廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡 第1回

公開日 2016.09.24
探索日 2013.01.31
所在地 千葉県君津市

“トロッコ谷”への進撃スタート!


2013/1/31 6:37

古老から情報を得てから約3年後、いよいよ“トロッコ谷”への進入を試みる日が来た。
季節はやはり冬。年中温暖な房総にしては珍しく数日前の雪が溶けず残ったままという寒冷の日だった。まもなく東の空に日が昇ろうかという早朝からのスタートである。

片倉ダムから三石山を経て亀山ダムへ至る市道上、「産廃処分場設置反対」と書かれた物々しい赤看板が目印のこの場所に、ガードレールで封鎖された脇道がある。

これは地形図には描かれていない廃道で、さらに2年前(2011年2月8日)の房総遠征時に探索しているが(レポート化はしていない)、今回これを“トロッコ谷”への進入ルートとして活用する事にした。




「現在地」と“トロッコ谷”の位置関係は、右図の通りだ。

ここからダム湖の上端=トロッコ谷の入口までは直線距離で1kmも離れていないが、問題は途中に横たわる別の谷の存在だ。
しかし、それを克服する算段は既に付いていた。
地形図にないこの廃道が、谷の対岸まで続いている事を、私は知っていたのである。

この廃道の正体は、かつて造成が進められていたゴルフ場の工事用道路だ。
工事はだいぶ前に中止されたが、広大な造成跡地一帯は、地形図でも周辺の山域と明らかに等高線の密度が異なる奇妙なエリアとして、浮き彫りになっている。

この工事用道路の廃道が、ゴルフ場造成跡地まで私を運んでくれる。
そこから先は全くの未知だが、適当に下降ルートを見つけてトロッコ谷へ入る計画だった。



封鎖された道を自転車に跨がって100mほど下って行くと、右カーブの向こうに1本の橋が見えてきた。
これが、市道とゴルフ場造成跡地を隔てる谷に架かる、工事用道路の橋である。

2年前の探索の“主役”だった廃橋を、今回は目的地へ向かうための通路として“活用”しようというのだ。
もし私が廃橋の立場だったら、橋としての冥利に尽きる心境で歓迎すると思うが、この橋は正直そんな生半可なものでは無い。

これは、本編探索の対象物である森林鉄道とは一切関係無いとはいえ、

あなたは次のシーンで、驚きに目を見開くはずだ。

…2年前の私がそうであったように。




6:39 《現在地》

床版撤去済の仮設道路橋!
全長約150mのバケモノだ!


こいつが広大な造成地へ工事車両を送り込む、唯一のルートだった!

工事中断後、床版である敷鉄板は撤去されたが、なぜか橋自体は残ったままだ。

私はこれよりも大きな仮設道路橋の廃橋を見たことはない。



…安心してくれ。

造成地やその先のトロッコ谷への進入に、この橋の“渡橋”までは要求されない。

もう一度、2枚上の写真を見直してもらいたいが、橋に向かわずに左へ逸れる轍が見えているだろう。
それが、橋を使わずに対岸へ向かう迂回ルートである。
沢山の轍が付けられている事から分かるとおり、オフロードバイクの人たちがここを通って、対岸のワイルドフィールドに導かれている。

もちろん、私もそれを利用する事が出来るのだった。



が、気付けば橋の上。今回もまた、この橋の上!

2年前と全く同じパターンである。
しかも、2年前は流石に渡りきる事はせず、この写真の辺りで引き返したのだが、今回は引き返さない。(さすがに自転車は置き去りにした)

だって、2年前にはなかった“床版”が、今回はなぜか出現していたから。
設置者の正気を失いたくなるような薄い木板の床版だけど、設置作業に費やした労力を思えば、発見してしまった以上は、渡ってやるのが礼儀というものだろう。

…マジでよく敷いたものだと、感服する。

なお、2016年現在では、この橋に再び車が通れる広い床版が再び設置されている。なにやら再開発が始まっているようだ。




本橋の渡橋がおそろしく危険であることは変わらないが、それでも2年前の一切床版がなかった状況とは比べものにならない。

2年前は、某カ●ジ君に登場する帝●グループが好きそうな、靴の幅の半分くらいの鉄骨だけが現実的に渡りうる部分だったから、横梁と横梁の途中で万が一バランスを崩したら、手の届く範囲には一切受け止めてくれるものが無いという、サドンデスの一本橋だった。
その状況ではさすがに150mを渡りきれなかった。15mくらいで引き返したのだ。

較べて今回の床版は、薄い木板であることを除けば、従来の鉄骨とは比べものにならないほど安心出来る。
設置されてからまだほとんど時間も経っていなかったらしく、新品同様に見えるのもありがたい。
そして何より嬉しいのは、床版が高欄代わりのポニートラス桁に寄り添うように設置されていることだ。お陰で、片側に手すりがあるのに近い状態となっている。




もっとも、実際に渡ってみると、「手すりがあるのに“近い”」のと、実際に手すりがあるのとは、だいぶ違っていた。

少しばかり高欄(代わりの桁材)が身体に近すぎるせいで、肩や背中のザックがぶつかった反動で反対側に押される恐怖や、リベットの出っぱりがリュックに引っ掛かって突然足を止めさせられる恐怖など、いかにも工事用道路らしい刺々しさに満ちた渡橋となった。
そのざわざわと肌に触る空気は、肉体の中にある心を急速にすり減らせる感覚があった。
これからが探索の本番だというのに、早くも精神力に消耗が…。

本当に途方もなく長い、孤独な板敷きの道。

周囲の空気が全て牙を剥いて命を奪いに来る、そんな環境に長時間晒され続けた板敷き設置者の心は、無事だったのだろうか。余計なお世話か。
いやはや、本当に凄まじい胆力といわざるを得ない。
もし一人で作業したのなら、いったい何往復したのだろう…。




そろそろ中間地点である。

地上からの高さがもっとも高くなる谷の中央、湖の上端附近の水面が眼下に見えてきた。

た、高い!

べらぼうに高い!!

もし信じられないなら、2年前に谷底より撮影した写真を見てもらおう。




半端ない。

仮設橋用の専用部材を組み合わせて作られた、究極まで装飾を省いたスケルトン・ブリッジの姿。
工事用道路は工事終了で撤去されるのが基本だから、こうして長く風雨にさらされる状況自体が異常である。

自然との共生を想定しない仮設構造物が、何らかの異常な事態によって自然に呑み込まれようとしている姿は、
通常の橋が時間と共に熟成された廃橋とは明らかに異質な印象を与える。美しいというよりも、怖ろしい感じがする。



(←)
日の届かない暗い湖面を上空で渡る。

(→)
板があるのと反対側に視線を向けると、足元の谷がうねりながら向かった先に、足元の谷に較べれば遙かに広いが、単純に広いかと言われれば微妙と答えたくなる広さの湖面が見えた。

目指すトロッコ谷は左奥の方向から流れてきて、あの広い辺りで足元の谷と合流していた。湖が出来る以前には、あの辺りにも軌道跡があったのか。
起点や終点の位置も事前調査で全く分からなかった部分だ。

昭和49(1974)年に着工して平成12(2000)年に完成した多目的ダムの片倉ダムは、房総半島特有の極度な曲流を見せる笹川を水没させ、笹川湖という湖を生んだ。
さほど大きな湖ではないが、複雑な曲流を反映した湖畔の長さは、相当のものである。
トロッコ谷への進入がかくも面倒なのも、湖畔を一周する道が作られていないからだが、この複雑過ぎる地形が大きな原因なのだろう。

この橋は、そんな天与の地形的不利を部分的ながら解消させる英雄的快挙の尖兵となるはずが、無惨に討ち死んだ挙げ句、私のトロッコ谷への進入路などという世間的には全く重要ではない用途に、巨躯を持て余す悲しさよ…。



渡る以上、一番はじめに確認して然るべきだった踏み板の厚みチェックをいました。

橋の中央で、した。

流石に板の配置は2枚重ねを基本とした、橋的表現ならカンチレバー方式(?)とでもいうものだった。
これならば、渡っている最中に足元の1枚が折れたとしても、その断片は前後どちらかの隣り合う板に支えられるので、即座に転落することはないはずだ。
上手い具合に配置したものである。 プロの仕業か? (こんなことにプロがいるのか不明だが)




おお〜〜!

遂に、近付いてきたぞ。対岸の陸地!!

前も書いたとおり、必ずしもこの橋を渡らなくて良かったのだが、ここまでの長い渡橋にも慣れが入って心に余裕も生まれ、気持ちよくなってきた。
谷底迂回ルートならば自転車を持ち込めたので、この先幾らか楽に行程を進められたかも知れないが、旭日に向かって巨大廃鉄橋を渡るのは、かなりハイな気分になれる。
目の前の旭日なんて、たった30日前には“初日”として日本中で賞揚されたものなのであって、その価値は30日間でそう落ちぶれるものでもないだろう。探索の夜明けぜよ!!




6:52(渡橋に要したのは13分間) 《現在地》

…よく分からないテンションになりながら、トロッコ谷への中継地点となるゴルフ場造成跡地へ入る。



オマケ: 帰路に撮影した、仮設橋の渡橋動画



スポンサーリンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
前作から1年、満を持して第2弾が登場!3割増しの超ビックボリュームで、ヨッキれんが認める「伝説の道」を大攻略! 「山さ行がねが」書籍化第1弾!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。



既知の領域から、未知の領域へ


6:53 《現在地》

怖ろしい骨組みだけの鉄橋を渡り終えると、新たな大地が待ち受けていた。
足元には現役と見紛うばかりの砂利敷きの道路が続いており、この先に待ち受ける広大なゴルフ場造成跡地へと誘っている。

ここの造成工事は、バブル末期の平成6(1994)年に中止され、数年以内に唯一の車両進入路だった橋の床版が取り外されたと聞く。
したがって、ここに置き去りにされている沢山の車両は、もう二度と戻る事が出来ない。もっとも、戻る意図などはじめからなかったのかも知れないが…。

工事が終わり、そして道が断たれて15年以上は経っているはずなのに、路面が本当に現役さながらだ。
いや、見間違いなどではなく、明らかに新しい轍が刻まれているのである。
これは、橋の下を迂回する、バイク専用の進入ルートの存在との関係がありそうだ。

私も自転車を持ち込めれば、この先の行程で少しは楽が出来るだろうが、流石にあの板の上を自転車同伴で渡る気はしないし、わざわざ戻って迂回ルートで運ぶのも面倒くさかったので、このまま徒歩で進む。



かつては巨大な重機を乗せた大型トレーラーや、大型ダンプが盛んに走行しただろう幅広の砂利道が、普通の道ではあまり見ないような急坂で一気に山上へ駆け上がっていく。
この道はあくまでも工事用道路として仮に作られたもので、最終的にゴルフ場のサービス道路は別に作られる計画だったと聞いている。

私が目指すトロッコ谷はといえば、正面の山を越えた右奥の方向にあるはずだ。
最終的には造成跡地から外へ出て、おそらく道のない場所を通って入谷する必要があるのだろう。
どこから外へ出るかは、まだ決めていない。
そこは行き当たりばったりというか、現場の判断に任せることにしていた。
今回は同じ行程を往復する予定なので、消耗した帰路のことも考え、出来るだけ迷う心配の無い、安全なそうな入谷ルートを発見したい。




道なりに5分ほど上ると、本来なら山中にあるはずのない広大な平地が出現した。
これが、2年ぶりの再訪となる、ゴルフ場造成跡地である。

本来はここも周辺と同じ凹凸の激しい山地だったが、山を削った土砂で谷を埋める事の繰り返しで、まるで高原のように嫋やかな凹凸を持った土地が作り上げられている。
一般的なゴルフ場の広さがどの程度であるかは、ゴルフをしたことのない私にはピンと来ないが、この造成地について言えば、南北500m、東西800mほどの広袤を有するようだ。
2年前の探索時の印象として、かなり終盤まで造成は進んでいたのではないかと思っているが、完成予想図と較べることが出来ないので確言は出来ない。




7:01 《現在地》

うお〜〜!! オハヨウゴザイマス!

遂に正面に現れた御来光に、思わずあいさつをする。
日が昇る前に探索を開始し、道中で旭日を出迎えるのは、チャリ馬鹿トリオの時代から、私の一番好きな瞬間だ。今日もいい探索が出来そうだと、この時ばかりは(ほぼ無根拠で)確信している。
たかだか標高200m足らずの山並みだが、山の端に現れる日の喜びに高低の優劣がないことを体感した。

現在地は、造成地の中央を東西に走る尾根を工事用道路が越え峠のてっぺんで、造成地の西側半分では最も高い一帯となる。
先ほど渡った橋の袂からは40mくらい高度を上げており、橋の高さである30mを加えると、現在は谷底=湖面より70mくらいも高い位置にいることになる。
そしてこの70mという数字は、これからトロッコ谷に向けて下らねばならない高度差に等しい。
高度の上では、ここが目的地までの折り返し地点ということだ。



広大な造成跡地には、当然のことながら、縦横に工事用道路が存在する。
3枚上の写真も、2枚上の写真もそうした分岐地点であり、どちらも右、右と選んできた。
今いる道は、造成地の中で最も奥にあるエリアに続いているのだが、
このまま進んでもトロッコ谷にはこれ以上近付けない。

私が既存の道を棄て、“自分の道”を探し出さねばならないときが来たようだ。



7:10 《現在地》

はい、既に道を棄てております!

先ほどまでの荒野然とした風景から一転して、まだ夜が明けきっていないような色の薄い雑木林へと入り込んでいる。
行く手が低く見えるのは、谷へ向かって下りつつあるからだ。
まださほど急峻ではないが、やがては深く刻まれた谷筋に直面することになるだろう。
そこが入谷までの最大の不安点でもあった。

なお、工事用道路を離れた時点で、2年前の経験が活きる場面は終了している。ここはもう未体験の領域である。
そんな場所での頼みの綱がGPSだ。
房総の山地で道の外を歩くなら、四の五の言わずにGPSを持っていけ、…と私は思う。低いからと侮りがたいのが房総の山だ。




更に進むと、微妙に凹んだところに周囲の水が集まって、沢の始まりのようになっている場所があった。
この水が向かう先に、トロッコ谷…の隣の谷があると思われる。

私がトロッコ谷と呼んでいる谷へは、ここから直接行く事は出来ない。
別の谷に一旦降りてから、その谷を経由してトロッコ谷の入口へ向かうつもりだ。
しかし、こうして土地が湿り気を帯びてきたことからも分かるとおり、だいぶ谷は近付いている。

そしてこの僅か1分後に、それは現れた…





ぬぉおおお!

想像以上に険しい…!

トロッコ谷の隣の谷!!






ついに、トロッコ谷の 《入口》 へ


7:18 《現在地》

遂にトロッコ谷へ繋がる谷底を眼下に認めた私だが、その場所は余りにも急で、到底下ることが出来なかった。
そのため私は、GPSの画面に表示されている地形図を頼りに、谷の縁に沿って南へ向かった。

写真はその最中に撮影したものだが、ここは谷の蛇行が作り上げた舌状の緩傾斜地で、先へ進むほど谷底との比高が減少する。
最後は当然のことながら谷に窮まって緩傾斜も終わるのだが、この地形を上手く活用して谷底への下降地点を探すことにしたのである。




うん、よし。 このくらいの傾斜なら、どうにか歩いて行けそうだ。
ここを下って谷へ入る事にした。

なお、こんなに人気の乏しい場所であるにも拘わらず、谷底近くの急斜面には、川に沿うように、「千葉県」と陰刻されたコンクリート製の用地杭が点々と設置されていた。
おそらく千葉県営である片倉ダムの建設と関係するものだろう。

道のない場所に沢山のコンクリート杭を持ち込んで設置するとは、仕事とはいえ……、いや、仕事だからこそ、本当にお疲れ様といわざるを得ない。

そんなこんなで、私は遂に未知の谷底に降り立った!!




7:29 《現在地》

今はまだ私には「無名の谷」としか呼びようのない、そのくらい交渉の浅い、これが“トロッコ谷の隣の谷”の風景だ。

量こそ驚ほど少ないが、谷底を水が流れており、ダム湖のバックウォーターよりは上に来られたようだ。
実は、湖の水位が予想外に高くて、この谷がまるまる水没していたらどうしようかと、そんな心配もしていた。
とはいえ、まるで谷底を埋め立てたように平らにしている大量の堆積物の存在は、ダム湖の近さを感じさせる。
満水になると、この辺りまで水没することがあるのかもしれない。

なお、この写真は上流方向を撮影している。私は向かって左の斜面を無理矢理に近い形で下ってきた。
右側も非常に急な斜面だが、その裏側に最終的な目的地であるトロッコ谷が存在している。
もちろん、こんな急斜面を乗り越えて行くつもりは無い。
そんなことはしなくても、もう150mくらい下流へ向かえば、トロッコ谷とこの谷の出合がある。すなわち、そこがトロッコ谷の入口だ。

古老が語ったトロッコが現実ならば、もう間もなく、私は何かしらの痕跡を見ることが出来るはず!



 やっべ…!

これは……、どうやら…、

私が怖れていた事態は、完全には回避出来ていなかったようである……。

下流を向くと、そこには沢山の水面が広がっていたのだ。

脳裏をよぎる、湖の姿…。

きっとこれは湖だ。こんな奥まで水面が続いていやがったのだ…。

ちくしょう…、やべぇか。もし出合が通過出来なければ、このルートでトロッコ谷に入ることは、…出来るのか?


でも、まだ諦めるのは早い! 出合は近いんだ!!




み、見えたッ! たぶん、出合!

あと100mくらいだ。

とりあえず、目の前で一回、30cmくらいの水深を渡らないと行けないが、
どうせ途中で濡れるつもりだったのだから、潔く、もう濡れていこう! じゃぶじゃぶ!



これが、トロッコ谷の入口……!

な、何か見えるか? トロッコの跡は?!

古老が言っていたルートとは明らかに違う経路で進入したので、ここにトロッコ跡がある保証はないが、
普通に考えれば、谷の最も下流に位置するこの地点に何の痕跡もないとは考えにくいだろう。
ダムが出来るまでは、普通に川沿いにトロッコ道が通じていたと考えるのが自然である。

胸をバクバクさせながら、さらにトロッコ谷の奥が見通せる下流まで、
河畔とも湖畔とも付かない微妙な陸地を進んだ。




7:35 《現在地》

ぐぬぬぬぬぅ〜!

この正面の谷がトロッコ谷だが、やはり…、
ここから入る事は不可能だッ! 涙

本当に憎たらしい、悪意がありそうな水位だ。
あと1m低ければ、何に問題もなかったのにぃ〜〜!
さっきは、「潔く濡れていこう」なんて言ったが、流石に溺れるのはナシだよ。
しかも、湖底には見るからに泥が溜まっていて、底なしかもしれない…。




なお、上の写真と同じ位置に立って、下流を撮影したのがこの写真だ。

完全に湖面になってしまっている。
しかも両岸とも切り立っていて、湖畔を歩ける余地も無いだろう。
地形図ではもっと下流まで「湖でない」ように描かれていたのに、裏切られた〜。

というか、ここまでやって来た目的である“肝心のモノ”が、辺りには全く見あたらないような気がするんですが……。

まさか、ガセでした?

いや、そもそもこの場所を通っていなかった可能性も…。

でもそんなことがあるのか??



ん?




!!!!!