奈川渡ダムの謎の道 第4回

公開日 2008.12.14
探索日 2008. 9.8

廃遊歩道×廃遊歩道


2008/9/8 17:40 

奈川渡ダムの廃遊歩道探索は、いよいよ佳境へ突入する。

「現在地」から「ダム駐車場」まで、約100mの攻略である。




この区間は、廃遊歩道のなかでもさらに隠された存在だった。
固く閉ざされた洋風フェンスの裏側に発見された、木桟橋の列。
ひどく朽ち果てた桟橋は、見渡す限り何十メートルも続いているようだった。

恐ろしい、廃の中の廃。

万が一、この朽ちた桟橋を踏み抜けば、私はどうなってしまうのか。

夕暮れ迫るダム傍で、記録者=挑戦者の孤独な戦いが幕を開けた。




展望台までの道の過保護なくらいの頑丈さに較べ、あまりに華奢なこの桟橋。

経年による当然の腐朽に加え、急な山腹を墜落する石や倒木によっても破壊されている。

そして、頼みの綱の踏み板にも、すでに穴の空いている場所が目立つ。
無事と思われる踏み板も土が被り、新たな林床となる準備にかかっている。

どこを踏んでも、途端に“抜けない”とは限らない状況だ。




このような場所を何の躊躇いも無く歩けるほど、私は命知らずではない。

どう考えても、この桟橋に全体重=命をあずけるというのは無謀。

しかし、だからといって容易に投げ出して引き返す事が出来ないほど、この景色は廃道の魅力に溢れていた。
先が見たくて仕方がないのだ。

そこで、桟橋には極力体重をかけず、法面にへばり付くようにして歩くことで、落橋や踏み抜きによる墜落を避けて進むことにした。




もっとも、「こうやって進もう」と考えるのは容易いが、その通りに行動するのは大変であり、不可能ということだってある。

実際、上の写真の場所などは、完全に桟橋を無視して進もうとすれば大げさなジャンプをせねばならないと言うことで、むしろ危険であろう。
桟橋の桁の中でもそれなりに強度がありそうな場所を探し、少しずつ体重を乗せながら進んだところもある。

万が一墜落しても、1〜2m下の斜面で踏みとどまれるとは思うが、どんな怪我をするかは分からない。
先ほどまでの、廃観光地で観光の名残を楽しむ姿からは一点、一歩一歩が真剣そのものだった。




ぅ  う
お  お
|  |
!!  !!

すげー登ってる!

地形図にはアップダウンは無いように描かれているが、現実にはこの有様である。
明らかに斜度45度を超える“崖”を、手すり付きの階段が…

階段が稲妻みたく登ってる!!




これから行く道(←)と、

いま来た道(→)。


安全帯を身につけた作業員たちが通りそうな道だ。
こんなところが20〜30年前までは「遊歩道」として「万人に開放」されていたというのだから、恐れ入る。
まさに、観光だって自己責任という、古き良き時代を象徴するような遊歩道である。



しかし、嬉しいニュースもある。
通路の一部が木製ではなく、鉄製に変わったことだ。
これは心強い!



鉄の階段は、いい具合に土砂が積もって、もはや階段ではなくなっていた。

バリアフリーって何?美味しいの? とでも言いたげな、急な階段だ。
そして、ステップは金網張りで、ヒールの高い靴で来るような非常識な女は逝ってしまえ。そんなメッセージも読み取れる。

ちなみに、探索時も「本当にこれが遊歩道なのか?」と半信半疑だったのだが、当時を知る読者さんの証言により、確かに20〜30年前まで遊歩道として使われていたことが明らかとなっている。




みなぎってきた!

やばい!!
心臓の鼓動が早い。
ワクワクヶとマンナ委。
勢いでキーを叩いたら、私のPCのIMEが馬鹿すぎて笑えてくる。
でも、ここは勢いが重要なところ。

現地での私も、大口あんぐり見上げてポカーン。
こいつは熱いぜ!!!!!
テンションがハイマックス!!




階段の九十九折りって、見たことあんま無いぞ。

少しばかり木が生えているからカモフラージュされているけど、斜度60度近い山腹はまさに崖。
設計者的にも、この崖をパパやママに登ってもらうためにはどうするか悩んだのだろう。
梯子が手っ取り早いが、スカートの中身が見えちゃうしなぁ…。 仕方ない、階段を九十九折りさせてみるか!
そんな感じ。

欄干など、土砂崩れか何かで豪快になぎ倒されている。




階段は桟橋をも兼ねていて、それこそ完全人工通路の様相を呈している。

この階段がもし木造だったら、さすがに私も登ることを諦めただろう。
そのくらい急な斜面であり、油断のならない階段である。





一気に30mは登っただろうか。
振り返っても、最後の階段しか見えない。
その先は激しく切れ落ちていて、空間の広がりだけが感じられる状態だ。

よくここまで連れてきてくれたと、思わず足下の道に感謝したい場面だが、実際にはまだ生還が約束されたわけではない。

むしろここでの“登り”が、あの恐ろしい結末を…、

招いた。




次は、ここを進まねばならない。

そして、やがては登った分を下るときが来る。