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2023/10/31 6:22 《現在地》
1.6km地点の分岐を、置き忘れられたかのような道道標識に従って右折する。
右折直後、ますます道は頼りなくなったように感じた。
距離のうえではまだまだ序盤だが、早くも廃道一歩手前と言った雰囲気だ。新しい轍は全くない。まだ決定的に道が寸断されるような場面はないが…。
この先で道は見通しの利かない笹藪へ曲がりながら入り込んでいくが、こんなところでは特にヒグマとの出会い頭の遭遇が怖い。
だから意識的に音を立てて、こちらの存在をアピールする。近年では人の音に興味を持って逆に寄ってくるクマがいるという説もあるが、人慣れしたクマが少ない山奥ほど昔ながらの対策は有効だと考えているし、ぶっちゃけ個人レベルで出来る対策が他に思いつかない。
ちろん今回も、道内での廃道探索時には欠かさずに携帯するヒグマ対策3点セットは装備済みだ。
ヒグマ対応を謳っている熊避けスプレーと、高音のカウベル熊鈴、そして安心と信頼のHAMAMI印の“オリジナル熊避けブザー装置”だ。
6:23
間もなく、地図にも描かれている、深沢を渡る橋が見えてきて……
うわ! またあるじゃん!
またあった、例の道道標識。しかも今度は別の看板もセットである。
振り返ったらまださっきの標識が見える場面での連続出現。
こんなに立てる必要があったのか大いに謎だ。
ここに2本建てるより、1本は入口に立てたら良かったのに。ものものしい看板の横に。
(道道であることを隠したい思惑でもあるのかと勘ぐってしまう)
通 行 止
この先、法面崩落並びに行止まりの為、通年通れません。
室蘭土木現業所
これは初めて見る看板だったが、この先の道の整備不良を道路管理者が告白する内容だった。
わざわざ、「通年通れません」と書いてあるのも印象的だ。冬季閉鎖だけだと思った? ざんね〜ん、通年だよ、みたいな。
それはそうと、この手の行き止まりの道路の通行止看板には、「整備中」とか「工事中」とか「建設中」とか「未開通」とか、そんなことが書いてあって、将来の開通に含みを持たせる文面のものが多いように思うのだが、この看板にはそういう期待感を持たせる要素が全くないな…。
いずれ、この道専用っぽいこんな看板を作って設置するほど、ここの通行止は長期固定化される見通しのもと始められたのだろう。
その時点で、ここに書かれている「法面崩落」なんかは、もう直すつもりがなかったってことになりそうだ。
なお、室蘭土木現業所は平成22(2010)年に室蘭建設管理部に改名しているので、それ以前からの封鎖と分かる。(探索時点で13年以上経過していることに)
ところで、分岐から少しだけ進んだこの中途半端な場所に、なぜこういう看板や標識があるのか不思議だったが、その理由が先ほど分かった。
平成20(2008)年頃にこの道路を「ある場所」(後述)まで通行した人のレポートを読んだところ、当時はこの場所にも(入口にあった物とそっくりな)片開き式の立派なゲートが設置されていたことが判明した。ゲートは開いており、その脇に今もある道道の標識があったが、「通行止」の看板は無かったことも判明した。
当時既に【入口のゲート】は封鎖されていたが、例の【厳しい文言の看板】
は無く、この辺りにも車の轍が多く残っていて、封鎖から間もない感じがした。
で、今回ここのゲートの存在に全く気付かなかったのであるが、当時の写真と見較べてみると、やはりゲートそのものが撤去されていた。
わざわざなんでかと思うが、わざわざである。
6:24
この道道に入って1本目の橋である。
深沢を渡る橋で、親柱に設置された銘板にある橋名はそのものずばり、「深沢横断橋」。
深沢橋じゃ不満だったのかと思わないでもないが、命名者に何かの拘りがあったのかもしれない。
他の3枚の銘板も残っており、それぞれ、「深沢」「ふかざわおうだんはし」「昭和41年9月竣功」の情報が読み取れた。
本橋の竣工年は、道道が認定された時期(昭和58年)よりもだいぶ早いのである。
道道の認定以前からここには車道が存在していたのだが、それはおそらく、先ほどの深沢林道と同じような国有林林道だったろう。
40mほどの長さがある真っ直ぐな橋の上から、古いガードレールの高欄越しに深沢の下流側を撮影した。
すぐ先に砂防ダムが見下ろされ、その奥で幅広のポンベツ川と合流している。
これから道道末端まで、末永いお付き合いとなるポンベツ川を、ここで始めて目視した。
ポンベツという川や地名は道内に複数あり、その由来はアイヌ語で「小さい川」を意味するようだ。
6:26
深沢横断橋を渡り終えた道は蛇行しながらポンベツ川の畔へ近寄っていく。
林道時代からなのか、道道認定後に拡幅されたのかは不明だが、林道にしては道幅は広めだ。
が、笹やススキが車1台だけの幅を残して路上に生い茂り、その様子はほとんど廃道と変わらない。
切り立った法面に地山が露出しており、その滑らかな地肌は一種独特なものがあった。
おそらくは凝灰岩で、一帯は火山地帯だから火山灰由来の地層だと思う。
6:27
ポンベツ川の畔に近づくと、古びた1枚の標識が現れた。
それは国有林の林班界を示すもので、周囲が国有林だということが分かる。
この道は道道としても、林道としても、ほとんど利用されていない現状があるようだ。
6:28
か細い道は、河岸段丘らしき小平坦地を直線的に貫いていく。
周囲はおそらく植林によるエゾマツ類の針葉樹だが、同じ植林でも薄暗いスギ林とは印象を異にする。
木々の間隔が空いていて遠くまで見通せる開放感があり、その眺めを美しいと感じるのだが、少しもリラックスした気分にはならない。緊張が途切れない。
もちろんその理由は分かっているが、しつこくなるので省略する。
硬い意思を持って、自転車を漕ぎ進める。
6:28
轟々という盛大な水音に目を向けると、まだ新しい雰囲気を持った巨大な砂防ダムが見えた。
工事中はこの道が大活躍したに違いないが、終わってしまえばそれまでだ。
5:29
う〜〜ん! これまた際どい状況だ!!
分かるかな〜、この写真で。道が盛大に斜めってるのが!!
土砂崩れで盛り上がった路面に、薄らとしたダブルトラックが続いているが、全体が谷側に盛大に傾斜していて、自分なら絶対運転したくない。
しかも、ノコギリか何かで灌木を伐開した跡もあった。
とても行政関係の仕事とは思えないので、入口のゲートを開けて進入した地元関係者だろうか。まあ何であっても、轍が続いているのは心強い。
6:31 《現在地》
が!
深沢林道分岐から約1.1km、入口からだと通算2.7kmの地点で、路肩が大きく決壊していた。
直前の崩壊地を越えた轍の主は、ここも越えられただろうか?
自転車とかバイクならなんてことない路肩欠壊だが、四輪でここを突破できるかどうか。
自分なら絶対に試さないが……、う〜〜ん…。
しかしまあ、入口の様子を見た時点で嫌な予感はあったけど、もう完全に北海道(道路管理者)は、この道道の管理を止めている。
路線ごと廃止されてしまってるんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。
一部とかでなく、(入口のゲート以外は)全線が全く管理されていないのは凄い。
路線全体が廃道状態ってのは、全国の都道府県道まで目を広げても、なかなか無いと思うぞ。
(全線廃道状態の都道府県道を知ってる人がいたら教えて欲しい。あの大嵐佐久間線とかだって、ちょっとは現役区間有るからね)
6:37
地図だとあまり川から落差のないところを通っているように見えるが、実際は結構高い。
ときおり道のすぐ下まで川の蛇行が寄ってきて、スリリングな感じになる場面もあった。
崖道になっても、ガードレールとかコンクリートの護岸とかは全くないので、林道だとしても低規格。
眼下に横たわる、微かに朝靄のかかった清楚な渓流。
艶やかな錦も、銀色の水辺の前ではしっとりと落ち着いた雰囲気に感じられる。
美しい。とても美しい。
けれど、この川を見ているとき常に連想されたのは、こいつの姿だ。絶対やってるでしょ、あのポーズここで。超似合うもん…。遭いたくない〜。
6:43 《現在地》
入口から約3.3kmの地点には、周囲を高い立ち木の森に囲まれた、だだっ広い空地があった。
道からは見えないが、地図だと直近に2連続の砂防ダムがあり、その工事絡みのヤード跡か、はたまた林業関係の土場か、あるいはその両方か。
まだ陽が当らない周囲の地面は、朝靄が凝結したみたいな色で着霜していた。
川の音は常に聞こえるが、それ以外は凝結したような風景だ。とても冷たく、固まっている。音のある静寂。
だが、今日を爆発するための光と熱のエネルギーが、向こうの山から次第に下りてくるときの期待と高揚が、私にも作用を始めた。
全線の3分の1ほどの距離を臆病な気持ちで進んで来たが、ようやく肝が据わってきて、楽しさを感じ始めたぞ。
広場で見た、西の山の風景。
かの有名なエアーズロックを思わせる赤茶けた岩山に、月がぽっかりと浮かんでいた。
前景の森と、背景の岩山が、別の世界であるかのような、不思議な取り合わせ。
謎に満ちた道道に連れられて、奇なるポンベツ川を窮める旅は、まだまだ続く……。
6:47
予め断っておくが、この回は珍しく道道の周りが賑やかになるぞ。
まあ、私以外の登場“人物”は一切出てこないが。
では、イッテミヨウ。
現在地は前回ラストから少しだけ進んだ3.5km付近。
この辺りは河岸段丘上に道が付いているので険しさがなく、道も荒廃の要因が少ないため、所々泥濘んでいるくらいで基本的には走りやすい。
内地だったら普通に開墾されて集落があっても不思議じゃなそうな地形だし、傍らにあるポンベツ川の広さもそんな感じを与える。
え? 実際の最寄り集落? それは(スタート地点近くの森野地区も近年無人化したらしいから)10kmは離れていると思うぞ…。
6:49
また川が少し遠ざかり、道の周囲はエゾマツ林に。
林の中に見通しよく切り開かれた道が延びているのは爽快だが、路上で拾われなかった松ぼっくりたちが、そこに可愛らしい若木を育て始めている。
このままだと、我々人類共通の資源である道道が森に還っちまうぞ。
ボチボチ邪魔な倒木も出はじめているし、いよいよ車の出入りが本格的に感じられない状態だ。
6:51 《現在地》
出発からおおよそ50分で、4km地点まで前進した。
引き続き、道は森の中を坦々と進んでいくように見えるが……
先へ進む前に、ちょっとこれを見て欲しい……(↓)。
手元のSMD24の地図上にあるGPS測位の「現在地」は、
まさにこの場所が“分岐地点”であると示していた!
が
現実に、そんな分岐は存在しない。
SMDが、20年以上前の初版以来、ずっと描き続けてきた「幅の広い都道府県道」は、やはり 幻 だった。
このことは、本編冒頭でも航空写真によってほぼ確信していた内容ではあるが、実際に現地に降り立って見ても、間違いなくそうだった。
何か作ろうとした形跡は見えるということさえなく、本当に全く何もなかった。
黄色い線が実際の道のラインだが、SMDシリーズ(2000年のVer.1から2023年のVer.24までの全て)では、この赤い矢印の方向に、都道府県道として描かれた広幅員の道路が分岐していく。
だが、地図上の等高線もそうだが、小高い丘があり、気ままに道が入っていけるような地形ではない。
それでも“幻の道”は“無造作に”丘を切り崩して進み、そのまま正面に見えるもっと高い丘を直線的に越えるように描かれている。
ずばり、SMDシリーズに連綿と受け継がれてきたこの“幻の道”の正体は、なんだろうか。
今のところ明確な手掛かりは得られていないが、さすがに全く根拠のないでたらめということは無いんだろうと思っている。
右図は、平成12(2000)年に発売された初代のスーパーマップルデジタル(SMD Ver.1)を「中縮尺モード」(当時は、山間部はこれが最大縮尺)にして表示した道道1045号線の様子だ。
この初代の時点で既に、4km地点から先の道が太く立派に描かれていたが、これは現実には存在しない“幻の道”だ。
また、その太い道の末端から先には、計画線を示す破線が支笏湖側の起点まで延びていた。
最新のバージョンでも、この“幻の道”や計画線の位置関係は全て踏襲している。
この“幻の道”の正体だが、おそらく皆さまも同じ予想をされるかと思う。
これは、計画線を誤って既設の道として描いたミスだろう。
この道道には現状で約2.3kmの未供用区間があるとされるが、道路管理者側から地図制作会社に提供された(2000年頃の)管内図などの図面に、未供用区間を解消した全線開通時の建設予定ルートや計画ルートのようなものが描かれていたのではないだろうか。
それをSMDに反映する際に、一部を既設の道路のように表現してしまったのだと思う。
古めの管内図は小縮尺(10万分の1とか)で、道路も大雑把に表現されていたが、SMDも初期のバージョンは大雑把だったので、特に違和感はなかった。
だが、最近のバージョンの地図は詳細なので、古いバージョンに準拠した大雑把な計画ルートを拡大してしまうと、詳細な等高線などの地図表現との不一致が目立つようになっているのだと推測する。
昭文社が独自に道路計画ルートを書き始めることはないだろうから、資料提供元である道路管理者サイド(この場合は北海道)に由来する計画線と考えて良いと思う。
で、現地にその計画線(であろうもの)に則った新道が、ほんの僅かでも建設されていないとなると、これはもう完全に、計画だけで着工には至らなかった、いわゆる未成道未満の“幻の道”ということになりそうだ。
この道道の整備計画については、レポート後の机上調査で改めて調べた内容をまとめる予定である。
6:53 《現在地》
この先、SMDはひたすらに“幻の道”を追い求め続けるので、地に足を付けた地理院地図を開きながら探索を続けよう。
前方左手、ポンベツ川へ合流する小さな支流が見えてきた。
道道はこの支流を、簡単な盛土と暗渠で跨いでいる。
私の中ではただそれだけの通過地点に終わったが、帰宅後の調べで、この沢の秘密を知った。
この支流には「ポンベツ温泉の沢」という直截な名があり、沢伝いに数百メートル分け入ったところに、実際に温泉が湧いているそうだ。
昭和初期の短い期間らしいが、そこに湯舟や宿泊施設を自前で整備して湯治場を経営した沖野という人物がおり、そこから沖野温泉の名で今日まで呼び継がれる、知る人ぞ知る秘湯らしい。
沖野温泉をキーワードにして検索してみると、なるほど少なくない数の訪問記がヒットする。みんな温泉には目がない。
沖野温泉は、戦前の有名な温泉ガイドブックである昭和5(1930)年発行『日本温泉案内 東部篇』にも記録があり、当時の様子を僅かながら窺い知ることが出来る
沖野温泉 (北海道白老郡白老村御料地内)
室蘭線白老駅に西北4里、徒歩。
白老嶽の山麓にある閑静な湯治場である。周囲は密樹鬱蒼昼なお暗きまでに生い繁り、雲霧常に蓬勃として居る。
泉質効能 無色透明。無臭の単純泉で温度40度。外傷、神経系緒病、癩(らい)病に特効がある。
旅館・経費 沖野旅館。内湯あり。宿泊料一泊三食付一円半。
6:57 《現在地》
さらに進むと急に上り坂が始まり、それがなかなか終わらずぐんぐん登る。
あごを上げて先を見ると、上り坂の途中に、意表を突く現代的施設があった。
これはあれかな? 無人の雨量観測施設的なヤツ。下流にダム湖がある山の中でよく見るやつ。電信柱みたいなのは無線で観測データを送るための設備だろ。外部からの電力供給は絶対にない立地だ。
こんな廃道の奥で、ご苦労様なことで……。
……なになに…… フムフム…… ほぅ。
この施設は、無線は無線でも、水量計ではなく、泥流監視用の無線装置らしい。
取り付けられた国有林野借受地標識によると、樽前山火山噴火警戒避難対策事業で設置された施設で、管理者は室蘭土木現業所の苫小牧出張所だそう。室蘭土木現業所(現:室蘭開発建設部)というのは、この道道の管理者と一緒だが、その下の出張所レベルだと、道道の管理は白老出張所で、この施設の管理は苫小牧出張所と異なっている。
で、施設の全体を描いた図面もパネルとして掲示されており、それによると、ここから右手に施設の専用道路が下っていて、その先のポンベツ川と支流の合流地点に土石流の発生を検知するワイヤーセンサーが設置されているという。検知すると無線で苫小牧出張所に報知される仕組みらしい。
どうでもいいけど、パネルの左上には「熊出没注意」という嫌な文字と一緒に、「お気づきの点がありましたらご連絡をお願いします」とあって室蘭土木現業所の電話番号も書かれているんだけど、万が一施設が見るに堪えない状態になっているとかで連絡をした際に、そのまま警察に通報されたりしない。通行止なのに入ったのがバレちゃう。
冗談はおいといて、ここに書かれた「樽前山火山噴火警戒避難対策事業」という物々しい文字列に、ハッとしたのが本音である。
なるほどなるほど、そうかそうか、ここは、活火山の近くであったか。
たしかにこの道が目指した支笏湖はカルデラ湖であり、約4万年前に起きた大噴火でおおよその地形が出来上がったらしい。これって地質世界のタイムスケールから言えば、まだ全然最近の出来事だから、活火山であるのは不思議ではない。
特に、カルデラ形成後に、その外輪山の位置にモリモリと育った樽前山の活動は甚だ活発で、有史以降も多くの噴火が記録されている。マグマを吹き上げる規模の噴火は明治42(1909)年が直近らしいが、その後も小規模な噴火活動は何度も観測されている。
ポンベツ川の谷底に終始する路上から、その雄々しい山体を拝むことは出来ないが、距離は10kmも離れていない。
この道道を取り巻く個性的な地形を、カシミール3Dで作成した鳥瞰図で見て欲しい(↓)。
こんな地形をしている。
一言で表すなら、真新しい火山を白老川の支流たちが全力で削りに行っている状態。
樽前山(右端)との位置関係も、これでよく分かると思う。
支笏湖を取り巻く外輪山の南側には、若い火山地形である広大な社台(しゃだい)台地が広がっているが、その末端は白老川の複数の支流によって激しく浸食されている。その激しさは、各谷の源頭に作り出された巨大な滝の存在が物語っている。
ポンベツ川沿いの道道に目を向けて欲しい。
この道道は、社台台地との極端な高低差に挑むことは避け、既に浸食が進んでいる西側のエリア内に終始する。
私はレポートの冒頭で、「支笏湖の外輪山越えに挑む」みたいな表現をしたと思うが、厳密には正しくないのだ。
外輪山との直接対決は避けて、クレバーに支笏湖へ抜けようと立ち回った印象だ。
……まあ、それでも開通していないんだけど……。
こんな谷底いると、周囲の地形の見える範囲はとても限られている。
だから、噴火というメッセージを突きつけられても、それはクマへの恐怖とは根本的に異なる、現実感の遠い、どちらかというと畏怖に近い怖さしか感じないが、火山という壮大な地質イベントの近隣まで道道が踏み込んでいるのは事実であり、そのことが複雑な地形条件に結びつき、本格的な道路整備を難しくしているのかもしれないという想像は働く。
無線施設の脇には、確かに二手に分れる道があった。
左の上っていく道が道道の続きで、右の水平に続いているのが施設用道路らしいが、もうほとんど森と区別が付かなかった。
こんな感じなんだけど、この無線施設って現役なんですかね?
調べてみると、樽前山火山噴火警戒避難対策事業自体は平成28(2016)年に終わっていて、同年から樽前山火山噴火緊急減災対策事業がスタートしているようだけど、設置されてる看板類の文言は、平成22年以前の土木現業所時代から更新されていないようだし。
まあいいや、ちょっと外野がガヤガヤしすぎたな。
道道の先へ進もう。
7:00
ボワァーーー!!
なんだあの気持ち悪い模様の崖!!
トンデモナイ高さだし!!!
それが、先ほど言及した社台台地の縁だった。
直下の谷底から台地面まで約200mの落差があり、うち100mほどが一枚岩の断崖絶壁になっている。
ここからは見えないが、この落差を流れ落ちる滝(白老石狩滝)があり、これまた知る人ぞ知る名瀑らしい。
幸いなことに、道道はあっちの方には行かないので、ここでちょっと恐がらせるだけですわ。
今回の短い区間は、道道の周囲がとても賑やかだったが(全て無人である)、
次回以降は逆に、なんかもう……、
誰も興味も持たなかった奥地みたいな感じになっていくんで、そういうのが好きな人はお楽しみにね……。