道路レポート 栗原市道荒砥沢線旧道 第2回

所在地 宮城県栗原市
探索日 2020.10.07
公開日 2021.06.08

 “地面と一緒に300m流された道”


2020/10/7 15:08

アスファルトの路面と遭遇!



ただし、景色が世紀末!



GPS測定による「現在地」は、ここ! →→→

最新の地理院地図では全く道の描かれていない位置だが、発災前の状況を描いた平成26(2014)年版(実際は発災6年後)だと、すぐ近くに市道荒砥沢線のヘアピンカーブがある。

だが 勘違いしてはならないのは、いまここにある路面は、最寄りにあったヘアピンカーブの残骸ではないということだ。
実際は、ここから直線距離で約300m離れた山の上部にあった別のヘアピンカーブ(地図の矢印の位置)が、山崩れに乗って周辺の地表と一緒に移動してきたのである。

では、もともとここにあったヘアピンカーブはどうなったか。
発災直後の航空写真を見ても行方不明だ。ようするに、周囲の地表が原型を止めないところまで攪拌、破壊されて、道も地中へ埋没したか、湖面まで押し流されて、その埋め立てに使われたかのどちらかなのだろう。

完成からわずか10年ほどで唐突に地表より消えた区間を差し置いて、今なお地表にあり続けているという意味では、ほんの少しだけ周りよりも幸運だったと思える廃道へ、我々は辿り着いた。



我々が最初に辿り着いたアスファルトは、写真のトリさんが立っている位置だ。
その位置から崖へ突出するように、かつての路肩の位置を伝えているU字溝が伸びている。

ここへ到達したときの印象は、見通しが利かない登山道さながらの急斜面を四つ足でよじ登っていたら、唐突にアスファルトと出会ったという感じだった。まるっきり遭遇に脈絡がなかった。

まあ、事前にこういうものがあるということを航空写真で予知し、それを目指してやってきたのではあったが、実際に足を踏み入れたときの驚きは決して色褪せていなかった。
本来ならここにあるはずのない、誰もこの場所になど作っていない道が、一見すると見慣れた廃道のような“顔”で居座っているということが、とにかく奇妙で面白かった。



もう少し引いたアングルで、出会った路面の全体を撮影しようと頑張ったが、10月上旬はまだ藪が濃く、見通すことは難しかった。
ただ、動き回って路肩の位置を把握したことにより、ここがヘアピンカーブ先端だということが分かった。

このヘアピンカーブは、もともと2車線幅であったはずだが、外周側から崩壊が進み、現在は幅が2mも残っていない部分がある。
これ以上は治山工事も行われない様子なので、遠からずこの地点で廃道は手前と奥の部分に分割されてしまうだろう。




我々が辿り着いた位置は、発災2日後に撮影された航空写真にもはっきりと写っているヘアピンカーブである。
だが、10年の間でまた崩壊が進んだようで、外周側の路肩は写真ほど残っていなかった。

この写真でも明らかなとおり、前後どちらへ進んでも最終的に行き止まりだが、我々はまず左へ進むことにした。

前進開始!






!!!

まあ……

やはりというべきなんだろうが………

見たことがないような状況になっていた。

そりゃそうだよな。

ここは私がこれまで体験したことがない体験をした廃道なのだから。

これまで災害廃道といわれるものはたくさん見てきたが、山と一緒に道路が300mも移動したというのは前代未聞で、そこに足を踏み入れるのも当然初めてのことだった。

単に地表付近の土砂が300m横に移動したわけではなく、この巨大な崩れの滑り面は、地中50mから100mの深さにあったことが調査によって判明している。
そんなに深いところが一気に滑ったために、土砂の一部は大きなまとまり(ブロック)を保ったまま移動した。それで地表の道路や立ち木がそのまま移動したように見える部分が出来たのだ。

しかし、実際に “そのまま移動” できた訳はなく、めちゃくちゃに衝撃されたのに違いない。
それこそ、震度という人類の物差しでは測れないほどの烈しい震撃が、移動した地表にあった全てを襲ったのではないだろうか。
いったいどれくらいの時間で300mも移動したのかは分からないが、移動の最中ずっと、路面は巨大な破壊エネルギーに晒され続けたはずだ。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

↑ 全天球カメラ画像。



地面の至る所に巨大な亀裂が走っていて、かつての路面は、さながら溶け出した氷海で波に溺れる氷の板のようだ。

トリさんなんて、段差を乗り越える際の凹みにすっかり半身を没しちまって、映画だったらこの直後に目を覆いたくなるグロシーンが待っていそう(笑)。

ここではもはや、人の造ったものと水平の間に、いかなる関係も無くなっており(そりゃそうだ。ここにある全部が流れてきたものなんだもの)、むしろ木や草の伸びている向きから垂直を知り、カメラの角度を調節するような状況だった。




路上に口を開けた亀裂の写真。

10年も経っているので、クレバスのように細く鋭く深く……つまり危険な状況で開口しているものはないと思うが、路面の外は歩かない方が無難だろう。
もし独りの探索中に填まり込んで脱出できなくなったら……なんてことは考えるだけで地獄だ。



うおーー! デリニエータだ〜!

こんな状況の道であるから、わざわざ回収するわけはないと分かっていても、やはり見つけると嬉しい。
当然、栗駒町時代のデリニエータだ。
このデリニエータだってまだまだ新しいはずなのに、なんとも不運な道に設置されてしまったものだ。

(チェンジ後の画像)
亀裂を境に隣り合う路面間に、3mくらいの段差が出来ていた。
この写真は振り返って撮影したものであり、ヘアピンカーブから進んでいくると、この段差を下ることになる。

こうして道は、もっと窮屈な凹地のような所へと入り込んでいくのだった……。




10月上旬の東北地方、標高350mの山中だ。
わずかに紅葉が始まっているが、まだ緑が濃い。
しかも、夏を越えた緑には潤いがなく、見ていて憂鬱になる感じがある。
個人的感想だが、廃道に覆い被さってきたときに景色として一番救いのない緑だ。

一方で、私の中には探索前に見た、被災直後の航空写真の鮮烈なイメージがあった。
写真の中では、ほとんど現役そのままの姿で道が横たわっているように見えたが、
ひび割れた道路が緑化するのに、この10年という月日は既に十分な長さであったのかも知れない。

とても陰鬱で、長居すれば必ず気持ちを沈めそうな廃道だと感じた。
もしかしたら、同行の2人も同じ気持ちなのか、私ばかり喋っている気がする…。



ああっ!

闇の中に小さな光が灯った感じ。

道路標識の出現に、私のテンションは急上昇した。



15:17 《現在地》

ヘアピンカーブから約100m進んだ地点で、見慣れた道路標識が現れた。
しかし、見慣れたものこそ、異郷においては強烈な印象を与えてくるものだと思う。
私はこの道路標識にも、そういう感じを受けた。
道と一緒で全然古くないのも、不気味さを増していた。

また、おそらく地盤が烈しく動いたとき自然とそうなったのだと思うが、
普通より地上に露出している柱が長く、結果的に標識板が妙に高い位置に掲げられていた。
長すぎる柱が曲がっているのも、何ごとかの異常な過去を物語っていて、とにかく痛ましいオブジェだった。

道路標識の発見は嬉しいけれど、その姿は、気持ち悪いというこの道の印象を覆さなかった。




…そして、こうなった。

廃道の状況としては、少し良くなったといえるだろう。

大きな地割れが減って、舗装路面が一応繋がっている。自転車やバイクなら走れそうだ。

とはいえ酷く凸凹だ。それに勾配が20%くらいあるのも明らかに本来の道の姿ではない。



これは……!

おそらくセンサー関係だと思う。
被災後にセットされたものだろう。
工事中に二次災害を防ぐべく、新たな山崩れの兆候を捉えるために使われていたのだと思う。いまも継続的にモニタリングしているかもしれない。

(チェンジ後の画像)
ここに来てセンターラインを初めて見られた!
かつての航空写真や、空間として見て取れる道幅から、ずっと2車線道路なのは分かっていたが、路面の大半が雑草や落葉で隠されており、地割れも多いために、2車線の明瞭な証しであるセンターラインを見ることが出来ていなかった。

…あと、 なんか……

道が横に傾き始めたぞ……




?!?!

やっべえ傾斜が…!!

公道上ではあり得ない、サーキットのコーナーバンクのような横断勾配だ!

油断すると忽ち滑って転びそうな勾配である。

チェンジ後の画像は、面白がって人間を配置した状況を示している。



ふおっ!?!

急に傾斜が矯正されて、その辺の真っ当な廃道(?)と変わらない光景になった。

ここまで見て分かるかと思うが、とにかく次がどうなっているのかということが読めない。変化に法則がない。文明や知性を相手にしている感じが全くしない。単なる山の地形に、道路という名の薄皮を巻いただけの状況には、道路の常識が何一つ通用しない。こんな体験は他では出来ないと思う。それはアトラクションとしては楽しいかもだが、愛する道路がここまで空気になっている状況には、渇きを覚えた。こんな短時間で、早くも人が造った真っ当な道が恋しくなっていた。




道はこれまでで一番綺麗になった。

300mも移動したというのに、この平穏さは逆に異常だ。
たぶん、硬い地盤の塊(ブロック)に乗ったままに移動して、地表にほとんど外力が加わらなかったのだろう。

もしもこの位置に立った状態で地震に遭遇し、道路と一緒に300m流されても、生き残ることが出来そうな気がする。
そしてその状況で、どういう風に世界が動いて見えたのか、凄く気になる。
ここでなくても、山と一緒に300m流れて生還した人の体験談が、どこかにあるだろうか。

そろそろ、ヘアピンカーブから200mを進んだ。

なんか変な感じがするんだが、みんなも気付いてる?




なんかおかしい!!!

なんでこんなに前が白いの?!


この先のワールドデータが、なんかの不具合でロードされていないような、異様な雰囲気。




しかも、急に“壁”のような激藪が行く手を阻んだので、

私は勢いを付けて、これを突き抜けようとした。


突き抜けた!




【DEAD END.】
by 変なもの発見 no.161

うおっ!!!




 荒砥沢地すべりの核心部を大展望


マジ驚いた。
道の先に、こんな景色が待ち受けていようとは……。
ここは、最初に到達したヘアピンカーブから、おおよそ200mの地点である。

事前に見ていた、被災2日後の航空写真(→)により、この辺りに大きな段差がありそうだということは予測していたのであるが、よもやこれほど高い段差とは……!
加えて、段差の下が湖になっていることも想定外だった。

なぜこのような段差が出来たのか。
この場所の周囲は全て、一度の山崩れによって何百メートルも移動した地面である。
しかし、その移動量は地点によって異なっていた。そのため、移動した地表はズタズタに切り裂かれ、或いは圧縮され、ねじ曲げられた。その破壊ぶりは、ここまで見てきた廃道の路面が物語っていたと思う。

とはいえ、ここまではまだ比較的平穏に移動した部分だったのだ。
おおよそ1km四方の広大な地上面が、幾つかの巨大なブロックに分かれて移動したのだが、そのブロックの境界の一つがこの辺りにあった。
この先は陥没帯と呼ばれる、文字通り烈しく陥没した帯状の地形であり、今までの領域が比較的原型を止めたまま移動していたのとは異なり、極めて強い破壊の作用を受けた領域だった。




我々はここで初めて、本当の意味で、

荒砥沢地滑り災害の破壊力と向き合った。

【入口にあった看板】の前では、ここまでの迫真を、スケールを、感じることは出来なかった。

ここまで深く、魔物の腹の中に踏み込んで、初めて……

正しく恐怖した。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

全天球画像を見て欲しい。

私の足元までは、ガードレール付きの路面がある。

だが爪先は落差20m以上ある岩混じりの急斜面で、崖下には底の知れない水面が広がっている。

ちなみに、対岸の稜線近くに示した“黄線”のこちら側は全て地すべりの範囲内である。

さて、今いる道の続きは、どこにあるのか?

よく目をこらして探すと、2箇所に道が見えた。

それが、マークした「A」と「B」の2地点である。これから順に説明する。



「A地点」

陥没湖のちょうど対岸にあたる正面やや低い位置に、おおよそ30度左向きに傾斜した、2車線道路の路面が見えた。

道全体が、沈没間際の船の甲板のように傾斜しているのが、凄まじい。
前掲した発災2日後の航空写真にも、確かにこの位置に路面が写っており、おおよそ100mほど先までは、断続的に路面が存在しているようである。

当初は、ここにこれほどの段差や、湖面が存在するとは思わなかったので、このまま最後まで行くつもりだったが、無理だ。

崖に囲まれた湖を迂回して、目測で最低50mも離れている向こう側の路面に、今から到達することはできない。
もちろん、時間を掛ければ到達自体の可能性はあるのだが、既に時刻は(10月の)午後3時半であり、残念ながら時間切れである。



「A地点」の先の地形を望遠で撮影した。

左側の最も高い稜線付近にある「主滑落崖」が、この地すべりの上端であり、最も高いところの落差は150mにも達する。
山崩れの瞬間、主滑落崖に沿って巨大な地割れが発生し、その下側、長軸方向1300m、幅900mという広大な領域が、地中50〜100mの位置にある平らな地すべり面に沿って滑動した。領域内は幾つものブロックに分かれながら、最大で約300m移動し、末端部は愛染湖に流れ込んで停止した。

現在は水が溜まっている陥没帯の後方には、小さな山と谷が交互に連なる奇妙な地形が形成されており、これも地面がブロック毎に滑動した名残である。
そこはこれまでいた領域以上に破壊されているので、航空写真を見ても、ほとんど道の跡は写っていない。

そして最後に、「B地点」についてだが、ここは――



「B地点」

滝とは違う白いものが、崖に垂れている不思議な現場。

その正体は、現在地から北北西に約700m離れた位置にある、市道荒砥沢線の主滑落崖による切断面である。

あの垂れているのは、ガードレールだよ……。
これまた、極めて衝撃的な道路の死態を見せつけられた形だ。

荒砥沢地滑りにおける市道荒砥沢線の被災状況は、中途半端な側面的被害者ではなく、まさに中心的被害者であったことを象徴的に物語る、主滑落崖上に晒された遺物だった。
しかも、恨めしげに木霊する断末魔の叫びを思わせるような、自然物とは一線を画した白さを際立たせた遺物の存在が、なんとも……。

…………。


時間がなくても、せめてあそこだけは立ってやろうと、秘かに心に誓った私がいた。




この場所のまとめを地理院地図で。

地理院地図には、かなり克明に地滑り後の地形が表現されており、
ちゃんと陥没した地形も表現されているが、実際はそこに水が溜まって湖になっていた。
湖の向こう側に行ってみたいが、前述の通り、ここから湖を迂回して行く時間はない。

東北森林管理局の資料によると、地滑り内部を縦断する工事用道路が存在するようなので、
これを利用すれば、もしかしたら時間内に到達出来るかも知れない。
「A」「B」両地点への到達を目指すべく、「現在地」より撤退する。



15:51 《現在地》

おおよそ40分ぶりに、ヘアピンカーブまで戻ってきた。

この場所には、林道との分岐があったはずだということを思い出し、仲間たちが休憩している間に、ちょっとだけ探してみることにした。時間もないし、深入りするつもりはなかった。

画像には、分岐があるように描いているが、実際はこれが全く目には見えなかった。藪が深すぎるのと、地割れが複雑に交差しているためだ。




被災直後の航空写真を見ると、このヘアピンカーブのところから1本の砂利道が分岐しているのが見える。国有林林道のヒアヒクラ沢林道だ。
ヒアヒクラ林道は、ヒアクラ沢とシツミクキ沢(コリポネ橋といい、これらの沢名といい、日本語的解釈が難しい地名が多い)の間の尾根を通って、揚石山一帯を周回する林道の一部だったが、被災によって起点側2kmほどが廃止され、こちら側からは近づくことが出来なくなった。

被災前の航空写真と比較すると、ヘアピンカーブと林道の起点付近が、その位置関係を保ったまま、現在地へダイナミックに移動したことがよく分かるだろう。



これが、ヒアヒクラ沢林道の廃道区間の風景だ。

元々規格が高い道ではなかったうえに、被災後全く顧みられていないので、激藪だ。

特段の遺構がありそうな気配がなかったし、時間もないので、100mほどで引き返した。