廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 その2
2003.12.5



 二人の有志の協力を得て、みたび森吉森林鉄道の核心部へと迫る。
今回の目的は大きく二つあった。
一つは、崩落及び水没という、最悪の状況に撤退を余儀なくされた4号隧道。(詳細は、邂逅編参照)
これを突破するか、もしくは、迂回して、その先へと進むこと。
二つ目は、忘れもしない屈辱の…5号橋梁の突破である。(詳細は、奥地編参照)

で、そのための準備は、行って来た。
というか、もっぱら、パタ氏にお任せしているのだが…。

いよいよ、その第一目標へと、挑戦開始!

<作者注>
本レポートをご覧頂く前に、「道路レポ 森吉森林鉄道 邂逅編」及び「道路レポ 森吉森林鉄道 奥地編」をご一読いただいたほうが、お楽しみいただけると思います。


4号隧道への道
2003.11.30 8:40


 一号橋梁を3人で渡る。
私は二度目、初めてきたときには期待感よりも不安感の方が遥かに大きかったが、今回は違う。
心強い仲間も、二人もいる。
私は、ワクワクしながら、先頭を歩いた。
しょっぱなの笹薮は、相変わらず強固だったものの、そこを過ぎれば、前回よりも遥かに楽に歩くことが出来た。
この調子なら、4号隧道までは、比較的容易に進めそうだ。


 霧雨のブナ林に入ると、まもなくブル道との分岐点が現れた。
このブル道は、前回探索時に4号隧道からの撤退に用いたもので、いわばショートカットルートとして機能する。
ここで、仲間達に問うた。
そして、ショートカットせずに、1号から3号までの隧道を順に攻略して、4号へと向かうことに決定した。

今回、この地点に新しい遺構を発見した。
われわれが現在通ることが出来るのは、ブル道が沿って上る沢を、緩やかなカーブを描く土橋で渡るものであるが、そのさらに小又川沿いに、玉石を組み上げたような橋脚が沢の両岸に一本ずつ存在しているのだ。
また、跨れていただろう沢にも同様の構造を持つ護岸が築かれている。
橋脚は現道位置からはいささか低いので、これが付け替え軌道の痕跡なのかは分らない。
もしそうだとすると、全橋梁数は7橋という工事記録と矛盾する可能性すらあるのだが…。
余りにも他の遺構に比べ風化しているような気もするのだが…?


 かつては作業道として利用されていたようで、ここから先の道はしばし歩きやすい。
すっかりと冬の佇まいとなったブナの森は、視界が非常によく、霧がちとは言っても開放感すらある。
幽玄な森は、ますます私の気持ちを高ぶらせるが、それは他の二人も同様のようで、パタ氏は盛んに痕跡を探しているようだ。
HAMAMI氏も、私よりもかなり上等のデジカメで、一枚一枚確かめるように撮影している。

 


 さらに進むと、道路上に滝が落ちていた。
前回の記憶を辿るが、この景色は初見だ。
保水力十分といわれるぶな林とはいえ、これだけの急斜面に、二日連続の雨である。
溢れ出した水が、普段は水無の沢に集まったのだろう。
靴が濡れることをまだ容認できる段階ではないので、ここは慎重に進む。



 落ちる滝を見上げると、これまた前回は気がつかなかったことであるが、何段にもなって落ちる滝の上部に人工物が見えていた。
それは、3号隧道の坑門直前にあるコンクリの路肩だ。
そういえば、3号隧道の手前で、殆ど水量の無いナメ滝が下に落ち込んでいるのを、前回も確認していた。
これを見て、一つの不安が。

3号隧道の内部は水路となっており、長靴すら浸水する場所だったではないか。
この分だと、さらに水位が高い恐れもある。
3号隧道まで行ってしまえば、容易には引き返せない。
仲間にそのことを伝えたが、まあ行ってみようということになった。
私も、賛成した。


 入山から17分足らず、ゆっくり進んできたが、何の問題もなく“上段軌道との近接点”まで来た。
ここを強引に上れば2号と3号隧道の中間地点にショートカットできるが、その必要も無いのでこのまま1号隧道を目指すことにした。
先ほどからパタ氏が盛んに感嘆の声を上げている。
この大規模土木工事の産物に驚いているようだ。
私もそうだったが、もともと森林軌道と言えば簡単な設備で一時的に運用する鉄道というイメージがある。
それは概ね誤りでは無いのだが、この森吉森林鉄道は本格的な施工を受けていたように思える。
よもや完成後わずか20年も経ずに全廃されることなど、全く想定されていなかっただろう程に。


 進めば進むほど、左手の山側の岩肌は高さを増してゆく。
それは、そのまま本線工事において切り取った土砂の量を反映している。
1号隧道手前においては、その垂直高は10m以上に達しており、その土木工事の壮大さは、本鉄道が林業シーンにおいて当時どれほど“花形”的な存在だったかを感じさせる。

パタ氏の目は、その土木浪漫の小さな痕跡を見逃さなかった。
岩肌に幾つも穿たれた、直径5cm大の穴。
それは、ダイナマイトを用いて地山を切り崩していった痕跡だという。
連日連夜、ブナの森をさんざめかせる発破の轟音。
それは並行して行われたダム工事の槌音に劣らぬものであったかも知れない。
   

一号隧道
9:03

 一号隧道が現れた。
これを抜けると、舞台は一度小又川を離れ支流大印沢に移る。
大きな右カーブを描く隧道は、決して長くないが完全素掘りのせいもあって、出口の明かりは見えない。
坑門の前に立ち、一休止。
息を整え、ライトを各自装備し、いざ、入洞。



 先頭を歩くパタ氏の手には、長さ40cmはあろうかという超特大のマグライトが握られている。
単一電池5本を使用しその重さも殺人級だが(←チャリで運ぶ気には…チョット…)、明るさも目を見張る物がある。
HAMAMI氏も大型の懐中電灯を使用しており、私のお馴染み懐中電灯はどうにも役不足だ。しかも、ヘッドライトは車に忘れてきていたし…。
ごめん、足でまといで。

しかし、3人の明かりを持って照らし出される隧道は結構明るく、まるで遠足のようにワイワイと歩くことが許される空気だ。
やべっ、マジ心強い。
これだったら、4号隧道だって…もしかしたら…。
期待が膨らんでいく。



 前回は逆から歩いたので、この辺りの景色は目新しさもある。
1号隧道から2号隧道までは、大印沢沿の斜面に張り付くようにして進む。
この区間の法面の崖は高いところで20mもあり圧巻だが、その分崩壊も目立ち、ご覧の落石など、意思を持って道を塞いでいるかのような迫力である。
ここはやはり慎重に、3人一列になって進む。

この大印沢にも作業軌道が敷かれていたという記録があり、実際対岸の崖にも、こちら側と似たような道の痕跡が認められたが、関連性は不明だ。



 そして、現在までで最長の隧道である(これまでに攻略を終えた隧道は、1,2,3,8号の四本だけだが。)2号隧道が現れるのだが、そのすぐ手前には沢山のレールが廃棄されている。
しかも、今回は下草が少ないこともあり、前回確認したよりもはるかに多くのそれを確かめることができた。
その多くが著しく湾曲し、または地中に半分埋もれているが、それでも数十条のレールがある。
もし、よりマニアックな方がいらしたら、このレールの長さなども、計れると思う。
持ち帰って利用することも…あるいは。


 私は初めて見るレールの接合部だ。
オスとメスのレールが、以外に簡単なボルト止めで接合されていたことが分る。
こんなマニアックな部分、私には気がつかなかっただろうなー。
パタ氏の鋭い洞察眼には、唸らされる。

また、パタ氏といえば、ここに大量のレールが放置されていることについても、ある推察をされていた。
確かに、私もこれは不思議だと思う。
レールは貴重な資材だと思うのだが、なぜこれほどまとまった数が棄てられたままなのか?


2号隧道
2003.11.30 8:40

 こうして人が一緒に写っていると(ちなみにパタ氏だ)、その大きさが伝わりやすいだろう。
2号隧道である。
簡素ながらもコンクリートの坑門が存在しており、崩落し埋没寸前の反対側坑門とは対照的な姿である。
やはり、坑門部は隧道の最大のウィークポイントだと思うので、どうか積極的に防備していただきたい物である。

って、誰に言っている俺。
 
 

 冬山の視界は良好で、隧道からそのまま断崖へ道がつながっている様子がよく分る。
かつて運転士は、ただですら長い下りと、制御を一層困難にする巨重を背後に、ここを下ったのである。
長い隧道から、この急コーナー、断崖に張り付く道、そして再び急な蛇曲隧道を潜り、森の中へ、そして今度はヘアピンコーナーとなった橋を渡り、平田集落まで駆け下りていた。
まるで、一昔前のゲーセンによくあった大型可動筐体ゲームの題材としても十分ではないか。
「レールチェイス(SEGA)」っていう、トロッコで洞窟とかを駆け抜けるゲーム、好きだったなー私。



 パタ氏は、完全防寒装備で望んだようであるが、この日は異常高温であり、この山間部でも15度近くあったのではないだろうか?
早速ヒートアップしたようで、上着のチャックを開けたりして、クールダウンを図っていた。
それが終わると、いよいよ入洞。

整然と枕木が残る洞内は、当然のように前回と変化は無い。
ただ、3人の明かりと、3人だからこその勇気と余裕は、新しい発見をもたらした。
枕木の外側に、一条のレールが放置されていた。
固定されておらず、保線用にここに置かれていたのだろうか?
そういえば、枕木自体も全く固定されてはおらず、ただ土や石の露出した路面に置いてあるだけである。
そのせいか、高さなどもよく見ると合ってない。
普段の鉄道の景色から見るとなんとも心もとないが、まあこんな物だったのだろう。


 さらに発見は続いた。
洞内には、多数の碍子が落ちている。
前回も、それは認めていたのだが、改めてよく観察してみると、それらの内いくつかには、電球が一緒にあった。
落下時にガラス球の部分は割れていたが、そのうちいくつかはにはまだ、繊細なフィラメントが残っていた。
これは、どういうことなのか?

いや、本隧道の出口付近など、軌道沿線の各所に碍子のついた鉄塔が認められており、それらは電話線を設置していた痕跡だろうと考えられていた。
しかし、今回の発見は、洞内に電気が通り、さらには洞内を幾つものライトが照らしていたことを示している。
近年でこそ、一般的な鉄道のトンネル内も照明が設置されるようになったが…。
廃止後に、電灯を利用するような再利用が成されていたのであろうか?
いまのところ、その痕跡は発見されてはいない。
もし、当時隧道内に煌々と明かりが灯っていたとすれば、またも私の、いや、一般的な森林鉄道観を覆す発見ではないか。


 今回はじっくりと辺りを観察しながら歩くことが出来たが、やはりこれは長い隧道である。
500m前後はあるだろう。
こうして3人で洞内を行く様は、幼少の頃憧れた川口探険隊を、強烈に想起させる。
それは、わたしにとって、なんとも甘美な時間であった。
他の二人も、この隧道を堪能してくれているようで、うれしい。


隧道が楽しかったのは、この隧道までだったのだが…。
 

 パタ氏が鮮明に写りすぎていたので、一応(勝手に判断して)カモフラージュした。
画像を全体的に暗くしたのだが、そのせいで、異様に恐い写真になったような。
本人に聞いてみないと分らないが、さすがに、目線はいやだろうし、モザイクも…ねぇ?

へ?
写ってない写真は無いのか って?

ありますよ。もちろん。
でも、折角だからね。
 

 先ほど下から見上げ、前回は2度も登攀した路肩構造物だ。
視界が利くと、緩やかに蛇行していた軌道跡がよく分る。
枕木も一部残存しており、個人的には、ダム下流地帯では最大の“見所”だと思う。
山を削って、隧道を穿ち、コンクリで中空に道を作り、やっと開通した軌道は、わずか30mの直線距離に1km以上の大ヘアピンカーブを要した。
非効率的といえばそれまでだが、平地輸送の王者だった鉄道を、何とか山岳に持ち込もうとした無理やり加減が、香ばしい。
 

3号隧道
9:03

 パタ氏の足元から続くコンクリの路肩と、路面を横断する滝、そして、3号隧道の坑門だ。
2号隧道からここまでは短い明かり区間だが、全線が脆弱な斜面に形成され、崩落などによって著しく平面が消失しており、落ち葉で足元が見えないこともあり、非常に危険である。
最大限に注意して進んだ。

勢い良く落ちる滝に、嫌な予感はますます強まる。
3号隧道は、通行可能なのか?!



 逸る気持ちを抑え視界が開ける崖側を見ると、前回は木々に邪魔された筈のパノラマが展開していた。
急激に落ち込む足元は下段軌道跡がワンステップ置くものの小又川の早瀬に消え、その対岸には杉の植林地とススキ原がコントラストを描き出す平田地区が一望される。さらにその向こうには、かつては太平湖林道と呼ばれた現県道がダムを巻くために、著しい九十九を描き出しているのを見る。
車道と軌道とは、結果的に小又川を挟んで対峙するように建設された。
なぜ軌道は此岸に建設され、林道はそうしなかったのか、興味深い。




  そして、3号隧道へと入洞しようとした我々だったが…。


一体、この男たちは何をしているのか?!

その謎は、次回明らかに。


そして、舞台は4号隧道へ!






その3へ

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