国道113号旧道 赤芝橋  後編

公開日 2011. 8.22
探索日 2010.10.18

赤芝峡に望む旧橋脚 “お立ち台”


2010/10/18 7:22 《現在地》

平場の突端まで行って足元を覗き込むと、数メートル下にお目当ての橋脚を発見!

どう見ても橋脚の高さは今いる路盤よりも低いが、この比高は橋桁の厚みということだろうか。
橋脚が途中で切断されているという可能性もあるが。

いよいよ目的地は目前となったわけだが、ラストの数歩がなかなか踏み出せない。
というのも、この先は土がほとんど無い岩場になっていて、しかも濡れていて滑りやすい感じがする。
仮に滑り落ちても橋脚が私の身体を受け止めてくれそうな位置ではあるが、そんな展開にはなりたくない。

事実、現在地を外から見れば【こんな場所】なわけで、恐ろしいのも道理だった。




数メートルの斜面を、若木を頼りにして下る。

橋脚と橋台(のような岩場)の間に立つと、一気に谷間の視界が広がる。
これまで視界不良すぎたのもあるが、この変化でまず少したじろぐ。
水面を駆け抜ける風は、この突堤のような裸岩の上に容赦なくぶつかってくる。

目指す“お立ち台”は目の前にあったが、この上に立つことは意外に危ないことなんじゃないかと、少し冷静になってしまった。

気持ちが冷えると、上に立ちたくなくなりそうだぞ。これは…。




怖いな…。

お立ち台だけ見ていればそうでもないんだが、実際には私の目には、その周囲を満たす“虚空”のほうが大きな存在感を持って見えている。
お立ち台に手摺りでもあれば良いけど(あるわけがない)、ちょっとこれは上りたくならないなぁ…。
別に上ったところで、ちょっとばかし対岸の景色がよく見えるくらいだろうし、そこまでする意味があるのかと思えてくる。

でも、ここまで来たのだからと、結局は上ることになる。

びくびくと、すごすごと…。





橋脚の付け根に立ったとき、その高さはちょうどこの写真くらい。
つまり、目線よりほんの少し上くらい。
高さ1.6m程度ということになろう。



うんしょ、 うんしょ。

よっこいせっ。

四隅の石が欠けていたので、その部分から上った。




上ったよ。


遠目に見て分かっていたことだが、橋脚の上には特になにもない。
上面がコンクリートで塗り固められており、本当に真っ平らだ。

というか、こんなに真っ平らなのも橋脚としては不自然である。
普通は何か橋桁を固定するための凹凸がありそうなものだ。
支承を介して橋桁を載せていたにしても、ボルト穴くらいはせめて…。

…まあいい。

とりあえず上ったので、覗いてみようか…下…。




風でバランスを崩さないように注意しながら、1畳ほどの広さがあるお立ち台の上を移動。
谷の側へと行ってみた。 

おっかねぇ。
…どんなに深いんだ、この淵は。
水は青を通り越して、黒い。

だが、嬉しい収穫もあった。
岬のように突きだした岩盤の突端部に、少なくとも3つの小孔が穿たれているのを発見したのである。

これは間違いなく、木造橋脚の痕跡であろう。
すなわち、この“お立ち台”と呼んでいる石造橋脚を用いた橋よりも、さらに古い木造橋が存在したのである。
そしてこれこそ、明治の小国新道の遺物である可能性が高い。
三島通庸の遺構!!




現在残る孔の大きさを見る限り、決して太い橋脚ではなかったようである。
こうした柱を橋脚一基につき10本程度は使っていた(孔は3つだけ目視可能)と思われるが、それでもたいした荷重力は無かったろうし、当然橋桁も木造だろうから、それほど大きな径間を得る事は出来ない。

だが、この谷の幅ならば、対岸までぎりぎりワンスパンで木桁を架け渡せそうである。

この場所は、文字通りの暴れ川であった“荒川”を低廉な木橋で渡ることが出来る、貴重な場所だったと思われる。
赤芝峡内には他にこの地点ほど谷が狭まっている場所はないし、荒川全体で見ても、これほどの狭窄部は非常に珍しい。

現に、これより上流にある箱の口地区においては、木橋による渡河に無理があったのか、コストの非常に高い石造アーチ橋を架設してある箇所がある(片洞門の眼鏡橋)。

それに、ただ谷幅が狭いと言うだけではない。
両岸とも固い岩盤が地表に露出していて、橋脚や橋台に面倒な基礎工事を行う必要もなかっただろう。
さらに水面からの高さも十分にあるから、洪水によって橋が流されてしまうリスクも低い。
淵が非常に深いため獣には渡り得ない地形だが、人が橋を架けて渡るならば、逆にこれほど好都合な場所も無かったように思う。

いつもながら、明治の人々の“地形を見る目”には、感服する。





対岸からその下流方向へ視線を滑らせる。

旧橋の高さと現在の国道の高さは一致しておらず、かなり国道の方が高い。

おそらく旧道は、赤線で示したようなラインであったと思われるが、ここから見る限り痕跡は見あたらなかったし、実踏もしなかった。




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お立ち台から見える “特異な景観”


お立ち台の上から、今度は上流、

現在の赤芝橋が架かっている方向を見る。



現橋は赤く塗られた鋼鉄の箱桁橋で、曲線橋ではあるが、それも含め特別に珍しい姿をしているわけではない。
しかし、この場所から見る姿は、赤芝峡口の早瀬と相まって非常に雄々しく美しく、本橋のベストショットと言って良さそうだ。






ん?




何か谷底に見えるぞ!!

【なんだあれは!】




ぐふっ!

ステファンボルツマン。

これは、どういうことだ。

現道橋のすぐ下流の谷底に、コンクリート製の橋桁が落ちている。
それは如何にも「墜落したまま」といった感じで、傾き、壊れ、半ばまで水に浸かっている。
だが、欄干の形状などから、確実に橋桁の残骸であることが分かる。

今まで沢山の廃橋を見てきたが、コンクリート橋の墜落現場は、ほとんど見たことがなかった。
ぱっと思い出せる他例がない。




いったい、あの橋桁はなんなんだ?


少し考えてみると、思い当たることが、ないわけではない。

いま私が立っている場所は明治以来の廃道なわけだが、その状況を見ながら、これと現道との間には、もう一世代くらい旧道(と橋)があったのではないかと、そう感じていた。

流石にこの石造橋脚から、鋼鉄の箱桁曲線橋への一気飛躍は不自然であり、その間にちょうど谷底に墜落している「コンクリート桁橋」があると、実にしっくり来る。


では、あの橋桁はどこに架かっていたのか?

これも思い当たるところがあった。

ここに来る途中の行程を、思い出してみて欲しい。




←こんな場所、あったよね?

現道橋の袂から旧道に入って間もなくの場面。

現在地へは“赤い矢印”のように進んで来たが、明らかにそれよりも幅が広く“若い感じ”がする道形(白い部分)があった。

その先は猛烈なブッシュになっていて、どうせすぐに川に突き当たって行き止まりであろうことから無視して来たのだが、いま思えば、この道形が“墜落したコンクリート桁橋”に続く、第二世代の旧道だったのではないか。




当然、帰り道はこの“猛烈ブッシュ”に潜ってみた。

そして、左の写真のような、極めて風化したコンクリート製欄干によって画された短い築堤部と、その先端に右の写真のような終端部を発見した(背後に見えるのは現道の橋脚)。

右の写真は橋台があるはずの場所であり、これに連続して橋が始まるのだが、当然その姿はない。

地形的にこの先端部から谷底を見る事は出来ず、そこに墜落している橋桁を見る事も出来ない。




現在の橋の上に戻ってきた。

直前に藪を掻き分けて歩いた旧道は、この赤く示した位置にある。
だが、落葉期以外、そこにある築堤を外から見る事は出来ない。
もちろん、旧々道も見えない。

ここから今見えるのは、この探索の発端ともなった、旧々道の突端にある“お立ち台”くらいなものである。




…と、思いきや。

自身の名誉のためこの写真は伏せようかとも思ったが(笑)、現道橋からも谷底に墜落している旧橋の残骸は、はっきり見る事が出来た。

さっきはお立ち台に気を取られてしまい、この残骸には全く気づかなかったのである。

(ただし、川の水量が多いときは本当に水面下になるので、見えなくなる)




ややこしくなってきたので、地図上で整理する。

赤芝橋付近には、“お立ち台”が現道から大いに目立つ旧々道(明治道)の他に、夏場はほとんど地上部が見えなくなる旧道が存在している。
しかし谷底には、この旧道の墜落した橋桁の残骸が存在する。

…そんな状況である。

最後にもうひとつ、別の場所から見てみよう。

それは、【ここ】だ。




赤芝橋の下流に連なる赤芝スノーシェッド。

この途中から、振り返って見る赤芝橋の風景は、絶景中の絶景である。

自動車だとこれを落ち着いて拝むことは出来ないから、自転車や徒歩の特権的風景なんだな。


さぁさぁ、羨ましがって…。







絶景カナ絶景カナ。


この場所からだと、現道橋はもちろん、

旧橋(の残骸)も、旧旧橋(の橋脚)も、見る事が出来る。





厳しい地形に、橋達の戦いの跡。

もう、どうやっても渡れなくなった橋達。

しかし、その生きていた頃の姿を想像し、或いは、

記録に残る姿を眺めることは、まだ出来る。


次回は、昔の橋達に思いを馳せる[解説編]をして、このレポートを終えたい。