廃線レポート  
藤琴粕毛内川林鉄 その1
2005.5.9


 今回は、またも林鉄探訪にお付き合い願おう。

紹介するのは、正式名称「藤琴粕毛内川線」という、大層長い名前の、林鉄である。
秋田県山本郡藤里町の北部、世界遺産登録以来とみに露出度の上がった白神山地、その懐深くに位置する全長3500m足らずの、小規模な支線だ。
規格的には森林鉄道2級であり、昭和8年竣工、昭和38年廃止とされる(JTBキャンブックス刊『全国森林鉄道』巻末資料より)。

この路線を語る前に、藤里町の林鉄の全体像を理解して頂きたく、右の図を用意した。
なぜ面倒なことを要求するかと言えば、今年の山行がでは繰り返しこの地域が取り上げられる公算が高いので、今のうちに把握していただくと、後が楽だと思うのだ。
無論、内川支線単発でも、それなりに見所はあるが、まだまだ藤里の林鉄…ひいては、白神の林鉄は、めちゃくちゃ奥が深そうなのである。

前置きが長くなった。

藤里町は、昭和30年以前は藤琴村と粕毛村という、二つの村であった。
そして、この事実は今日の藤里村の地図を見ると、とてもよく理解できる。
町役場が置かれている藤琴集落付近で粕毛川と藤琴川が合流し、一本の藤琴川として、やや下流で米代川に注いでいる。
藤里町のほぼ全ての集落は、このいずれかの河川の傍に立地しており、特に多くの集落を点在させる粕毛川の河岸段丘は著名である。
元々は、この粕毛川流域が粕毛村といい、その景勝地素波里峡の一字が、現在の町名に引き継がれている。
同様に、藤琴川流域が藤琴村のかつての村域であった。

そして、この粕毛と藤琴の二つの流れは、村の交通網ともぴったり一致しており、大正末期から昭和中期にかけては上流域唯一の交通手段であった森林鉄道についても、例外ではなかった。
右の地図の通り、粕毛川沿いには、粕毛林鉄(正式名は「藤琴粕毛線」18.6km 大正8年〜昭和38年)が通り、藤琴川沿いには藤琴林鉄(14.7km 大正元年〜昭和38年)が、奥地にまで支線網を張り巡らせていた。

このように林鉄網が町内の主要な集落全てに行き渡っていた藤里町であったが、県内の他の地域に先駆けて、林鉄のトラック林道転換が行われている。
これは、昭和33年7月に米代川流域を襲った集中豪雨により、特に被害の大きかった藤里町内では、藤琴・粕毛の両幹線林鉄が復旧困難なまでに破壊された為である。
同時期は、ちょうどそれまでの林鉄による運材から、林道を利用した自動車運材に時代がシフトし始めた時期(秋田営林局管内では昭和37年から9カ年で林鉄の自動車道転換計画を完遂している)だった。


というふうに、昭和33年の洪水を契機にして、突発的に廃止された区間も相当数有するであろう藤里町の林鉄。
ここに私が期待する発見は…、

そう、もちろん、 撤収できずに残ってしまったレールなど、現役さながらの遺構群である。

果たして、期待するような発見があったのか。
まずは、白神山地における林鉄探索の最初の一本
「藤琴粕毛内川」のケースを、見ていただこう。



山行が合同調査隊 出陣!  
2005.5.3 8:04


 これが、正しい林鉄探索の姿勢です。

二人の視線の先にあるものは、こちらのレポを見ていただくとして、今回の合同調査に参加したのは、私と、写真に写る三人の、合計四人だ。

藤里町の中心地藤琴集落の片隅、藤琴川の河原に残る粕毛線起点の橋台に立つのが、手前からくじ氏と、パタリン氏。
ひとり草原でそっぽを向いているのが、山行が合調隊一のクールガイ ふみやん氏である。(彼のサイト『flat out』はこちら)

この四人で、未だかつて進入したことのない、粕毛川の奥地を目指す。



 粕毛林鉄の起点藤琴から、中間地点である素波里までは、既に昨年中に探索済みであり、途中三つの隧道が存在することも、前出のレポートで紹介している通りだ。
今回は、車で目的地まで移動するが、道すがら、私が案内役となり、藤琴集落内の二つの隧道を再確認した。

このうち、以前「二号隧道」と紹介した、藤里中学校のグラウンドの下にある隧道だが、なんとすっかり水が抜かれていた。
坑口付近に側溝が新設されており、林鉄現役当時のままの玉砂利が敷き詰められた洞床が、すっかり水面上に現れていた。
特に、洞内が再利用されている痕跡はなかったが、今後何かに使われる予定があるのかも?




 さて、一気に舞台は移り(やっぱ、車移動は早いねぇー)、粕毛川最奥の集落よりも上流、素波里ダムの直下にある不動滝へ来た。

これは、県道からはやや寄り道であるが、生粋の滝マニアであるくじ氏への、ちょっとしたサービスである。
私も滝は好きなのだが、くじ氏の6日間連続滝見旅行には参った。
というか、この合調自体が、彼の「スペシャル滝見ウィーク」(ゴールデンウィークと世間でははしゃいでいるが)の三日目なのであるが。

とにかく、不動の滝である。
林鉄とも無関係ではなく、この滝がすり鉢のような滝壺に降り注ぐ傍を、粕毛線は通っていた。
このもう少し上流で、ダムに遮られ、林鉄跡はしばし見えなくなる。



 素波里ダムで県道は終点となり、代わりに元林道の町道が湖畔に誘う。
素波里ダムは、秋田県内では比較的よく知られた小学校の遠足の地であり、私も経験済みだ。
ちょうどこの日はゴールデンウィークの最中で、湖畔のキャンプ場にはカラフルなテントが花開いていた。
子供たちの笑い声のただ中を、2台の車両に便乗した4人が通り過ぎる。

素波里ダムは、昭和45年に完成した多目的ダムだが、洪水被害の予防という建設目的が大きかった。
戦前より調査が行われてきたダムの建設を早めたのは、昭和33年に流域を襲った集中豪雨の甚大な被害だったが、その水害でちょうど寸断された林鉄は、復旧されぬまま湖底に沈んだものと思われる。

この日は、雪解けの水をなみなみと湛え、溢れ出しそうなほどだった。
実際に湖畔の木々が水中に半分没していたりしたから、少し溢れ気味だ。



 キャンプ場より先は、山菜採りや白神の峰峰の登山者くらいしか立ち入るもののない、本格的な山岳ダートである。
チャリでは来たことがなかった道だが、いずれはこの先の林道にも行ってみたいという希望は、持っていた。
だが…、
延々と続くアップダウンを車窓から見ていると…なんか、お腹いっぱいになった。

ダムサイトから林道を9kmほどで、残雪に阻まれ、これ以上車では進めなくなった。
当初目的としていた、ダム上流の粕毛林鉄(本線)は、まだだいぶ林道を行かねばアプローチできないので、断念。
その代わり、ちょうどこの傍の内川という支流沿いにあったと思われる、内川支線という林鉄の探索を、企図したのである。



 そして、午前9時24分。

我々は沢用の装備に着替え、直ぐ先を流れる、内川への徒歩アプローチを開始したのである。

余談だが、
どうも私は、SF501(愛用のLEDライト)を、自宅に忘れてきたらしい。
ふみやん氏が、自宅に迎えに来たときに、ちょうどカレーうどんを頬張っていたからうっかりしてしまったと、パタ氏に正直に理由を説明したらば、何とも言えぬ顔をされてしまった(写真はアンニュイな表情のパタ氏)。
とりあえず、ライトはパタ氏が持参しているので、かーしーてー。

だってだって、忘れてくる私も悪いけど、 未だにライトという装備を持ってきたことのない


くじ氏は、どうなんよ?!


 


いきなりの 先制パ〜ンチ!
9:28

 チョイ!

何か思いがけぬ、そして期待以上の発見が起きたとき、私の、呼びかけはいつもこの言葉である。

 アレって、もしや?

足元に流れ落ちる内川。
林道がそれを渡る橋が見えたとき、一緒に、別の橋が見えてしまった。

 マジかヨ!
恥ずかしいが、未だ私の驚きの言葉は、いつもこれである。
マジである。大マジで、そこには、かつて無い形状の、林鉄橋が鎮座ましていた!



 発見には一様に興奮する我々だが、その後の行動は二つのグループにきっかり分かれた。

おもむろに路肩の斜面に飛び込んで、藪を掻き分け掻き分け、その袂に突撃してしまう二人と、

冷静に観察し、林道から遠巻きに見守る二人。

私は、デジカメをぶら下げたまま、くじ氏と競うように、斜面を滑り降りた。
そして、間もなく眼前に大写しとなった、ダイナミックに半弧を描く コンクリート橋。




 私は、目の前の光景に我が目を疑った。

なぜならば、ここは粕毛林鉄の上流の一支線である。
粕毛線と言えば、他の林鉄よりも早く廃止された線で、規格も2級であった。
さらにその支線に、よもや、このような立派なコンクリート橋が存在しているとは、思いもしなかったのだ。
その上、この偉容である。

しばし、惚けて見とれてしまった。




 私が見とれていると、ヒョコヒョコと橋の上に躍り出た男の姿が!

くっ、くじさん!!

大丈夫なのか?

彼は、彼は高所恐怖症だったはず。

この橋だって、ビルの3階くらいの高さは優にある。
バランスを崩し倒れれば、ゴツゴツした河原に墜落する危険がある。




 彼は、大幅にパワーアップしていた!

少し腰つきがぎこちない気はしたが、立ち止まることなく、逡巡することもなく、一気に渡って見せた。

さすがに、各地の滝見を続け、しかも、最近はロッククライミング教室にまで足繁く通っているという彼の成長ぶりは、めざましいものがある。
(前からそうだったが、私は既に彼の山登りの速度にはついて行けません。微妙に離されます。)

それにしても、林道脇の何気ない広場に繋がる、この巨大な橋梁跡。
大正8年に建設されたという内川支線の遺構に間違いはないだろうが、予想外の発見であったし、このあとの探索にも期待がふくらんだ。





 渡り終えてから振り返る。

内川半弦橋と、便宜上名付ける事にする。
本橋は6径間のPCコンクリート橋で、枕木やレールは一切残されていないものの、その保存状況は極めて良好。
橋長はおおよそ30m。
河床までの距離に応じて、足の長さの異なる橋脚5本を丹念に落としている。
橋台は石垣製であり、この対比から、橋桁や橋脚は後年に改築されたものと想像される。

想定外のいきなりの発見!
この地点は、全長3500mの内川支線においては途中である。
粕毛本線分岐地点から推定2000mほどの地点である。
ここから先、林道(車道)もまた内川支線を生やしているが、これに沿って、上流の状況を確認することにした。
他にも橋が残っている期待が持てる。


アクシデント!
9:35

 私とくじ氏は内川半弦橋を渡り、粕毛林道と内川支線林道の分岐地点にて、パタ氏とふみやん氏の二人に合流した。

写真は、分岐から内川橋を渡る粕毛林道を写したもので、林道も、そして粕毛林鉄跡も、まだまだ奥地まで伸びているようである。
残念ながら、今年の多雪では、まだ無理だった。
今回は、内川支線に的を絞って探索することにする。

で、まずは内川上流へ向かうことにしたのだが、林道と林鉄跡とは、必ずしも一致していないばかりか、両者にはかなりの高低差がある様子が、地図から見て取れた。
それで、とりあえず私とくじ氏の鉄砲玉部隊が沢中の林鉄跡を探索、パタリン氏ふみやん氏の二人は、高い位置の林道を移動しつつ、指示を出すことで役割を分担した。
なお、両グループ間の意思の疎通には、パタ氏持参のトランシーバーが利用された。




 内川橋直下の林鉄線の様子。

橋は内川ごと林鉄跡も跨いでおり、のり面と路肩の両方の石垣が、ほぼ完全な形で残っていた。
写真は、路肩の石垣が写っている。

ただし、橋の下の日陰となる部分を除いては、林鉄跡は猛烈なブッシュに覆われており、この時期でも既に通行は不可能だった。
故に、早くも沢水を蹴っての進軍となった。

2グループに分かれての探索が、午前9時50分、開始された。

なお、ここでアクシデントに私は見舞われた。
それは、かれこれ中古を含め3代目となる愛用のデジカメ「FinePix F401」が、突然沈黙したのである。
この直前の写真まで、何の問題もなく撮影できていたにも関わらず、突然、沈胴式のレンズがウンともスンとも言わなくなり、撮影不可能となってしまったのだ。
これには参ったが、記録に命を賭ける私は、常時サブカメラ(車中にはさらにサブサブカメラ)を携帯しており、事なきを得た。
ちなみに、まだ使用開始から3回くらいしか使ってなかったF401だが、帰宅後に分解し、レンズのモジュール一式を、以前使っていた故障機と交換したら、すっかり症状は完治した。
故障機とはいえ、取っておくものである。



 白神山地の一座では、秋田県側でもっとも著名な駒ヶ岳(海抜1158m)の南陵から流れ出す内川は、林鉄の存在が疑わしいほどに、険しい峡谷をなす支流である。
しかも、この日はもっとも水量の多い雪解けのオンシーズン。
案の定、河原一杯まで、切るように冷たい水が迸っていた。

こういう水の冷たさは、ネオプレーンの装備が打ち消してくれるが、水量の多さが孕む危険は、何ら変わらない。
押し流されれば、点在する岩場に全身を打ち砕かれるか、あるいは窒息するか。
普段は小川なのかも知れないが、この日の吹き出すような激流は、危険を感じさせた。




 頭上の崖には、林鉄の痕跡がしっかりと残っている。

しかし、とてもそこは辿れるような状況にない。

ナメのような岩肌に、奇跡的と思えるほど薄っぺらに残った、木製桟橋の一部。
どうやら、枕木も一部置き去りになっているようだ。

そして、頭上に注視していた私に、くじ氏の叫びが届く。





  キタ--!かも。







その2へ

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