2009/1/24 7:10
前の夜を15kmほど南にある「道の駅」で過ごした私は、空が明るくなるのを待って車を「佐久間駅」に移動させた。
ここが今日の探索のスタート地点である。
さっそく車から自転車と探索道具を降ろし、冬の冷気の中に佇むような駅舎を前にする。
リュックの中には、忘れずに輪行袋をしのばせた。
予定通りに進めば輪行のお世話になることはないはずだが(県道288号で大嵐に向かい、帰路は対岸の県道1号でここに戻って来る計画だった)、もしも大嵐に到着するのが夕方以降になった場合には、輪行で逃げ戻ろうと思う。
そのためには駅舎内に掲示された時刻表も確認しておくべきだったが、夕方の時間帯ならば1時間に1本くらいはあるだろうと言うことで、見ないでしまった。
ここ佐久間駅は、平成17年に隣接する水窪町や天竜市などとともに浜松市の一部となる以前は、ひとつ南の中部天竜駅とともに旧佐久間町の中心的な駅であった。
天竜川とその支流にひらけた僅かな谷底を生活圏とする佐久間町は、佐久間ダム完成と同じ昭和31年に佐久間村から町になった。
しかし、明治以前から天竜川舟運の重要な中継地のひとつとして栄えた場所であり、明治中頃から大正にかけて大王製紙の工場が村内に進出したことで最盛期を迎えた。
当時の中部(なかべ)地区住人に占める船乗りの割合は限りなく100%に近かったという資料もあるくらいだ(『天竜川の交通史』)。
さて、全長13.7kmある飯田線旧線(中部天竜〜大嵐)のうち、この佐久間町内にあるのは僅かな部分である。
新旧線の分岐地点は中部天竜駅の200mほど北側、「天竜川橋梁」の南詰めにあたる位置だ。
324mの旧天竜川橋梁を渡った旧線は、すぐ(旧)佐久間駅に入っていた。
そして駅を出るとすぐに、付け替え以前は飯田線内で最長の隧道だった「佐久間隧道」に潜っていく。
隧道を出た先は、既に湖底である。
セオリーから行けば旧線探索は中部天竜駅より始めるべきであったが、『鉄道廃線跡を歩く6』(以下『鉄歩』と略)などの記述から(旧)佐久間駅以南に新発見は期待できないと判断。直接「旧佐久間駅跡」に向かうことにした。
日の短い季節だけに、あまり時間に余裕がないという判断もあった。
新線の佐久間駅から、旧線の佐久間駅跡へ向かう。
そのために通る道は、佐久間町内を東西に横断する唯一の国道、国道473号だ。
町中もバイパス化はされておらず、“酷道”といっても良いような軒下すれすれの道である。
そのそもこの路線番号を見てお分かりの通り、平成5年に国道指定を受けたばかりの新しい国道だ。
この日は土曜日であったこともあり、午前7時を回っても通行量は非常に少なかった。
というか、密な家並みはあっても、なぜか動く人影を見ないのだ。
慣れない土地での緒戦ということで、あらゆる景色が私をまだ拒絶している気がしたのは被害妄想だろうか。
今日一日で克服したいと思う。
「佐久間発電所前」という丁字路を国道から別れて左折する。
すると急な下り坂の先に、山間部とは思えないほど幅の広い天竜川と、それを渡る濃緑色のトラスが現れた。
橋の上には単線のレールが敷かれており、これが飯田線の現在線(新線)である。
まずはこのまま橋のたもとへ行ってみた。
昭和30年建造の天竜川橋梁。 【銘板画像】
この天竜川橋梁の変わっているところは、歩道が隣に併設されていることだ。
普通の鉄道橋ならば保線用通路になっているところが、この橋では歩行者専用の通路として解放されている。
実際、私がこの日はじめて出会った人は、橋の向こう側から巧みに自転車を操って現れた。
聞くところによると、この歩道橋部分は住民の要望を受け解放されたもので、主に中部天竜駅への近道として使われているということだ。
対岸に用事はないが、珍しい景色に惹かれて少しだけ渡ってみた。
しかし300m近い長さは、歩くには少々長い。
また、人とすれ違おうにも肩を寄せ合う事は必須という、なんともスキンシップな橋である。
そうこうしているうちにも対岸からまた人影が近づいてきたので、私は踵を返した。
なお、旧橋の架かっていた位置は…
現橋の少し上流のこの辺りであったはずだ。
残念ながら、その痕跡はほとんど残っていない。
河中に並んでいた橋脚は取り払われ、此岸(左岸)の橋台は佐久間ダムの放水路を造ったときに消失した。
唯一右岸には橋台である可能性が高い構造物が残っているというのが『鉄歩』の見立てだが、その写真には魅力を感じなかった。
なお、旧橋は曲弦トラスであったようだが、撤去当時も築令は20年と若く、何らかの移設転用が図られた可能性は高いと思うが、行方は分かっていない。
7:17
旧佐久間駅の跡地は、佐久間ダムの生みの親である電源開発株式会社の所有する「佐久間発電所」となっていた。
ちなみにこの駅、昭和11年に三信鉄道としての開業してから国有化される18年までは「佐久間水窪口」という駅名だった。
『鉄歩』によれば、この構内のどこかにあるはずなのだ。
佐久間隧道の南口が…。
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7:22
あった!!
これは分かりにくいワケである。
坑口は、建屋の裏手に取り残されていた!
昭和12年に全通した三信鉄道67km内には、あわせて171本もの隧道があった。
単純計算でキロあたり2〜3本の隧道があったことになるわけで、まさにひしめき合うように隧道が並んでいたと言っても良いだろう。
そしてこの佐久間隧道こそが、171本中のロンゲストだった。
『三信鉄道建設概要』に記録されている全長は5290.8呎(フィート)。
メートルに直すと、約1563mである。
今日の基準から見ればさほど長くはないが、とにかく100mクラスの隧道が圧倒的に多かった飯田線内では十分に長かった。
そして予想の付いていたことではあるが、隧道には立ち入ることが出来なかった。
『鉄歩』によると、「(佐久間発電所の)資材置き場などに使われている
」そうで「入口から50mほどにわたって軌間700mmのトロッコ線路が敷かれている
」という。
鉄格子の隙間から覗いてみると、確かに隧道内には雑多なものが置かれているし、右寄りの洞床に鉄道レールというには貧弱すぎる軌条が存在する。
照明も点灯しており、倉庫として現役の施設であるようだ。
残念だが、鍵もしっかりかかっているし、扉を介さず出入りできるような隙間もない。
打つ手無しである。
奥が気になるよ〜。
ズームを一杯まで効かせて覗くと、50mほど先で緩やかに左へカーブしていて、その先は一際明るいようである。
本当にこれがただの倉庫なのかどうか…何か施設があるのではないか。
まあいずれにしても、向こう側へ貫通している可能性はゼロだ。
出口は間違いなく佐久間ダムの水面下にあるはずで、これはいわゆる「ダム突っ込みトンネル」なのである。
過去にこの種の隧道を何度も探索したことがあるが(代表は「北上線旧線の仙人隧道」)、当然のことながら内部のどこかに分厚いコンクリートの壁が造られていて、通り抜けできないようになっている。
ただ、その位置が100m先なのか、それとも1400m先なのかは分からないのである。
右の写真は、『静岡県鉄道興亡史』(以後『興亡史』とする)に掲載されている在りし日の佐久間隧道坑口である。
写真からだと南口なのか北口なのかは分からないが、心なしか私が目にした南口よりも断面が小さい気がする…。
いや、こんなものなのか。 すごく、とってもキツキツです…。
こんな状態で1500mを超える隧道を走り抜けるのは、ちょっと閉所恐怖症の人には我慢ならないような気がする…。
なお、写真にも架線が写っているが、国鉄飯田線は開業当初から全線電化されていた。
それゆえ、隧道の断面規格もいくらか高さに余裕を持たせていたはずだが、はっきり言ってこの写真の隧道は狭い。
感想としてはそればかりだが、こんなにフレーム一杯に坑門と電車しか写ってないんだから仕方がない。
内部に入れない“穴埋め”にはならないが、さらに『三信鉄道建設概要』(以後『建設概要』とする)から建設当時の話を拾ってみよう。
佐久間隧道は全線中最長のものにして四十分の片勾配なるのみならず岩質堅硬にして鑿岩機を使用し導坑貫通に満二ヶ年の日子(一日平均約七呎≒2.13m)を費やせり。
南口坑門の上を国道473号が横断している。
そして、その向こう側は「嫌になるほど」激しく山が屹立している。
これが3億トンの佐久間ダム湖水を堰き止めている「佐久間峠」の峰である。
今の地図には一切の道も峠の名さえも描かれていないが、ダム完成以前には車は通れずとも道はあり、木樵たちが仕事の行き来に日常的に利用していた。
また、ダム建設時には峠を越えて大嵐に至る全長15.6kmの索道が建設されたと言うが、その痕跡が今も残っているかは不明である。
また、今では幾筋もの高圧鉄塔が峠を越え、目には見えないが、地下を毎秒300トンのダム水が発電所めがけ流れている。
未だ湖面を見るに至らないが、これにて「廃線レポ」としての紹介はしばし中断となる。
このレポートの次回は、しばらく湖面をさかのぼってから先の話になるからだ。
それまでの間は、「道路レポート 静岡県道288号佐久間大嵐線」として旅の続きを紹介することになる。
右の地形図は昭和20年代のものだが、現在地である「佐久間」駅(下の方だ)から「大嵐」駅までの経路に目を通していただきたい。
数多くの隧道が描かれているのが分かると思う。
私が数えたところ、全部で34本もあった。
そして私はいままで、この無数にある廃隧道について、個々の名前を確認しようとしたレポートを見たことがない。
『鉄歩』でさえ、「佐久間隧道」と「夏焼隧道」しか名前を挙げていなかった。
確かにその大半は、年を通じて湖面から一切顔を出さない隧道なのであるが、せめて名前くらいは知りたいと私は思った。
そして知ったなら、コピーも容易いネット上に記録しておきたいと思った。
いろいろ調べたところ『建設概要』にリスト形式で橋と隧道の名前が載っていたので、以下にその名称を南から順に箇条書きで挙げたいと思う。
隧道名を見るだけで幸せになれる人や、呪文詠唱が好きな人はぜひ音読してみて欲しい。
それ以外の人は、まあ、スルーの方向で(笑)。
(赤=駅、青=橋、茶=隧道、太字=長さ千呎以上)
…ふぅ。
やり遂げた感満載だ。