岩見三内森林軌道 大滝又支線 第1回

公開日 2008.11.21
探索日 2008.11.10

平成の大合併によって県都秋田市の仲間入りを果たした旧河辺町は、古くから林業の盛んな地域であった。
その中心地和田にある奥羽本線和田駅を起点として、岩見川とその支流に沿って長大な路線網を伸ばしていたのが、秋田営林局和田営林署の所轄する岩見森林軌道である。
この路線は全線が二級規格であったが、岩見線と岩見三内線の二線を核として、地図に現れない作業支線などもあわせれば、100kmを下らない総延長があった。

大正10年頃から順次開通したが、昭和42年までに全廃され、現在では跡地の大部分に並行し或いは重なって自動車道が開通している。

今回紹介するのは、このうち岩見三内線の最奥部に位置する「大滝又支線(全長1.4km)」だ。




秋田出身の“山チャリスト”としては、「河北林道」と呼んだ方がしっくり来る、一般県道308号河辺阿仁線。
この道がかつての林鉄「岩見三内線」をよくなぞっているが、中間には岩見ダムによる「河北湖」があり、林鉄跡で湖底に沈んでしまった部分も少なくない。

大滝又沢は、三内川のもっとも上流の支流の一つであり、ダムよりもむしろ山を越えた北秋田市(旧阿仁町)に近い源頭の沢である。
「大滝又支線」は当然、その線名から大滝又沢に沿う路線としてイメージされたが、距離が短いせいか歴代の地形図に記載されたことがなく、起点も終点も分からい状態での“手探り”探索となった。


実は、2004年9月に一度、この地で林鉄のものと思われる隧道を探したことがある。
そのときにはメンバーは多かったのだが、藪と夕暮れのため視界が優れず、ブル道らしき道の奥で埋もれた隧道の坑口を発見しただけで、反対側を見つけられないまま探索を終えていた。 (しかも、そのときの写真を紛失…)

そのときに見つけた隧道は、上の地図中にも記している通り、赤倉沢と大滝又沢をつなぐ線上にある。
そもそもこの隧道を捜索した理由は、それが昭和60年頃の地形図にポツンと描かれていたからなのだが、隧道の存在意義を深読みすれば、さらに大滝又沢方向へと道が伸びていたのではないかと考えられるのである。

何か“大ネタ”が期待できるかと言われれば返答に困るマイナー林鉄だが、私の興味を引くには十分な状況である。




素朴なアプローチ


2008/11/10 10:58 【現在地(別ウィンドウ)】 

出発地点は、河北林道の支線のひとつ、赤倉沢林道の終点だ。
岩見ダムから約12kmの道のりはクルマで来ることが出来る。
そして、クマたちが冬眠の準備をしているだろう晩秋の山へは、ミリンダ細田氏を誘って二人で入ることにした。

2004年の探索時にも同じように林道終点を出発し、赤倉沢左岸山腹に沿う廃道を見つけて辿っていったのだった。
隧道跡地へは、さほどかからずにたどり着けたはずだ。




長靴でも渡れるくらいの浅い赤倉沢に入ると、さっそく林鉄の痕跡が現れた。

細田氏、水中に銅色のレールを発見。

この地点よりも上流に林鉄があったのだなどと話し合っていると、さらなる発見があった。




レール発見地点のすぐ上流に、赤倉沢を跨ぐ橋の跡を発見したのだ。

水面からさほど高くない位置を渡っていたようで、氾濫源には石を空積みにした築堤もある。
その先端にある橋台も、同様の作りであった。

遺構としては騒ぎ立てるほどのものではないが、これによって前回発見した隧道が林鉄由来のものであったという可能性がぐっと高まった。




橋の対岸(左岸)側。

こちらには橋台らしいものは見えないが、崖にへばり付くように橋脚の一部と思われる木材が立っていた。
細田氏の頭のすぐ右上である。



橋台のすぐ脇の急斜面を強引によじ登り、出来るだけ正確に軌道跡を辿ろうとする二人。

マイナー林鉄との熱い戦いは、こうして始まった。





 失われた隧道と、砂山の苦闘


4年前にもここを通って隧道へ向かった。
しかしそのときは午後7時頃であり、日の長い9月とはいえ、ほとんど真っ暗だった。
しかも、ちょうど林道の終点あたりで“相方が行方不明になってしまった”と狼狽えるおじさんに出会って、爆竹や大声で行方不明の人を呼び出しながらの探索だった。
こっちの人数は5人もいたが、夕暮れと遭難騒ぎのため、何となく気持ちの悪い道として記憶されている。

…ちなみにその遭難者は、翌朝無事に保護されたと聞いている。




4年前の記憶では土が露出した「ブル道」だったが、今回は藪のひどい廃道に逆戻りしていた。
前回はこんなに進みにくくはなかったはずだ。
背丈よりも育った雑草は、枝にトゲのあるもので、我々はここで予想外の苦戦を強いられたのである。

最小限にナタを振るいながら前進していく。




杉の伐採地を右手に見ながら、浅い掘り割り左カーブ。

トンネル or 行き止まり という決断を迫る地形となった。
さすがにこの場面は強く印象に残っている。




11:19 

出発から約20分。
てきぱき歩けば10分くらいでも来られる場所だが、大滝隧道(仮称)の西口擬定地へ到着した。
旧版地形図にトンネルの記載があることや、あからさまなこの“すり鉢形”地形、前回この中で支保工と思しき木の骨組みを発見したことなど、当地を坑口跡と特定する材料は豊富にある。

さらに、前回はブル道の先にあった隧道跡という認識だったが、今回は林鉄跡と断言できる。
昭和42年頃の廃止までは、ここに推定全長100mほどの隧道が存在していたのだ。




今回の探索は、この隧道の裏側坑口を探ることが第一の目的であり、それを成し遂げたとき初めて、「大滝又支線」の扉は開かれると考えられる。

我々は、まず目の前に立ちはだかる尾根の裏側へ、直接嶺越えのアプローチを敢行することにした。

かなり急ではあるが、杉の造林地であるから這って歩けないことはないし、4年前の薄闇の中でも私と「くじ」氏はすでにアタックしていた。




地形図から読み取れる尾根までの高低差は40〜50m。

早くも息が上がる。




11:24

赤倉沢と大滝又沢の間の尾根へたどり着く。

尾根は伐採の対象外であるらしく、周辺にないモミやミズナラの巨木が茂っていた。
第一次充実感を体感するが、まだ気を抜ける場面ではない。
むしろ、問題はこの後なのだ。




これだ! この急勾配!

4年前、今より怖いもの知らずだった私とくじ氏は、谷底もほとんど見えない状況下で、ライト片手にここを下った。
そして半ばまで下ったところで、今回は落葉のため尾根からも見通せているが、眼下の巨大な砂防ダムの存在を知った。
大滝又沢と中芝沢の合流地点には砂防ダムがあって、目指す隧道の出口はその右岸のどこかにあるはずだが、辺りは背丈を超える草藪と、油断ならない砂地の斜面とが複雑に交錯していて、手探りでの坑門捜索は早々に断念せざるを得なかった。

そして、再び尾根へと戻る最中。
…恥ずかしかったので当時誰にも言わなかったのだが…

私は足を踏み外し、咄嗟に伸ばした手がたまたまツタを掴んで宙ぶらりん。
それで九死に一生を得たという、怖い体験をしている。

細田氏にもその話は今回初めて告白したのだが、いま私は、またこの斜面に挑もうとしている。
これで緊張しないはずがない。




地形図を見れば見るほど、この尾根から東へ下ることは難しいように思える。
この等高線の密度は「崖」の記号に変わってしまう限界の密度であり、我々も普段ならば真っ先に避けるエリアである。
そこは、一見して山林であっても、実際には限りなく崖に近い斜面であるはずなのだ。

だが、対岸を通る県道もまた河床からはかなり高いうえ、谷底には砂防ダムと落差20m近い「大滝」があって、対岸アプローチを忌避させた。




11:27

また宙ぶらりんになるのではないかという恐怖は、尾根の上に立ちつくす限りいつまでも振り払えそうもなく、意を決して下降を開始した。

前回に比べれば条件は比較にならないほど良い。

慎重に行けば、問題は無いはずだ。



下り始めてからは早かった。

というよりも、一歩一歩下ることがむしろ難しい急斜面。
油断すると、ズルズルと加速してしまう。

夕闇の中で私が足を踏み外したのも頷ける、砂地の嫌らしい斜面であった。
しかも、今回はその上に落ち葉がうっすら乗っていて、手掛かりとなる灌木の茂らないエリアに立ち入ることは、即墜落を意味していた。
その点に注意し、やや北側(川の上流方向)へ向かって下りつづけた。

先ほど登った高さとの比較を、頭の中で勘定しながら。




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改めて捜索された隧道坑口


登った分はそろそろ下ろうかという頃、斜面から腐葉土が消え、砂と瓦礫が堅く締まった白っぽい地形に変わった。
細い灌木さえもなくなり、一年生の草だけが茂っている。
そこは誰が見ても明らかな崩落斜面であり、4年前もここまで来て「捜索困難」と判断したと思われる。


目指す坑口は、この斜面のなかに存在していなければならない。

隧道発見に燃える我々にとっては、それはとても冷徹な風景だった。




11:33 

巨大なスコップで山をひと掻きしたような凹んだ斜面が前方を横切っている。

そしてその斜面の対岸に、4年前には発見することが出来なかった平場を見つけた。

林鉄「大滝又支線」への欲しかった切符は手に入りそうだが、その前に期待されていた発見は、失敗に終わりそうだった。

眼前にある尾根にも届かんとする巨大なすり鉢状の崩壊斜面は、古い隧道の崩壊に原因があるのかも知れない。
この山の土質ならば、十二分にあり得ることである。




すり鉢の底を埋めるトゲトゲの藪を高巻きで避けつつ、平場の目前へと迫った。

やはりそれは軌道跡を匂わせるサイズの平場である。

そしてそれは無造作な土の斜面から始まっている…



残念ながら大滝隧道(仮称)の東口は、斜面をはいずり回って探すまでもなく、現存しないことが明らかである。

時期が悪ければ即座にこうは判断できなかったかも知れないが、藪の浅い今なら断定できる。


細田氏は未練がましく首を傾げていたが、私は4年前のことがあるだけに、この展開も十分予感していた。

それよりもむしろ、これまで発見できずにいた林鉄への入り口が見つかったこと。
それが嬉しかった。
この先は、正真正銘、「地図にない林鉄跡」だ。




まだ残念そうな細田氏をなだめ、前進を開始する。

林鉄跡を探るには、今がベストのシーズン。
それを強く実感できる、雑木林の中のスタートであった。

右前方には、一気に近づいた砂防ダムがある。
軌道跡はその脇を乗り越え、いよいよ大滝又沢へ入り込む予感だ。




予想通り、砂防ダム脇を越えた。

古そうに見えるこのダムも、軌道が廃止されてから造られたものらしく、ダム際で軌道跡は削り取られて消えてしまった。

それから数十メートル、一切の平場が現れず、次第に不安になってくる。

まさか、今のところで軌道は終点だったのでは… と。


…でも、そんな不安に…。






ぱ〜んち!


軌道跡復活を告げる、
そこそこ大きな橋の残骸。


隧道消滅の落胆も、これでだいぶ癒された。
そして、これからの発見は、全部プラスの得点になる。




さあ、なにが出る?! 
林鉄王国秋田のマイナー林鉄!