廃線レポート 朝熊登山鉄道 鋼索線  第3回

公開日 2015.9.8
探索日 2014.2.1
所在地 三重県伊勢市

激登!大築堤。第二隧道への接近


2014/2/1 7:45 (45分経過)《現在地》

第一隧道の出口に差し掛かっている。
麓からおおよそ600mの地点で、すでに後半戦だ。
だが、今回参考にさせて頂いた「鉄道廃線跡を歩くVII」には、この第一隧道より先の記述が無い。
藪が深いことが未探索の理由とされているが、最も藪の浅い季節に訪れた私の目には、藪などよりも遙かに衝撃的な光景が映っていた。

これは、スキージャンプの滑走路の跡ですか…?
そんな冗談を言いたくなるような美しい曲線の勾配を描く路盤が、おおよそ150mほど先に見える第二隧道の坑口めがけて続いていた。
周囲に人影はなく、孤独の中で対峙するには、余りにダイナミックな風景。

あの第二隧道を抜ければ、おそらく終点の朝熊岳駅が待っている。
かつてここを走った“機械”たちは考える事も無かっただろうが、我々人間にとっては最後の正念場、あるいは最終関門とでも表現したくなる風景だった。

これより私は、日本一の勾配区間へ向けた最後の上り坂へ挑む!



第二隧道へのアプローチに心が躍った私だが、逸る気持ちを抑えて、潜り終えた第一隧道の南口を確かめる。

保存状態は北口と同様に素晴らしく、現役でも活躍出来そうだ。
石積みによる意匠も北口とほぼ同じだが、扁額が省略されている点に違いがあり、ここには本路線にとっての表と裏の関係が、はっきりと示されている。



ところで、当日のGPSの記録から、隧道の出入口の位置をかなり正確に知る事が出来る(隧道内にいる時は測位されないので)。
そうして判明した隧道位置を地形図にプロットしたのが左図だ。
これを見ると、ケーブルカーの隧道というのは、一般的な道路や鉄道とはだいぶ違った地形に掘られていることが、よく分かる。

第一隧道が貫いている場所は、特に障害となる尾根が出ているわけではなく、むしろ周辺に較べて勾配が緩やかである。
普通の道路や鉄道ならば、敢えてこんな場所に隧道を掘ることはないだろう。
だが、ケーブルカーが出来るだけ一定の勾配を維持しながら、まっすぐに斜面を上り下りしようとする場合には、この平坦すぎる地形がむしろ障害となる。
そのため、平坦な場所を掘り下げて地下へ潜り込んでいるのが、この第一隧道なのだ。



ここでちょっとだけ寄り道をしてみよう。

簡単に坑門の上に登れそうだったので、そこからの見下ろす眺めを堪能してみようかと。
(北口もこんな簡単に登れたら、扁額を間近で観察出来たんだけどなぁ)



よし! 坑門上に辿りついた。

こうして隧道の裏方へ回り込んで始めて分かったが、緻密な石組みの坑門を支えているのは、コンクリートであった。
しっかりとコンクリートが石材の隙間や裏側を埋めており、堅牢性を高めていた。

大正末期にしては少しばかり時代錯誤的な完全石積坑門は、古色を装う厚化粧だったというわけだ。
観光地としてのTPOを弁えた装いといえる。もちろん私はそれを評価する。

そして、ここへ登った本来の目的を “堪能” した。



うっひょぉ〜〜!

壮観で爽快な眺めだ!

ケーブルカーの廃線跡は、こんなにも気持ちが良い!

それにしても、“力技”という表現が、こんなにしっくりとくる交通手段もないだろう。

登山を楽にしたいという人々の欲求の強さ…、というか多くのケーブルカーが観光地にあることを考えれば、
むしろ、「登山を楽にして多くの人を誘い込みたい」という、ある種の力強い商売魂を感じさせるものがある。
こうした貪欲さは我が国の力強い発展の礎であったに違いなく、禁欲や高潔でないなどとと恥じる必要は全く無い。

また、大正時代に建造されたケーブルカーの跡が、廃止後70年を経てなお、これほどに鮮明だということにも驚かされる。
その最大の理由は、ケーブルカーの跡はケーブルカー以外に転用のしようがないということであろう。
鉄材を供出した後に残った堅牢すぎる路盤は、撤去も転用も困難な巨大遺跡となってしまった。



第一隧道を出た路盤は、そのまま地面を無視して上昇を続ける。
そしてその上昇を助けるのが、この巨大な傾斜した築堤である。

先ほど地形図で見たように、この辺りの山の傾斜は本来緩やかだが、
その緩やかさを無視して急な勾配が作り出されているのである。

もちろんすべては、最終的に山頂へと辿りつくための周到な策略。
ケーブルカーは、単なる力押しのパワーファイターではないのである。



7:49 いよいよ第一隧道南口を出発する。

足元には隧道内よりも一段階急になった築堤の路盤がまっすぐ続いている。
また、先の方でさらにもう一段階急になっているのが見て取れる。

ここからは藪が濃いという事前情報があり、確かに坑口前は多少濃かったが、
少し離れてコンクリートの築堤に差し掛かると問題にはならなくなった。



左端の階段部分を選んで登る。
相変わらず段の高さは低いが、段と段の間隔はだいぶ狭く、全体の勾配としては、これまでで一番急だった「跨線橋」手前辺りに匹敵していると感じる。
そしてこの先にはもっと急な部分が見えている。
さらに第二隧道が視界の最も奥の方に鎮座している。

また、遠目には極めて堅牢のように見えた築堤であるが、実際に足を乗せてみると、階段が相当に歪んでいる。
写真でも全体が内側に凹んでいるのが分かると思う。
このような状況になる理由は、築堤全体が沈下しつつあるのだと思う。

築堤は高い所で地上から10m近くはありそうだった。
しかし路盤の縁に転落防止柵などはないから、足元に要注意である。




築堤から振り返る第一隧道。

隧道は小さな山を潜っているように見えるが、それは目の錯覚であり、実際は奥に向かって緩やかに下っている斜面を、より急な下り坂で貫いている。

それと、今はこういう眺めだが、おそらくもう少し進めば、もの凄く眺めが良くなる予感がする。
何が見えるかはまだ分からないが、この第一隧道の向こう側には、遙か海岸まで自分より高い障害物は無いと思われるのだ。




この辺りから、一段と勾配が増しているようだ。

…まだ日本一では無いと思うが、確実に記録へ近付いている気がする。
ここで地面に追いつかれたので、築堤は終わりとなった。

ところで、勾配は急にガクッと変わるわけではなく、曲線を描いて変化するので、徒歩だとこの変化への気付きは少し遅れがちだ。
変化が徐々に進む辺りで、一歩を進めるタイミングの違和感や、妙に息が上がるなどの体の異変に気付いて振り返ると、勾配が増していることを知るのである。

すぐ目の前の路盤に横たわっているのは、錆び付いた架線柱だ。
レポートでは省略したものもあるが、すでにここまで4回くらい架線柱を目にしている。
目にした全ての架線柱が根元から折れていたのは、もしかしたら偶然ではなく、左に見える電線を架設するために故意にされたのかもしれない。



第二隧道が100mくらい先に見えるようになった。

第一第二隧道間の明かり区間の水平距離は、地図読みでおおよそ200mである。
そして、この間でおおよそ100mの高度を稼ぎ出しているようだ(これも地図読み)。
単純計算でも区間平均500‰という超・急勾配である。

現在位置はこの明かり区間の中間を越えており、第二隧道はもう結構な近くに見えるのだが、それでも中々近付かない。
足元が悪い事や、藪がそこそこ邪魔なことも理由ではあるが、勾配のきつさが最大の原因だ。
また、忘れてはならないのが、既に麓の駅を出発してから1時間弱で高低差300m近くを登攀をしているという事実である。疲れてきたぞぉ!!

しかし、こんなに額を汗して“苦闘”しているにも関わらず、おそらく写真だと、この勾配の強さが伝わりづらい。
自分で写真を見てもそう思うので余計にもどかしいが、比較できるような“水準”が、この大荒れの路盤にはないのだから、やむを得ない…。




否!

皆さまに勾配を伝える写真の撮り方があった。

え? いつもの「自分撮り」じゃないかって??  
違う! いつもあれに頼っていては成長がないでしょ(苦笑)。


この写真で、勾配を感じて欲しい!
↓↓↓


ど う … だ ろ う か ?

伝わっただろうか?

この、足の間接の変な角度を見て欲しいッ! 見てッッ!



………、

現場では「これだ!」と思った撮影方法だったんだが、やはりイマイチ伝わりにくかったかも知れないな(苦笑)。



やっぱり、小細工抜きで普通にこう撮影した方が伝わるのかも知れない。
やっとやっと近付いてきた2号隧道であるが、本当に見上げるようだった。
どこまで近付いても、“見上げる”以外に見る方法が無いのである。常に上にありやがる。

しかもだ! これで最急を極めたというわけではなく、

ますます勾配が増える気配がある!!



ここで私は、ふと思い出したように振り返ってみた。



「キター」って叫び出したいのを抑え、何も見なかったフリをする。

そしてすぐにまた正面へ向き直り、重い足を前に出す作業を再開するのであった。

今ここでこれまでずっと溜めてきた“眺め”を“解放”してしまうのは、ちょっと勿体ない気がしたのだ。

多分、これは最後まで登ったら、もっともっと凄い事になっているだろうからな…、自分に勿体ぶろう。



これは地味に怖い…。

先程来、左端の階段部分が土砂や藪に隠れているので、
やむを得ず急なスロープを歩いていたのだが、
ついにこのスロープ部分にも大量の瓦礫が積み重なりはじめた。

外見的にはその辺の山にあるガレ場みたいだし、勾配もガレ場と思えばありがちなものだが、
ここはガレ場じゃないんだぜ! この瓦礫の下には滑らかなコンクリートの平面がある。
だから、ガレ場のつもりで無造作に石を踏むと、転がり出す石がとても多い。
実際に私がスッ転んで確かめるまでもなく、さっきから何度も足元から石が弾けている。この危険は百も承知だ。

私は少しでも安定性を求めて、根張りのある脇の草むらを歩く事にした。
これでまた一層ペースは遅くなるが、今は着実に進むことが大切だ。

第二隧道は、もう目前なのだから。
(しかし、最初に「目前」と思ってから、もう結構な時間が経っている)




7:59 (59分経過) 《現在地》

隧道間の最初から見通せていた明かり区間を、10分掛けてよじ登り、

ようやく第二隧道へ到達!


ここでは、第一隧道とは異なる坑門の意匠をチェックするよりも先に、

洞内の異様な光景に目を釘付けにされてしまった。



この隧道の勾配(笑)。




いや、これは笑うしかないでしょ? これが隧道って。 発電所の水路かよーー!


たぶん、これ始まったね。

例の“日本一”

いや、

“東洋一”の急勾配 とやらが。