道路レポート 大多喜ダム付替町道 中編

Merry Christmas! 公開日 2014.12.24
探索日 2009.03.18
所在地 千葉県大多喜町

ダム工事が残したもの


2009/3/18 7:29 《現在地》

“湖無き湖畔道路”となってしまった町道西部田打越線を更に進む。

道は堤体建設予定地を過ぎてからも坦々と続いており、一本道。
湖畔道路らしく勾配もほとんど無く、クルマが来る心配もまず無いので、自転車を転がすにはもってこいだ。

そしてしばらく進んでいくと、大きな橋が現れた。
それも連続して2本!
ダムの計画図では、第1号橋・第2号橋と仮称されていたが、完成後にちゃんとした名前が与えられていた。




1本目の橋は、柳堀橋と名付けられていた。
また別の銘板によって、竣工年が平成11年7月と判明した。探索当時で築8年目だったことになる。

それは良いのだが、驚いたことに、4本の親柱に取り付けられた4枚の銘板のうち、2枚は全くの空白であった。
橋の名前と竣工年の銘板はあったが、通例からしたら橋名の読み仮名と、河川名を書き入れるべき銘板が共に空白だったのだ。

真意は不明である。
こうした銘板は現場で作成しているわけではなく、石材会社が作っているのであろうし、一旦空白の銘板を取り付けてしまったら、後日正式なものと交換するのは難しいはずだ。
ダム工事が未成に終わったことと関連があるのかは不明だが、画竜点睛を欠くの諺の如く、この橋の不幸な身の上を象徴しているように思われてならなかった。



お〜よしよし、可哀想な橋たちよ!

私が感謝を込めて、通らせて貰うよ。

湖が無いんだったら、この道も橋たちも、必要はなかった。それははっきり言って、動かしがたい事実。
ここが幹線道路でとかで通過交通があるんだったらまだしも、湖面を周回するだけの道は救われないよな…。



橋から見下ろす、“湖底”となるはずだった土地。
古い地形図を見てみたが、この谷間には集落があった様子もなく、そうしたことからもダム建設におあつらえ向きだったのかも知れない。
もともと無人であったにしても、いまの無人は、虚しさのある無人だ。
工事が進んでいる最中には、この景色の中にも束の間の喧騒があったであろう。
しかし、彼らが仕事を途中で引き上げた後に残ったのは、この景色を眺めるくらいの役にしか立たない立派な道路だけだった。
(工事に関わった人たちに、給与という利益を与えもしたであろうが)

だが、いまとなっては、この“山”が残ったことを、喜ぶべきなのかも知れない。
計画によれば、この真っ正面の“山”は堤体作りのための土取場であり、ダムの完成と引き替えに、一山まるまる消失の筈だった。
無名の“山”に過ぎないが、この山にも住む生き物はいるだろう。




2本目の橋は、前の橋にも増して立派だった。

名前もそれに相応しく曰くのありげな、獅子ヶ口橋。
ただし、その“曰わく”は知らない。
実ははじめから無かったらショックだが、そんなことはないと思いたい。

こちらの橋も銘板2枚は空白で、残る2枚に橋名と竣工年。
竣工年は平成14年2月で、おそらくこの橋が本区間の最後のピースになったのだろう。
間違いなく、この町道西部田打越線では最大の工事であり、最大の構造物だ。

……空しさMAX構造物。

それでも、開通出来ただけマシと言えばマシ。
この橋が建設中に放棄されていたら、大変な見所…いや、それは不謹慎だが、でも見所…ぐぐぐ。



二大橋梁を過ぎると道の終わりは近く、バックウォーター付近の終点を目指し、緩く下り始める。

本当に沿道には何もないし、誰とも出会わないし、静かである。


う〜ん、  ひ と り ぼ っ ち !


←何もなくなんて、ない!


ベンチが、あったッ!

ひとつだけだけどッ!!!


それに、よく見れば周囲には桜の苗木が植えられてもいた。

……強く、大きく育つんだぞ……。

湖はなくても、きれいな桜がいっぱいあったら、人は来てくれるかも知れない…。




町道西部田打越線の最後


7:33 《現在地》

起点からおおよそ1.1km。
町道西部田打越線の終点に到達した。
現場は谷底で、一見すれば水没してしまいそうな地形だが、ギリギリ湛水域の上流になる場所だ。

ここまで続いてきたアスファルトの舗装路は、ここで簡単なA型バリケードの封鎖があって、その直後にぷっつりと草むらに終わっていた。
だが、この終わりの右に頼りない砂利道が接していて、直角右折で行き止まりを回避できる。

付替町道の全線完成時には、この終点はもう10mほど先に伸びて、そこに本当の終点の丁字路が出来るはずだった。
丁字路でぶつかる相手は、片側1車線の町道上原紙敷線ここで分かれた道)である。
だが、上原紙敷線は未完成で、ここまでは来る前に工事が中止されているのだ。
これからその現場にも向かってみる。



こんな情報まで欲している人がいるか分からないし、多分こういうのを枝葉末節って言うんだろうけど、この“未完成終点”付近を説明するには、ちょっと空中写真の助けも借りないと難しいから、これ(←)を用意した。まあ、ざっくり切り捨ててしまっても良い程度の情報です(笑)。つか、もともと廃道情報なんて全部生活の役には立たないからいいよね。

で、これはあんまり説明要らないと思うです。
現在地周辺では、この図のように道を完成させる計画があったけど、実際に完成したのは、航空写真に写っている部分だけということ。
図中に@〜Cの数字と矢印があるけど、これは@〜Cそれぞれの写真の位置とカメラの方向を示している。
(試験的な意味も兼ねて、レポの色々な見せ方を試してみるのです)


 A地点の眺め。→

千葉県による大多喜ダム計画の付替町道としての上原紙敷線の終点はこの場所だったが、前回も考察したとおり、この路線名からして、正面の山を越えた先の紙敷地区まで延長される計画があった(ある?)のだろう。
そうでなければ、湖の周囲を回る道路の半分を2車線にする必要は無かっただろう。
先ほどまでの西部田打越線と同じく、全線1車線で事足りたはずだ。

しかし、ダム計画と一緒に上原紙敷線の整備計画も中止されたと推察する。



←バックウォーター付近の旧道風景。
この道もダム工事区域内ということで、一般車両は通行止めであった(現在は不明)。
左側の山は、柳堀橋の上から見えた土取場になるはずだった山で、これがまるまるなくなって、平らな跡地に悠々と付替町道が通るはずであった。

B地点から更に進むと、一本道ではあるが、道幅が急に広くなり、鋪装さえされていた。
この道幅は、ダム建設現場には付きものの重ダンプ走路であろう。
土取場と堤体現場を結ぶ区間だから辻褄が合う。
旧道は水没するまでもなく、旧態を失っていた。



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はい、これはもう完全に見慣れた重ダンプ走路の風景。

道路法で一般道路の通行を禁じられているような超大型ダンプを含む工事用車両たちの仕事道だが、いまとなっては完全に無人で、茫漠たる広道と化していた。




先ほど通ったばかりの二大橋梁が、随分と高い所に見えていた。
高いだけじゃなく、湖面をかわすように、旧道から見れば随分弓なりに迂回している。
こうして見上げる高度からして、現在地は水深20mくらいの深みであったろうか。

何のためにある橋なんだと問いかけるのは、酷なので止めましょう。
橋に罪はないでしょ。




前後孤立した未成道区間


7:37 《現在地》

さらに進んでいくと、工事中止後に設置されたと思しき新しい車止めが、道の真ん中にあった。
このすぐ下流(写真の正面)がダム軸と交差する地点だが、見ての通り、一切ダム造りは行われていなかった。
そして道はここで分岐しており、直進はスタート地点方面へ、左折は“3号橋”方面に続いているようだ。

たぶん“3号橋”が一番の見所っぽいし、そっちは最後にしようと思う。



7:39
ということで、《現在地》へとやって来たのである。

この寄り道の目的は、ダム湖左岸の町道上原紙敷線の未完成区間である、「1号橋」と「2号橋」の途中がどうなっているのかを見ることだ。
県の資料では、この区間は未完成となっていたが、地形図では一軒の建物が描かれているし、googlemapの航空写真でも未成道らしきラインが見えたのだ。

この写真の地点で右へ入る上り坂が、問題の場所へ続いているようだった。




この坂道は地形図には描かれていないが、鋪装されており、電線も沿っていた。
地形を無視するように掘り割りで続く坂道を、行き止まりまで一気に進む。
この辺りも、湛水すれば水の下になるはずだった場所で、湖底から湖畔を目指す動作をしている。



最後は砂利道に変わり、すぐに終点へ到達。
厳密には、終点が見えた地点で、引き返す事にした。
先にはログハウス風の立派な建物があり、現住の家屋のようだ。
集落ではなく一軒だけだ。

いま通ってきた道が湖に水没したら、ここは本当に孤立する立地であるが、そうならないために付替道路が計画されていた。
この撮影地点で、右に視線を向けると……。




未成道用地発見!

7:41 《現在地》

やっぱりあった!

大きな民家の敷地を画するように続くコンクリートブロックの擁壁は、そのまま付替町道の法面になるはずのものだ。
路面は施工されていなかったが、道路らしく緩やかに傾斜する2車線幅の平場と法面擁壁の組合せ、そして計画図面との一致。
間違いなく、ここが未成区間内に用意された将来道路のための準備施設(用地)である!

なお資料によれば、当区間の前後は工事中止時点まで用地買収未了だったようだ。
これから先も、この僅か100mほどの道路用地はどことも繋がらないまま、長く残り続けることになるのだろう。