2010/4/20 9:00 《現在地》
第24号隧道の中間地点辺りだろうか。
足元の路盤にたくさんの木屑が折り重なっている場所があった。
その中に混じって空き缶やプラスチック片などの、これまでは見られなかったゴミも散見される。
木屑、空き缶、プラスチック片…、どれも水に浮かぶものばかりだった。
この地点が長島ダム(接岨湖)の水面であった証しだ。
ついに満水位の高さまで降りてきたのだ。
しかも路盤はこのままずっと片勾配で下り、再び浮上することはないはずだ。
“水面下”のエリアに入って初めて見る、地上。
だが、意外にも、これまでと同じように緑の風景が待ち受けていた。
隧道内にあった浸水の痕跡が信じられないほどに、地上は「普通」だった。
私は少し拍子抜けすると同時に、まだまだ普通の探索が続けられそうなことに安堵した。
長島ダム管理事務所が公開している過去数年の水位変化データ(pdf)によると、1年を通じて平常時最高水位(満水位)にならない年が多く、なってもその期間は相当短い事が分かる。
ああ… いいなぁ。
ここ、いいなぁ…。
しっとりした廃線風景に、思わずうっとり。
自分だけしかこの世界に居ないような、なのに、寂しさより解放感が勝るような、そんな不思議な気分になる。
静かな雨粒を吸い込み続けるスプレイグリーンの水面の近さも、ちょうどいい。
これより高ければスリリングだし、低ければ圧迫感が勝るだろう。
今がちょうど良い……
……湖は、それが極めて暴力的な手段でここに割り込んできた“新参者”であるという事実を、うっかり忘れさせてしまいそうなほど、景色に馴染んで見えた。
ほんの20年前まで、この水面の幅に等しい大峡谷に、悽愴な音を奏でる大井川が波打っていたことを、想像するのは難しい。
おっと!
素晴らしい石垣に酔いしれるのと、路盤を埋め尽くした土砂の山に緊張するのが、同時。
土砂の出所を探ろうにも、そこには上る術のない険しい岩場だけしか見えず、路盤は一方的な被害者らしい。
幸いにして、瓦礫の粒が小さいことや、ときおり水没して流水に洗われるせいか、
斜面の傾斜は温和であり、この横断は容易だった。
砂利山を乗り越えると、急に路盤の状況が良くなった。
が、それは単に、より水没している時間の長い、植生の貧弱なエリアに進んだことを意味していた。
とりあえず、今のペースのまま水面へ近付いていくと仮定すれば、前方にいよいよ近付いてきた現在線の鉄橋までは、行けるかな。
まだよく見えないが、多分鉄橋の下にも隧道があると思う。
そこまでは行きたいな。
…そりゃ、行けるんだったら、どこまでも行きたいんだけどね(苦笑)。
こればっかりは、水面様のごきげんに逆らえない。
路肩から見下ろす水面下は、まるっきり情報の欠落した世界だった。
ダムが出来る以前の地形図を見る限り、この辺りの路盤と谷底の高低差は20〜40mくらいはあり、おそらく現在の尾盛駅〜閑蔵駅に準ずるような風景(参考写真:井川線関ノ沢橋梁と大井川)だったのではないかと想像しているのだか。
ダム湛水以前のレインボーブリッジから眺めた谷底は、さぞ壮観だったことだろうな。
来た道を振り返ると、ここがどれほど険しい地形であったかがよく分かる。
私が起死回生の気分で路盤へ降りてきた小さな谷も、ここまで離れると周囲と区別がつかない。
というか、スタート地点の県道が、既に雨雲に覆われていて見えない。これには恐ろしさを感じた。
そんな外界から孤立した風景の中でも、ガーダー橋がひときわの存在感をもっていた。
あの橋の存在は、探索者にとっては確かに大きな危機であり障害物だが、
同時に、かけがえのない最高の美点でもあると思う。
現在線のこの橋を、
この「日本一の何か」であるかも知れないと思わせるような特別な橋を、
橋というものが最も美しく見える “仰瞰” にて眺められるのは、
探索者の特権だ。
眺めだけでなく、そんな優越感も独り占めにした。
そういえば、先ほどから電柱が線路沿いに立っている。
最初のうちはなかったが、第24号隧道辺りからある。
そういえば、第24号隧道西口に赤色灯があって、電線はそこに結ばれていた。
信号機ではなく赤色灯の意味する所は不明だが、落石防護だろうか?
また、電気だけでなく電話線でもあったようだ。
保線関係者が所持する移動電話機を、「電話マーク」のところに垂れた電線に繋げれば、通話が出来たはずだ。
9:07 《現在地》
欠 壊!
そしてその先に、隧道ッ !!!
再び興奮必至のシチュエーションだ!
順番から言えば、これが第23号隧道で、潜り抜けた先は現在線の向こう側か。
見えない行く手に興奮と緊張を感じながら、水気を含んで動きやすくなっている瓦礫の山を慎重に乗り越える。
下半分が土砂に埋没していた第23号隧道。
これまで見た4本の中では最も危機的な状況にあるように見えるが、既に放置され水没をほしいままにしているのだから、危機も何もないともいえる。
そして洞内を初めて覗き込んだ私は、驚いた。
路盤のあまりの綺麗さに。
なんというか、完全に現役にしか見えない状況で、バラストと枕木とレールから構成された路盤が、存在していたのである。
隧道そのものも同様に綺麗な姿をしており、昭和29(1954)年生まれとはとても信じられないほどだった。
異常な綺麗さの原因は、水没と干上がりを頻繁に繰り返すことで洗われ続けている…と考えて良いのだろうか。
しかし、水没を経験しながら泥が堆積していないのは、奇跡的のように思われた。
隧道内部の東側30mほどは、谷側の側壁に窓を付けた洞門であった。
洞門部分と隧道部分の接合部を見てみたが、同時に建設されたのか、洞門が後補であるのかの判断は出来なかった。
その先の隧道部分は長さが70m前後で、全体としては100m程度の隧道だった。
隧道内からいま来た入口を振り返ると、自分が確かに水面下にいることを実感した。
もちろん今は水面下ではないが、緑の境界線がくっきりとした風景は、まさに水面下から岸辺を見たものであり、頭上に透明の水面があるかのようだった。
おおおおっ!
“窓”から外を見ると、今まで見たことのないアングルで巨大な現在線の鉄橋が覆い被さろうとしていた。
その大きさは、最初に見た瞬間から重々承知していたつもりだが、近付けば近付くほど鮮烈な印象を塗り替えてくる。
しかも、こんなに大きいのに、今見えているのは“半分だけ”なのだ。
レインボーブリッジの愛称で呼ばれる両翼の橋の片側だけで、これ!
ちなみに、本来の名前は「大井川第三橋梁」という。
今は見えない片割れが、「大井川第四橋梁」。この呼び方が好き。
鼻の悪い私でも、感じ取れた。
ああ、
これは、
水の匂いだな。
水くさい、とても水くさい、
明らかに、“今ある”水面がとても近いことを感じさせる、そんな空気の中、
見えてきた出口の向こうは、今までになく明るかった。
正直、外へ出る前に水面が来ても不思議ではない感じだった。
9:12 《現在地》
う わ …。
これは本当にもう、「うわっ」て感じだった。
そこは水没と表裏一体の、まさに枯れた世界だった。
これまでは常に見下ろしていた水面も、今は地平と変わらない高さに見えた。
第23号隧道西口の姿。
水面の変動で坑門周囲の地表が削られているのだろう。
谷側の坑門裏側に大きな隙間が出来てしまっていて、どことなく虚仮威しのような侘びしさが漂っていた。
そして何より侘びしいのが、上と下で1ヶ月は季節が違うのではないかという植生の様子である。
冬季は水位が高く、夏は水位が低い。探索した4月はその過渡期であり、この辺りは少し前まで水中だったに違いない。
坑門には、扁額を取り付けていたような凹みがあった。
このような意匠は、今日見てきた他のどの坑門にもなかったものであり、特筆出来ることだが、残念ながらその意図するところは分からないし、かつて本当に扁額が取り付けられていたかも定かではない。
井川線の他の隧道にも、このような意匠を持つものがあるだろうか。
そして悲しいかな。
ここではそんなささやかな凹みよりも、頭上を跨ぐ現在線の鉄橋のほうが、私の心を動かした。
と い う か 、
旧線と新線のコラボレーションが、私の心をムーブさせたッ!
地図を見限り、旧線ごと水没した二つの駅のなかで
上流側にあった犬間駅までは、
あともう 500m くらいなんだが…。
さすがに今日は無理そうだな…。
期待もしてなかったけどな。
まあいい。今日は十分楽しんだという満足感もある。
だから、覚悟を決める!!
来い!水面!
!!!
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