道路レポート 岡山県道50号北房井倉哲西線 無明谷 第2回

所在地 岡山県新見市
探索日 2019.12.26
公開日 2020.03.18

強雨の無明谷へ進入開始


2019/12/26 7:29 《現在地》

道の素性を知ってから探索を開始するというのは、普段あまりない体験で、「お手並み拝見」というような心境だった。
封鎖からちょうど10年が経過しているはずだが、この間まったく手を付けられていなかったのか、管理者による最低限の維持が行なわれていたのか、現時点では分からない。
しかし、期間の長さから考えて、荒れているとしても、そこまで酷いことはないだろうと予想していた。

私の興味の中心は、荒廃の度合いよりも、今しがた沢山の石碑や案内板に教えられたばかりのこの道の特殊な構造――深い峡谷の底を流れる涸れ川を自動車も通る道として整備した――がどのようなものであったのかということ。そして、これまで経験したことがない石灰石の谷地形の風景のことだった。

バリケードの先へ進入をスタートさせると、最初のごく短い区間は2車線幅を有していたが、その先ですぐさま1.5車線程度に狭まっているのが見て取れた。
この道を収めている無明谷の谷底も、最初から狭いようである。

この道幅が狭くなるところに、小さな文字が沢山書かれた、「自然保護地域」を告知する看板が立っていた。
旧哲多町時代(平成17(2005)年)のものらしかった。



道幅は狭くなったが、舗装はされていた。

しかし、路上には10回分の秋を過ぎてきた証しと思えるような大量の落葉が一面に積もっていた。
実際のところ、これが何年分の堆積かは分からないが、底の方の踏み心地が土のようになっていて、短期間の放置によるものではないと感じた。
この状況、自転車のような二輪車にはいかにも滑りやすそうに見え、注意しなければならないと思ったが、この先も速度を出す機会はなく、あまり心配は要らなかった。

左に見える看板だが、湿気に四方八方から冒されたような錆び方をしていた。
シールに書かれた「落石注意」の文字だけは仕事を放棄していなかったが、これも10年間以上立ち尽くしているんだろうと思うと、そろそろ休ませてやりたい気持ちがした。




ゾクゾク来るぜ……、この眺めは……。

超低空に垂れ込めた雨雲に浸された嫋やかな里の景色が、V字のシルエットを呈しつつある無明谷の出口に、横たわって見えた。
穏と急の境界が、唐突である。
まさに、無明谷という名の支流を辿り始めた瞬間、即座に峡谷が始まっていた。緩衝区間がない。

かつては、この景色にほっと胸を撫で下ろした通行人が大勢いただろうし、私にように振り返ってグッと手足に力を込めた者達も、それと同数いたはずだった。

「行ってきます」

この言葉が自然にこぼれ出た。



入谷直後、道は曲がりくねることなく、ただ勾配だけが増えた。
本来かなり先まで見通せる線形だが、雨脚が強いために、遠くは霞んでいた。

朝からこんな降る中で探索を行なうのは、珍しいことだった。
もっとも、前日までは晴れていたはずで、まだ累積の降水量は大したことがないと思うが、この探索中に限っていえば、絶え間なくバシャバシャと葉を叩く雨粒がうるさく感じられるほどの降り方をしていた。
他の車が通る可能性がない場所に入ったので、レインウェアのフードを深く被り直した。

それから、すぐ隣を流れている谷の様子を何気なく覗いて、とても驚いた。




川に少しの水も流れていない!

えええ〜っ!  って声が出るくらい驚いた。
今まで私が各地で見てきた川の常識を覆すような、異様な状況だった。
この雨だぞ?!
確かに昨日は晴れていたかも知れないが、夜半からずっと雨だったのだぞ。一晩降り注いだ水は、この谷に集まってくるはずじゃないのか?
水が少ないとか、そういう次元でなく、一滴も流れていなかった!!

この景色を見た瞬間に、川底を車が通っていた道という奇想天外としか思えなかった風景が、ここでは実に現実的な選択肢だったのだという、そういう強烈な意識の転換が起きた。



では、もしかしたら早速、この最序盤から道は谷底を通っていたのだろうか。
すぐさまその事を疑ったが、おそらく可能性は低いだろうと思った。
なぜなら、すぐ先にこの写真の砂防堰堤があったから。

石碑の記述に拠れば、川と道が分離されたのは、昭和53年であるという。
しかし、この堰堤は石造りで、明らかにそれより古そうだ。
だから、この辺りでは昔から、川と道は分離されていたのではないかと考えた。

しかし、なぜこの谷を水が流れていないのだろうか。
そんな素朴な疑問の答えは、地学の教科書を思い出してみると、なんとなく分かる気がする。
おそらくだが、これが私の知らなかった石灰石地形、カルスト地形の特徴なのだろう。
地上には地表水を呑み込んでしまう隙間が大量にあり、呑まれた水が地中で石灰岩を溶かして洞窟を形作っていく。
冒頭に登場した「万歳の泉」もまた、そんな地下河川がたまたま地上に流出する場所だったと思うのだ。



7:35 (ゲートインから6分後) 《現在地》

入口のゲートから約250mの地点には、こんな見慣れない道路景色が待っていた。
大雑把に表現すれば、これは溝橋(道の下を横切るトンネル状の水路)なのだろう。ここを境に、涸れ川の谷底が、道の左側から右側に移る。

道路の下には2m四方ほどのあまり大きくないボックスカルバートがあり、そこを水は流れる設計になっているが、谷幅に対して通水路の断面が小さく感じられ、本当にこの谷には洪水のような激流が起こらないのだとのだと感じた。

この溝橋の見慣れないところは、溝橋及びその前後の道が、完全に人為的に構築された地盤上にあるらしいことだ。
どことなく、平らな船の甲板に乗って狭い運河を行く、その船上の眺めを連想させる、不思議な道路風景だった。

また、普通は谷底とこのくらいの落差があって、平成を生きた主要地方道であれば、路肩にガードレールがもう少しあっても良さそうなものだが、点々と立ち並ぶデリニエータがその非力な代用になっているばかりだった。
昼なお暗い感じもするが、夜は本当に真っ暗な谷底だろうから、これでは夜間の通行は非常な神経を要したことであろう。
この状況で、ガードレールを完備するという、その程度の簡単な整備さえ行なわれていないところにも、不思議さがあった。



同上地点から来た道を振り返って撮影した。

写真だと霞んでいてほとんど見えないと思うが、ここまで入口からほとんど直線だったので、下った先にはバリケードと丁字路まで見通せた。
しかし、下界の景色もここで完全にお別れとなる。
この先は、谷が折れ曲がっていて見通せなくなる。

なお、地形図だと、道はもう少しだけ先で対岸に渡るように描かれていたが、実際はこの地点で渡っている(直前の「現在地」の地図は修正した)。




右岸に道は移ったが、相変わらず底を流れる水はない。
谷底にも、路上と同様、落葉が堆積したままになっていたから、並みの雨くらいで流水を生じることはないのかも知れない。

しかし、そんな平時は水のない川が、どれほどの時間をかけて作ったものか、河岸の崖がいよいよ切り立ち始めた。
しかも、見るからに白っぽい岩場だ。これが石灰石の岩壁なのだろう。
谷底に転がっている岩石もほとんど同じ色をしているし、いまは土の下に隠れている部分も含めて、谷の周囲の地盤はみな、こうした石灰岩なのかもしれない。

と、この辺りまで来たところで、進行方向のどこかから、大型重機の唸るようなエンジン音がかなり大きく聞こえてきて、意表を突かれた。
まさかとは思うが、この先の路上で、県道の復旧作業が進められていたりするのか。 こんな雨の中で?

……ちょっとそれは、困る……。



7:38 (ゲートインから9分後) 《現在地》

次のカーブ(上の写真の奥に写っているカーブ)まで来ると、重機の唸りはさらに大きく聞こえていたが、その発生源がこの道の進路上でないことが分かった。音は、この右岸から直に切り立っている斜面のずっと上の方から、絶え間なく聞こえてきていた。

地形図によると、この右岸の崖は落差が50mほどあり、その上は広い西向きの緩斜面になっている。無明谷の全長にわたって、右岸上部にこの一続きの緩斜面が広がっている。そしてそこには果樹畑の記号が沢山書かれていた。

しかし、これは果樹園から聞こえてくるような音ではない。
おそらくそこには、まだ地形図に描かれていない採石場が存在するのだと思った。

谷底から見上げる斜面上に、重機の姿は見えないものの、頂上には完全な無草木と化した岩棚の縁が見えた。だから、ここは今までより明るい谷底だった。

すぐにグーグルアースを表示してみると、果たして崖の上には採石場……この場合は石灰鉱山と呼ぶべきだろう……巨大な露天掘りの大穴が映し出されていたのである。

画像を見る限り、県道がある谷底と、階段状に掘られた露天掘りの湖と化した底の高さは、ほとんど同じに見える。
つまり、今の今まで気付いていなかったが、谷の入口からここまでの右岸の崖は、実は非常に薄っぺらい痩せ尾根のような存在でしかなかったのだ。そこにある採石の現場を、県道から見せなくするために残された、姑息な壁? いや、それは穿った考えで、普通に鉱区の縁まで削った結果がこれなのだろうが。案内板の言葉を真に受けて、保護された豊かな自然環境を疑わなかった自分がピエロみたいに思える展開だったが、別に残念とは感じなかった。これが、人里に近い巨大な石灰岩地帯である無明谷のリアルなのだ。


現状についてひとつだけ気になったのは、この県道を10年間封鎖せしめる原因と表記される「落石」が、この上部が無草木と化したこのカーブの周囲にのみ、倒木と共に集中的に散乱していたという事実である。

これは偶然という可能性も十分あるし、ちゃんと通行止めになっているのだから安全管理は行なわれているわけで問題はないのだが、いずれにしてもこの落石の多さでは、一度路上を掃除しただけで再開通と行かないのはよく分かる。

この斜面の安全確保には、ロックシェッドを設置するような大規模工事が必要になるだろうが、不思議とこの道のここまでの路上斜面には、落石防止ネットですら、ほとんど見かけなかった。
ガードレールの設置の少なさといい、この主要地方道の安全設備レベルは、生活道路らしからぬ脆弱さだと感じた。
そんな時代にそぐわない県道の末路が、この封鎖ということか。

さて、ここを過ぎると、両岸の岩壁はさらに深く切り立ってくる。
採石場からも離れ始め、入り組んだ地形のせいもあってか、重機の音は遠くなり、すぐに雨音の静けさが戻った。




7:45 (ゲートインから16分後) 《現在地》

入口から約600m地点、今度は溝渠ではなく小さな橋が現われ、道は再び左岸へ。

橋には、欄干も親柱もなく、路面より高い部位が全くなかった。本当にただの板みたいな橋だった。

しかし、ここに到達した誰もが、このささやかな橋ではなく、その先の景色に目を奪われるはずだ。

私も、例外ではなかった。




無明谷


――言葉を失った。


口を閉ざした俺の中に吹き上がってくる、路上の興奮。

こんなところに県道が、生活道路が! 踏み込んでいく!

観光道路という目的で、無理矢理、良景の傍に道を寄せたのではなく、

大字荻尾の人々が、己の便利のために、自動車の通れる道を造ろうとした、この谷底、巌根の底に……!

言葉が、 出ない。




ふざけてるのではなく、マジで暗い!

この強い雨のせいなのは、当然あるでしょう。

しかしそれにしても暗すぎるぞ、無明谷……!



それもそのはず、天球の8割は岩壁に遮られ、残りのさらに半分は木の陰だ。

平地に較べ、この谷底が受ける日光量は、1〜2割でしかないだろう。

このような環境に育つ、陰生植物の宝庫というのも、頷ける。


植物のことはぜんぜん分からない。だが、私の目にも分かる明らかに異様な光景がッ!



道の対岸に聳え立つ石灰岩の大壁の表面なんだが……

小刻みに波打つような模様や、滑らかな凹凸が、至る所に見て取れた。これって、

鍾乳石なんじゃないの?!


鍾乳石は、鍾乳洞という地下空間に生成されるものという先入観があるけど、

この半地下と呼んでも差し支えがないような暗い谷底の石灰岩面の滑らさは、明らかに。

さすがに、石筍や石柱のような形にまで育っているものは見えなかったが……、

岡山の谷やべぇ。屋外に鍾乳石とか、やばすぎる。

10年前までここを車通ってたのも、やべえ。 笑い、出る。



また橋だ。

また川と道の位置が入れ替わる。前回の橋から50mくらいだ。

画像暗くて見にくいだろうから大幅に調整しようかとも思ったが、無明谷っぽいからこれでいいかなと。

雨の日の無明谷の薄暗さ、まじヤバですッ!


だが、驚愕の道行きは、まだ終わらないッ!




7:49 (ゲートインから20分後) 《現在地》

道路脇に洞窟が!

なにこの、超さりげなく口を開けている感じ。
わざわざ路盤と同じ高さである必要もないだろうに、まるで隧道みたいに…。

3本目の橋を過ぎた直後で、一度は普通に通り過ぎかけたのだが、
瞬間、脇目に暗がりが見えたので振り返ったら、この景色があった。この穴が。

当然、入ってみることに。



人工的な隧道とは一線を画する、三角形をした洞口。

地面が綺麗に均されているのは、整備の結果のように思えるが、周囲に特に案内板らしきものはなし。柵などもない。



内部も三角形の断面で、天井は高いが、奥行きは、10mくらいだろうか。
少し先の方で右に曲がっているように見えたが、そこまでだった。

しかし内部に入ってまず驚いたのは、洞床を埋め尽くす……



瓶! 瓶! 瓶! ガラス瓶の山ッ!!!

それ以外のプラスチックゴミなども混ざっていたが、9割以上がガラス瓶だった。
当然、足を踏み入れようとすると、物凄いガチャガチャという騒ぎになるし、
分厚いゴム長靴を履いていたので私は大丈夫だったが、足を切る危険も大きい。
(伝説のホラー「手、足切る」を思い出した)

この大量のゴミは、不法投棄の可能性もあるが、個人的には、もっと生活に根ざしたものではないかという気がした。
行政サービスという形でのゴミ収集の歴史は、そんなに長いものではなく、一昔前まで日本中の山間集落で、
住人の各員が集落で取り決めた場所(多くは集落外れの谷間など)に投棄していたものである。
古い集落の周囲を歩いていると、そうした古い投棄場の跡を目にすることはよくあるが、
もしかしたらこの穴は、近くの集落の容器類の投棄場所だったのではないかと……、勝手な想像だが。

しかし、真の驚きは、

ガラス瓶の山を踏みしめながら、天井へ灯りを向ける瞬間を、待ち受けていた。




ありがとうございます。ありがとうございます。

鍾乳洞でした。

ありがとうございます。



クラゲ状の鍾乳石が鈴なりになっている三角屋根の小ホールは、洞窟の最奥部ではなく、
振り返ればこんなすぐそこに入口のある場所だった。足元はガラス瓶の山だが、天井はシャンデリアだった。

はぁ はぁ はぁ。 (←萌えてる吐息)


岡山の谷も道も、なんかやべぇ。 面白すぎるっ!