廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 その1
2003.12.2



 遂に核心部への入り口を発見しながら、墜落の恐怖に敗れ退却した日より、ちょうど一ヵ月後。
再び私は、その橋の前に立っていた。

意を決し、橋へと踏み出す私。
鏡のような黒い湖面は、押し黙ったまま、私の挑戦を見つめている。
核心部への侵入が、開始された瞬間だった。


二人の同志との出会いが、森吉林鉄探索の歴史に、新たな一頁を刻む。


<作者注>
本レポートをご覧頂く前に、「道路レポ 森吉森林鉄道 邂逅編」及び「道路レポ 森吉森林鉄道 奥地編」をご一読いただいたほうが、お楽しみいただけると思います。


森吉町 阿仁前田 交差点
2003.11.30 7:48


 11月30日午前8時。森吉町阿仁前田。

ここに、森吉森林鉄道の完全攻略を目論む3人の男が会した。

一人は、パタリンさん。 幼き頃から山や沢に親しみ、オートモービル全般にも精通した彼は、今回の計画準備を中心的に担った、頼れる男。
彼の操るジムニーの助手席に、私はあった。

一人は、HAMAMIさん。
3児の父でありながら、私より先にあの「5号橋梁」を攻略し、しかも雪の中、今回計画の下調べまで実行したという、度胸の男。

鷹巣町より来る彼と合流するために、一足早くパタ氏と私は国道沿いのコンビニに待機した。



 この日の天候は、生憎の雨。
前日から降り続いた雨は、夜半を過ぎて徐々に弱まりつつあったものの、予報では当日一杯雨は残るようだ。
しかし、南洋に浮かぶ台風21号の影響をうけた温い雨は、幸いにも、森吉に一度は訪れた冬を押し戻すことに成功していた。
そして気温も、11月最後とは思えない暖かさで、秋田市の最高気温は15度をも上回るらしい。

車内で朝食をとっていると、予定時刻よりもやや早く、HAMAMI氏が現れた。
本人より聞いてはいたが、たしかに細い。
私も、人のことは言えないし、パタ氏も、どちらかと言えば、そうだが。
その体のどこに、“あんな恐ろしいこと”を二度も行う度胸が隠れているのかと、失礼ながら驚いた。
しかも、挨拶を交わすと、とても温和そうな人物ではないか。



 パタ氏は出発前にこう言っていた。
『私たちは、傭兵だ』 と。
『目的の為に会し、それが終わればまた一人に戻る』

「なるほど」、と思った。
遊びに行くのではないことは、私もよく承知していた。
これは、ただの馴れ合いのオフ会では無い。
「こいつなら、共に戦える」
そう思ったから、誘ったし、誘われたのだ。

挨拶もそこそこに、8時2分、出発。
目指すは、太平湖。
引き続き、パタ氏の車に私は乗せていただくことにした。


太平湖までの道のり

 私は免許を持たないが、そのせいか人に乗せてもらう機会が多い。
パタ氏の運転は、全く無駄がなく、助手席の私は快適に車窓の景色を楽しむことができた。
雪が無いことを除けば、小又川沿線の景色は冬そのものである。

写真は、雨の日でも24時間体制で一大土木工事が進む森吉ダム付近。



 森吉山ダム工事現場を過ぎ砕渕(じゃきぶち)付近の対岸には、10月初旬の最初の探索の時にアヘアヘ言いながら突破した林鉄跡が、枯木の森の中の鮮明な線として浮き出していた。
その先も、県道からはずっと対岸の軌道跡が見えていた。
以前余りのブッシュに発見できなかった湯ノ岱付近の軌道跡すら、明確に存在が認められた。
やはり、廃線の探索にはこの季節が最適なのか。



 杣(そま)温泉、森吉山荘と連なる湯ノ岱地区を過ぎると直ぐ、今回初めの探索ポイントである平田(へんだ)地区との分岐点に差し掛かる。
ここは、森吉ダム建設によって生じた林鉄の付け替え線の起点があり、一度目の探索でそこから4号隧道までの一連の遺構が確認されている。
詳しくは以前のレポートをご覧頂きたいが、4号隧道は閉塞に近いほどの内部崩落を見せており、その上深い地底湖に阻まれ進入を断念した経緯がある。
今回の最初の目標は、この4号隧道を突破、もしくは迂回して、その先へ進むことである。



 分岐から3kmほどで、正面に大きく森吉ダムが現れると、いよいよ付け替え軌道跡が始まる。
適当な場所に車数台分の駐車スペースがあったので、ここから降りて探索を開始することにした。

車から降りるとすぐに、各々自分で準備してきた装備に身を固める。
私はといえば、いつもの山チャリ装備となんら変わらない。
雨の日に探索すれば、いずれは全身がびしょ濡れになる覚悟だ。
しかし、パタ氏は山歩きに慣れているだけでなく、装備品マニアのようで、様々な道具を愛車に満載していた。
それらの威力は、このあと一つずつ判明していくことになるのであるが。
HAMAMIさんは、私と余り違わない準備のようだ。


 駐車場所から林鉄跡の入り口までは30mくらいしか離れていない。
もうお馴染みになった小又川を渡る“Uの字”のガーター橋がそれで、私は一号橋梁と呼んでいる。
約2ヶ月ぶりに訪れたが、橋に向こうの激薮地帯も幾分おとなしそうだ。
雨は小康状態となっている。

もう一度簡単に3人で打ち合わせ。
目標を確認した後、私を先頭にして、入山開始。
この部分の遺構は、パタ氏はもちろん、HAMAMIさんも始めてとのことであった。


これが、長く困難な冒険の、
真の始まりであった。





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