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今回は前回のミニレポの話を引き継いだ実質的な続篇である。なので先に第297回を読まれることを推奨する。
前回の机上調査編では、昭和40年代に富津市の浅間山(せんげんやま)にてベルトコンベヤーによる山砂運搬が行われていたことを紹介したが、そこで使った昭和50(1975)年の地形図の中にひっそりとベルトコンベヤー用のトンネルが描かれていたことに皆さまは気付かれただろうか。
前回はベルトコンベヤーが設置されていた築堤を潜る道路トンネルを紹介したが、今回はベルトコンベヤーが山を潜るために設置されたトンネルがテーマである。
昭和50(1975)年の地形図を改めて見てもらおう。(↓)
「索道(リフト等)」の記号で表現されている2系統のベルトコンベヤーのうち、南側にある路線に3本のトンネルが描かれていた。
このベルトコンベヤーは「B系統」と呼ばれていたもので(他方は「A系統」)、山がちな地形を縫って海まで通じていた。そのため途中で尾根を越える3箇所にトンネルがあった。これらのトンネルは、海に近い側から順に、1号、2号、3号トンネルと呼ばれていたことが(後ほど紹介する)資料から判明している。
次に、チェンジ後の地形図を見て欲しい。こちらは最新の地理院地図である。
「A系統」の大部分には道路が並走していたため、ベルトコンベヤーが撤去された後も道路部分が存続しているが、「B系統」については道路がなかったため、ベルトコンベヤーが撤去されたことで、地図上では全く跡形がなくなっている。
3本あったトンネルも、全て表記が消失している。
そればかりか、等高線を見て貰えば明らかなように、2号と3号トンネルが穿たれていた山自体が消えている。
おそらくは採砂の進展によって、これらの山は取り壊されたのであろう。
続いて、新旧の航空写真も比較してみよう。
地形図以上に3本のトンネルの在処の変化がよく分かる。
昭和50(1975)年の航空写真に白い直線ではっきりと見えるのがベルトコンベヤーを覆う屋根である。
地形図に描かれていたように数回屈折しながら海まで伸びており、途中で線が見えなくなる3箇所がトンネルであった(見やすいように黄色く着色した)。
チェンジ後の画像は令和3(2021)年に撮られたものだが、1号トンネルがあった山はそのまま残っているように見えるが、2号トンネルと3号トンネルがあった場所は、山自体が消えて平坦化している。そして太陽光発電施設の敷地内に取り込まれている。
探索前にこの状況を把握していたため、2号3号トンネルについては既に跡形なきものと判断し、現存の可能性がある1号トンネルを捜索の対象と定めた。
以下、現地での捜索の模様を紹介しよう。
2025/2/5 7:00 《現在地》
前回の探索現場から1.5kmも離れていない今回の現場へ、そのまま自転車で移動してきた。
ここは富津市笹毛の千葉県道256号新舞子海岸線だ。目の前にある深い切り通しを超えると、湊(みなと)に大字が変わる。
この切り通しに以前は(正確な年は不明)長浜隧道という全長104mのトンネルがあった。昭和42年の『道路トンネル大鑑』トンネルリストに出ているし、昭和50年の航空写真でも健在だった。
7:01 《現在地》
長浜隧道跡の切り通しを抜け出た辺りから振り返って撮影。
「現在地」の地図に“点線”で示したのが、昭和50年の地形図を元にして書き加えたベルトコンベヤーの位置だ。
こうして対照させてみないと現地の風景だけでは絶対に気付けないと思うが、ちょうどこの場所でベルコンは県道と立体交差していたのである。
チェンジ後の画像に、県道を跨ぐベルコンの姿を想像で書き加えた。
ベルコンがあった当時は切り通しになる前で、長浜隧道があったので、その坑口の前を渡っていたことになる。
県道との交差地点から、ベルコンの浅間山方向を撮影している。
橋脚跡でも残っていないかと期待したが、意外なほど何もない。
これがもし鉄道のモノレールの廃線跡であったなら、遺構はなくとも区画に面影が残っていそうだが、そういう感じすらしない。
そして、この方向に100mほど進んだところが、ベルコン2号トンネルの西口であったはずだが、写真だと樹木で少し辛いけれど、山自体が失われている。
なぜか写真が撮れていなかったのでストビューから画像を借用したが、これが同地点から撮影した、目指すべき1号トンネル方向の風景だ。
宅地分譲でもされたことがあるのか、それらしい区画と整地がなされていたが、しかし平場の上は猛烈に密生した竹林と化していた。
この方向にはほんの僅か、長くても20m進めば1号トンネル東口だったと思われるが、それほど近くても見通せないであろう。
逆に言えば、この見通しの悪さが、稀少なベルコントンネルの廃トンネルを人目から隠し続けてきたとも考えられる。
……残っていればだが。
特に山林への立ち入りを制限するものはないので、自転車を県道に残して徒歩で入ってみる。
7:02
密林!
猛烈な竹林は、道路沿いの整地された部分も、その奥の斜面も、一様に埋め尽くしていた。
地形に架空設置されていたベルコンの痕跡が残るとしたら、橋脚が立てられていた場所と、あとはトンネルだけだろう。
そのことが捜索を困難にしていた。
ベルコンは県道の路面を跨ぐ高さにあったので、トンネルも当然、路面より高い位置にあったはず。
ということは、山の斜面の中腹みたいなところに、唐突に口を開けていた可能性が高い。
探しにくい立地である。
県道沿いの平場には何もないと早々に見切りを付け、トンネルが貫通していたに違いない山の斜面に取付いた。
繰返すが、猛烈に密生した竹林で、見通しも歩きにくさも最悪レベルである。
歩を進める度に乾いた倒竹を踏み、盛大にバッキバキと音を立ててしまう。近隣住宅地の皆さま、怪しい音を立ててごめんなさい。タケノコ盗みじゃないんです。
竹が密生する山の斜面で、前後に脈絡のないトンネルの坑口をピンポイントに探すという困難なミッションであったが、唯一にして最大の救いは、その在処が狭い範囲内で確定していることだ。
GPS画面上の「現在地」を、空中写真や地形図で当りを付けていた「坑口の位置」へ、忠実に寄せていった。
そして至る。
7:04
新旧航空写真によって対照される、この位置。
1号トンネル東口跡地。
そこには……
トンネルと分かる遺構は残っていなかった!(涙)
残念ながら、これが答えだ。
ただ、周囲の林地には見られないコンクリートの礎石らしきものの断片が、地形の一部に露出していた。
見える部分が断片的過ぎて、それがベルコンやトンネルのとどのように関わっているのか不明だが、不自然に竹の薄い場所も礎石の周辺にあるので、地下に埋没している(おそらく埋め戻された)コンクリート坑門の天井である可能性が高いのではないかと思っている。道路との比高関係にも違和感はない。
1号トンネル東口埋没跡地を山側から見下ろしている。
左奥に少し見えるのが、切り通しの底を通る県道の路面だ。
前述したコンクリートの断片的な出土物さえ少し離れると見えないので、本当に写真では何も分からない。
山の中の廃トンネルとしては、想像以上の残って無さである。
人家に近い場所であるだけに、危険防止のため完全に埋め戻された可能性が高いと思う。
今は、毎年生え出てくるタケノコに、地中の様子を聞くしか手立てはなさそうである。
探索としては、残念な感じになってしまったが……
7:10 《現在地》
まだ西口に一縷の望みはある!
県道から適宜の脇道に逸れ、西口擬定地へ向かって移動する。
写真は1号トンネルが潜っている尾根を越える小さな峠の頂上だ。
ベルコンのようなアップダウンをよほど嫌う手段でなければ、坂道で容易く越えてしまえるような小さな頂である。
この峠を越えると……
浦賀水道越しに富嶽が正面!
そのまま額縁に入れて飾りたくなるような景色が唐突に出現。
そして私は直ちに思った。
この景色における聖域のような青い海上に1.5kmもベルコンを伸ばし、人類の便益で世界を上書きした先人たち誇るべき畏れ多さを!!
私こういうの大好き!