2022/10/28 15:50 《広域地図(マピオン)》/《現在地》
唐突だが、ここは上ノ国町の石崎漁港である。
状況は、これからミニレポ第301回の探索に向かうべく、漁港の一画に車を停めて、いつもの自転車に跨がったところ。
だいたい漁港という場所は広々としているので、旅先でちょっと車を停めて周辺の探索をしたいときに、よくお世話になっている。
それはともかく、この漁港は国道からは200mほど離れているので、まず国道へ出ないとな。
背後に見える道路を左に進むと、国道に出られる。
せっかく港に来たのだから、忘れず海にも挨拶する。
この港を地図で見ると少し変わっている。
すぐ隣を流れる石崎川の河口の一画を細い防波堤で仕切った部分が船溜まりになっていて、物揚場もその周囲にある。
そのため港全体が河口の一部のように見えるのである。
この川と港を隔てる防波堤は、海上まで途切れずにずっと続いているので、港内の水は全て海水なのだろうが、実際の港の景色も、まるで河口から海を見ている感じがした。
ん? (画像の枠内の辺り……)
封鎖されたトンネルがある!
しかも、かなり大断面の立派なトンネルだ。コンクリートの坑門もあるし。
私の探索計画にはなかった(おそらく)“廃トンネル”だ。
計画外だが、とても気になるので、見にいくことに。
今は人っ子一人なく閑散としているが、ひとたび大漁旗を掲げた船団が入港すれば、どこにこんな多くの人がいたのかと驚くくらい賑わうのだ。……たぶん。
漁具やらコンテナやらの雑多な道具が所狭しに並べられている物揚場に秘めたる活気の影を感じる。
この整理整頓がいまひとつである道を進んだ突き当たりに、トンネルが見えたと思うが、今のところ特に予告めいたものはない。
おおお! マジであるな。 見えてきた!
港口に突出している険しい岬の先端部を貫くトンネルであるようだ。
そしてやはり坑口前で道は封鎖されていた。
「通行止」とは特に書いていないが、物言わぬガードレールが通せんぼしている。
15:52
なんだこの状況は?!
遠目には、普通に道路のトンネルの入口がガードレールで封鎖されているように見えたが、ここに来て見ると、トンネル内に路面は続いていない……。
トンネルの入口に大きな段差があり、ガードレールは、道路からトンネル内に“転落”しないように設置しているように見える。
こんな不思議な状況は、さすがに想定外。
今まで見たいろいろなトンネルを思い返してみるが、こんなパターンは初めてだ……。たぶん。
これ、ただの道路トンネルではないのでは……。
やっぱりただのトンネルじゃなかったです!
ヤバいですこれ!
海に直通しています!
ズバリこいつは、
世にも珍しい、船舶用の水上トンネルだったらしいです!
現地には案内板の一つもなく、ただトンネルだけがあるが、国登録有形文化財「石崎漁港トンネル」というのが、こいつの正体。
この名前で検索すればちゃんと町公式の情報なんかもヒットするが、道路のことしか下調べしないで来たから、マジ偶然出会った(苦笑)。
見ての通り、とても古びた感じのする坑門である。
単純に「ボロい」というのもそうなのだが、トンネルマニア的視点からいうと、アーチ部分にコンクリートブロックを利用していることが古さの証明になっている。
一般的に、トンネルのアーチ部分の巻き立てに石材や煉瓦を用いたのが明治から大正の時代で、コンクリートをブロック状に加工したものをその代わりに用いるようになったのが大正から昭和の初期、それ以降は全て場所打ちしたコンクリートが使われるようになる。
早速の答え合わせだが、記録として伝えられているこのトンネルの竣功年は、昭和9(1934)年6月20日である。
まさに、構造からの見立てに違わぬ古さである。
が、ここで私が真に驚いたのは、断面の幅の広いことだ。
これも記録によると、 幅9m もあるそうだ。
昭和9年に、幅9mのトンネルだと?!
それって、
完成時点における、“日本一幅の広いトンネル” だったんじゃ…?
このセンセーショナルな推測の根拠は、古典道路トンネルファンには既にお馴染みの文献、昭和16(1941)年3月に内務省土木試験所が発行した『本邦道路隧道輯覽』である。
同資料は、我が国が昭和初期に建設した主要な道路トンネル100本のカタログであり、幅員の大きさ別に章立てがされている。
ずばり、戦前における我が国の道路トンネルで最大の幅員を有したとされるのは、昭和10(1935)年3月に広島県呉市の国道32號(現国道31号)に完成した吉浦隧道(位置)で、その幅員は9.8mであった。これが日本一の通説である。
9.8mであるから石崎漁港トンネルより80cm広いわけだが、しかし石崎漁港トンネルは昭和9(1934)年6月に完成しているのだ。
なので、完成から9ヶ月間は日本一広いトンネルだったのでは? ……という推測が働く。
ちなみに、吉浦トンネルが完成するまでの日本一は、昭和4(1929)年に完成した幅7.5mの桜山隧道(位置)というのが通説だ。
果たして当時、鉄道や水路用のトンネルで、さらに広いものがあっただろうか…? 私は無かったのではないかと思う。
さすがに意外すぎる伏兵と言わねばならないが、昭和9年の完成時点で、このトンネルは幅員日本一だった可能性がマジあると思う。
……と、こんな感じで今回は、トンネルマニア的視点から、この珍しいトンネルを観察していきたいと思う!
でも先に、ミニ机上調査編をどうぞ〜。
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