道路レポート みなかみ町小川島の未成軍用道路跡 第2回

所在地 群馬県みなかみ町
探索日 2021.01.21
公開日 2021.02.22

竜ヶ渕の森で隧道捜索


2021/1/21 12:03 《現在地》

出発から25分、早くも今回の探索の焦点となる場面が目前に迫った。
『月夜野町史』に存在が示唆された「竜ヶ渕の隧道【原文】軍用道路として関口橋以南が拡幅改良され、竜ヶ渕まで到達、その先はトンネルによって進められギョーニン渕ぎわまで掘り進んだところで敗戦となって工事は中止は、この目の前にある突出した尾根に計画されたのではないかと、私はそのように事前予測をしていた。

そしていま実際に初めてその尾根とまみえたのであるが……、予測はいよいよ確信に変わった!
左側に見える一段低い土地は、利根川の広大な氾濫原である。
したがって、陸ではあるが道路が通るべき土地ではない。
そうなると、道がこの先へ進むためには、どう見てもあの尾根は邪魔だ。やはり隧道はここで間違いなさそうな気がする!!

……とりあえず、まだそれらしいものは見えないが、これから探すのがとても楽しみだ。ワクワクする。



私が辿ってきた山際の道は、一本道のままで再び電気柵に突き当たった。
広い水田地帯を取り囲むように獣避けの電気柵が巡らされており、出るためにはここを通過しなければならない。(電撃を受ける覚悟がなければ、他の場所からは出入り出来ない)

人間さまの器用さを披露しつつ柵を開放して進むと、そこには小さな水路を渡る、ごく小さなコンクリート橋が架かっていた。
名前も分からない橋だが、それほど古いものではなさそうだ。
そして、橋の先はいよいよ山道である。

意味深な山道じゃないか、これは……。




ここで一度、大縮尺の地図を使って状況を整理しよう。
この画像は、「みなかみ町地図情報」から切り出したものだ。

私は、図中の「電気柵ゲート」を潜って、一般町道下津249号線に認定されている山際の道を「現在地」までやってきた。
ちょうどここが町道の終点でもあるらしい。

また、探索の本題である軍用道路の建設予定位置を、黄線で表示した。
昭和60年代に行われた土地改良事業のために、湯舟沢橋付近から現在地付近までの未成道は失われたようである。
この軍用道路もちょうど現在地付近で山へ突き当たっていたようで、隧道の擬定地は、まさにこの先である。



ついでに新旧航空写真の比較もまた見てみよう。

昭和23年の航空写真を見ると、「現在地」で2本の道が交差するように描かれている。
一つは戦時中に建設された軍用道路で、もう一つは現在の町道下津249号線と重なる位置に存在していた道だ。
後者はおそらく軍用道路より古くからある生活のための道で、この先の尾根筋を小刻みな九十九折りでよじ登って行く雄姿が鮮明に写っている。
いわば、現在の1級町道上津下津線の前身というべき道だ。

これら2本の道がここで交差していたのであり、この先の森の中での探索では、その両方の痕跡に発見の期待があった。
あくまで探索の主役は隧道が期待される軍用道路だが、九十九折りの道も気になるぞ。




振り返ると、このような眺めがある。

残念ながら軍用道路の方は失われているが、ここで交差していた2本の道の気配は、地形からもなんとなく感じられる。
それに、軍用道路と同時に作られたのかは定かでないが、その路肩を支える未来もあっただろう、氾濫原と農地を分ける古びた石積の堤防が残っていた。

それでは、隧道擬定地の森へ、GO!

なお、自転車はここに乗り捨てていくことにした。




12:05 

薄暗い日影の森へ入ると、道は急に怪しくなった。
直前の橋までは現代の道だったが、この先は廃道らしい。

とりあえず、足元から伸びていく道形は1本分しか認識できない。
これを辿っていって隧道に出会えるのか否か。まずはそこから確かめることにする。

なお、この森は静かではない。
頭上を国道17号が横断しているためだ。
昭和57(1982)年に開通した月夜野バイパスの月夜野大橋(全長431m)が、利根川を渡る前の側径間で森を越えている。景色に相容れぬ白くて太い橋脚がズシンズシンと建ち並び、空の一部も塞がれて、ここにいる全ての者に卑小感を強要してきた。

ただ、幸いにして、橋脚が建っている部分以外の地上に、あまり影響は与えていなさそうに見える。
山全体がコンクリートで覆われていたりしたら、探索の成果を得ることも絶望的になりかねなかった。
とりあえずこの橋のことはあまり気にしないで、探し物に集中しよう。



森の中で探し物といえば、いかにも雲を掴むような話だが、この森はとても狭いので、すぐに成果が現われた。
九十九折り発見!
写真だと些か分かりづらいとは思うが、事前に航空写真で九十九折りの存在を把握していただけあって、見つけるのは容易かった。

おおよそ70年前には上空からもくっきり見えていた道だが、実態はやはり自動車が通るような規模のものではなく、辛うじて荷車が通行できるだろうというくらいの山道だった。
道は九十九折りを描きながら尾根を上り、中ほどで月夜野大橋がひっそりと置いた【ボックスカルバート】を潜って、更に上を目指していた。
その全線を私は帰路に歩いたのだが、レポートは略する。

問題は、本題である軍用道路の方だ。
当道がこのような九十九折りであるはずはなく、先んじて隧道へ突入していくと思われたのだが…。
私の右側(山側)にそれらしい痕跡はないので、残るは左側(川側)の捜索だ。




川側に目を向けると、いまいる場所の一段下に、笹の茂る低地があった。
この低地も、見ようによっては平場といえなくもないが、はっきり言って
ぼんやりとした印象しかなく、前のめりになるような感じはまるでなかった。

が、

低地を挟んだ向かい側、ほぼ視線と同じ高さに、

凹地らしいもの が見えた。




凹んでいる。

凹んでるよっ!!!




12:11

あった。


けれど…


埋没 or 未掘削?!


真相は、どっちだ?



軍用隧道の坑口跡を発見!


発見場所はココ!

一度も地形図に描かれなかった隧道が、戦後76年目、ここに痕跡を留めていた…!



坑口前で振り返ると、こんな眺め。

しかし、この坑口前の道は、完成していなかったのではないだろうか?
前述した通り、そこには笹の低地が横たわっているだけで、道形は不鮮明である。
この写真に書き足したような、築堤から続くカーブコースを想定するのは容易いが、構造物は残っていない。
わざわざ壊したのでなければ、未完成に終わったとみるべきだろう。



口惜しきは、この大量の土砂だ。

ここはそれほど大きな崩壊が起こりそうにない地形なのに、開口部を埋め立てる高さまで積み上がってしまっている。
もしかしたら、工事中止後に埋め戻したのだろうか。
このせいで、隧道に入れないばかりか、そもそも、隧道の工事が地中まで進んでいたかどうかも、明らかにしがたい状況になってしまっている。
これが非常に残念である。

『町史』の記述は、「竜ヶ渕まで到達、その先はトンネルによって進められギョーニン渕ぎわまで掘り進んだところで敗戦となって工事は中止」というもので、隧道が貫通していたかどうかは明確にされていない。
ただ、はっきりしているのは、隧道の先とみられる「ギョーニン渕ぎわ」というところまで工事が進んだということで、昭和23年の航空写真でも、現在地のだいぶ先まで工事跡が見えていたから、隧道貫通は別として、隧道の先でも工事が行われたのは間違いない。
もし隧道が貫通していなかったならば、ここを迂回して先地の工事が行われたということだろうが、その見極めを早くしたい…。


せっかく首尾よく坑口跡地(らしきもの)を見つけたのに、この場所でこれ以上の成果は得られないのか。

そのことが口惜しく、なおも一縷の望みを持って凹地を埋める瓦礫の山によじ登ると、表面が崩れるガラガラとした軽い音が辺りに響いた。
しばらく晴れているせいもあるだろうが、表面付近はほとんど土を含んでいない、とても乾いた瓦礫の山だった。

「こんなに乾いているんだったら…。」

私の中に燃えだした、小さな火種。
独り言となって漏れた。




12:12 私のささやかな呼び声に、地はひそやかに応えた。

瓦礫の山と、削られた地山とが接する部分に、拳ひとつ分ほどの小さな穴が開いているのを、私は見つけ出した。

開口しているぞ!!!

私は倒れるように穴の前に跪き、それがただの気まぐれな影でないことを確かめると、すぐさま周囲の瓦礫を掘り始めた。
こんな小さな開口部が、見つけられる瞬間まで形を留めていたのは、全くの偶然か、野生動物の意思かは定かでないが、私にとっての奇跡であった。





12:15 (発掘開始から3分後)

あっという間に、足を入れられるまで穴は大きくなった。

内部には間違いなく空洞が広がっている。

間違いなく隧道が埋まっている!




12:17 (発掘開始から5分後)

さらに穴の拡張が進み、いよいよ自身の身体を捻じ込むイメージが高まってきた。

冷静に、なんと恐ろしいことをしようとしているのかと思う自分もいた。

内部がどうなっているのか全く予想が付かないし、貫通しているかどうかも分からない。

戦時中に残された何か危険なものが眠っている可能性も、ゼロとは言えない。

でも、入りたい!




12:20 (発掘開始から8分後)

腰が通れば身体は通る。まずは腰の太さまで穴を広げることを目指している。

ただし、絶対に脱出も可能な穴の形状にしなければならない。

入るときは下りなのでムリヤリ入れそうだが、重力に逆らって上ってこられなくなったら、たいへんだ。

特に、乾いた瓦礫は滑りやすく、蟻地獄のようになることが想像できた。

途中で手足をある程度動かせる広さがないと、よじ登りようがなくなる。




12:22 (発掘開始から10分後)

拡張完了ヨシ!

照明点灯ヨシ!

突入準備ヨシ!

私はいつもの洞内突入姿勢である、足を下にした仰向け姿勢で、穴の入口に腰掛けた。

眼前いっぱいの岩壁に向かって深呼吸。両足の下には底の見えない闇がある。

あとは私自身の号令で、地上に短い別れを告げるだけだった。











こうしてヨッキれんは、竜ヶ渕の底へと消えていった。


めでたし、めでたし。