釜生林道 第2回

公開日 2009.1.1
探索日 2008.4.3

緑の消えた山


2008/4/3 11:06 

チャリと一緒に舞い戻った1号隧道。

これさえ手元に置いておけば、退路を束縛されることはない。

そんな気軽さ、心強さはあるものの、度を過ぎた廃道ではチャリ自体が足かせになる事もある。
廃道へのチャリ持ち込みは、自由を担保にして困難を買う事に他ならない。




隧道を出て50mほど進むと、早くも未知の景色となった。

確かに今は廃道だが、紛れもなくそこは車道の跡で、思った以上に広い道幅がある。
起点から隧道までの極端に狭い道は、地形的困難によるイレギュラーだったらしい。
私の大好物である明治の国道を連想させるような、三間幅の道が続いている。

荒々しい無普請ではあるが、法面の高さも本格的。
よく見ると、ここには明治ではない機械力の関与が認められる。




意外だ。

進むほどに、むしろ道の状況は良くなっている気がする。

流石に最近のものと分かるクルマの轍はないものの、落石も倒木も進路を塞ぐような障害は何もない。
廃道というよりは、使われないまま存置された道のようである。

隧道ネット塞ぎなどという大技を始めに食らっているだけに、どことなく腑に落ちない変化だった。
まるで、水のない川をさかのぼっていったら、突然透き通った水の流れに出会ったような…。




補強も何もない自然のままの路肩。
その下にあるのは、痩せた杉林。
こんなところに植えられても文句も言わず真っ直ぐ空を目指す姿が、なんか悲しい。
杉の植林地には、森と言うより画一化された工業生産の現場をイメージしてしまうのが、今ひとつ安らげない原因であろうか。

そんな工場を透かして見えるのは、いかにも房総らしい、丸鑿(のみ)で削ったような谷。
ヒルが棲んでることは間違いないので立ち入りたくはないが、見てる分には飽きない天然の造形だ。



ますます確かな堅さを取り戻していく路盤。

これはもう、間違いなく反対側からここまでクルマが入っていると見て良いだろう。
この先に2本描かれている隧道は、おそらく素堀ではあろうが、平凡な現役隧道だろうか。
ホッとしたような、ちょっとがっかりのような…。




少し興味を損いつつあった私の前に、妙に寒々しい山が見えてきた。
岩山ではないし、まるで鉱山のズリ山のように木の無い土山に見える。
しかし、この辺りに金属系の鉱山があったという話は聞かないし、そう言う雰囲気でもない。

私が新たな興味を感じていると、道も空気を読んだのか、自然とその方向へと進んでいった。




行く手に二本の道が現れた。
というか、このどちらかを選ばねばならない。
ここまでの明治道然とした心地よさを持った道は、土山を這い回る乱暴な轍によって、突如消滅してしまったのである。

地図にはこんな分岐は無いし、どちらを選ぶか勘に頼るしかない。

方角的には、右である。
左の道は、この期に及んで下るというのがおかしい。
右へ行くことにした。




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奪われた地表


11:10 【現在地(別ウィンドウ)】

ここにはごく最近もクルマが入ってきたようだが、物見遊山では無いだろう。
何か、この土山と関係する事業のクルマが出入りしているのだ。
どう見ても、土山は自然に出来たものではない。
地表から切り株さえ残さず木々が消えているのは、尋常ではない。

そして、尋常ならざるものと言えば、私が選んだ道の勾配もまた…。




なにっ!

こんなところに、乗用車が…。

どう見ても廃車ではない。

近くに人がいるのか。

全く飾り気のない白い軽自動車は、いかにも事業用である。
そこがまた引っかかる。

別に見つかってまずい事もないのかも知れないが、まずいのかも知れず、怖い。
ここがなんなのか分からない以上、どんな遭遇も不気味だ。
ネットを突き破ってきた手前、私の立場は誰よりも弱い。




土山のまっただ中に、複数の人影を確認。

安全帽姿の彼らは、ボーリングの櫓らしきものを囲んで踊り狂って…はおらず、一人が持つ図面を見てアーデモナイコーデモナイをしているようだ。
幸い私からは距離がある。
気づかれないように、そっと背を向けて距離をとる。

ちなみにここも分岐地点であったが、軽自動車が塞いでいる道は、彼らの元へ行くのみと判断した。
ここには、判断を助ける視界の良さがある。




地形に焼きごてを当てて強引に道たらしめているような道。
冒頭の隧道を絡めた複雑な線形や、その後の高い法面に見られたような、道造りの繊細さと大胆さを掛け合わせた「線形の美学」がない。
同じ線上にありながら、まるで別の道のような振る舞いである。

地図と地形を睨めっこすると、やはり現在地は地図の道からずれている。
では、途中で分かれたどれかの道が正解であったろうか。

そうではないだろう。これまで分かれた道は、いずれも向かっている方向が違う。
そもそも、地形図の道もだいぶ怪しい描かれ方ではないか。
ほんの50mほどで、高低差30mを稼ぐ尾根上りはおかしい。

この辺り何かがと言うよりも、全てがおかしいのだ。

やがて、尾根と思われる場所にたどり着きはしたが、道の状況に変化はない。
それどころか、道の西側の巨大な窪地は、明らかに人工的に削り取られた山である。
縞模様の地層が露出した平滑な斜面が、それを物語っている。




私がこの辺りの地形と道の関係に、普段以上の敏感さで反応していたのには、訳がある。

地形図に描かれている隧道は3本だが、昭和27年と43年のそれには、4本あった。
その「消えた隧道」は、ちょうどこの辺りにあったと思われるのだ。

次の地図を見比べて欲しい。




昭和43年版地形図は、現在につながる新しい図式への過渡期であり、測量の時間が無かったのか全般的に雑な印象を受ける(この地図に限らない)。
おそらく、最も南よりの隧道が描かれていないのは、表記上のミスであろう(これより古い27年版にはある)。

問題は、描かれた中で一番南の隧道である。
現在の地形図と見比べてみると、隧道を欲するような地形の凹凸がほとんど消えてしまっていることに気づく。

点線の道自体も消滅しているようであり、隧道も山ごとに持ち去られてしまったのだろうか。




道は突如150度くらい進路を反転させ、南西へと上り始めた。
そして、この上り坂というのが、酷い砂地であった。
チャリは砂地が苦手である。平坦でもつらいが、上りとなるともう途端に走れない。
たちまち押して歩く訳だが、俯いて額に汗する姿は、まるで砂漠を行く遭難者のようだ。
山の上で砂山に出会うとは思わなかったが、後で知ったことには、この君津市一帯の丘陵地帯は、日本有数の産砂地帯であるらしい。



昭和30年代以降、首都圏でのコンクリート需要の急激な高まりから、交通便利な房総の山砂は猛烈な速度で運び出されてきたという。
既に採取の終わった山も到底自然に帰ることは出来ず、荒れ果てた地表を晒しているという。
この山も、まず間違いなく砂を採った跡地だったのだろう。
ここに来なければ、首都繁栄の裏にこんな自然破壊が起きていたことなど、知らずに過ごしていただろう。

砂の小さな峠を越えると、行く手には本物の峠を思わせる凹んだ地形が見えてきた。
そこを通る道は幾分本格的な雰囲気で、古くからの道を期待させた。




12:25

荒涼という言葉が相応しい乾いた砂山にある、キャタピラーの丁字路。

ここから分かれる道は、南西と北にそれぞれ進んでいる。

まだ隧道が諦めきれない私は、後顧の憂いを断つ思いで、まず南西の道を進んでみた。




感じない。

道の古さを、全然感じない。
当然、隧道もありそうにない。

そして、またクルマが見えるじゃないか。
嫌だ嫌だ。
こっちはやめよう。




すぐに丁字路に戻って、今度は本来進むべき北への進路をとった。

古い地形図は往々にして不正確であるから、隧道の位置も柔軟に考える必要はある。

だが、結局隧道発見には至らなかった。
九分九厘、隧道は無くなっているのだろう。
チャリからも降りて、少しでも可能性を感じた藪の中を何か所か見て回ったが、それでも駄目だった。




北へ進むと、すぐに本来あるべき山の姿が見えてきた。
というか、思いがけない険しさで立ちはだかった。
もともとはこの砂山も、ああいう姿をしていたはずだった。


よし! 気を取り直していこう!!

あの尾根には、次の隧道が眠っているはず!!





次回! 愛しき隧道を求めし獣、咆吼ス!