今回のレポートではいつも以上に楽な探索に恵まれていた私であるが(なにせ、廃線とはいえ車道から簡単にアクセスできるし、地形に起伏もない)、酒田臨港開発線を総ざらいするような探索も終わりが近付いてきて、残されたターゲットは2つとなっていた。
実は、私はこの酒田臨港開発線をほぼ2週連続で訪れていた。
先の探索では、これから主に紹介する2箇所以外の、いわば、簡単に訪問できる場所だけを探索していた。
だが、それだけでは不満があったので、次の週にも時間を設けてこの場所へ来ていたのだ。
一度目の訪問では躊躇って立ち入らなかった場所の一つ目は……また公開停止を迫られないとも限らないが……、大浜埠頭突端に位置する東ソー工場敷地内引き込み線である。
この線路は、地図で見る限りは酒田港駅からもっとも離れた枝線になっており、しかもこれまでとは違って周辺に一般道路が無いことから、その現状がこれまでベールに隠されてきた部分である。
大浜埠頭の東ソー工場の入口はT字路になっており、工場へと引き込まれる線路が交差点と重なるようにして道路と平面交差している。
この線路には酒田港駅からここまでの間で物理的な障害はないので現役なのだと思うが、踏切があるでもなく、道ゆく車も人も、信号の変化だけを見て往来しているようだ。どうやら、滅多に列車が通ることはないらしい。
列車の通過時の注意書きを記した看板も、掠れてしまっている。
道幅の広い交差点の中を横切り、レールは工場の正門へと真っ直ぐ吸い込まれていく。
線路と並んで1車線の車道も工場へと引き込まれているが、その脇には守衛室があり、部外者の進入を厳しく取り締まっている。
……かと思いきや。
この日が土曜日だったせいかもしれないが、守衛室に人影はなく、また敷地内にも動く気配はない。
2週目にここに来たとき、私は遂に誘惑に負けて、チャリにまたがったまま、社名の書かれた柱の脇を通り過ぎ構内へと進入した。
工場内を細かに観察する気持の余裕はなく、私は一路、線路の行く手を辿った。
構内に入って200mほどは直線だったが、やがて緩やかな右カーブが始まった。
この辺りまでに社員の駐車場や社屋が左右に点在しており、線路はその奥のプラントへと引き込まれていくようだ。
ここまでは線路に沿っていた道路だが、線路がカーブをはじめると同時に、車道は直角カーブでプラントの列の奥へ分かれていった。
私は、線路上にバラストが敷かれていないことをいいことに、殆ど地面との起伏が無くなるほどに埋もれた枕木をタイヤで踏みながら、チャリを漕いで線路上を進んだ。
見渡す限りのプラントは、どこか赤茶けた風景で、現在稼働しているかどうかは分からない。
ここは、サハリンか、北方四島か……。
以前ある本で見た、択捉島だったかの、日本領時代に敷かれた廃線跡の写真を思い出す。
実際のシチュエーションはまるっきり異なるのだが、起伏の無い荒野に、錆び付いたプラント、遠くに見える風車……、北国の冬独特の色のない空。
その姿は、本当によく似ているように見える。
入ってはいけない場所には、やはり、いい景色が隠れている。
人には自慢できないが、私の経験則から導かれた法則は、ここでも通用した。
とても、この景色のほぼすべてが人が作り出したもの(空以外の全て! そう、大地でさえ作り物だ)だとは思われぬ、心に訴える景色だと思う。
心の中のサハリン鉄道は、やがて最初の向きからは90度左に折れ、最終ターミナルへと進入する。
二本の直線の線路に合流するのだが、この直線は前後のどちらに進んでも、行き止まりである。
ここまでレールは確かに続いて来たが、もはや重い鉄の車が通れるとは思えないほど枕木は痩せ細り、レールは錆び付いている。
これは事実上の廃線なのだろう。
周囲には、僅かな土の起伏があるだけで、プラントも遠くに離れ、寥落の極みといった景色である。
合流地点から酒田港駅方向を振り返る。
いま辿ってきたレールは右で、合流地点の前後に直線の線路が延びている。
砂混じりのざらついた海風が吹きすぎる。
近代的な港の隅にこんな別世界があったのかと、格別の感慨を覚えた。
合流地点から、まずは北側の終点へ向けて進む。
すると、もはやレールの存在などお構いなしというふうに土砂が積み上げられており、それでも諦めず乗り越えて進んだ。
砂の小山を乗り越えると、再びレールが見えはじめた。
複線のレールのうち3本だけが、毎年の砂の堆積にまだ辛うじてその姿を留めていた。
だが、それもやがて完全に消滅し、車止めさえ存在しない、虚無の終点を迎えるのだった。
今度は、南側の終点へと向かう。
こちらも北側と似たような荒廃ぶりではあるが、行く手にはまだ何らかの構造物が見えている。
終点には、果たして何があるのだろう。
風に押し戻されそうになりながら、なおも進んだ。
なぜか線路の両脇にはいくつかの人工的な凹みのような部分があり、そこには、白い結晶質の地面が広がっていた。
完全に固形化しているようだが、もともとは液状だった物だろう。
なにか、見てはいけない物を見てしまったような後ろめたい気持になり、足早にその場を離れた。
ただ単に、塩化ナトリウムの結晶……塩……だとは思うが……。
複線のレールは何度か互いに交渉し合い、その後一本に絞られた。
木製の車止めが置かれているが、いまではその存在さえ忘れ去られているに違いない。
無音のプラントを挟んでさらにその向こうには、東ソーの巨大な屋根付き工場が連なって見える。
甲高い機械音がここまで時折響いてきては、私の神経に緊張をもたらした。
だが、現実的には荒野のただ中にいる私を監視する目があるとは思えない。
余りにも敷地は広大である。
一度は一本になったレールが再び分かれると、その一方はご覧のような屋根付きの一角へ誘導された。
製品の積み込み場のようであるが、もはや設備全体が錆び付いており、長年動かされていないようである。
もはや、酒田港の専用線路が工場の命運を支えた時代は、とうに過去の物となっているのだろう。
錆びたレールに押し寄せる砂の山と、呑み込まれ倒れ伏した木製電柱。
終点は、もう近い。
遂に独りぼっちとなった線路は、一棟の掘っ建て小屋めがけて、トボトボと続いていた。
あそこが、終(つい)の地か。
酒田臨港開発線の、終点。
大浜埠頭の、車庫であろう。
終点を前に、本土離れした景観を見せる廃線跡を私はいつまでも見つめていた。
ポツンと佇むダルマ(原始的な手動転轍機)に、ありったけの力を振り絞っては見たが、案の定、完全に死んでいる。
びくりとも動かなかった。
レールなどというものは、思いつく限りもっとも上等な鉄、鋼鉄の中でも上質な物を使って作られると聞くが、その鋼鉄のレールが、芯の芯まで錆びきって、まるでパイの表面を崩すように板状に剥離し、自然分解していた。
ここまで錆びるのに、果たしてどれだけの時間を要するのだろう。
海に近いという環境も大きく影響しているのだろうとは思うが、ここまで錆びたレールは見たことがない。
遠くから見た以上に車庫は大きかった。
とは言っても、機関車をせいぜい2輌連ねて格納するのが精一杯だろう。
廃品置き場のように使われていた痕跡もあるが、最近に人の近付いた気配は感じられない。
レールの間隙には作業用のピットが掘られているが、もう二度と使われることはないだろう。
晴れていれば鳥海山を仰ぎ見られる酒田海岸の、広大な砂丘海岸の一角。
普段は立ち入ることが出来ない化学工場の奥に、我が心の中の鉄の廃路が、密やかに存在していた。
(つづく)
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