六厩川橋攻略作戦 第5回

公開日 2009.12.23
探索日 2009.11.25

ついに始まった廃道の「実力」は?



10:00 【現在地:10km地点】

森茂林道は、起点から10kmの地点で遂に廃道化。

途中で森茂集落へ寄り道していなければ、大谷からここまで2時間足らずで辿り着いたことになる。
これはここまでの良好な道路状況を“数字化”したものといえ、この先の移動速度は半減を覚悟しなければならない。

そのうえで、「残り5kmで午前10時」という現状は、想定の範囲内にある無難なものだった。
六厩川橋を攻略作戦の成否は、この後の廃道の程度と、私の努力に委ねられたといえる。



廃道の始まりに立っていた小さなプラスチック標柱。「SP 3.0」は何の意味だろう?
それは分からなかったが、一つ言えることはまだ新しいということ。
プラスチックの色がまだ鮮やかだ。




そして、この地点から廃道が始まっているその原因とも考えられる、大きな路肩の決壊。

路盤の全幅が墜落しており、誰かが架けてくれた小さな丸太橋が無ければ、いきなり大変な苦労をする羽目になっただろう。
ありがたいことだが、この丸太橋も決して今の私には容易ではなかった。

キーワードは、 チャリ & 凍結。




つるっつる!!

橋の上がつるっつるつるつるりんちょ。

丸太2本分の幅しかない橋の上に自分とチャリとを欲張って並べようとしたら、チャリの後輪が容赦なくずり落ちた。
一瞬体ごと持っていかれかけたが、滑りそうだと警戒していたおかげでなんとか踏みとどまることが出来た。

こんな所でいきなり落ちてゲームセットだけは避けたい…、ネタにもならんぜ……。




いきなりの「ひやりはっと」の直後、まだ橋の上にいた私は、ちょっとだけ立ち止まって後ろを見てしまった。

ここまで私を誘った、美しくて優しかった道。

この時の私の目には、憐れを誘う子供の光が湛えられていたに違いない。

母胎を離れ、いざ廃の荒海へ漕ぎ出すとき。

最初のひと波で、私の舟は大いに揺らいだ。
転覆寸前だった。

一歩で私は直感した。

もう、私に平穏な道はあり得ない。

少なくとも、5km先まで…。




廃道での直感は、とても良く当たる。
特に、直感が“良い方向”に誤差を示すことは稀だ。
そんなことをまた実感させられる、はじめの100mだった。

…って、何を言いますか。 まだ100mでしょ?

いや。この100mにあった崩壊が一つではなかったことが、ある意味で「決定的」だったのだ。

“最初の決壊”を過ぎれば、一旦状況は沈静化する期待を持っていたが、それは一瞬で打ち砕かれた。

あの崩壊は思いのほかに古いらしく、その先はもうかなりの長期間を荒れるに任せられているようだった。
そう考えなければとても理解できない状況が目の前にあった。




スタートから150m以内で、二度目の全面決壊。

すごく…良いペースで崩壊が現れる…。

おかげで、私の進行速度は完全に徒歩と同等かそれ以下になった。
これだと5kmはかなり重い距離かも知れん。
廃道に入ったばかりでもう弱気の虫が出る。
プレッシャーも感じていた。

一昨日の敗北の悔しさは当然ながら、あのとき敢えて尾根越えで橋を強引に“奪取”しなかった己の選択が、過ちだったと暴露されるのは、もっと悔しい。

橋まで行けずタイムアウト確定となって引き返す展開だけは、絶対に避けなければ。

足の負担は増すだろうが、ペースを上げて行くことにした。




この決壊は、最初の所よりもさらに大規模だった。

元は小さな沢を地中に埋めた暗渠で渡っていたようだが、何という自然の猛威。
暗渠は中央部を完全に撃破され、路盤も流れ尽くしていた。

今度の“足場”は丸太の橋ではなく、苔に覆われ角もよく取れた暗渠の“縁”。
ここは幸いにして凍っていなかったが、先ほどの一件があるだけに慎重に慎重を重ねてチャリを押し進める。




優しい母を離れても、まだ “へその緒” だけは私を守ってくれようとした。

通路となっている部分の両側に2本渡された化学繊維のロープ。
おそらくこれは手掛かりではなく、安全帯をかけるためのものだろう。

…まだ、人は入っている。

廃道に変わっても、まだ人は消えていない。
そして、彼らの目的地もまた「六厩川橋」であると信じる。
(それ以外に目的たり得るようなものが思いつかない)



“縁”を末端まで歩くと、次手はこの丸太橋。

また、丸太の橋…。 嫌だ。

嫌だが、選択の余地は無し。
また凍っていて、しかも勾配がある上に、濡れた落ち葉が沢山乗っかっている状況。


…四の五の言わずに黙って渡った。




こうして見ると、何がどう崩れて現状のようになったのかがよく分かると思う。
普通の林道の平凡な路盤の中に、こんな大きな“縁の下”が隠れていたのだ。

そして、意外な水面との高低差にも注目。
たしか最初の決壊の辺りはもっと低かったはず。
しかも路肩はえらく切り立っている。

この状況では、路上に前進不可能な崩壊が現れた場合も、河床への迂回はほとんど無理だ。

緊張する…。



また100mも行かぬうちに、3回目の決壊現場。

今度は問題なく山手を回避できるのだが、何が問題かってこの崩壊の密度が問題だ

廃道化するのは意外に遅かった(10kmは何事もなかった)が、廃道化後はいきなり大荒れの状況である。

最初の崩壊を過ぎると堅い路盤に藪が乗っただけの簡単な廃道が現れ、また次の崩壊を過ぎるとやや荒れ方が進み、また次の崩壊を…
と言う風に、進むほど荒れていくのが大抵の廃道のパターンで、前回の「岩瀬秋町線」もそれに近かった。
だがここは、いきなり年季の入った廃道。





ま さ か…!




ここからまだまだ荒れる… ということなのか…?





10:12 《現在地》

不安になりつつも、廃道化してから約500mを前進。
これに要した時間は12分。

丸太橋を含む明瞭な踏み跡のおかげで、廃道状況の悪さの割にペースは悪くない。
もっとも、意図的に歩速を早めているのもある。

ここに現れたのは、ブロック塀の法面と朽ちたガードレールとに挟まれた、とても長いストレート。
夏場はススキの藪で見通しのない場所に一変しそう。
だが、今はご覧の通り寂寞たる廃道風景。

なかなか、良い。



あわわわわ…

ストレートの途中から、路肩がゴッソリ逝ってる!

道幅はぎりぎり1m以下になってしまった。
いや、1mあってくれて本当に助かった。全部落ちていても不思議はなかっただろう場面

一見すると、穏やかな清流である森茂川(森茂筋谷だっけ?森茂谷川だっけ?)。
だが、源流から10km足らずでありながらこれほど広闊な河谷を生み育てた“河力”は、想像以上のものがあるのだろう。
思えばこれまでも、この上流で何度か「暴力」の爪痕を見てきたではないか。
あの暴力の主は、当然この下流をも総なめたはず。(この本流には、一箇所も砂防ダムが見あたらない)




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うわわわわ…

ヤバイッ。

逝った!

ストレート終盤は、法面も居なくなってしまった。
これではただの斜面歩きに毛が生えたようなもの。
踏み固められた一筋の道があってくれて、本当に助かった。




路肩の藪だか瓦礫だか分からん所に、埋もれかけた一枚の標識「落石注意」を発見。
警告との合致がシュール。

そう言えば、この道には一般的な(政令にある)道路標識が1枚も見あたらない。
峠にあった看板の通りならここは「併用林道」であって、つまり一般人も通れる道路だったはずなんだが。
今では途中を私有地に阻まれたりして変わってしまっているものの、これだけの距離に標識が無かったというのも何か不思議だ。
やっぱり森茂集落が無くなったせいで、実際は純然たる林道同然に運営されていたのだろうな。 唯一見かけたのは、こういう如何にも“林道らしい”標識だけだ。




200m以上に及んだストレートを抜け出ると、道の状況が一気に改善した。
これなら今も余裕で使えそうだが、当然轍が復活するはずはない。
崩れるものが道の周囲に無かった、また道を塞いでしまうほど植物の種の供給がなかった。
それだけの風景だ。

でも、こういう「廃道の中のまともな場所」は大好きだ。
踏破上の利便もあるが、何より、現役当時の“時間”が封じ込められている感じが心を躍らせる。


そして、次の明るいカーブを曲がると、 新たな場面が…。






うおっ! 眩しッ!



ここは、川の蛇行の内側にある広場。
生い茂るススキと笹の中に一筋の踏み跡は続いているが、
その先は烈しい逆光でよく見えない。

しばし、目が慣れてくるまで…。



見えざる物 凝視 する。



逆光のため黒く塗りつぶされたようになっている山肌から、私はどうしても目が離せなかった。


なぜなら、その山肌は明らかにこの道の “上” なのだが…



そこが… どうにも…








白すぎる!




いったいあの下は、あの下にあるこの道は、どうなっているのだろう。


無事とは思えない……。




この景色には、もうひとつ、隠れているものがあった。

右の背丈の高いススキの裏側に…




10:17 《現在地》

大きな橋があった。

廃道化した後は現在地を明確にする手だてに乏しく、しばらく地形図と離れていたが、分岐はまたとない現在地確定のチャンスだ。
地形図を確認。

現在地は、廃道化してから約900mの地点(10.9km地点)と判明。
海抜849mの独立標高点がここに示されている。
そして峠にあった看板曰く、分岐する林道の名前は、「二又谷林道」。




別のアングルから撮影した、「二又谷林道」起点の“名知らず”の橋。
銘板類は一切無し。親柱さえ無し。

これまで見てきた橋は本線支線ともにすべてコンクリート橋だったが、ここで初めて作りの異なるものが現れたのが興味深い。(それだけに竣功年を知りたかった)
本橋は赤い塗色も鮮やかな鋼鉄&コンクリートの混合橋で、特徴としてはスパンの長さが挙げられる。
約20mの川幅をワンスパンで跨いでおり、それを実現するための鋼橋採用と考えられる。
敢えて橋脚を下ろしたくなかった理由は、瓦礫に埋もれた川原を見れば明らかだ。



試しに橋を渡ってみたが、その先は…

…当然だが…、 廃道だ。


森茂川右岸の山腹を、地図読みで4km弱も続いている行き止まりの林道。
蛇行の烈しい経路の果てが、森茂峠より遙かに高い海抜1300m近くへ達しているのは驚くべき高低差(+450m)である。
その入口がいきなりこの廃道状況というのでは…

  ジュルッ…

時間が∞ならば、きっと入り込んでいただろう…。


だが…

今の私は他山の心配をしている場合ではないのだった。

橋上より下流を見たら……




終わってた…。






非道すぎる!



道なんて
無かった。

地図には平然と描かれていても、


道なんて無かった。




チャリ同伴での斜面突破は、もう絶望っぽい…。


救いがあるとしたら、川原が遠くないことと水量が多くは見えないこと。


いざとなれば、道を放棄して川原を歩いてでも、

六厩川橋へは辿り着く。



この光景は、この廃道の“本気”を私に伝えて来た。

今までは、軽い挨拶のつもりだったのかも知れない。

私も覚悟を決めなくてはならない。



というか、





道なんて無かった。





目指す六厩川橋まで、あと3.km。
日没まで、あと6.時間。