道路レポート 早川渓谷の左岸道路(仮称) 第4回

公開日 2013.09.28
探索日 2011.01.02
所在地 山梨県早川町

引き際との格闘と葛藤  


2011.1.2 13:45 《現在地》

「道が切れている?」

突然背筋に氷の塊を押し当てられたような気持ちになり、いてもたまらずに駆け寄った。

そしてそこには案の定、私を暗闇の淵に立たせる景色が有った。

左岸道路…もとい工事用軌道跡と思われるその路盤は、青崖まで残り400mを切ったと思われる地点で、遂に欠落を来した。
これはこれまで4度ほど見た大きな決壊場所のような、ガレ場による埋没ではない。
埋没であれば大概は踏破しうるのだが、その何百倍も危険で難しい(事が多い)“路盤欠落”なのである。

いわば、橋が無ければ渡れない場所に橋が無いという状態だ。
実際は橋が落ちたのか崖が崩れてこうなったのかを判断できないが…。


(左) 欠落現場。
“向こう岸”までの距離は10m程度だが、路盤が完全に消失しているように見える。

(右上) 同地点から早川を見下ろす。
一度早川の河原まで下りて上り直すのは現実的ではない高低差と斜面勾配だ。足がすくむ。



それにしても、何と憎たらしいことだろうか。

私が足止めを食らっているその先にも、これ以上無く明瞭な路盤が見えているのである。

「お前に俺が踏破出来るか?」

数十年ぶりの遊び相手の生死はどうでもよくて、ただ自らの慰みと退屈凌ぎを欲している、そんなひねくれた廃道の挑発が聞こえてくるようではないか。この道さえも双手で愛せるほど私の道路愛も全能ではないようだ。

しかし、道の挑発の声が耳に届かなくなったら、それはまた(私の中の)オブローダー廃業である。
重要な事は、挑発に耳を貸すか貸さないかの線引きを、“自分の納得出来るレベル”で正直に下せる決断力の有無である。

無茶をしたという実感があるときは、決して本当の武勇伝にはならないと思う。
強がってそんなことを口にしたとしても、本音では怖じけている自分を見つけているのだから質が悪いのだ。

ここで挑発に乗って見せるには、これを無事に横断できるという確信に近いもの(もちろん、どんな確信にも客観的な盲点はあるかも知れない。しかし自分が確信したという事実は存在する。)が必要だと思う。

過去の山行がのレポートの中には、私の本音として反省すべきものがくつかあるし、そうした「失敗探索」の数だけ命を現実的な危険に晒してきた事になる。
私のなかの「成功探索」は、終始リスクコントロールがされた状態で、体力と知力だけを消耗して踏破したものを言う。





――13:46 (ここへ来た1分後)――




突破した!

この速さが、私のこの難所に対する答えである。

逡巡せずに踏み込んでいるということが、経験則的に「行ける」と判断できた証拠である。
私はこの経験則を何よりも大切にしている。今までもガイドブックや先人のヒントが一切無い場所で、
それ(経験則)によって生かされると思われる場面が数多くあったのだから、信頼すべき第一となるのは当然だ。


難度の高い廃道では、自己中心的である事に専念するのが私のやり方だ。




私のルートは、この通りだった。

向こう側から岩場を一通り観察した時に、だいたいこのルートが見えたので、すぐに行動した。
そこでだらだらすれば余計怖くなってくるのはお見通しなので、思ったらすぐに行動なのである。

さすがにこの横断中にカメラを構えるまでの余裕は無かったが、ちゃんと手足を伸ばせば常に三点支持が出来るルートがあった。
もちろん、往復出来ると判断した上での行動なのは、言うまでもない。

なお、これをさも当然に踏破出来た武勇伝のように語っているが、この場所が普段のペースならば半年に一度遭遇するかどうかと言うくらいの危険箇所であることは間違いない。
これまでの“慣らし運転”抜きで、いきなりこの場所に遭遇したら、深く考えずに「路盤完全消失のため撤退」と判断を下してもおかしくなかった。
しかし、この日の私は既に“早川流スパルタ”によって、だいぶ慣らされていた。
それは大きな大きなアドバンテージであったと思う。

ぶっちゃけ、いまこの写真を見ても、「良く踏破したな」と我ながら思う。
しかし現場で時計が1分しか回っていないのは、私が確信を持ってこれを横断した証しとしか考えられない。





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――憎たらしい道。

私を殺そうとしたくせに、今はまた素知らぬ顔で私を誘う。
そしてこの展開に、私は悦びの湧き上がることを止められない。廃道ジャンキー。

しかし肝に銘じなければならない。
この先のどこかの段階で、必ず引き返す事。
そして、その引き際は絶対に間違えてはいけないと言う事を。

この道の限界を追求すれば、きっと取り返しのつかない結果になるに違いない。
ある意味、出口のない廃鉱山の坑道を探索している時と似た心境であった。




キキキキターーーー!!



やっぱりあった! 2本目の隧道!!

旧版地形図にはない、しかし20分前に「ある」としか思えない遠望を目撃していた、あの隧道だ!
うお〜〜!!! 興奮のあまり両足の太腿がプルプルしてきたっ!

なんだなんだよ〜!あるんじゃないかよ〜。
さっきの難所を越えた“ご褒美”をちゃんと用意してくれるなんて、素敵〜!




?!

手前にも穴があるように見えるけど、な〜〜〜〜に?


うおーー!! メッチャ先が気になる!!
すぐ行こう!
走って行こう!!!




ぎゃーーー!!



即座に確信した。 これはマジで最悪だと。


さっきの崩壊など、これから見れば全然ラクショーなお遊戯だったと。


全身が一瞬で凍り付いた。



13:48 《現在地》

さっきの難所を越えてから2分しか経っていないのに、次なる難所が登場。
やっぱりこの道は殺しに来ている。
写真ではその違いが分かりづらいとは思うが、現地に立ってみれば一目瞭然なほど、今度の難場はやばかった。

1.着雪した岩盤は、凍り付いている恐れがあった。
2.突破するためには、スラブ状の滑らかな岩盤を5mほど下降した後で、改めて上る必要があった。
3.万が一スリップした場合、途中で止まれそうな場所が無く(さっきはそれがあった)、100m下の早川へ滑り落ちる事が予想された。

以上の3点が危険の全てであったが、中でも「2」が嫌だった。
「1」の氷結対策は、ちゃんと三点支持で動く限りスリップの危険度を一歩ずつ確かめて歩く事が出来るし、不安ならばそこから引き返せば良い。

だが、「2」の“下降”というのが、とにかく気持ち悪いのだ。苦手なのだ。
手掛かりの乏しい崖を、斜面との摩擦力に頼って下るときほど、自由に身動きが出来ない姿勢はないと思う。
私がこの斜面に入り込むと同時に、重力は全て私の敵となって全力で死なせにかかってくる。

先ほどの難所と違って、見ているだけでは、確実に突破出来そうだと思えるルートが思い浮かばなかった。
したがって、もしやるとしたら、崖に身を投じてから一足一手の感触を頼りに、試行錯誤しながら突破する事になると思った。
しかも今回は、往復する前提でここに踏み込む必要があった。
一度の行動が担保せねばならない危険は、単純に2倍であった。




← 万が一スリップしたら、たぶん死ぬ。
私は2011年を2日弱しか生きられずに終わってしまう。
この景色を見れば、それが大袈裟な物言いではないことが分かると思う。

もっとも、ミスをすれば死にそうな場面自体はそんなに珍しくはないので、過剰に高さを恐れるのは良くない。
冷静に、確実に突破出来ると判断できたならば、勇気を持って踏み込むことは必要だろう。

きっとそうしなければ、自分が納得出来ない。
危険認識という臆病さは私の宝だが、ただの臆病風などは唾棄すべき物と思う。


高巻きすることは不可能だ。   →
ここを越えるためのルートは、選択の余地が無い。
とにかく眼前の斜面を如何とするかに集約されていた。






――13:51 (到着の3分後)――



未だ入り口で逡巡していた。


とりあえず岩盤に張り付いた薄い着雪は乾いており、凍ってはいないので、
それを原因としたスリップの危険は少なそうだという事を、安全に脚が届く囲で確認したが、

それだけが3分間の成果であった。
しかも悪いことに、動かないで居たから手足が冷えてきた。


睨めっこ、


岩盤、


睨めっこ、


岩盤、


睨めっこ、


岩盤、


睨めっこ、


岩盤、


睨めっこ、


岩盤、


睨めっこ、


岩盤、





――13:54 (到着の6分後)――


泣きたいよ。


確定された隧道の坑門と、隧道かも知れない“謎の穴”。


その二つを目前数十メートルの地点にぶら下げられて、こんなに悔しい場面があるかよ!



でも、この遅さが、私の答えであった。

私にはあるまじきこの異常な長考、第一歩の踏み出せ無さは、

信頼する経験則の導き出した「答え」だと、そう理解せねばならないのではないか。

心の底から事故を恐れた。





――13:55 (到着の7分後)――

撤収を開始した。