国道148号旧道 下寺地区 前編

公開日 2010. 7.20
探索日 2010. 5.18

これは当サイト最初の国道148号関係のレポートだが、今回紹介する区間はその数多く存在する旧道の中では小規模であり、代表的と言えるようなものではないので、路線の全体像については次の機会に譲ることにする。
ここでは単に、新潟県の糸魚川市と長野県の大町市を結ぶ、おおよそ70kmの一般国道であることだけを述べておく。

70kmという距離は国道としては長い方ではなく、その道筋は新潟県糸魚川市、長野県小谷(おたり)村、白馬村、大町市の4市村のみに納まっている。
今回紹介するのは小谷村北小谷は下寺地区の旧道であるが、その位置は右図の通りである。

あわせて山行が初登場である小谷村についても簡単に紹介すると、ここは典型的な豪雪の山村である。
面積の9割近くは山林、しかも東西を標高2000〜2500mの山岳が画しており、ほとんどの集落は中央を流れる日本有数の清流姫川(平成12年と13年の一級河川における水質調査で日本一となった)とその支流である中谷川沿いの狭い平地に存在する。人口はおおよそ3500人。
交通機関といえば、姫川に沿って南北を縦貫する国道148号とJR大糸線の2つ、これがほぼ“唯二”のものである。



私とこの国道148号の付き合いはまだまだ浅く、今年(平成22年)4月に初めて自転車での旧道巡りをした。
その時の区間は、糸魚川市の南端辺りから小谷村の中土(なかつち)までで、まだ一巡していない。
そして今後も訪問する予定があるのだが、さしあたって今回はその最初の探索の中から特に印象深かった下寺地区の旧道を紹介しようと思う。
下寺の周辺図を右に掲げている。

今後も続くだろう旧道レポートとの接点として、今回のスタート地点は「現在地」の位置とした。
これは湯原地区と塩坂地区境の旧道上という何とも中途半端な場所だが、ほかに適当な場所が思いつかなかったので許されたい。
そこから塩坂、島と進み、下寺にある「道の駅小谷」までを今回は前後編で紹介する。
もう少し進めばJRの北小谷駅があり、その先は苛烈な廃道がある「外沢地区」だが、これも次機会としたい。

改めて右の図を見ていただくと、今回の区間は比較的穏やかな川沿いの道という事がお分かりいただけると思う。

姫川沿いの静かな旧道に待っていた、印象深き廃道風景をご覧頂こう。





塩坂地区の旧道


2010/5/18 14:22 《現在地》

ここは小谷村湯原の旧国道上で、左に見える施設は電気化学工業が所有する発電用の堰だ。またこの右側のフレーム外には、黒部川発電の北小谷発電所が建っており、日本有数の清流である姫川の“電気銀座”としての側面風景である。

この国道148号は、平成10年の長野冬季オリンピックを強い契機として大規模に改良された経緯があり、湯原から塩坂にかけても全長約1kmの「塩坂トンネル」で一気に抜く現道が、平成9年に開通している。
以来の旧道であるが、ご覧の通り状況は悪くない。
沿道集落の生活道路としても発電所の管理道路としても、必要な道である。




冒頭でも述べたとおり、国道148号が通過している地域は豪雪地である。
それも生半可なものではなく、この小谷村と隣接する糸魚川市及び白馬村の3市村はすべて国の定める「特別豪雪地域」に指定されている。
ということだから、小谷村唯一の幹線道路である国道の克雪改良には、昭和40年代当時から特に力が注がれて来た。
その結果、路線上にはトンネルよりも遙かに多くのスノーシェッドが、「洞門」の名前で連なることとなった。
一般のドライバーが国道148号をトンネルばかりだと感じるのは、じつは多くがスノーシェッドのせいである。

この「塩坂洞門」も、そんな国道時代の構造物だ。
見たところそんなに古い感じもしないが、坑口に掲げられていた「標語」の欠落が旧道臭を醸す。

しかし、残りの“パネル”は何処へ…?



あつた。


洞門の入口から10mくらいの所の路肩、洞門が出来る前の路肩(ガードロープの残骸があった)に転がっていた。
風で吹き飛ばされたようでもあったが、もう一枚あったはずのパネルは結局見つけられなかった。
もしかしたら姫川まで飛んでいってしまったのかも。

“道狭く / ・カーブ / ○○○”
“ス / ピード / ○○○”

○の文字数は分からないが、なんて書いていたんだろう。




塩坂洞門は数百メートルにわたって続く。
洞門には似つかわしくない穏やかな姫川の対岸を見ると、こちら岸を鏡に映したように洞門が連なっていた。
JR大糸線だ。

大町と糸魚川を結ぶ鉄道として国鉄に大糸線と名付けられた線路は、昭和32年に中土〜小滝間が開通したことで、全線(松本〜糸魚川)開業となった。

以来国道と同様に、耐雪と克雪への苦労を重ねた結果が、無数の継ぎ接ぎと建て増しの痕跡を残すこの“フランケンシュタイン”のような洞門である。




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300mほどの明かり区間を挟んで、鋼製の「塩沢二号洞門」が出現。

こうして自転車で走っている最中も、ほとんど他の通行人と出会うことのない、旧道らしい静かな道である。




100mほどの洞門を出かかると、それまで一本道であった沿道風景に急に多数のキャラクターが現れた。

この旧道は洞門を出たあとも真っ直ぐ続いているように見えるが、より古い旧国道は右にやや大回りして、塩沢集落の中を通っていた。
しかしこの200mほどの短い区間は、予想外に廃道化しつつあった。

一方、正面の山の高いところを横切っている橋は、いままさに「塩沢トンネル」から出て来た現国道だ。
これから短距離の間に、この3本の新旧道が絡み合う。




2010/5/18 14:27 《現在地》

ミニ廃道区間の入口から50mほどで、一本の橋が出現。
私には「塩坂橋」という名前のほかは思いつかない立地にあるが、全ての親柱と片側の欄干が失われているという惨憺たる状況のため、名前も竣工した年月も知ることが出来なかった。
肉厚なコンクリートの欄干は、戦前の特徴と言っても良いと思うが…。

なお結論から先に言うと、このプチ廃道が廃止されて旧道が隣に移設されたのは、平成9年頃の現道建設に伴っている。
なぜそう言えるかは、この後に分かる。




プチ廃道は橋を渡り、正面の橋脚がニョキニョキした山腹に弾かれるように左に折れる。
そして僅かに登り坂となった先のサミットは浅い堀割であったが、その片側に多数の古碑が並んで建てられていた。

今はこの裏側に(先ほど別れたばかりの)“新しい旧道”が通っているが、元は川を見下ろす高台の古碑であったのだろう。
一角にはソメイヨシノの老木があり、風流な感じがする。




上を通っているのが平成9年開通の現国道。
いま私が居るところが、現道の橋脚が立てられるまでの旧国道。
そして左の道が、両者を“架け橋”したリリーフロードということになる。



旧道2本は“橋の下”で1本に戻り、現道と位置が入れ替わる。
次はその現道が徐々に橋脚を低くしてくるので、あとは合流を待つばかりかと思いきや、これが意外にもなかなか合流しないのであった。

微妙に近接して平行したまま、旧道は「島」とだけ書かれた錆びた青看の前を通り過ぎる。




2010/5/18 14:30 《現在地》

旧道に沿って細長く続く島という集落には、川側に古い桜並木がずっと続いていたが、空気を読めない現道が川面にサクラという光景を永遠に奪っていた。
島温泉の一軒宿があるほかは人家も少なく、路傍に畑や田んぼもほとんど見られない、ただロードサイドということばかりが特徴の寂しい村落である。

これまでの山間部に較べて広い平地の割に、空き地ばかり多いような…。
そんな説明しがたい微妙な印象を持ったのみで、島を通過した。 また、道はここでようやく現道と連絡を持つが、旧国道完走狙いの私は当然直進した。





ん?

また洞門か。






再び現れた堅牢そうな洞門は、なぜか真新しい壁で塞がれていた。
しかし坑門上に掲げられた交通標語は、まだ全然色褪せていない。

そして何より不思議だと思ったのは、塞がれた洞門の左に十分な広さの空き地があり、
しかも砂利が敷かれて道のようになっていることである。
塞がれた洞門の脇にそのまま道があるなんて、いままで見たことのない景色だった。

さらに左には、やや高い盛り土に守られた現国道も、空を仰いで快走している。

これではまるで、旧国道だけが“過剰防衛”のように見えるが…。





下寺洞門。

お前はいったい何がしたい?