2010/2/4 7:37 《現在地》
ある読者さん曰く、以前は“飛び降りの名所”だったという、見晴らし絶佳の地点を発つ。
ちなみに飛び降りとは言っても、パラグライダーやハングライダーを身に付けた人たちらしいので、そういう装備を付けない一般人が飛び降りると危険なので気をつけて欲しい。
現在地は、大貫漁港から1.8kmほどの地点である。
今回の目的地となる佐貫地区の新舞子海岸までは、残り3km少々と予想される。
残念ながら既に「車道」では無くなっているが、明確な道は続いているので、躊躇わず進んでいきたいと思う。
想像を遙かに超える 驚異の遭遇劇 は、もう間近に迫っていた…。
今回のルートは小刻みな起伏が激しいという事は前回書いたが、その三度繰り返される「峠と底のくり返し」の、今は2つめの峠にいる。
標高は約75mで、最初の峠より心持ち高いかどうかという感じだ。
もっとも、峠らしい地形ではなくて、しばらくだらだらと同じ高さを進んでいき、あるところで突然下り始めるようになっている。
これは、「大坪山」の複雑な山脚が東京湾に崖を作る、その縁の真上をトラバースしているのだが、ご覧のように全くと言っていいほど視界は無い。
まるでパイプコースのような道である。
唯一視線が通るのは、ちょうど南東の方角の、まさにいま日が昇る空だけである。
そして、この唯一の視界に、やがて異変が…。
展望所から約400mほど進み、道が南東方向へ顕著に下り始めた時だった。
うおっ まぶしッ!
ちょうどその光の中には、大きな「塔」が見えた。
!!
今見えたヒトガタのモノが、
「東京湾観音」か!
実は、こうして見るのは初めてだったりする。
つうか、これって有名?
ちょっと、とんでもなく大きかったぞ…。
奈良の大仏よりも、絶対に大きかったと思う……。
初っ端にちょっと度肝を抜かれたが、下り坂が続いている。
そして、この下り坂は海を見ることの出来る坂道だ。
二度三度、ぐねぐねしながら下っていくが、車道らしい線形ではないし、何よりも勾配がきつすぎる。
やはり、単なる歩道なのだろうか。
土道だし…。
つうか、この道は面白い。
自転車の 完全自動操縦路 だ!
ブレーキ操作だけで、確実にコースを辿れるという、
どんな自転車操縦初心者でも安心のシングルトラックである。
ただし、ブレーキはほとんど効かない!(泥なので…)
急勾配で下り、下り着いた底は二つめの谷である。
海抜は約40m。
ようやく前方以外の視界が開け始めた。
小刻みなアップダウンのある海岸線の小径。
私の中には、ループ橋に始まった立派なあの2車線道路の幻影がちらつく。
果たして、どのようなルートが予定されていたのだろう。
観光道路だったとしたら、出来るだけトンネルは避けて、見晴らしの良い橋を海岸に接するように架け渡しただろうか。
なお、大坪山は決して山深い所ではなく、海岸線に幅2kmほどの山域を有するに過ぎない。
それよりも内陸側は、国道や鉄道も通る農村部になっている。
これは、車道がなければ幾ら都会に近接していても開発されないという、典型のような眺めであった。
まじ、デカイ…。
文章にするまでもないと思うが、この風景はシュール過ぎる。
山の向こうに、“うしろ頭”がそびえる風景……。
それは、さすがに「東京湾観音」というだけあって、観音立像らしい。
ふくよかな表情が、徐々に見え始めている。
しかも、展望台を兼ねているのか、窓やら通路やらが頭頂部に鮮明である。
また、さすがの観音様も天雷の戒めは避けがたいらしく、取り付けられた避雷針がちょっとメカニカルでかっこいい。(巨大ロボット風味)
7:48 《現在地》
第二の谷の底は、狭いススキの谷地であった。
水は流れていない。
そして東京湾観音が立つ、大坪山(三角点標高124m)の主峰部を間近とする。
これより道は再び登りに転じ、全線の最高所へ向かうこととなる。
出発からここまで2.5km。
ちょうど全線の中間地点である。
……すまない。
土木構造物偏愛者である私には、この巨大建造物の良さはよく分からない…。
ただただ、シュールなばかりである。
それにしても、
両脇や胸の前に抱えた鳥かごのような檻は、
衆生の立ち入るべき場所なのだろうか…。
「この道の開通を阻んだのは、観音様である。
後ろ姿を見られるのを嫌ったためである。」
なんてな偽話が通用しそうな気配さえある。要注意だ。
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…ということで、東京湾には横目をちらつかせる程度の「東京湾観音」なのだが、
この谷間にはかつて、東京湾を見つめ続けた施設が、あったという。
その唯一(と思われる)痕跡が、海側に残っていた。
いま来た方向の山の上から、点々と電柱の残骸が海岸線へと下っていた。
谷一面に密生する笹藪は見た目よりも背丈が深く、踏み込むことは難しい。
私もこの写真を撮っただけで通り過ぎたのだが、後の読者様からの情報提供により、戦時中この場所に、陸軍の「観測所」があったらしいことが分かった。
それは、富津岬(北西8.5km先)におかれていた陸軍砲台から発射された砲弾の着弾位置を観測するための施設だったという。
東京湾口を見下ろす天然の高台である大坪山が、対岸の三浦半島とともに首都防衛の要害として機能していたというのは、軍事に疎い私にも納得しやすい話である。
現に、既に通り過ぎた「磯根崎」にも「着弾観測所」はあり、そちらは現在も廃墟が残っているとの情報もいただいている。
この施設に人や物を運ぶための通路があったはずだ。
ブログ「房総の日々」の作者takaki-i氏は、この海岸線の通路を「軍用路」と記しているが、立地的に疑いない事と感じる。
今度の登り坂は、下ってくるときよりも遙かに緩やかで、もし「観測所」まで車が入ったとしたら、こちら側からだったと思える。
しかし、視界は再び猛烈な竹叢によって奪われた。
海岸線にいながら、海を見れる場面が少ない道である。
こ、これは!
上の写真の「矢印」の所で、地面から突きだしたコンクリート製の「U字溝」らしきものを発見したのである。
しかも、それだけじゃなかった!
この、凹みはいったい?!
現在歩道として使われている部分は、深さ3mもある堀割の“肩”の部分なのである。(写真は振り返って撮影)
この堀割の幅は5m程度で、2車線には明らかに足りないが、これまでの道とは段違いだ。
単なる自然地形の紛れとは思えない、顕著な直線。
これは、戦時中の軍用道路跡か!?
左が謎の堀割部分である。
右の歩道部分より遙かに幅が広い。
また、両者の間には2〜3mの段差がある。
ただし、この落差は進むほどに小さくなっているようだ。
おそらく、先に見えているカーブの辺りで両者は同じ高さになると思う。
そして、、右の竹藪にも発見があった。
← ガードレールがある…。
猛烈な竹藪のため、けっして近付くことのできない路肩。
おそらく刈り払いによって確保されている歩道の、さらに2mほど外側である。
そこに白いガードレールが存在することを、私は見逃さなかった。
← U字溝パーツは大量にあった。左の堀割部分の底にも、かなりの数が散乱しているように見えた。
いずれも、本来あるべき姿ではない。
さらに、歩道を横切る鉄板を発見した。 →
古いタイプの疏水工のようで。
この下にU字溝が使われているのではないだろうか。
周囲に山積しているパーツは、この先の工事(つまり来た道)で使う予定だったのだろう。
つまり、
これはもう…
7:54
2車線道路だ!
約2kmぶりに、2車線規格で作られた道路が復活した!
この発見で、私は完全に確信することが出来た。
これが一連の未成道に関する遺構であるということを。
大貫漁港と新舞子海岸を結ぶ2車線道路が、
その両側から着工され、
ここで中断されたのだ。
多数の「U字溝」を未施工のまま現場に残していたことが、
決して「整理された」最期ではなかった事を連想させた。
この小さな谷は、戦争と道路建設、二戦二敗の敗戦地。
無残な現場に、上空より観音像のまなざしが注がれる。
全てを覆い隠す竹藪こそ、その慈悲の賜物なのか。
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