鋸山の元名石切道 第3回

公開日 2011.6.27
探索日 2011.2. 8
所在地 千葉県安房郡鋸南町

隧道? 坑道? 謎の穴の内部



2011/2/8 7:27 

ちょっと分かり易いように矢印や補助線を加えているが、目の前にはかなり奇妙な光景が展開していた。

隧道としてはかつてないほどに小さな断面の穴と、幅が小さな割に高さが尋常でない堀割。
特に左の堀割の存在感はものすごく、右から左へ次第に高度を下げていく尾根の途中にあって、完全にそれを真っ二つに分けている。

しかもこの2つの道は見える範囲で繋がってはおらず、堀割と隧道がそれどれどこを目指しているのか、見当が付かない。
一度地図を見てみよう。




現在地は、“車力道”や当初目指していた隧道があった沢筋ではなく、その西側に隣接する沢の上部である。
推定標高は190m付近。

以下は推測に過ぎないが、図中になでしこ色で示した堀割は【大正の地形図】に記載されている破線の道(図中に黄色の破線で示した)に接続しているのではないかと思う。
また、【明治の地形図】ではこの沢の上部に採石地の記号があるので、目の前の隧道はそれに関わりのあるものと考えることが出来る。
というか、明治にせよ大正以降にせよ、この山の中にある道は登山道か参道か採石関係の道しかないだろうと思う。
集落がないのに生活道路だけがあるのは不自然だし、幹線道路がわざわざ高い山を越える必要もない。

しかし地形図からは、なぜこの場所に堀割や隧道が必要なのかが読み取れない。
こんなところで潜っちゃったらもう、山の向こう側まで地上に出られないんじゃないの?

もちろん、鋸山を貫通する未知の隧道があるのだとしたら、それは大変な大発見であり大いに喜ばしいことであるが、さすがに目の前にある極小の隧道にそんな大それた希望をもつのは難しい気が…。

(ちなみに、同じ標高で隧道が貫通するには、その長さは300m程度必要となる。意外に現実的な数字なので困る…)



ついでにもう一枚、解説用の写真を見ていただきたい。

元名ダムで撮影した写真に、現在地とそこに至るだいたいの道のりを記入してみた。

こうして見ると、鋸山のかなり懐深くまで分け入っていることが分かる。
鬱蒼と茂る木々が、地表に数多く残された人間の営為を、すっかりと覆い隠していた。

そして、“隠された遺構”はこの後、予想だにしないスケールへと拡大していくのであった…。







ではまず、隧道から参ろう。


…この時点で、かなり“気持の良いものでは無い”。

とにかく、狭い。

さらに、まったく風の通りを感じない代わりに、独特の土臭さというかカビ臭さがツーンと鼻に来る。

この隧道は、九分九厘閉塞隧道だろうな。

そんな予感があった。

しかしそれでも、入らないで済ませる事は出来ない。




入ってしまった。

すぐ振り返る。

あまりに狭くて、一気に奥へ進む気持にはなれない。

大きな崩壊の跡は無いにもかかわらず、坑口はその丈の半分以上が土砂に埋もれていた。
やがては完全に地表から姿を消してしまうだろうが、その事にも気付かれない公算が大だ。




このカタチは…?

何か意味があるのだろう。

過去にこれとよく似た形の隧道を見たことがある。
やはり石切場と関係が深かったと思しき、静岡県南伊豆町の【一条隧道】だ。

“出っぱり”がある場所が、一条隧道とは上下逆だが、基本的には同じようなカタチ。
前は中途半端に拡幅を試みた跡ではないかという推測をしたと思うが、おそらくそれは間違っているんだと思う。

こうして、同じようなカタチの隧道がまた出て来たからには、何か石切場と関わりのある理由があるのだろう。
まだその“理由”は分からないが…。




改めて隧道のサイズについてだが、天井の高さは約2m(右の低い部分は1.7mくらい)で、幅は1m程度しかない。
天井の一方に突起がある変形した矩形断面で、洞床は砂利っぽい。
ほとんど地下水の流入はなく、壁は乾いている。
また手堀であったようで、壁には鑿の痕と見られる擦痕が無数にある。
見える範囲の線形は直線で、特に上り下りも感じられない。
出口の光は見えず、風通りも感じられない。空気はとても澱んでいる。

そして特記事項として、カマドウマが沢山生息している。
あと、ゲジゲジもあまり多くないが居る。
非常に断面が小さいために、彼らは身体のすぐ近くに存在する。
カマドウマは飛びかかってくる。
私を含め、これらに苦手意識を持っている人は、廃隧道であるということ以上に不快な思いを余儀なくされる。


もしも、

この隧道が最低300mもの長さがあって、鋸山の山体を貫通しているとしたら、

それは、耐え難い不快な隧道探索になるだろうという“悪寒”があった。




進んでいくと、次第に天井が頭に近付いてきた。
自然と前傾姿勢を取らざるを得なくなり、ますますテンションが下がる。
その原因は洞床に堆積しはじめた土であったが、それは間もなく大きな瓦礫へと変化した。
どうやら、この先で崩壊が起きたようだ。

そして、ご覧の場面に辿り着いた。

隧道の断面がここで変化している。
左半分の天井部分に空洞が現れ、おそらくはその方向へと隧道は続いていくものと思われた。

或いはこれは、出口側からの“迎え掘り”との歪な接点だったのかも知れない。

だが、私にはそれを確かめる術がない。





なぜならば、隧道はここで完全に閉塞していたからである。

その最後の部分の天井は、明らかに上向きの坑道をイメージさせたが、洞床が土に埋もれているせいで、どんな断面だったのかははっきりしない。
また、これが洞内の崩壊による閉塞なのか、或いは“出口”を埋め戻したことによる閉塞なのかも分からなかった。

そもそも、これがどこかへ通じる隧道だったのか、地中で行き止まりの坑道のようなものであったのかさえ…


わからん。




結局、300mで鋸山を貫通する野望も空しく(そんな野望はそもそも無かった公算が大だが)、20mかそこらの短い命だった。

でも、正直ホッとした。
この隧道が長く続いていたら、かなり精神的にヤられていた可能性が高い。
狭い隧道は好きだが、狭すぎる隧道は毒である。

それにしても、この穴の正体はなんだったんだろう。
地中に埋蔵された石の質を知るために掘られた試掘坑ということも考えたが、それにしてはサイズが大きい気もする。
試掘坑なら人が這って出入り出来れば足りるだろうし、例の天井の凹凸とも結び付かないと思う。

…つぎ、行ってみようか。




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穴の脇にある極細の堀割



7:30

続いて、穴のすぐ隣にある堀割へやってきたわけだが…。


ええっと… これは…

堀割じゃないのか?

どこかへ抜けているものとばかり思っていたが、こちらも行く手は“闇”に包まれていた。

なお、私はこのまま目の前にある平場を歩いたが、本来の“道”はもう一段下の底の部分なのだと思う。
この平場は、ただの犬走りのようなものだと思うが、ちょうど都合の良い場所にあった。




この景色を、私はどう判断すればいいのだろうか。

切り通しの先に隧道があるように、一瞬見えた。

だが、よく見るとだいぶ様子がおかしい。

切り通しはその途中から、大量の巨大な岩塊に埋もれていたのである。
まずは一番底の階層が埋まり、次に私が居る犬走りの部分も岩塊に埋もれている。
そして奥に見えるのが、“闇”と、その上にある【とびきり巨大な岩の塊】


切り通しに蓋をする、超巨大な岩塊。

こんな風景、見たこと無い。

でも、これはきっと当初からではない、イレギュラーなものだと思う。

それを確かめるために、さらに奥へ進む。





これは典型的な、ガリバー現象。

周りのものが全て大きく感じられ、巨人の国に紛れ込んだような心境になることをいう。

え? それって“逆ガリバー”?! じゃ、マリオ3のワールド4で


全身運動で、堀割を埋めた巨岩の山へとよじ登る。

そして乗り越え、“闇”の門前に立ち尽くす。




とてつもない大落石。

堀割の1階部分(底)と2階部分(私がいた高さ)が完全に埋もれている。

埋めているのは、土砂というよりも純粋な岩の破片たち。


この特異な光景の最初は、超巨大な岩の塊が堀割の上に転落したことに始まる。
大音響と共に未曾有の衝撃が走り、岩自身と周囲の壁を粉砕。
そして、大量の瓦礫を底に落としながら、本体は堀割の壁につかえて止まった。

それが、この景色だと思う。


なお、

奥は閉塞のため、突破不可能!

また、先の隧道の閉塞も、この大崩壊の巻き添えである可能性が高い。




堀割の左右の壁は、すっぱり垂直に切れている。
典型的な石切場(丁場)の光景である。

対して前方の閉塞壁に人手の加えられた形跡はない。
自然のままの岩山のようである。

もしかしてこの丁場は、
大崩落が原因で閉鎖されたのではないか。


真っ先に思い当たるのは、大正12年の関東大震災。




関東大震災では、都市部を中心に明治以来急速に普及していた石積みや煉瓦積みによる建造物の被害が非常に大きく、その反省としてセメントコンクリートの普及が一気に促進された。

そのため、東京や横浜を最大の需要地としていた鋸山の石材業は、大きな打撃を受けた。

以上は鋸山の歴史の一幕として記録されている内容だが、実際には販売不振という経済的な打撃以前に、採石場自体の破壊という直接的な打撃も食らっていたと思われる。
『探る』も震災による丁場の崩壊について触れてはいないが、房総一円での被害の大きさを考えれば、無傷ではありえなかったはずだ。




7:33 【地形図】

堀割内部から引き返し、その全体像を一望出来る位置まで後退した。

地形図だと、この前には鋸山のどっしりとした山容が描かれており、単に登りの山腹があるようにしか見えない。

だが、実際の山容は登り一辺倒ではなく、堀割や隧道の向こうには、かなり大きな窪地が存在している可能性が高い。

直ちに行ってみたいと思ったが、肝心の隧道も堀割も通ることが出来ないという、もどかしい展開。

結局私は一旦この場所の探索を諦め、さらに西へ進んでみることにした。


当初の目的からはどんどん離れて行っている気がするが、溢れだした好奇心はもう止まらない。