道路レポート 早月川の左岸道路(仮称) 第1回

所在地 富山県滑川市〜上市町
探索日 2019.06.26
公開日 2021.12.08

海抜2999mを有する剱嶽より流れ出で、僅か30kmほどで海抜0mの富山湾に流れ出る日本屈指の急流河川が、早月(はやつき)川だ。
明治時代、政府の招聘を受けて国内河川を視察したオランダ人土木技師ローウェンホルスト・ムルデルが述べた、「これは川ではない、滝だ」という有名な発言は、この川を指したものだった。
そのような急流と豊富な水量を活かした水力発電が大正時代から行われてきたほか、源流部は伝統的な剱嶽登山路である早月尾根の名で、多くの登山愛好家に知られている。

今回の探索の舞台は、この早月川の決して長くはない中流部の左岸である。
地名としては、滑川市蓑輪から上市町中村にかけてのエリア。といっても、よほど土地鑑のある人以外には伝わらないだろう。そして、レポートの表題が久々に雲を掴むようなものになっている。
いかにも仮称でしかないこのネーミングは、探索時点で私が把握していた情報の少なさを現わしたものだ。そしてずいぶん昔に書いたレポートのセルフ・オマージュだったりする。(だからなんだという話だが)





ここに昭和27(1952)年の地形図があるじゃろ。→

左岸のかなーり高い位置に、道があるじゃろ?

そして、その道の途中に――

1本の隧道が描かれておるじゃろ。

ぶっちゃけ、今回の探索の動機はほぼこれだけ。
そして、事前に分かっていた情報もこれだけだ。
だってネットで何を検索しても、分からなかったんだもの。

さほど長くないたった1本の隧道の記号だが、それがある道は当時の地形図の記号で「里道(聯路)」という、3様式あった里道の中で中くらいの重要度の路線として表現されているうえ、車道として描かれている。(=厳密には、「荷車を通ぜざる道」ではないものとして描かれている)

チェンジ後の画像は最新の地理院地図だが、問題の隧道は消えており、代わりに1本の「徒歩道」が描かれている。
徒歩道が描かれている以上、少しは交通量があるのかも知れない。
しかし、隧道が消えているのが気になる。

それによく見ると、隧道擬定地の北側は「軽車道」の記号になっている。
隧道のすぐ近くまで今も車道として維持されているようだ。
ならばこの道を使って、隧道か、あるいはその跡地を見に行こうではないか。


――以上が、今回の探索に至った経緯である。
ちなみに、これより古い大正3(1914)年の地形図も確認しているが、そこにはこの道も隧道もなかったことを付け加えておく。
たった1枚の地形図だけに描かれていた隧道を探しに、初めての山へ行く。
そんな「山行が」の原点に立ち返ったような探索を、令和元(2019)年6月に行ってきた。
私は、結構軽い気分でスタートしたのだったが、その結果は……

……
………くっ!!



…入山開始…



 蓑輪の台地で、水の流れを辿ると……


2019/6/26 10:26 《現在地》

まずは上の《現在地》のリンクを見て欲しい。
ここは富山県滑川(なめりかわ)市蓑輪(みのわ)の室山野と呼ばれる高台で、主要地方道蓑輪滑川インター線の路上だ。
今回の主役はこの県道ではないが、目の前の丁字路に設置されている数々の看板が、「俺もスゴイぞ。だから紹介してくれ」といわんばかりである。

確かにこの県道51号蓑輪滑川インター線は凄い。
なにせ、路線名に滑川インターと入っているのに、滑川インターは全線の中間にある通過地点であり、実際の終点はそこから5km以上も離れた滑川の市街地にある。この路線名は詐欺じゃないかといつも思っている。あと、外見の変化も凄い。今述べた滑川インター付近では4車線の快走路だが、起点と終点付近(どっちもだ)は1車線の強烈な狭路である。全長12kmほどの路線だが、山に始まり、台地を経て、平野を走り、宿場町がある海岸に終わるという、非常に変化に富んだ路線だ。ある意味、早月川の縮図のようである。

今回の探索の最序盤は、この県道を使う。目の前の丁字路を、左折。



左折すると、道はそれまでの幅のきっかり半分となり、1車線へ。

水田の中に伸びる1車線道路に広い歩道があるという、やや奇妙な取り合わせ。そのうえ、1車線を目一杯に使って巨大な観光バスがこちらへ向かってくるではないか。直前に見た看板的にも、大型車が通れなさそうな感じだったのに、観光バスは通ってきたの? なんだこの道なんか変だぞ?!
そんな具合に不審な気持ちになったが、この謎は、少し後に解明されることになった。

それはさておき、この綺麗な景色を見て欲しい。
なんという雄大さ。そして日本の屋根を戴く圧倒的な比高感。既に初夏の色となった間近な丘と、真白い雪渓に覆われたアルプスの対比よ。
(そしてこのあと、私は、“初夏”に、やられる…)




これは、上の写真とは逆の方向を撮影したのだが、ちょっと、「ん?」と思う風景だ。

水田が、台地のうえに広がっている。
周りはここよりも低い谷であるから見晴らしが良いのだが、こういう本来なら高燥であるはずの高台に、こんなにも立派な水田が広がっているのは、よほど手の込んだ水利があるのだろうと、察する。

この「察し」も、やはり少し後に解明された。



観光バスは、ここから来ていたのか。

水田を突っ切った県道が樹林帯に遷るところに、大きな駐車場があった。
地形図に何の注記もなかったせいで気付かなかったが、ちょっとした観光地があるようだ。(バスは社会科見学か何かの団体バスっぽかった)

駐車場の傍らには……




10:28 《現在地》

大日公園という、滾々と水の湧き出す庭園があった。
ただの庭園ではなく、庭園風に演出された、用水を利用した親水公園だった。
ちょうどここは地形図に「碑」の記号のある場所だが、該当しそうな立派な碑が何枚もあった。
そしてその全てが、室山野用水を顕彰したものだった。すなわちこれが、直前に目にした台地上らしからぬ広大な美田を生んだものの正体だった。



室山野用水の案内板には、大略このようなことが書いてあった。

「滑川市・上市町の190haの農地を潤すためにつくられた農業用水です。1804(文化1)年に着手されましたが、資金不足によって中断されていました。椎名道三翁は、1827(文政10)年に困難といわれた室山野用水の開削に成功し、その後も多くの用水の開削に成功しています。」

看板にはかなり詳細な地図も描かれており、なんとなく察するものがありつつ、それを見ていると……

たらーーーーり

と、嫌な汗が…。

皆さんも、私と同じ嫌な予感を……、感じたかな?

江戸時代に開削された最初の室山野用水の古い水路の跡が、「学習広場」として整備されているらしい。
そして看板の地図を見る限り、「学習広場」の位置は、私が向かおうとしている“隧道擬定地”の近くのように見える。また、看板に描かれているそこへ行くための道も、私が“隧道擬定地”へ行くのに使うつもりだった道のように見えた。

これは、もしや……



←ということなの……?


そんな…、私をここまで連れてきてから、

無体なことを

今さら言うの?


……全然情報がないのも、水路跡だったから?(水路跡が好きな人だっていそうだが…)







待って。

まだ、ページは閉じないで。




違うのかも。



目指す隧道は、水路跡じゃないかも。



右図は、冒頭でも紹介した昭和27(1952)年の地形図だ。

よく見ると、室山野用水がちゃんと描かれている。青くハイライトしたところが、水路の記号だ。
また、青色の破線は、“看板の地図”に書かれているトンネル化された現在の室山野水路を描き足したものだ。
現在はこのような長いトンネルが掘られたことで旧水路を生じ、その一部が「学習広場」”として整備されているらしいのだ。

この地形図では、
旧水路の位置は、明らかに私が目指す隧道よりも下だ。

同じものとは思えない差があるし、同じ一枚の地図に描かれているこれらのどちらが誤記だとは考えにくい気がする。

やはり、私が目指す道路の隧道は、旧水路と別にあったのではないか。

看板を見た時に、凄く動揺したのは事実だ。
とても紛らわしいとも思った。
だが、今はこれらが別々のものであることを信じ、そして、信じた結果を確かめるまでが私の任務であると己を奮い立たせ、当初の計画通り、擬定地を目指すことにした。(そして、この決断が、私にあのような苦……)

前進再開。



せせらぎのある大日公園を過ぎると、明らかに大型観光バスが通りそうにない山岳道路になった。
先ほど看板で予告されていたとおり、道幅2.5mほどの窮屈な1車線であり、樹木で見通しの悪い小刻みなカーブが尾根の地形を素直になぞっている。
5km手前までは4車線道路だったのだが、こんなになってしまって…。




尾根沿いの道だけに、ときおり見晴らしの良い場所があった。
眼下は県道の南を流れる高地川の谷で、山の向こうは富山平野だ。現在の付近の海抜は320mくらいある。

写真の真ん中辺りの杉林に水平なラインが見えるが、地形図を見る限り、あそこにも室山野用水の支流が流れているようだ。
水は山を登らない。この高所を流れている水は、早月川上流から等高線に沿って流されている。いくら早月川が急流といっても、開削された水路の壮大さ、長さを感じる、高さであった。



10:38 《現在地》

大日公園から約300m、尾根上の窮屈な三叉路が現れた。

図らずもここは県道蓑輪滑川インター線の最高所である無名の峠で、左の下って行くのが県道の続きである。あと1.5kmばかり【窮屈さに加えて急勾配】にも耐えると、早月川の谷底にある起点へ至る。起点には富山県最大の“迷走・迷宮・分断県道”である主要地方道宇奈月大沢野線が待っており、まだいくつかの探索の種を育てているが、その話はまたいずれ。

今回向かうのは、右の尾根上の道だ。
これが、隧道擬定地へのファスト・パスになると判断している。
ただしその真価は、これから初めて確かめられる。




まるで挨拶のように気軽に迎えてきた、通行止。

進もうとしている道はA型バリケードで塞がれていたが、封鎖の理由は特に書かれていない。
傍らには青色の林道標識が立っており、路線名「林道東福寺線」のほか、林道の全長3599m、幅4mといったことも分かった。
しかしおそらくこの道の今回の役割は、途中までのアプローチでしかない。終点まで辿るつもりもない。
いきなりの通行止は少し不穏だが、とりあえずこのまま自転車に跨がって先へ進もう。


今さらながら、この時点で私の苦労は確定していた。
というか、この隧道を探しに行こうと決めた時点で既にもう……。




 既に始まっていた、戦い。 気を抜けば……


謎の隧道の正体を求める旅は、既に始まっている。
滑川市郊外の大日公園の奥、“険道”から外れ、入口を簡単なバリケードで封鎖されている「林道東福寺線」へ入った。

写真は、入った直後の風景だ。
いつから封鎖されているのかは不明だが、たぶんそれほど時間は経過していない。
まだ新しい感じの車の轍が舗装路面に浮いており、道幅も林道としては必要十分、直前までの主要地方であるある“険道”よりも広いくらいだ。

うん、何で封鎖されているのか分からない。




10:41 《現在地》

なんて思っていたら、入口から300mばかり入ったところで、唐突にダート化。
砂利道になったのではなく、整備状況としてはさらに一段階低い土道(ダート)になった。ダートには背の低い草が路上に生えており、舗装があると分かりづらい通行量の実態が露呈した。

一般のドライバーなら、この先の展開をおそれて車では立ち入らないだろうなと思える状況。しかし、自転車の私はもちろん恐れない。
とはいえ不安は感じた。まだ入って300mでこの草の道。
ここから目的地までは1.5km前後と思うが、やっぱり廃道なのかな…? あまり酷くないことを願いたいが。



ダート化はしたが、今のところ目立った崩れはなく、またうっすらとではあるが、最近のものらしい軽トラの轍も刻まれていた。
道は杉の植林地をうねうねと蛇行していく。
地形は起伏に富んでいるが、道は不思議とほぼ水平で等高線をなぞっていく。
今のところ、サイクリング向きのいい道だ。




杉林を抜けると、夏草の茂る斜面に飛び出した。
かなりの傾斜を感じるが、道は危うげな1車線を維持したまま、途切れず続く。
一応、路肩の位置を教えるポールが立っていたりはするが、自動車だといよいよ立ち入ったことを後悔しそうな状況に。

そんな状況で、今いる道のすぐ下にももう1本、並走する道のあることに気付く。




10:46 《現在地》

眼下に並行する道を見下ろす。
その道も未舗装だが、今いる道よりは轍が濃い。
そして何やら案内板が立っている場所が、すぐ真下にあった。

この下の道の正体だが、地形図を見ると分かる。
下の道には、室山野用水の水路が埋設されているようだ。
地形図には道と水路が並んで描かれているが、実際の水路は地中化していた。
だが、昭和27年の地形図では、水路と道は少し離れていた。
今いる道こそが、水路が蓋をされるまで使われていた道である。



おお?! 舗装が回復した。

このまま進むほど荒れていくのかと思いきや、ダート区間は600mほどで終わった。
依然として道幅は広くないが、ここからはコンクリート舗装である。
別に急坂だからという訳でもなく、純粋に舗装区間に出たようだ。

そして、この後だが、(チェンジ後の画像を見ながら)

今の地形図の道は、この先で非常に錯綜しているので、私はよく注意しなければならない。

私は、この地図に赤くハイライトしたルートを辿りたいのであるが……。
皆様には、私がここで見舞われた本日最初の混乱と戸惑いを、少しだけ追体験して欲しいと思う。



うん、さっそく出て来た。

地形図にある、最初の分岐地点だ。

地形図では、この場所から左へ2本の道が分かれているように描かれている。
画像に示した「A」と「B」の分岐路だ。林道東福寺線の本線は、「C」だと思われる。
この場面、私は「C」を選べば良い。
なので基本迷う必要はないのだが、習性的に、全ての分岐路を覗いてみたいとぞ思ふ。

てなわけで、まずは「A」。




「A」は、地形図だと「軽車道」として描かれている道で、まだ新しい道なのか、今までの区間では見なかったコンクリート吹き付け法面の切り通しから始まっていた。
切り通しの向こう側は早月川の左岸に開けた斜面上であり、眼下にその大きな広がりを見渡すことが出来た(←チェンジ後の画像)。

なお、【大日公園の案内板】を見た時に話題にした旧水路跡や、その旧水路を観察するための「学習広場」という場所へ通じているのもこの道のようだが、私は奥まで行っていないので、詳細は不明だ。

次は、「B」。



うん、「B」はヤバイネ。

死んでいる。

この道は、地形図だと「徒歩道」になっているが、その行く先は、私が目指している「隧道擬定地」の付近であり、それこそ私にとっては、今回の目的地へ向かうための選択肢の一つとなるルートであった。
ただ、本命選択肢である「軽車道」があるのに、わざわざ規格の低そうな「徒歩道」を選ぶ必要はないと考えていた。

状況としては、何かの電線が入っていっており、「A」が作られる前からあった切り通しっぽかった。徒歩道というよりは広い道のように思う。
しかし、大きな倒木から始まる猛烈な藪に覆われていて、奥は見通せない。
そして私はこれを目の当たりにして、こう思った。

「ああ、ここを行くんじゃなくて、助かったゼ!」



(…………ふふっ。 いま思うと滑稽だな…。)

気を取り直して、「C」をセレクト。先へ進む。



一本道が下り始め、間もなく谷の奥でヘアピンカーブ。

こうして、直前まで路肩の下に見えていた道と同じ高さへ。



10:54 《現在地》

そのまま、下段の道と合流。

ここは地形図に描かれている通りの十字路になっている。
直進する「D」が、林道東福寺線の本線進路である。

矢継ぎ早の分岐出現で頭の中がこんがらがりそうなところだがだが、下段の道の正体が水路だと分かっていれば、実態としてはなんてことのない、道路が水路を渡るだけの地点である。
とはいえ今は水路には蓋がされて道になっているので、右「E」と左「F」にも行ける。

試しに「E」へ少し進むと……




水路を埋設しているだけあって、等高線そのもののような水平路だった。
そしてすぐに【見下ろした覚えのある地点】に達した。
読みたかったのは、ここにある案内板だ。




改良工事の結果、大部分が地下に隠されてしまった室山野用水だが、見えなくなった分だけ、語り伝えるための努力は惜しまれていない。
ちょうどこの場所は、早月川の谷から、今いる東福寺の谷へ抜ける用水の隧道の出口があったところで、かつ水路の分岐地点であったそうだ。
現在は坑口も分水施設も地下に埋設されているとのこと。

水路用とはいえ、江戸時代の文政8(1825)年から10年の間に建設された「おお穴ぐり」と呼ばれる隧道が、改良されながら今なお地域の水源として活躍している。それがこの地下にあることと、それを伝えようとする真摯な態度に、感動を覚えた。

出会った瞬間の第一印象としては、私の探索を攪乱するエイリアンと思われた室山野用水だが、ここで私の中では完全に和解。
ここで得た知恵も糧にして、私は私が目指す“水路ではないはずの隧道”を目指すという決意を、一層深めた。




なんて書いてますけど



あなた、ナチュラルに、見逃してますから。

本来進もうとしていた道を完全スルー中。→←恥ずかしくないの?




「分かってるよ! さっき十字路で気付いたさ……。」

おかしいって……。

でも、本当に全然、分岐なんて気付かなかったんだよ…。

【この写真】の辺りに、地形図だと分岐があるはずなんだが……。

いまから引き返して、確かめてみるからね。




11:05 

さっきナチュラル・スルーした分岐地点は、地形図だとこのように描かれている。

私は、赤線の道を進もうとしていたのだが、どうやらこれは林道東福寺線の本線ではないらしく、それどころか、分岐自体あるように見えなかった。
地形図だと、同じくらいの幅の車道(軽車道)が分岐しているように書かれているのだが……。

また、目指す隧道が描かれている昭和27年版の地形図においては、ここまで走ってきた林道東福寺線は、隧道がある道と一続きであって、黙っていても自然とそちらへ進めるような描かれ方だ。
(読者諸兄は、ここまでの林道区間は平凡で面白くないと感じたかも知れないが、今回のレポートが紹介しようとしている本題の一部なので略せなかった)

とにかく、もう一度よく調べてみるしかない。 ここを! ↓↓↓




さきほどナチュラル・スルーしたときとは逆方向に景色を見ている。
GPSが間違ってなければ、ここが地形図上の分岐地点だ。

この場所から、右後方へ分かれる道が描かれている。


 ?
  ?

     んん?



ポツンと立つ、「北陸電力魚津送電所」のこの看板。

鉄塔巡視路を案内するものだと思うんだが、矢印がついているな…。

まさか?

背後の土の斜面?




道あった!

林道から2mほど登ったところに。




マジでこれなの?


位置は確かに正しいけれど……、


最新の地理院地図の軽車道が、これ?!