
島前大橋については、このレポートの冒頭でも一部を転載した「平成15年度の島根県再評価委員会の事業評価結果」が、事業の始めから終わりまでの経緯をまとめた良い資料である。同資料は2枚のPDFからなっていて、右はその1枚目だ。
ここに書かれている内容をベースに、事業の経緯を時系列順に文章化すれば、以下のようになるだろうか。
西ノ島と中ノ島を結ぶ島前大橋の計画は、島前三島の首長らが構成する「島前大橋建設促進既成同盟会」等から早期実現の要望が有り、これを受けた島根県により、昭和54(1979)年度に事業化された。事業内容は、一般県道西ノ島海士線を新たに認定し、その一部として2.8kmの道路を新設する(うち0.8kmが離島架橋である島前大橋(仮称))というもので、総事業費179億円、開通後の計画交通量は450台/日を見込んでいた。
昭和57(1982)年度に、用地の取得と中ノ島側取付道路建設に着手し、平成11(1999)年にそのうちの1.4kmを供用した。
こうして距離の上では全体の半分が完成したが、それでも事業費ベースでは僅か3%の進捗率に留まっており、残事業として架橋本体と西ノ島側取付道路の建設がある。
さらなる事業の進捗のためには、長期間にわたって大量の離島予算を集中的に投入する必要があるが、県財政の悪化による公共事業費の縮減や、内航船の充実強化による両島間のアクセス向上が図られたこと、本事業以外にも島内には緊急を要する他の箇所が多く存在する事などから、平成15年度の事業再評価をもって、「事業中止」の判断が下された。
今後の見通しについては…「緊急に整備を必要とする他の箇所の整備の進捗状況等を勘案しながら、本格的な整備着手時期を見定める
」というもので、完全な計画の放棄ではなく、時期が来るまでの休止と考えられているようである。
以上の内容について、個人的には納得出来るものがある。
特に、「内航船の充実強化による両島間のアクセス向上が図られた」という部分については、私もたった1日ではあるが島前三島を巡ってみて、各島の人口がそれぞれ600〜3000人程度であるわりには結構な頻度で内航船が運航されている(1日13往復以上、夜は10時台まで)のを体験したし、私は乗ることはなかったが、カーフェリーも各島間を毎日複数回往復していて、橋の便利さには敵わないとはいえ、各島間の移動がひどく不便なようには感じなかった。
個人の感想ついでに述べれば、架橋による移動時間の短縮という面についても、現状の内航船が中ノ島と西ノ島間を12分という短時間で結んでおり、架橋ルートが両島の市街地を迂回することもあって、さほどの大きな効果はなさそうに思う。また、内航船の運賃は一律300円(小人100円)であるから、架橋時には自動車の燃料代の方が安くは済むだろうが、バスに乗って移動するならばコストは余り変わらないだろう。
架橋による最大の安心は、海況の悪化による不通が余り起こらなそうだという点だが、これも波穏やかな内海を運航する内航船については平成16年時点で就航率96%を超えており、元からかなり高い。
こうした事を考えてみると、県サイドが、「架橋は緊急を要さない」と判断したのは、納得出来る気がする。
(観光客目線では、架橋よりは現状の内航船での移動の方が一層旅情を掻き立てられ、隠岐全体への好感度を高めることもあると思う。私はそうだった。無論、船に乗るのが苦手な人は真逆な感想を持つであろうし、難しいところではあるが。また、私個人としては人類の英知を見せ付ける離島架橋が大好きなので、実現を期待しているが。)

「平成15年度の島根県再評価委員会の事業評価結果」の2枚目のPDFは、右に転載した「事業概要図」となっており、これによって計画ルートの全貌が判明した。
ここで注目すべきは、西ノ島側の取付道路の位置であろう。
先ほどの現地レポートで見たとおり、西ノ島町の倉ノ谷集落から宇賀集落にかけては海岸沿いと山越えという2本の道が存在し、このうち山越えの道は最新の地形図にもなぜか描かれていないが、入口に県道の標識が立っているなど、島前大橋の取付道路として整備されたのではないかと、疑われる要素を持っていた。
そしてこの「事業概要図」を見ると、確かに倉ノ谷から宇賀への山越えの道と重なるようにして、取付道路の計画ルートが描かれている。
しかし、話は単純では無いのである。
ここは事業再評価の時点では未開通として表現されており、かつ事業再評価で「事業中止」となったのだから、現状で開通済みである山越え道が、それそのものであるのはおかしいことになる。
つまり、実際は別の道であるか、仮に同じ道であるとしても、島前大橋とは別の事業で整備されたはずである。
この点については、西ノ島町議会が公表している「議会だより」を調べる事で、だいぶ解決した。
議会内での町長と議員のやり取りをまとめると、西ノ島町倉ノ谷付近では、島前大橋の事業前後で、概ね次の地図で示したような道路整備が行われていたようだ。

- 県道西ノ島海士線は、島前大橋が事業化した翌年の昭和55(1980)年に一般県道として認定された。
- 県道西ノ島海士線の認定以前にも、西ノ島島内で完結する県道が認定されており(路線名は不明)、その終点は宇賀集落であった。
- 県道西ノ島海士線の認定により県道から除外された倉ノ谷〜宇賀間は西ノ島町に払い下げられ、町道倉ノ谷宇賀線(町道320号線)に認定された。
- 町道倉ノ谷宇賀線(町道473号線)は、平成18年度に農業集落道(農道)として県が整備し、町で維持管理を行っていたが、平成22年度に町道として認定した。
- 町道倉ノ谷宇賀線(町道473号線)は、島前大橋の取り付けルートとは重ならない。(←町長の回答)
「倉ノ谷宇賀線」という同じ路線名の町道(路線番号のみ異なる)が、平然と2本指定されている事に驚きを覚えるが、それらが今回探索した「海岸の道」と「山越の道」なのである。
そして町長の答弁に拠れば、「山越の道」は平成18年に県が農道として整備したもので、「島前大橋の一部ではない」とのことだ。

おそらくこの発言に嘘はない。
だが、全く無関係だとは、到底思えない。
現地で撮影したこの「山越の道」の写真を、もう一度見てもらいたい。
1車線の町道の隣にある、帯状の広い空き地。
しかもこれは、山越の倉ノ谷側にだけ存在する。
現地でも予想したとおり、この空き地が島前大橋の取付道路予定地であることは、間違いないだろう。
農道として整備されたというこの町道も、いずれ島前大橋の事業が再開すれば、工事用道路として活用されることだろう。
公式には事業が休止された後であっても、農道整備事業の名を借りて、島前大橋という遠大な野望の達成へ少しでもにじり寄ろうとする、狡猾なヤマビルのようなスタイル……、嫌いじゃない。(ヤマビルは大嫌いですが)
本稿の最後に、隠岐諸島における離島架橋計画の起源にまつわる面白い情報を入手しているので、紹介しよう。
島前の中ノ島と西ノ島を結ぶ架橋計画は、島前三島の首長らが構成する「島前大橋建設促進既成同盟会」等の要望を受けて、昭和54(1979)度年に島根県の事業としてはじめて採択されことは、既に述べた。
だが、“彼ら”の夢は、中ノ島と西ノ島を結ぶことだけではなかったようだ。
以下に掲載する写真は、昭和53(1978)年に西ノ島町が発行した「隠岐西ノ島アルバム運河のある町」という写真帖からの転載である。

明日をめざして
島前を結ぶ夢のかけはし
昭和二十八年、離島振興法が制定されてから隠岐島は著しい発展をとげたが、しかし島前地区の島民にとって最大のゆめは何といっても島前内海架橋である。
昭和四十八年六月九日、島前三町村で構成している島前広域行政推進協議会では島前内海架橋期成同盟会をつくり、積極的に運動を展開することになった。
その直後、オイルショックによって一時中断の止むなきに至ったものの、昭和五十一年、再びこの問題をとりあげ、県に対して陳情、昭和五十二年には国土庁による架橋問題をとりあげた生活圏拡大調査も実施され史上最大のゆめを目ざして胎動しつつある。
そして、一緒に掲載された2枚の写真を見ると…

→
1枚は、今回取り上げた、「島前大橋(仮)」こと、
西ノ島と中ノ島を結ぶ橋の完成予想図。
(ただし、実際に計画された位置とは、だいぶ違っている。)

←
もう1枚は、熱ちぃッ!!!
西ノ島と、知夫里島を、結んじゃおうという橋だった!

島前にある全ての有人島を一つの陸地にまとめ上げるという、まさに出雲の「国引き神話」を現実にするような国(島)土改造プロジェクトだ!
確かにこれは、過去累代の島前に暮らしてきた人々にとって「最大のゆめ」と呼ぶに相応しい、それだけインパクトのある計画だと思う。
…この“夢のような計画”が町の本に掲載されてから、既に40年近くが経過しているわけだが、曲がりなりにも事業として県に採択された西ノ島〜中ノ島の架橋は別として、この西ノ島〜知夫里島の架橋は、現在も島民の話題として口の端に上ることはあるのだろうか。

素人目に見て、単純な架橋の規模や難度は、どちらもそう大差ないとは思うが、知夫里島は残り二島より遙かに人口も少ないし、採算性は悪そう…。
でもやっぱり、「島前大橋」と言うからには、島前の三つの橋が結ばれているのが本物だって気がするよね! 私も大好きだよ、こういう構想ぶち上げるの!やっぱり夢は大きくなくちゃね!

写真は、もうひとつの夢の舞台、
知夫里島より眺めた、赤灘ノ瀬戸と西ノ島。
ちなみに海峡の最短幅は750mほどだが、どちらも市街地から遠いし、まずは陸路の整備が先決だろうな。

最後は、これまた知夫里島から眺めた、
島前内海のパラダイスのように美しい景観。
左は西ノ島、右は中ノ島、遙か遠くに見える山影は島後。四つの島で一つの国。
橋があっても、なくても、素敵だ。