長柿集落裏の中央道と絡まってる道 前編

公開日 2013.08.14
探索日 2013.02.22
山梨県甲州市大和町日影

先日、道路レポ「山梨県道10号富士川身延線 城山旧道」を書いている最中に、この道を思い出した。

「城山旧道」の最大の特徴にしてインパクト大だった光景は、道路と鉄道の超接近!であったわけだが、

そのレポートを書いていて、ここの一般道路と高速道路の超接近!を思い出したのである。


それはいったいどんな光景なのか。驚くほどに凄いものなのか?

こればかりは文章で説明するよりも、これは実際に見てもらうが一番だろう。


なお、今回も「通行止」の道ではなく、誰でも車でも自由に通行できる“公道”であるのがポイントだ。

小難しい歴史&制度の話は無しで、ただ奇抜な道を沢山の写真で紹介するだけなので、ミニレポ感覚で気軽に楽しんで下さい。


長柿集落の裏山へ続く道を辿っていくと… 


2013/2/22 15:26 【広域図(マピオン)】【現在地】

ここは甲州市大和町日影にある長柿(おさがき)という集落である。
旅慣れた人には、国道20号を笹子トンネルを越えて勝沼の街中へ下りていく途中にある山峡の地と言えばイメージできようか。

写真は、集落内から葡萄畑と日川の谷越しに、国道20号が通っている右岸の山腹を見渡している。
国道は対岸の家屋に隠されて見えないが、谷を跨ぐ吊り橋が対岸にも道があることを教えてくれている。

この「長垣橋」には大きな問題があるのだが、その話はまた稿を改めることとして、今はこの長柿集落から始まる日川左岸の道についてである。

私はこの写真を撮影した後、長柿集落に別れを告げて、東の方向へ進み始めた。
目的は、地図上で「怪しい」描かれ方をした道があったので、それを実地で確かめる事であった。



レポートを書いている今は摂氏40度近い猛暑に襲われているらしい甲府盆地周辺だが、6ヶ月前のこの日は凛烈な寒気に包まれていた。

日川左岸の段丘地にこじんまりとまとまっている長柿集落の外れに来ると、そこには山を背にして赤い鳥居を佇ませる小さな神社があった。
山菅神社という。
名前にも地形にも“山”を背負った神社としては珍しく、社殿が鳥居と同じ平坦な場所に置かれている。

その理由らしきものが分かるのは、もうすぐだった。
鳥居を潜らず、左の道を進んだ私の前に、“それ”は現れた。




“ひな壇”のような巨大法面を従えた、

中央高速

が待ち受けていた。


正確には中央高速ではなく中央自動車道西宮線であるが、この際もうどちらでも良い。

集落道から山の道への変わり際、とんでもない“デカ物”に行く手を遮られてしまったこの道の末路は…




面白いように呑み込まれてる!!

しかもその入口には、地図にも描かれていない小さなロックシェッドが待ち受けていた。

ロックシェッドの上には僅かながらも(そして“後乗せ”であろうが)土被りも見えるから、洞門と言っても通用はしそうだ。
とにかく小さいものではあるが…。


この風景を、私がここへやって来たきっかけである「地図上での道の怪しい描かれ方」と照らし合わると、ここから実に200m近い区間を高速のガード下で過す事が予想された。
それだけでも山間部の道路としては奇抜なのに、あげく素性のよく分からぬロックシェッドまで出て来ようとは…… 面白い。




名も示されていない、小さなボックスへ侵入。

入口に垂れ下がるつららは、ここ数日も車の通行していないことを物語っていた。
そしてこの入口を合図としたように、上り勾配が強まった。

何のためにこの施設があるのか、この段階では完全に謎だったが、
その謎解きを思わず忘れさせるほど、内部構造に釘付けとなった。




なんか分れてるんですけど…。

道は左へカーブしながら、ロックシェッドから斜めに脱出していた。
そしてその先では、ロックシェッドの代わりに中央道の高架橋が空を遮っていた。
上り坂は出口からなお一層急になり、おおよそ道など有りそうもない“橋脚の森”へ続いていた。

対して道に躱された正面の壁にも、別の通路が存在していた。
しかしその入口には、おおよそ高速道路の関係施設には見えないような“鉄格子”が、何の説明も注意書きもなく、無言のうちに施錠され、完全に封鎖されていたのである。
もちろん、灯りなんて見えない。


なんか不気味だな…。




格子の隙間にカメラとライトを突っ込んで撮影してみた。

…う〜ん。

通路は人が一人通れるサイズの長方形で、四方全てがコンクリートだった。
肉眼で見えるのは15mくらい奥までだったが、そこまでは真っ直ぐで、素性を推し量るヒントはゼロ。
また、直上の高速道路を走る車の音はすれども、洞内から聞こえてくる音はなかった。

帰宅後に画像処理で明度を極限まで高めたところ、肉眼で見える限界の少し先くらいで右に直角に折れているらしいことが分かった。しかし、その先を知る術は無い。
右に折れた辺りの直上は下り車線の路肩辺りかと思われるが、地上部に何かあっただろうか…?
施錠は南京錠によっていたので、避難通路でないことだけは確かだ。




シェッドを抜けると、そこは高架下。

大恐竜の骨を思わせる重厚な鋼鉄の橋桁を、それに見合う膂力を秘めた橋脚が支える。
道はその門型の橋脚を潜っていくが、小さな道と較べれば小さな洞門にも見えるスケールである。

一日につき約4万台の車が行き交う中央自動車道(大月JCT〜勝沼IC間)。
上り線単体でも約2万台だが、高架下の道は果して1週間に2台通っているかどうか。




振り返って撮影。

改めて全体像を見返しても、先ほどのロックシェッドらしきものが何のためにあったのか、よく分からない。
橋台から派生してはいるが、その荷重を分担する位置ではないようだし、せいぜい高速道の路肩の斜面を緩やかにするために設けたものだというくらいにしか見えないのだ。(←それが真の目的だとすれば、贅沢だな)

あなたの考えを聞かせて欲しい。




8:00 【現在地】

高架下の急坂を上り、門型橋脚を一本潜ると、またしても驚くべき光景が現れた。

“橋下の橋”である。

しかも、狭ぇ!

ここまでも狭い道だったが、いよいよ“お馴染み”の軽トラ専用道路の匂いが立ちこめてきた。
しかしここまで一度も「立入禁止」とか、いかなる規制標識も現れていないので、集落内から引き続き公道であることはほぼ間違いない。
おそらく甲州市道であろう。




うひ〜〜!!

さらに凄いところへ割り込んで行く。

銘板が1枚も無い無名の桟橋を渡った先、上り線の巨大な橋脚に幅寄せ食らって右へ寄ったら、今度は巨大戦艦の舷側を彷彿とさせる壁面が通せんぼだよ。

道は橋上よりもなお細く絞られて、上り線と巨大戦艦(下り線)の隙間…中央分離帯の地下みたいな所…を肩身狭く、狭く、狭く、行くのであった。

なんて所を行くんだこの道。 おもしろすぎる!
どんな地図にも描かれていない高架下の地表に、こんな多彩な小車道がのたうっていようとは…。




出会ってからずっと“橋っぱなし”だった上り線と対照的に頑として地上にあった下り線だが、ここで遂に橋となった。
そしてそれを待っていたかのように、私の道はそこを潜りに掛かるようだった。

ちなみに中央道の大月JCT〜勝沼IC間が開通したのは昭和52年で、上り線も下り線も同時開通である。
冒頭のロックシェッドを含め、開通後にこの下道を後付けした感じは受けないが、かといって中央道の工事以前にあった道は跡形も無く粉砕されたであろうから、これもまた同時開通と思われた。

100mぶりくらいに空ある場所へ脱出なるか?




8:01 

やっと、解放!

しかし道を視線で追っていくと、忽ちのうちにまた高架橋に呑み込まれていた。
ここは梅雨の晴れ間のような明り区間なのであった。


ところで、この僅かな明り区間は、地形図において省略されているようだ。
図中に実線で示したように道は通じているのだが、元々の地形図にはこれが描かれていない。




三日月型の短い明り区間が終ると、再び下り線のガードをくぐって、続く上り線の下には入らず右折している。

あの狭隘な上下線の間隙の居心地に、ハマってしまったとでも言うのだろうか。

狭所フェチか?




眩しい!!

日本の大動脈に両側を挟まれて、一端の道になったつもりの脚光か。

良かろう! その行く末を見届けてくれる!!