないような岩崖が吹き付ける潮風に押し黙っている。
かつてこの崖のもたらす落石から交通の安全を確保せんとして築かれたネットも、その大半がワイヤーだけを残す無惨な姿となっていた。
もっとも、この崖が本性を現したなら、ネットなど何の意味も持たなさそうである。
 ワイヤーばかりになったネットを見ていると、一昔前のコンピュータグラフィックスに多用されたワイヤーフレームを思い出させる。




 入口から300mほどで旧道区間も終わりが近付く。
突然、人の背丈よりも高く積み上げられた土嚢の山が現れ、完全に道を封鎖していた。
何のためのここまで強固に封鎖しているのかは不明で、おそらくは道を封鎖する目的ではなく、もっと他の理由がありそうである。



 土嚢の山を乗り越えると、由良側にもあった封鎖バリケードがこちらにも設置されていた。
その傍には、こんな看板が建てられている。

 チャリに乗っている限りは、おそらく相当の地震でもなければ気がつけないはずで、そのような遭遇は現実的な確率ではないと思うが、一応この辺りを旅する人はアタマの片隅においていた方がいいかもしれない。




 高層ホテルなども建つ由良側の景色とは一変し、無人のバンガローが数棟寂しく立ち並ぶ加茂側の浜。
旧道はもう50mほどで現道に合流するが、最後の区間だけはバンガローの利用者によって使われているようだ。

 環日本海交通のメーンルートから取り残された県道の、さらにその旧道には、ほんの十数年前まではこの一帯のどこにでもあったろう険しい海の道が残されていた。
短い旧道区間ではあるが、なぜかこの道は2万5千分の1地形図にも記載されておらず、航空写真からもその存在を見つけられなかったため、現地で初めて遭遇した旧道であった。