道路レポート 林道鹿曲川線 第2回

公開日 2016.5.13
探索日 2015.4.25
所在地 長野県佐久市

ある日、森の中、


2015/4/25 5:38 《現在地》

別れ道を左折して鹿曲川林道の本線を進むと、間もなく道の左側の川沿いに奇っ怪な姿の大木が生えていた。 近くに佐久市が設置した標柱があり、旧望月町が指定した天然記念物「山の神のコナラ群」だという。

他に説明書きはなく、樹齢などは分からないが、確かにひと目見たら忘れられない印象的な樹形である。
地面を這う大蛇のような木というのが分かり易い表現になるだろうか。一部の太い枝などは、自重のためか中途で地面に潜り込み、そこから再び思い出したように上を目指すという、本当に奇怪な姿になっている。

この同じ敷地内には、古い石碑と石祠もあった。
石碑は明治から大正時代にかけて村有林の獲得に尽力した竹花翁なる人物の顕彰碑で、その事蹟が長い漢文で書かれていた。



奇怪な木のすぐ先で、林道は初めて鹿曲川を渡る。
親柱や欄干のデザインなどの随所に古さを感じさせる2径間のコンクリート橋で、銘板によると、橋名は「山の神橋」というようだ。
なるほど、あの不可思議な大木の姿を見て、信心深い昔の人たちが、神威を想わない道理はない。小さな石の祠は、山神を祀るものだったのだろう。

別の銘板によると、この橋の竣工年は昭和30(1955)年5月である。
古い林道は麓から山奥へ向かって建設されるのが常であるから、最も麓に近い所にあるこの橋の竣工年は、この林道鹿曲川線の整備の始まった時期を示唆している。
また、この後も橋はちょくちょく現れるだろうから、その竣工年を調べる事で道が奥地へ延伸されていった時期を推定することも出来るだろう。
次第に新しくなっていくだろう橋の姿にも、今後注目したい。




この鹿曲川に限らず、蓼科山の北側に広がる広大な裾野地帯を流れる河川は、どの川もほとんど蛇行せず、北の北へと駆け抜けるように流れている。
こういうのは火山の裾野に良く見られる地形だ。
しかも鹿曲川は、最上流部の春日渓谷と呼ばれる部分を除けば比較的幅が広いので、谷の中に道を伸ばしやすかったのだろう。比較的早い時期に林道が整備されたのも納得出来る地形である。

ただ、このように直線的に流れる谷は、一度洪水になると水勢を減じる蛇行が無いため、とんでもない量の土砂を下流に流出させてしまう難点がある。
そのため、この辺りから上流には、まるで川が階段に見えるほどの多くの砂防ダムが築造されていた。こういうところは当然、谷も、道も、急勾配である。
地図上では一見ゆったりした直線道路に見えても、実態は“汗の道”なのである。



6:04 《現在地》

前回の分岐地点から30分弱かかって、1.7kmを前進した。
標高は1180mまで上がり、前回地点と較べて+120mである。これらの数字からも、安定した急勾配路をご推察いただけるだろう。

そして、ここも分岐地点である。
今度は、民有林林道小屋ヶ沢線という未舗装の林道が左に分かれていた。
地形図を見ると、この林道は峠を越え隣の細小路川の谷に抜けているようだ。入口も封鎖されていない。
つまり、林道鹿曲川線がこの先で通行止めになっているとしても、ここに小屋ヶ沢線の分岐があるために、ここまでは封鎖を免れていたのかもしれない。

そんな私の予測を裏付けるかのように、この分岐地点に至って初めて――




――赤文字の看板が!

落石・崩落発生により
これより先

進入禁止

最後の民家から離れること約3km… ついに、香ばしい感じが出て来た。
進入禁止と言いながら、封鎖の実力行使物体は見あたらないが、とにかく進入禁止であるという訴え。
そして、そんな進入禁止の先にあるのだと尚も訴え続けている、 都市!

その距離、「8K」!
前回から「2K」減っているが、まだまだ遠い。
しかも、廃道疑惑のある「8K」!! こいつは、なかなか骨身に染みそうじゃないかー! 




これは…… この路面は……。

直前の分岐以降、目に見えて交通量が減ったと分かる。
やはり、封鎖は近いのかもしれない。
だって、舗装路なのに、轍と轍の間に土の部分が出来ている。
二筋の轍の外は、鋪装されている部分であろうがなかろうが、もう土の下だ。
腐葉土が醸成されている。何年も掃除されていない。

これが、観光有料道路の成れの果て……。

そうだ。
“成れの果て”と言えば、この辺りは過去の「鹿曲川林道」にとっての“ある重要な施設”があったはずだ。
その痕跡、果たして残っているだろうか?




その施設とは、

 料金所だ。

有料道路に有料たるを支える最重要施設。

左図は前回も紹介した昭和63(1988)年版の道路地図だが、このように現在地付近に小さく料金所の記号を描いている。(この道の唯一の料金所だったようだ)
料金の徴収を終了した時期は探索時点で把握していなかったが、何か遺構が残っていても不思議ではないと思っていた。



6:22 《現在地》

で、私の結論としては、この写真の場所が料金所跡である。

ブース施設の跡は見あたらず、道が特別に広くなっているということもない。周辺の敷地を観察しても、ここに限らずゆったりとしているせいで、あまりピンとは来なかった。
だが、現状では平凡な直線でしかない登り坂の途中に、ポツンと1本だけ立っている「徐行」の道路標識は、意味深である。
料金所の接近を伝える標識では無かっただろうか。

帰宅後に航空写真(←)で補足調査を行ったが、やはりここが擬定地という結論に変わりは無かった。




料金所跡から300mほど進むと、再び鹿曲川の本流を渡る橋が現れた。約2.2km(40分)ぶりの本流渡河だ。

それにしても、こんな山奥まで入ってきてなお、川の源頭をなす大河原峠の鞍部が正面に明々と見える。
こういう景色の展開の仕方は珍しいと思う。この峡谷のいかに広闊であるかが分かろうというものだ。
相変わらず、まぶしく輝いている見える残雪が気掛かりだが、ここまで来くれば、もう「なるようになれ」だ。



スポンサード リンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
遂に「山さ行がねが」が書籍化します!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。 ヨッキれんやトリさんの廃道探索シーンを一流のスタッフが命がけで撮影した、日活の廃道ドキュメンタリーシリーズ第1弾


山の神橋とよく似た姿をした今度の橋の名前は、嶽入橋という。
個人的な好みだが、とても良い名前だと思う。これを渡って一層深い山(嶽)に分け入っていくという雄々しいイメージだ。

親柱の銘板によると、竣工年は昭和33(1958)年である。
山の神橋の3年後の竣工である。こうして工事が奥地へ進んでいった時期を把握できるのは楽しい。
また、山の神橋では見られなかったのだが、今度の橋の銘板の1枚には路線名が書かれていた。




結構高い橋なので眼下の渓流を見下ろす楽しみがあったが、ぼけっと眺めていると、川原の森の中をチョロチョロリンと動き回るものがあった。

カメラをズームにして確認すると、モッフモフの毛皮を身につけたタヌキらしき獣だった。 かわいい。



6:27 《現在地》

嶽入橋を渡って、再び鹿曲川の左岸に戻ると、ここに通算3本目となる“例の看板”が立っていた。仙境都市まで、あと「7K」という。

ちなみに今の標高は1250m。
スタートから100分間で約300m登ったことになるが、仙境都市の足元にはまだまだ及ばない。
かの都市は1800mよりも上の世界の存在なのだ。まさに雲の上。
まだまだ、私は汗を振り絞らなければならない。これは時間が掛かるです。

誰が住むんだ、こんな場所。

……ボソッと出た感想は、ある自転車乗りの偽らざる本音だった。少なくとも、自転車を足に生活する都市じゃないんだろう。



(←)この登り方である。
こういうのが、この道の地味にキツイ点だ。
直線的でずっと先まで見えてしまう急な上り坂が多い。自転車乗りの精神へのダメージが深刻だ。
なお、この辺りは妙に道幅が広いが、それでも1車線しか敷かれていない。なぜ広いのかは不明。

あ! (→)

来たっぽい。



6:32 《現在地》

嶽入橋から約350m、海抜1300m地点にて、遂に物理的な道路封鎖に発展!

事前にチェックしていた佐久市サイトの「林道鹿曲川線通行止めのご案内」でも、ここにある「通行管理ゲート」から先を「通行止区間」としていたので、納得の展開である。

「通行管理ゲート」とは言いながら、実態は脇の甘い簡単ゲートで、二輪車は難なく通過出来てしまう(施錠あり)。また、封鎖の理由を書いた案内板もここにはない。そういうものは1km以上前の分岐地点で1回見たきりだ。
このようになんとも手ぬるい感じなのは、もうここが有料観光道路としての役目を終えてから時間が随分経っていて、事情を知らない観光客が訪れるような状況ではないと、そう監理者側が判断しているのだろう。



ゲートを越え、封鎖区間へ入った。

やはり、封鎖されたことによる路面状況の悪化はてきめんで、これまでの状況でさえ良かったと思えるくらい、落ち葉や小枝、小さな落石が散らかっている。
逆に道幅はこれまで以上にゆったりしていて、道路の規格は向上した気がするが、それも台無しだ。

一応、これを見るまでは、封鎖区間内では現在進行形の復旧工事が進められていて、放置なんてされていないという可能性もあったのだが、これはやっぱり… 廃道っぽい。
もちろん、佐久市のサイトに通行止めの案内が出るくらいだから、法的には廃道なんかではなく、訳あって封鎖されている現役林道なわけだが、荒れ果てたまま長期間放置されているという実態があれば、それはやはり“実質的廃道”といわざるを得ない。
無論、私の大好物である。

平成23(2011)年以来ずっと封鎖されている(らしい)というのは、やはり、容易に復旧できない大きな崩落がこの先に待ち受けていることを予感させた。




んあ?



またまたぁ…


ち、違うよね?


なんか、デカいけど… 優しいヤツだよね?




仙境都市まで あと.5km